女顔の僕は異世界でがんばる
恨みを抱く少女 43
    気が付くと僕はギルドを飛び出し、町を出てすぐの森の中を駆けていた。
頭の中が真っ白になるって、こういうことを言うんだな、なんてことを、どこか遠くで思う。
「はっ……はっ……」
肺活量も強化されているはずなのに、息が荒い。
心臓がおかしな速度で拍動していた。
強化のおかげで凄まじい速度が出ているはずなのに、足が地面を蹴る感覚がない。
ギルドにいないなら、ハンナさんは隠れ家にいるに違いない。
襲撃は昨日の日中だったみたいだから、たぶん昨日は休みで、今日出ていこうとしたらあんな感じだったから身を隠したんだろう。
きっと、そうだ。
なんてことを考えながら、冷静な自分もいた。
でも、ハンナさんがギルドにいないことなんてあったか?
毎日働きづめで、まるでギルドこそが我が家みたいな生活してたじゃないか。
それに、ハンナさんだったら町に異変があれば、率先して向かっていくような気もする。
詳しいことはわからないけど、相当強いみたいだし。
なにより、リュカ姉たちが探そうとしていないのは――
「いやっ違う!」
声に出してうすら寒い考えを否定した。
ハンナさんは無事だ。
だってあのハンナさんがやられるなんてこと、考えられるか?
想像できないだろう?
なにせ、茶髪の悪魔とか呼ばれてるんだ。
絶対無事に決まってる。
「あれ……?」
そんなことを考えていると、ふと違和感に気づいた。
おかしい。
隠れ家って、確かこの辺じゃなかったか?
「確かこのあたりに……」
普段はカモフラージュされているそうだが、ハンナさんが許した人には隠れ家が見えるはずだった。
けど、少し前までは森の中で唯一開けた場所だったあたりが、鬱蒼とした木々に埋もれていた。
シャドウを召喚、<増殖>、<群化>し、捜索させる。
捜索していると、十分ほどして、ワユンが追い付いてきた。
どうやって追いかけてきたのか聞くと、匂いをたどったそうだ。
息を切らしているワユンに問いかける。
「ねぇ、ワユン。隠れ家って確かこのあたりだったよね?」
「そういえば……はい、確かにハンナさんの匂いが残ってます」
ワユンがすんすんと鼻を鳴らして答える。
やっぱりそうか。
ハンナさんは、何か事情があって隠れ家を移したんだ。
でも、じゃあなんで?
この緊急事態に隠れ家を移す必要、あるのか?
より見つかりにくい場所に移動したとか?
けど、移動中の危機を冒してまで、そんなことするだろうか?
移動するとしても、ここは囮として残しておくべきじゃないか。
わざわざ消滅させる必要はない。
それとも、僕らにも見つけられないよう、さらに強力な魔法をかけているとか?
でも、それだったら僕らに気づいた時点で解除してくれるはずだ。
外に何がいるかは常にチェックできる仕様になっていたはず。
それに、魔法だったらシャドウが違和感に気づくはずだ。
あるいは――
「まさか……」
まさか、そんなことあるわけがない。
そう言い聞かせたが、推論は止まらない。
隠れ家の消滅。
それが、術者の死を意味しているとしたら?
魔法は呪いを除いて、ほとんどのモノが術者が死ぬと同時に消滅する。
術者の魔力により作用しているからだ。
もし、隠れ家全体がハンナさんの魔力により創られていたとしたら、こんな風に何事もなかったかのように消滅するのではないだろうか?
それが一番、無理のない説明ではないか。
「そんなはず……」
「オーワさん?」
ワユンが心配そうに僕の名前を呼ぶ。
けれど、気にかけてやるほど余裕がなかった。
「ワユン、昨日ハンナさんはギルドにいた?」
「はい、いつも通り受付に」
いつも通り。
それは絶望的な回答だった。
ギルドにいたなら、わざわざここまで来て、しかも隠れ家を消滅させるなんてことはしないだろう。
ハンナさんは、まだ町の中にいる?
けど、ウンディーネたちはまだ発見できてないみたいだ。
ふと、死体の山が脳裏に浮かんだ。
まさか、あの中にハンナさんが?
冷水をかけられたような、そんな冷感に襲われた。
フーっと気が遠くなるような感覚があり、かろうじて足を踏みしめ、意識を保つ。
「あの……」
「いったん町に戻ろう」
職員さんに事情を聴いてみないことには何とも言えない。
ワユンにそう告げ、再び元来た道をたどる。
ハンナさんの事情に一番詳しいのは誰だろうか?
そういえば、一緒にルーヘンと戦ってくれたお姉さん、エマさんがいたな。
エマさんは確か、まだ見習いとしてハンナさんについて回ってたはずだから、その動向には詳しいだろう。
エマさんは他の受付嬢の先輩方とともに地下にいた。
普段明るい彼女たちも、今はまるで葬式のように沈んでいる。
髪形をハンナさんとそっくりのボブカットに変えたエマさんは、最後に見た時より幼く見えた。
何から何までハンナさんの真似をしているところは、まるで妹が姉の真似をしているようで、ハンナさんにどれほど懐いていたのかよくわかる。
泣き腫らした目が痛々しい。
正直、今話しかけるのは気が引けた。
けれど、躊躇っている場合じゃない。
ハンナさんの昨日の動向を尋ねると、エマさんはつっかえつっかえ、しゃくりあげながら教えてくれる。
「お姉さんは、いえ、ハンナさんは、昨日はお昼前まで、いつも通りここで受付をしていました。そのあと、商業都市からいらした商業ギルドの方を出迎えるため、お昼も食べずにお出かけになったんです。
その数分後でした。魔物たちの襲撃があったのは……」
「そう、ですか」
落胆に、それしか言葉が出なかった。
数分後では、この街の外まで移動してはいないだろう。
魔物たちの射程圏内にはいたはずだ。
「あの時、私が引き止めていればよかったんです! お昼ご飯を食べるくらいの時間はあったはずなのに! それに、出迎えくらい、私たち下っ端に任せてくださればっ!」
エマさんは悔恨の言葉を吐いた。
周りの受付嬢も、身を寄せ合って泣いている。
なんで、泣いてるんだ?
まだ、死んだってわけじゃないだろう?
完全にマヒしたように鈍い頭の中で、否定を繰り返した。
けれど、冷静な声もある。
絶望的なのだ。
僕は一礼して、その場を後にした。
外へ向かう最中、ワユンは暗い顔のまま一言も声を発さなかった。
外へ出て、シャドウを召喚し、<増殖>、<群化>して町中へ散らせた。
総勢、千。
僕はハンナさんと毎日のように顔を合わせていた。
そのイメージを送れば、いかに広い街とはいえ、ハンナさんがいるかどうかくらいは一瞬でわかる。
数分して、一匹のシャドウが戻ってきた。
どこかその足取りが重いように見えるのは、たぶん僕が結果を恐れているから、それを感じ取っているんだろう。
「そんな……」
ワユンが息をのむ。
シャドウが持っていたのは、受付嬢の上着だった。
背中のあたりから一面引き裂かれていて、原型はほとんどとどめていない。
左右肩甲骨のあたりにある、二つの突き刺したような穴を起点に裂かれている。
後ろから刺されて、引き裂かれたのではないかと思われた。
一瞬、その光景が浮かぶ。
ボロボロで、とてもこれがハンナさんの物かどうかはわからない。
けれど、シャドウにはわかるのだろう。
昨日まで身に着けていたものを、シャドウが間違えることなんてありえない。
死体はなかったようだ。
ということは、魔物に食われたのか、連れ去れたのか、それともウンディーネによってすでに回収済みか。
「う……」
「オーワさんっ」
想像した瞬間、強烈な吐き気に襲われた。
えずくと、ワユンが背中をさすってくれる。
めまいがして、足から力が抜けて、気が付くとその場に座り込んでしまった。
どれくらいしたのか、ようやく頭が働き始めたみたいだ。
足に力を入れ、立ち上がると、ワユンが心配したように介助してくれた。
ワユンは、泣いていた。
僕は?
まだふらつく上、頭も全然働いていなかった。
ハンナさんが死んだ。
けれど不思議と、涙が出てこない。
いや、たぶんまだ、それがどういうことなのか、理解できてないんだろう。
理解できてないということが理解できるくらい、頭の中でそれについて考えられていなかった。
言葉がそのまま飲み込まれて、放置されている感覚だ。
ただ、このままここで呆けていてはいけないと思った。
理解に至れば凄まじい衝撃に襲われると、なんとなくわかる。
小指をぶつけた後、一瞬痛みが来るのを身構えるのと似ている。
その何億倍の衝撃があるのだから、身構える時間も長い。
その時、ここで呆けていれば、僕は歩き出せなくなる。
「もう大丈夫。ありがとう。
それより、出発しよう」
「は、はぃ……」
しゃくりあげるワユンの、蚊の鳴くような返事を聞いて、僕はレッド・ドラゴンを召喚し、<進化>させた。
進化したレッド・ドラゴンはさらに一回り巨大になり、体格は細長く、ワイバーンに近い形態へ成長した。
体表はルビー色の鱗で覆われていて、翼長は体長と同じくらい長く、大きい。
前足は翼と同化しているが、後ろ足はしっかりとしていた。
<王の力>に付随するスキルは、すべてレベル五へ上昇していた。
これはあの魔人を倒したおかげなのかはわからない。
けれどそれにより、いくつかスキルが進化したのを感じた。
<配下進化>は、より僕の意向に沿った形に進化するようになった。
レッド・ドラゴンは上位竜であるルビー・ドラゴンへ進化した。
ただ、知識にあるよりはかなりワイバーンに近い形態をとっているようだ。
これは、飛行速度を重視したいという僕の意向が反映されている。
「さぁ、乗って」
ワユンに声をかけ、僕は首のあたりに飛び乗った。
まだ泣いているワユンを急かすなんて、気が利かないにもほどがあるけど、そんな余裕もなかった。
そんな僕に、ワユンはすぐに続いてくれる。
「しっかり掴まってて。こいつ、すごく速いから」
「は、はい」
ワユンが僕の体に手をまわして、ぎゅっとしがみついてきた。
それを確認するや否や、ドラゴンは一度沈み込み、勢いよく飛び出した。
「――っ!!」
まるで大砲が暴発したかのような轟音が響き、空中へ飛び出した。
ドラゴンが翼を羽ばたかせるたびスピードが上がり、目を開けていられなくなる。
強化された筋力で跨っているというのに、いまにも弾き飛ばされそうだ。
一瞬ワユンの体が僕から剥がれそうになり、慌てて前に回された手を掴む。
ワユンがさらに強くしがみついてきた。
港町の手前で着陸するよう命じた。
とても細かく指示が出せるような状況じゃない。
十分足らずで港町に到着した。
十分が恐ろしく長く感じた。
ワユンは固くしがみつきすぎたせいか少しの間腕が離せなくなってしまっていて、二人で顔を真っ赤にして焦ってしまった。
次はもう少しゆっくり飛んでもらおう。
そんなことを考えながら港町へ入ると、僕はまた言葉を失ってしまった。
港町は壊滅していた。
魔物は妖精たちによって駆除され、所々にその死骸が山のように積まれている。
人間の死体も、同じように積まれていた。
まるで生命を感じない。
まだ森のほうが人がいそうな感じだ。
この町は死んでしまったのだと思った。
予想通りと言えばそれまでだ。
けれど、どうしても思うところはあった。
「こんな脆いんだな」
思わずつぶやいてしまう。
僕が来たとき、ここはあんなに活気が良かった。
襲撃があって、それも乗り越えて、みんなでこれから頑張ろうって盛大なお祭りもした。
僕も本気で頑張れて、初めて知らない人に感謝されて。
そんな、たくさんの思いがあった。
こんな簡単に、壊れる程度のものなんだな。
あの時の戦いも、交流も、何一つなかったのと同じだ。
僕はいったい、なんのためにここへ来たんだろう?
なんのために戦ったんだろう?
急に虚しくなった。
すると、なぜか急にハンナさんのことが思い返された。
    なぜ、こんなにも。触れ合った時間は決して長くないのに。
    疑問はあった。なぜ。けれど、すぐに霧散した。
    彼女は、常に、無条件で僕の味方だったからだ。僕だけじゃなく、冒険者たち全員にそうだったのかもしれないし、特定に向けられたものかもしれない。
若いけど、頼れば必ず僕の味方をしてくれて、それが当たり前だと思っていた。叱られもしたけれど、それは全部僕のためを思っていたんだと、今ならわかる。
    まるで、母か、姉のような、そんな信頼感を持たせてくれる人だった。こちらに来る前の世界では、母以外にそれはなかった。
思えば、僕はハンナさんに甘えていた。
困れば相談するし、僕の仕事だというのにヨナのことをよくお願いしたし、最後に会ったときなんか、八つ当たりみたいなこともしちゃったし。
なんでかはわからないけれど、絶対に味方でいてくれるって、そういう安心感があった。
……一瞬で消えちゃったな。
一寸の光もない暗闇があった。
ぽっかりと穴が空くってこういうことか。
心を通わせるってことは、心の一部を他者に委託するってことでもあるんだ。
それがまるで何もなかったかのように、ぱっと消えてしまうんだから、穴も空くだろう。
もうハンナさんはいない。
ハンナさんと話すことも、あの笑顔を見ることも、叱ってもらうこともできない。
ハンナさんを頼ることも、甘えることも、もうできない。
この先、僕がどれほど望もうが、どれほどの犠牲を払おうが、絶対に会いに行くことはできない場所。
そういうところに、ハンナさんは行っちゃったんだ。
「う……」
「オーワさん?」
とたんに襲ってきたこれは、たぶん喪失感とかいうものなんだろう。
もう会えない。
それだけのことで、心臓がねじれるように痛く、苦しい。
何かがせりあがってきて、鼻の頭までのぼってきて、視界が揺れる。
涙がこぼれた時には、僕はもう嗚咽を隠せなくなっていた。
ワユンと一緒に泣いて、喚いて、気が付くとアプサラスが数匹集まってきていた。
そのうちの一匹が僕の袖を引く。
「どうし……」
何があったのかと思ったが、僕は妖精たちに魔物の駆除と町の警護、それと生き残った住人を救えと命令していたことを思い出した。
魔物の駆除と警護はすでに終えている。
ということは――。
弾けるように立ち上がり、全力で駆けだした。
頭の中が真っ白になるって、こういうことを言うんだな、なんてことを、どこか遠くで思う。
「はっ……はっ……」
肺活量も強化されているはずなのに、息が荒い。
心臓がおかしな速度で拍動していた。
強化のおかげで凄まじい速度が出ているはずなのに、足が地面を蹴る感覚がない。
ギルドにいないなら、ハンナさんは隠れ家にいるに違いない。
襲撃は昨日の日中だったみたいだから、たぶん昨日は休みで、今日出ていこうとしたらあんな感じだったから身を隠したんだろう。
きっと、そうだ。
なんてことを考えながら、冷静な自分もいた。
でも、ハンナさんがギルドにいないことなんてあったか?
毎日働きづめで、まるでギルドこそが我が家みたいな生活してたじゃないか。
それに、ハンナさんだったら町に異変があれば、率先して向かっていくような気もする。
詳しいことはわからないけど、相当強いみたいだし。
なにより、リュカ姉たちが探そうとしていないのは――
「いやっ違う!」
声に出してうすら寒い考えを否定した。
ハンナさんは無事だ。
だってあのハンナさんがやられるなんてこと、考えられるか?
想像できないだろう?
なにせ、茶髪の悪魔とか呼ばれてるんだ。
絶対無事に決まってる。
「あれ……?」
そんなことを考えていると、ふと違和感に気づいた。
おかしい。
隠れ家って、確かこの辺じゃなかったか?
「確かこのあたりに……」
普段はカモフラージュされているそうだが、ハンナさんが許した人には隠れ家が見えるはずだった。
けど、少し前までは森の中で唯一開けた場所だったあたりが、鬱蒼とした木々に埋もれていた。
シャドウを召喚、<増殖>、<群化>し、捜索させる。
捜索していると、十分ほどして、ワユンが追い付いてきた。
どうやって追いかけてきたのか聞くと、匂いをたどったそうだ。
息を切らしているワユンに問いかける。
「ねぇ、ワユン。隠れ家って確かこのあたりだったよね?」
「そういえば……はい、確かにハンナさんの匂いが残ってます」
ワユンがすんすんと鼻を鳴らして答える。
やっぱりそうか。
ハンナさんは、何か事情があって隠れ家を移したんだ。
でも、じゃあなんで?
この緊急事態に隠れ家を移す必要、あるのか?
より見つかりにくい場所に移動したとか?
けど、移動中の危機を冒してまで、そんなことするだろうか?
移動するとしても、ここは囮として残しておくべきじゃないか。
わざわざ消滅させる必要はない。
それとも、僕らにも見つけられないよう、さらに強力な魔法をかけているとか?
でも、それだったら僕らに気づいた時点で解除してくれるはずだ。
外に何がいるかは常にチェックできる仕様になっていたはず。
それに、魔法だったらシャドウが違和感に気づくはずだ。
あるいは――
「まさか……」
まさか、そんなことあるわけがない。
そう言い聞かせたが、推論は止まらない。
隠れ家の消滅。
それが、術者の死を意味しているとしたら?
魔法は呪いを除いて、ほとんどのモノが術者が死ぬと同時に消滅する。
術者の魔力により作用しているからだ。
もし、隠れ家全体がハンナさんの魔力により創られていたとしたら、こんな風に何事もなかったかのように消滅するのではないだろうか?
それが一番、無理のない説明ではないか。
「そんなはず……」
「オーワさん?」
ワユンが心配そうに僕の名前を呼ぶ。
けれど、気にかけてやるほど余裕がなかった。
「ワユン、昨日ハンナさんはギルドにいた?」
「はい、いつも通り受付に」
いつも通り。
それは絶望的な回答だった。
ギルドにいたなら、わざわざここまで来て、しかも隠れ家を消滅させるなんてことはしないだろう。
ハンナさんは、まだ町の中にいる?
けど、ウンディーネたちはまだ発見できてないみたいだ。
ふと、死体の山が脳裏に浮かんだ。
まさか、あの中にハンナさんが?
冷水をかけられたような、そんな冷感に襲われた。
フーっと気が遠くなるような感覚があり、かろうじて足を踏みしめ、意識を保つ。
「あの……」
「いったん町に戻ろう」
職員さんに事情を聴いてみないことには何とも言えない。
ワユンにそう告げ、再び元来た道をたどる。
ハンナさんの事情に一番詳しいのは誰だろうか?
そういえば、一緒にルーヘンと戦ってくれたお姉さん、エマさんがいたな。
エマさんは確か、まだ見習いとしてハンナさんについて回ってたはずだから、その動向には詳しいだろう。
エマさんは他の受付嬢の先輩方とともに地下にいた。
普段明るい彼女たちも、今はまるで葬式のように沈んでいる。
髪形をハンナさんとそっくりのボブカットに変えたエマさんは、最後に見た時より幼く見えた。
何から何までハンナさんの真似をしているところは、まるで妹が姉の真似をしているようで、ハンナさんにどれほど懐いていたのかよくわかる。
泣き腫らした目が痛々しい。
正直、今話しかけるのは気が引けた。
けれど、躊躇っている場合じゃない。
ハンナさんの昨日の動向を尋ねると、エマさんはつっかえつっかえ、しゃくりあげながら教えてくれる。
「お姉さんは、いえ、ハンナさんは、昨日はお昼前まで、いつも通りここで受付をしていました。そのあと、商業都市からいらした商業ギルドの方を出迎えるため、お昼も食べずにお出かけになったんです。
その数分後でした。魔物たちの襲撃があったのは……」
「そう、ですか」
落胆に、それしか言葉が出なかった。
数分後では、この街の外まで移動してはいないだろう。
魔物たちの射程圏内にはいたはずだ。
「あの時、私が引き止めていればよかったんです! お昼ご飯を食べるくらいの時間はあったはずなのに! それに、出迎えくらい、私たち下っ端に任せてくださればっ!」
エマさんは悔恨の言葉を吐いた。
周りの受付嬢も、身を寄せ合って泣いている。
なんで、泣いてるんだ?
まだ、死んだってわけじゃないだろう?
完全にマヒしたように鈍い頭の中で、否定を繰り返した。
けれど、冷静な声もある。
絶望的なのだ。
僕は一礼して、その場を後にした。
外へ向かう最中、ワユンは暗い顔のまま一言も声を発さなかった。
外へ出て、シャドウを召喚し、<増殖>、<群化>して町中へ散らせた。
総勢、千。
僕はハンナさんと毎日のように顔を合わせていた。
そのイメージを送れば、いかに広い街とはいえ、ハンナさんがいるかどうかくらいは一瞬でわかる。
数分して、一匹のシャドウが戻ってきた。
どこかその足取りが重いように見えるのは、たぶん僕が結果を恐れているから、それを感じ取っているんだろう。
「そんな……」
ワユンが息をのむ。
シャドウが持っていたのは、受付嬢の上着だった。
背中のあたりから一面引き裂かれていて、原型はほとんどとどめていない。
左右肩甲骨のあたりにある、二つの突き刺したような穴を起点に裂かれている。
後ろから刺されて、引き裂かれたのではないかと思われた。
一瞬、その光景が浮かぶ。
ボロボロで、とてもこれがハンナさんの物かどうかはわからない。
けれど、シャドウにはわかるのだろう。
昨日まで身に着けていたものを、シャドウが間違えることなんてありえない。
死体はなかったようだ。
ということは、魔物に食われたのか、連れ去れたのか、それともウンディーネによってすでに回収済みか。
「う……」
「オーワさんっ」
想像した瞬間、強烈な吐き気に襲われた。
えずくと、ワユンが背中をさすってくれる。
めまいがして、足から力が抜けて、気が付くとその場に座り込んでしまった。
どれくらいしたのか、ようやく頭が働き始めたみたいだ。
足に力を入れ、立ち上がると、ワユンが心配したように介助してくれた。
ワユンは、泣いていた。
僕は?
まだふらつく上、頭も全然働いていなかった。
ハンナさんが死んだ。
けれど不思議と、涙が出てこない。
いや、たぶんまだ、それがどういうことなのか、理解できてないんだろう。
理解できてないということが理解できるくらい、頭の中でそれについて考えられていなかった。
言葉がそのまま飲み込まれて、放置されている感覚だ。
ただ、このままここで呆けていてはいけないと思った。
理解に至れば凄まじい衝撃に襲われると、なんとなくわかる。
小指をぶつけた後、一瞬痛みが来るのを身構えるのと似ている。
その何億倍の衝撃があるのだから、身構える時間も長い。
その時、ここで呆けていれば、僕は歩き出せなくなる。
「もう大丈夫。ありがとう。
それより、出発しよう」
「は、はぃ……」
しゃくりあげるワユンの、蚊の鳴くような返事を聞いて、僕はレッド・ドラゴンを召喚し、<進化>させた。
進化したレッド・ドラゴンはさらに一回り巨大になり、体格は細長く、ワイバーンに近い形態へ成長した。
体表はルビー色の鱗で覆われていて、翼長は体長と同じくらい長く、大きい。
前足は翼と同化しているが、後ろ足はしっかりとしていた。
<王の力>に付随するスキルは、すべてレベル五へ上昇していた。
これはあの魔人を倒したおかげなのかはわからない。
けれどそれにより、いくつかスキルが進化したのを感じた。
<配下進化>は、より僕の意向に沿った形に進化するようになった。
レッド・ドラゴンは上位竜であるルビー・ドラゴンへ進化した。
ただ、知識にあるよりはかなりワイバーンに近い形態をとっているようだ。
これは、飛行速度を重視したいという僕の意向が反映されている。
「さぁ、乗って」
ワユンに声をかけ、僕は首のあたりに飛び乗った。
まだ泣いているワユンを急かすなんて、気が利かないにもほどがあるけど、そんな余裕もなかった。
そんな僕に、ワユンはすぐに続いてくれる。
「しっかり掴まってて。こいつ、すごく速いから」
「は、はい」
ワユンが僕の体に手をまわして、ぎゅっとしがみついてきた。
それを確認するや否や、ドラゴンは一度沈み込み、勢いよく飛び出した。
「――っ!!」
まるで大砲が暴発したかのような轟音が響き、空中へ飛び出した。
ドラゴンが翼を羽ばたかせるたびスピードが上がり、目を開けていられなくなる。
強化された筋力で跨っているというのに、いまにも弾き飛ばされそうだ。
一瞬ワユンの体が僕から剥がれそうになり、慌てて前に回された手を掴む。
ワユンがさらに強くしがみついてきた。
港町の手前で着陸するよう命じた。
とても細かく指示が出せるような状況じゃない。
十分足らずで港町に到着した。
十分が恐ろしく長く感じた。
ワユンは固くしがみつきすぎたせいか少しの間腕が離せなくなってしまっていて、二人で顔を真っ赤にして焦ってしまった。
次はもう少しゆっくり飛んでもらおう。
そんなことを考えながら港町へ入ると、僕はまた言葉を失ってしまった。
港町は壊滅していた。
魔物は妖精たちによって駆除され、所々にその死骸が山のように積まれている。
人間の死体も、同じように積まれていた。
まるで生命を感じない。
まだ森のほうが人がいそうな感じだ。
この町は死んでしまったのだと思った。
予想通りと言えばそれまでだ。
けれど、どうしても思うところはあった。
「こんな脆いんだな」
思わずつぶやいてしまう。
僕が来たとき、ここはあんなに活気が良かった。
襲撃があって、それも乗り越えて、みんなでこれから頑張ろうって盛大なお祭りもした。
僕も本気で頑張れて、初めて知らない人に感謝されて。
そんな、たくさんの思いがあった。
こんな簡単に、壊れる程度のものなんだな。
あの時の戦いも、交流も、何一つなかったのと同じだ。
僕はいったい、なんのためにここへ来たんだろう?
なんのために戦ったんだろう?
急に虚しくなった。
すると、なぜか急にハンナさんのことが思い返された。
    なぜ、こんなにも。触れ合った時間は決して長くないのに。
    疑問はあった。なぜ。けれど、すぐに霧散した。
    彼女は、常に、無条件で僕の味方だったからだ。僕だけじゃなく、冒険者たち全員にそうだったのかもしれないし、特定に向けられたものかもしれない。
若いけど、頼れば必ず僕の味方をしてくれて、それが当たり前だと思っていた。叱られもしたけれど、それは全部僕のためを思っていたんだと、今ならわかる。
    まるで、母か、姉のような、そんな信頼感を持たせてくれる人だった。こちらに来る前の世界では、母以外にそれはなかった。
思えば、僕はハンナさんに甘えていた。
困れば相談するし、僕の仕事だというのにヨナのことをよくお願いしたし、最後に会ったときなんか、八つ当たりみたいなこともしちゃったし。
なんでかはわからないけれど、絶対に味方でいてくれるって、そういう安心感があった。
……一瞬で消えちゃったな。
一寸の光もない暗闇があった。
ぽっかりと穴が空くってこういうことか。
心を通わせるってことは、心の一部を他者に委託するってことでもあるんだ。
それがまるで何もなかったかのように、ぱっと消えてしまうんだから、穴も空くだろう。
もうハンナさんはいない。
ハンナさんと話すことも、あの笑顔を見ることも、叱ってもらうこともできない。
ハンナさんを頼ることも、甘えることも、もうできない。
この先、僕がどれほど望もうが、どれほどの犠牲を払おうが、絶対に会いに行くことはできない場所。
そういうところに、ハンナさんは行っちゃったんだ。
「う……」
「オーワさん?」
とたんに襲ってきたこれは、たぶん喪失感とかいうものなんだろう。
もう会えない。
それだけのことで、心臓がねじれるように痛く、苦しい。
何かがせりあがってきて、鼻の頭までのぼってきて、視界が揺れる。
涙がこぼれた時には、僕はもう嗚咽を隠せなくなっていた。
ワユンと一緒に泣いて、喚いて、気が付くとアプサラスが数匹集まってきていた。
そのうちの一匹が僕の袖を引く。
「どうし……」
何があったのかと思ったが、僕は妖精たちに魔物の駆除と町の警護、それと生き残った住人を救えと命令していたことを思い出した。
魔物の駆除と警護はすでに終えている。
ということは――。
弾けるように立ち上がり、全力で駆けだした。
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516
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2,430
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9,370
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9,171
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2.3万
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7,474
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1.5万
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1,301
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8,782
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4,922
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1.7万
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614
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221
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