女顔の僕は異世界でがんばる

ひつき

狡猾な冒険者 19

 夢を見ていた。

 幼少の僕がいた。
 これは原初の記憶だ。
 思えば、僕という個が発生したのは、ちょうどこの頃だったのだろう。
 この頃の記憶はすでに曖昧だが、それ以前に比べればはるかにはっきりとしている。

 僕は上空から、幼稚園児たちの残酷な稚戯を俯瞰していた。
 まるで天使のような、かわいらしいおチビたち。
 しかし彼らの中にはすでに、漫然としたヒエラルキーが存在している。

 ここは、体育館の倉庫だろうか。
 おチビ五人。そして彼らに囲まれ、壁際に追い詰められている一人。
 いじめが行われていた。

 幼稚園には先生がいる。
 しかし、先生たちがいかに優秀であろうと、園児たちはネズミのようにちょろちょろ動き、あちらこちらで問題を起こすのだ。
 どうしても隙はある。
 園児はよく見ているから、目を盗むのは比較的容易らしい。 

 他の子たちより一回りも小さい男の子の顔は、整いすぎていた。
 美しい、と言えば聞こえはいいが、どこかこの世のものとは思えない、奇妙な美しさだった。
 何事も過ぎればよくない。
 その美しさは不気味でもあった。

 出る杭は打たれる。
 園児たちにとって男の子は、格好の標的だった。
 幸い獲物は早生まれで、力も自分たちより弱く、反撃される心配はない。
 まだ四つ五つの彼らにとって、早生まれかそうでないかは、明確な力の差として現れる。
 園児たちは、まるでおもちゃに群がるように、男の子へ向かった。

 思い思いのいじめがなされた。
 声は潜められている。
 標的の口も封じる。
 この年ですでに、何度も行ったいじめの末、彼らはそんな技量を身に着けていた。
 小さな声でキャッキャッと、かわいらしく男の子を舐る。

 カエルを石ころで潰して面白がるように。虫の手足を毟り取り、じわじわいたぶるように。
 それはそんな無邪気さで、行われた。

 園児の力はたかが知れている。
 けれど彼らは、無邪気さゆえに何の容赦もない。
 加えて、加害者がか弱い園児なら、被害者もまた、か弱い園児なのだ。
 いじめは凄惨を極めた。

 初めは素手で行われた。
 執拗に狙われるのは股間。彼らにとってはそこが一番おもしろい場所であり、反応を楽しみながら、散々にいじくり回した。
 握る、叩く、潰す、剥く。
 好奇心で、ありとあらゆることをなす。
 後遺症が残ってしまうのではないか。そんなことなど、露ほども考えてはいないらしい。

 素手に飽きてくると、周囲に面白さを求めた。
 ボールに、ホッケーのスティック。
 幸いなことに、体育館の倉庫とは言え幼稚園のものだ、安全性を考慮した物しか置いていない。 
 それでも、やわらかい頭から生み出される発想力をもとに、実験は繰り返された。

 倉庫内は、異様な熱気に包まれている。
 夢中になった彼らの遊戯は、とどまることを知らない。

「これっ!」

 抑えるのも忘れて一声上げ、一人の園児はゴミ箱を持ち出した。 
 何をするつもりだろう?
 他の園児たちは首を傾げ、同時に期待の面差しを彼に向ける。
 彼はゴミ箱の中から一掴み、埃を取り出した。
 そして、押さえつけられていた男の子の口を開けさせ、その中にぶち込んだのだ。
 瞬間、けいれんを起こして、男の子は吐き出そうとした。

「うわぁっ!」
「だめっ! 食べるの!」

 寄ってたかって、園児たちは男の子の口を押さえつける。
 男の子の体は、生理的反射によって、無茶苦茶に跳ね回る。
 五人がかりでさえ、抑えるのがやっとの様子だ。
 今までにない異常な反応に、園児たちの好奇心は刺激された。

「食べてよ!!」

 苦しさのあまり、男の子はついにそれを呑み込もうとして、反射的に吐き出しそうになる。
 けれど、脱出口は五人の子供たちによって、完全に封鎖されているのだ。
 鼻から少し出たものの、汚物は口の中にとどまる。

 十秒、二十秒、そして一分が経っても、男の子は強制された反芻を繰り返していた。
 埃にはどんな菌が含まれているかわからない。体の、胃の反応を想定するに、それは幼児にとって相当危険なものだろう。
 体は決して受け付けなかった。それにより、主の呼吸を阻害しようとも。

 想像を絶する苦痛。
 すでに白目をむいていて、意識があるかどうかも怪しい。
 ただ、反射的な生理反応のみが起こっていた。
 このまま押さえつけていたらどうなるんだろう。
 園児たちの好奇心は、行きつくところまで来ていた。

 守らなければならない、自分を。
 明確な意思が生まれた。

 そこで記憶は途切れる。


 次の記憶は、『僕』を見て、恐怖に慄き、喚き散らす父さんと、涙を流しつつ、『僕』を庇うようにして彼と対峙する母さんの姿だった。

 どんな手を使ったのか、『僕』は生き延びていた。しかし豹変した父を、追い詰められていく母を、周囲の大人たちを見て、はっきりと思った。
 ――いけないことをした。
 強烈なイメージ、そして狂っていく家庭環境は、その後僕が歪んでいくきっかけになったのではないか。

 引っ越した『僕』は、それからしばらく、異常なほど『萎縮』することになる。『萎縮』とは、言葉通りであるような気もするし、違うような気もする。
 なにかを、抑えているような、そんな、あいまいな感覚。
 再び記憶がおぼろげなのは、その時期が、もっとも思い出したくない記憶だからだと思う。

 ほどなくして、父は僕らを捨てた。
 生活は苦しくなるだろうが、僕は安堵していた。
 これで家の中は、母さんと僕にとって聖域となったのだから。





「……う、ん……?」

 目が覚めたら、鉄格子があった。
 見たことあるような感じの景色だ。どうやら僕は、牢の中で寝ていたらしい。

 まず感じたのは、酷い渇きだった。
 口の中はカラカラで、喉が酷くイガイガする。渇きに耐え兼ねてつばを飲み込むと、センブリのような苦い味がした。

 体の感覚もあいまいで、とりあえず立とうとしたら、違和感を感じた。
 立てない……というか、体が動かない?
 体を見てみると、鉄の鎖で簀巻きにされているのがわかった。
 両腕は後ろで組まされ、固定されている。なんか、芋虫みたいな格好だ。

 なんだこれ? いったいどういう状況だ?
 と、パニックに陥りかけて、ようやく状況を思い出した。
 そうだ、二人はどうなったんだ!? 

「くっそ!!」

 なんとか抜け出そうともがいてみるも、鎖はびくともしない。
 まるで病み上がりのように、体に力が入らなかった。そうでなくても、この拘束からは逃れられなかったと思うけど。

 魔法を発動しようとしても、発動しようとした瞬間、魔力がかき消されるのを感じた。特殊な拘束具を使われているようだ。


 しばらくもがいて、力尽きた。

「はぁ……はぁ……」

 落ち着け、ここで無理をしてもしょうがない。
 とりあえず状況を整理しよう。

 僕はワイバーンにヨナを助けるよう命令して、気を失った。
 あの場でワイバーンに抵抗できるのは、エーミールをおいて他にはいなかったと思う。使い魔への魔力供給は必要ないから、僕が気を失った後でもきっちりと役割は果たしてくれているはず。
 使い魔が今召喚状態にあるかそうでないかは、なんとなくわかる。
 ワイバーンはまだ無事みたいだから、とりあえずは安心していい。

 となると心配なのはワユンの方だけど、ルーヘンの様子を思い出す限り、殺されてはいないと思う。
 もっとも、殺されてないというだけで、酷い仕打ちを受けているのは間違いない。

 いずれにせよ、どちらも今のところは生きているだろうという推測しかできない。早く助けないと。

 次に自分の状態を確認する。

 確か僕は、エーミールに右胸を貫かれたんだったよな。
 正直に言って、あれは死んだと思った。っていうか、なんでまだ僕は生きているんだろうか。
 鎖のせいで傷口は見えないけれど、痛みは無い。体はかなりだるいけど、それだけだ。
 どうやら傷は治されているみたいだ。

 何で治されたんだろう。
 いくら貴族と言えど、殺しはやはりご法度なんだろうか。
 いや、あんなことを平気でするくらいだ。貴族にとっての法律なんて、あってないようなものだろう。

 だとしたら、他に考えられることは?
 エーミールが治した? 
 ……いや、それは願望だ。
 あいつは裏切った。ヨナをあんな目に遭わせて、明確な意図をもって僕を攻撃し、ワユンを拘束したんだ。
 寡黙だけど、命の恩人だった――厳しいけど優しい、僕たちの味方だと思っていたのに。

「……わかってたことじゃないか」

 そうだ、人は裏切る生き物なんだから。
 なにせ、実の父親だって、裏切るんだから。

 人間は利己的な生き物だ。付き合いには常に打算がついて回る。自分にとって益がなきゃ、すぐに裏切るのだ。
 最近は平和すぎて、楽しすぎて、半ば忘れていたけど。
 それはこの世界の人たちにだって言えた。

 ヨナとは、共依存の関係だった。僕は彼女の生活を保障し、彼女は僕に癒しを提供する。
 マルコやカリファとは、仕事仲間だ。たぶんあの二人が僕に目をつけてくれてるのも、将来、僕が力をつけた時に仲間に引き入れようと思ってるに違いない。
 リュカ姉は僕に亡き弟の影を見出した。
 ハンナさんは仕事だ。
 ワユンだって、僕と一緒に行動したのは益を求めてのことだ。

 でも、ヨナは保身に走らなかったし、ワユンは最後、なりふり構わず反撃した。
 マルコやカリファは、強い仲間を欲してたか? リュカ姉はまだ、僕を弟代わりにしているだろうか。

 いや、それらもきっと、何らかの理由があるに違いない。
 無償の愛、打算の無い美しい関係なんて、幻想にすぎないのだから。
 あるとしたらそれは、本能に根差した、母と子の間にしか生まれない。  

 それに、そんなものでもいいと思った。
 やっとできた絆だ。
 たぶん僕は、二人に何かを求めているんだろう。
 だからこれも美しくない、利己的な思いだ。

 それでも、僕は二人を助けたい。

 余計な考えはやめよう。
 今必要なのは情報だ。

 見た感じ、装備や持ち物は没収されているみたいだ。
 囚人服なのだろう。粗末な服を着せられている。
 とりあえずはそれらを奪い返して、情報を得ることから始めようか。
 まだ売り払われてなければいいけど。

 脳裏に、汚い笑みを浮かべるルーヘンの顔が浮かんだ。
 とたんに、体の中で黒い炎が燃え上がったような気がした。

「後悔させてやる」

 いじめられっこを舐めちゃいけない。
 何でもアリになったとき、最終的に強いのは、権力や武器を多く持っている方じゃない。
 勝つのは、個としての力と、多くの『引き出し』を持っている方だ。
 姑息な手段、嫌がらせに関して言えば、僕以上に知り尽くしているやつもそうはいないだろう。実体験に基づいた知識、毎晩のように仕返しする妄想を繰り返してきた。 

 あの世界では結局、僕に力が無かったから、ついに反撃はなせなかった。
 でも、今は違う。

 おそらく、外の世界ではすでに、僕は罪人として認知されてるはずだ。
 あの糞野郎のことだ、たぶん今僕が生きているのは、実際の出来事にありとあらゆる脚色を施した罪を散々に着せた後、公開処刑にでもするつもりだろう。
 今出て行けば、きっとあのころのように、後ろ指さされるに違いない。

 上等だ。
 最後にはその汚い顔、土足で踏んづけて高笑いしてやるよ。

 看守の足音が聞こえてきた。

 魔法も魔術も使えない。
 けれど、使えるものもある。
 ――行動開始。



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