女顔の僕は異世界でがんばる
狡猾な冒険者 18
「じゃあ行こうか」
「はい。ちょっとのんびりしすぎたでしょうか」
外で食べるマフィンは、いつもの二割増しくらいにおいしい。
遠足のお弁当は美味しい理論だ。
あんな冷えた冷凍食品ばっかの弁当が、なんでおいしいんだろうな。
この地域には、季節らしい季節がない。春のようなポカポカとした陽気が、延々続いている。
おいしいマフィンに気持ちのいい陽気。隣にはかわいい女の子。
ついついぼんやりと長居してしまうのは、当然と言えた。
「まぁ、遅い分には困らないだろうし、大丈夫だよ」
「そうですね」
厳つい装備を着込んだ冒険者たちが忙しなく歩く早朝に比べると、街道は穏やかだ。道を歩くのは主婦か商人くらいで、時間の流れまでも緩やかになっているように感じる。
隣を歩くワユンも、落ち着いているように見えた。
「落ち着いてる?」
「えぇ。よく考えたら、解放されようとされまいと、今の暮らしに変わりはないかなって」
えへへ、とはにかむ。
何を言っているのやら。生殺与奪が他人に握られてるっていうのに。
「変わるよ。他人に気を遣わなくてよくなるし」
そう言うと、ワユンはきょとんとした後に、笑った。
「正直初めは、解放してもらえなかったらどうしようって思ってました。けど、オーワさんはそういう人じゃないって、もうわかりましたから」
その回答は、他人=僕という真意を理解してのものだ。
そして、僕の多少の自虐に対する、フォローがさりげなく入っている。
うぅむ、普段鈍くさいというか、そんな雰囲気なのに、妙なところは鋭いな。さすがに謝り歴が長いだけのことはある。
ワユンは常に気を遣っているけど、今の言葉にはそんな雰囲気を感じなかった。
いつもより幾分穏やかな雰囲気のまま、ギルドへ向かう。
「……ん?」
しかしギルドは、予想に反して混雑しているようだった。
中から冒険者があふれている始末。
「な、何かあったんでしょうか?」
ワユンの目が、不安に揺れる。
このタイミング、何かあったのなら自分が関係しているのでは?
ワユンの心の内が、透けて見えた。
嫌な予感がする。
無理やり押し殺し、口を開く。
声が震えないよう、細心の注意を払って。
「大丈夫だよ。それより、中へ入ろう」
「は、はぃ」
まるで根拠ない、無価値な言葉。
けれどそれ以外、かけられる言葉がない。
無駄な言葉は覚えてるのに、なんでこういう時にこんなのしか出てこないんだ。
内心苛立ちを覚えて、せめてもとワユンの手を取り、雑踏をかき分ける。
気がついたらそうしていた。
ギルドの中へ入った。
――と、
「――――っっ!!」
視線を感じた。
悪意の視線。
よく知る物だ。
急に鳴り響いたアラームを無視し、視線を辿る。
少し進むと、視界が開けた。
――ヨナ!!
ルーヘンの隣に、並んで立っている。
ただそれだけが、悪夢のようだった。
ヨナは衛兵に拘束されていた。
ただ立っているだけでも、ヨナは苦痛を感じる。
本人から聞いたことだ。
そんな様子はないが、苦しいに違いない。
猿轡された口からは、一筋、血が流れていた。
ルーヘンの口が、愉悦に歪む。
「やっと来たな! この薄汚ない犯罪者が!」
耳にうるさい金切り声が、ギルド内のざわめきをかき消した。
握っていたワユンの手から、急激に体温が奪われていくのを感じた。
「何を、言っているんだ?」
「とぼけるな! 僕ちんを恐喝し、あまつさえ大切にしていた奴隷を奪ったのは貴様だろう! 調べはついているんだ!」
怒声を上げる。
周囲にざわめきが起こった。
『あいつが、そんなことを?』
『でも見ろよ、後ろにいる女の子。きれいになってるけど、あれ、確かに奴隷だぜ?』
『そうだ。俺、誘われたことあるし……』
ルーヘンの評判は悪い。けれど目の前の光景に、違和感はある。
冒険者たちの間に疑念が広がるのを感じた。
見渡すと、冒険者たちは無数の衛兵によって押さえつけられていた。
衛兵は、ルーヘンの私兵だろう。
ならば、冒険者たちの中にサクラがいる可能性もある。いや、十中八九いるだろう。
人は流される生き物だ。
大勢は傾きつつある。
「待てよ! お前はワユンを手放したって聞いてるぞ! 証人だっている!」
「手放すわけないだろう!? 僕ちんの大切な物だぞ! さぁ、おとなしくお縄につけ!」
ルーヘンは悲痛に叫ぶ。
しかし目は、勝利の美酒に酔っていた。
勝ちを、確信している。
当初の目的は、ワユンじゃない。
その目を見て、確信した。
自分が逃げ出した案件を、Dランク程度の僕が片付けた。
見方によっては、メンツを潰された形になる。潰れるほどのメンツなど、無いにもかかわらず。
加えて、僕には煮え湯を飲まされていたから、その仕返しと言うわけだ。
でも、できることなら回収したいとも思っている。
さきほどからちらちらと、ワユンのことを見ている。
しかも、厭らしい目つきで。
今まで薄汚い野良犬だと思っていたものが、実は美少女だったのだ。
棚から牡丹餅ってところだろう。
ちらと、受付を見やる。
ハンナさんどころか職員の姿が見当たらない。
監禁されているのか。
私兵の数は十分。そして今、ギルドの主要な戦力である高ランク冒険者はいない。
観客の心も、掴みつつある。
人質も取った。
――周到すぎる。
貴族の本気が伺えた。
快楽に貪欲。不快なモノは、どんな手を使ってでも排除する。
世界は、自分たちを中心に回っている。
領内の各地では、魔物が大量発生してると言うのに、こんなくだらないことに私兵を費やす男だ。
平然とそう考える生き物なのだろう。
ルーヘンの手が、わきわきと蠢いた。
場は整った。
あとは獲物を、じわじわと嬲るのみ。
さぞかし愉快なことだろう。自分をコケにした相手を、心ゆくまでいびり倒すのは。
――舐めやがって。
「う、動くな!! こいつがどうなってもいいのか?」
殺気に反応して、ヨナの首元に指を這わせる。
ヨナは一切、反応しない。
口元以外髪の毛に隠れていて、何を考えているのか、僕でさえ読み取ることはできない。
「ヨナは関係ないだろう!! 離せっ!!」
「ハッ! 僕ちんだってこんな気色悪いどブス触りたくもない! でも貴様が卑劣にも薄汚い魔物なんかと手を組むから、仕方なくこうしてるんだ!」
「――っっ!! お前っ!!」
「お、お前だと!? この僕ちんに向かって不敬だろうが!!」
喚くルーヘンの指が、さらにヨナの首へ沈み込んでいく。
これ以上興奮させるのは危険だ。
よもやこの状況で、人質を殺しはしないだろう。そんな常識が、果たして目の前の男に通用するのか。そこまであの男の頭が、回るだろうか。
黙り込むしかない。
「ふ、ふんっ! ようやく立場が理解できたようだな。まったく、これだから低能は困る。まぁ魔物と手を組むくらいだ、魔物並みの頭で当然だな」
ルーヘンはねちねちとした嫌味を吐き、見せつけるように、ヨナの髪を掻き上げた。
「うわぁっ!! こいつ、本当に人間か!? 魔人じゃあるまいな!?」
そして大げさに叫んだ。
つぶれて、およそ人のものとは思えないほどに変形している、ヨナの顔が露になっていた。
見せつけていた。
それを見た者たちは、ひとり残らず息を呑む。
一瞬、場が凍りついたようだった。
――こいつ、わざとだ。
ルーヘンの顔は、周囲の反応に、満足そうに歪む。
ただいたぶっているだけじゃない。
ちゃんと、周囲の感情をコントロールしている。
ヨナの顔を晒し、アピールした。自分が人質に捕っているのは、決してかわいらしい女の子ではないと。
魔人や魔物の類かもしれないと。
その効果は、抜群だ。
一瞬で感じた。
人間は、見たことのないものを恐怖し、嫌悪する。
ましてや、魔人や魔物が住む世界だ。
無意識かもしれない。
けれど確実に、ヨナへの視線は変わった。
初めて、ヨナがかすかに反応した。
頭の奥で、何かが切れる音を聞いた。
声がはじけ出た。
「貴様ぁああっ!!」
「う、動くなって言ってるだろうが!!」
踏み出した瞬間、ルーヘンの手がヨナの細首を握るーーヨナのか細い、カエルがつぶれたような声に、僕は再び硬直する。
いかに非力とは言え、一応は冒険者だ。
ヨナの細首を折るくらいはできるかもしれない。
ルーヘンは再び、勝ち誇ったように笑う。
『いつでも殺せる』
三日月型に歪んだ目が、そう語っている。
思わず逸らすと、ヨナと目が合ったような気がした。
――危険だ。
恐ろしさに、身が竦んだ。
ルーヘンの嘲笑など聞こえなくなった。
幸い、抵抗するだけの力をヨナは持っていない。
予想と反して、ルーヘンは狡猾だった。人質である以上、抵抗しなければむやみに命をとられることは無いはず。
けれど、安心できない。
何より怖いのは、ヨナによる自害の可能性。
ヨナにとっての禁忌は、僕の足かせとなること。そうなるくらいなら死んだ方がマシと、本心からそう思っている。
おそらく猿轡は、自害を防ぐための物だろう。
血が流れているのは、舌を噛み切ろうとしたためだ。
今ヨナが考えていることは、いかにして自害するか。
タイムリミットが近い。
「あ……うぁ……」
ワユンの怯えた声が、耳に届いた。
震えが手を介して伝わってくる。
ちらと見ると、可哀そうなくらい真っ青になっていた。
再び迫る悪夢に囚われつつある。
周囲は再び混乱しているようだった。いくら彼我の差が大きいとはいえ、ルーヘンの卑劣な行動に疑問を抱いた人もいるようだ。
でも、衛兵を押しのけて助けに来るような者はいない。
ヨナの顔が普通と異なってるのも大きい。
ルーヘンの狡猾な一手が効いていた。
けれど、こんな状態にあるワユンのことは、誰も気にかけない。
こんなにも怯えているのに。
奴隷って聞いただけでこの扱いかよ。
中には優おっさんのように、気の毒に思う人もいるだろう。
けれど犯罪者を庇おうと思うには至らない。
大勢は変わらない。
この大人数の中、僕らは孤立していた。
だが、切り札はある。
大勢を覆していない今の状況で使えば、さらに悪い方向へ進んでしまうだろう。少なくとも犯罪者のレッテルは免れない。下手すれば、魔人とみなされる可能性もある。
けれど、打開策はこれ以外になかった。
握った手を、きゅっと握る。
「大丈夫だよ、ワユン」
「え……?」
できうる限り落ち着いた声でワユンにそう囁き、正面、ルーヘンを見据える。
――王の力、発――
発動の瞬間、何かが飛来した。
「――っ!?」
恐ろしい速度だ。
それが何か確認することすらできない。
かろうじて躱すも、右頬が裂けた。
追撃はすぐにやってきた。
地を這うような突進。
体勢を立て直す暇もない。
まるで地面を抉るかのように接近してくる。
銀色の槍が閃いた。
――エーミールさん!?
硬直。
信じがたい光景に、一瞬戸惑いが生じた。
それは刹那。
けれど致命的と言えた。
――右胸を、槍が貫いた。
「うごはぁっ!?」
鉄の臭いが鼻を衝き、視界が赤に塗りつぶされる。
僕は吐血した。
そのまま背中から押し倒され、馬乗りに拘束される。
激痛で霞む視界。
かろうじて捉えたのは、氷を思わせるほど冷たい目。
鮮血に濡れても、エーミールさんは無表情だった。
「よくやったぞエーミール!!」
遠くに歓声を聞いた。
その後、僕がいま何かしようとしたなどと、説明口調に喚き散らす。
冒険者たちの中には、一瞬の殺気に気付いた者がいるだろうか。それとも、サクラによる工作か。
興奮した声に、反論は起こらない。
弱者を嬲る、愚者の快哉。
乾いた怒りが沸き起こる。
けれど、体が死んだように動かない。
息が、苦しい。
力が抜けていくのを感じた。
魔力と体力――スキルはリンクしている。
一方が極度に減少すれば、もう片方も影響を受ける。
致命傷。
魔法も、王の力も発動しないのは、つまりそういうことだ。
「(な、んで……?)」
痛みからか、ダメージからか。声はかすれ、ただの音と化していた。
「すまない」
それでもニュアンスは伝わるのか、エーミールは小さく言う。
なんでだ?
理解できなかった。
僕はまだしも、あれだけかわいがっていたヨナまで巻き込むなんて、何を考えているんだ?
「(ヨナ、まで……)」
ヨナと言う単語。
急所だった。終始無表情だった顔が、かすかに歪む。
「あぁあああっ!!」
――ワユン!?
咆哮。
それは突然起こった。
ワユンがエーミールに飛びかかったのだ。
純粋な戦闘能力は、エーミールの方が上だ。
さっきの一突きは次元が違った。普通ならいかにワユンと言えど、軽くあしらわれるだろう。
けれど明らかな隙があった。
ワユンは槍に組み付き、それを封じた。
そして、エーミールの腕に噛みついた。
衝撃に、エーミールの目が見開かれた。
霞んでいて確かではないが、ワユンの牙は、やつの腕を噛み千切ろうとしているように見える。
さっきまでの、恐怖に震えていた少女の姿はすでにない。
猛獣。
そんなイメージが、小さな少女から発せられている。
理性ある人間には持ちえない、野生の殺気がそこにあった。
しかし、そこで進撃は終わる。
彼はAランク冒険者だ。それの対処法には精通している。
エーミールはすぐに立ち上がり、ワユンごと腕を振り上げ、地面へ振り下ろした。
ワユンは後頭部から石造りの床へ叩きつけられる。
「があっ!!」
一瞬悲鳴が木霊し、ワユンは動かなくなった。
ルーヘンの慌てたような声がした。
「お、おいっ、エーミール!! よもや殺してなどいないだろうな!?」
「……問題ありません」
意識が途切れそうになる。
――だめだ。ここで閉じたら、すべてが終わる。
一度体験したから、わかった。
死が、近い。
――せめて――せめて二人だけでも……。
視界の端で、何かが光った。
治癒の腕輪――あの時買ったやつだ。
これしかない。
いや、これがある。
あらん限りを振り絞り、腕輪に一滴、魔力を注ぐ――
――ほんのわずか、力が戻った。
刹那、召喚魔法と王の力を天秤にかける。
王の力はだめだ。
僕の意識がもたない。
腕輪の治癒能力は弱い。
とても貫かれた右肺をふさぐには至らない。
表面だけ塞がっているだけだ。
じきに意識は無くなるだろう。
決断する。
『<ワイ、バーン>』
発動。
目の前に魔方陣が現れた。
エーミールがこちらを向く。
「召喚魔法か」
エーミールは小さくつぶやいた。
看過されている。
これは賭けだ。
ワイバーンとエーミール。おそらくまともにやり合えば、エーミールに軍配が上がるだろう。
けれど、ワイバーンには飛行能力がある。
目的が戦いではなく逃亡なら、十分に分がある。
しかし、エーミールは冷静だった。
いや、それとも、良心の呵責によるものか。
エーミールはワユンの前に立った。
――ワイバーンが召喚される。
「ド、ドラゴン!?」
「違うワイバーンだ!!」
「同じことだろうが!! 逃げろ!!」
周囲、悲鳴が沸き起こる。
薄れていく意識の中、非情な選択を迫られた。
エーミールがワイバーンを標的にするなら、こちらに分があった。
上手く躱して、二人を救出する予定だったのだ。
だけど、やつはワユンの確保に動いた。
ルーヘンの目的はワユンで、ヨナは殺しても構わない。
それを考えれば、これは当然の動きとも言える。
けれど僕にはその行動が、ヨナを助けさせようとしているように見えた。
何考えてるんだ。やつのせいでこの状況があるようなものだというのに。
どうする!?
死の際、時間が引き伸ばされたようだった。
ワユンを引き渡すのか?
いやだ! できない。
じゃあ一か八か、ワイバーンにエーミールと戦わせる? 僕自身がこんな状態なのに?
それも無理だ。
エーミール一人相手でも厳しいのに、敵は大勢いる。
決断が迫られた。
ワユンを見捨てるか。ほんのわずか、あるかないかの奇跡にかけるか。
どうする!?
他に手は!?
引き伸ばされた時間の中、延々思考が空転し、物理的な時間に届き得るところまで来た。
僕は――。
『ヨナを、頼む』
――最低だ。
「冒険」の人気作品
書籍化作品
-
-
22803
-
-
107
-
-
314
-
-
3087
-
-
149
-
-
59
-
-
361
-
-
93
-
-
52
コメント