女顔の僕は異世界でがんばる

ひつき

不器用な冒険者 15



 三メートルはあろうかという巨大な悪鬼は、悠然と広間へ侵入し、こちらへ体を向けた。

 ごくりと、思わず唾をのんだ。
 なんだ、あの化け物は? 名前からスカルナイトと同類だと思っていたが、全くの別物だ。

 骸骨というよりは、太い骨の鎧を纏った巨人と言った方が近い。
 もっとも、姿かたちは巨人になんて生易しいものじゃなく、攻撃的な角と相貌は、まさしく悪鬼と呼ぶにふさわしい凶悪さを醸している。

「オオオオオッ!!」

 悪鬼の口が開き、放たれた咆哮が空間を揺らした。

 無理だ。勝てない。
 けたたましく、アラームが鳴った。
 すぐにわかった。ブラッディ・オーク? あんなの、ただの豚だろ。こいつは、今まで戦ってきた魔物とは明らかに違う。
 異質だ。
 今までの敵は、どこか生物としての規範から外れてはいなかった。だが、こいつは違う。到底、同じ生物として見ることが出来ない。
 怖い。
 僕の心はいつもそうだ。強そうな奴を見ると凍りつき、逃げろ逃げろと喚き散らす。理性は感情に勝てない。しゃんとしろと命じても、足は勝手に震えだす。
 怖い。
 心臓の音がうるさい。恐怖で循環器系がパニックに陥ってるのか、息が異常に切れた。

「逃げ、なさい」

 苦しげにそう言うリュカ姉は、こともあろうに上半身を起こしていた。そのことでようやく、恐怖に侵されていた僕の頭は、正常な動きを取り戻す。

「リュカ姉、いいから寝てて」
「お願い聞いて……あいつはマジでヤバいんだ……」
「そんなの、見りゃわかるよ」
「ならっ……」

 僕はリュカ姉の目を見つめ、できる限りカッコつけて笑った。

「リュカ姉、僕の信条はね、『いじめは死ね』なんだ。僕は、リュカ姉をいじめたあいつが許せない。たとえリュカ姉にとって僕が他人でも、僕にとってリュカ姉は命の恩人だから……」

 立て、立つんだ。
 逃げろと喚くセンサーに負けないよう、理性を振り絞った。
 理性は感情に勝てない。本能こそが、最も強力だ。
 けど、そこに大きな理由が付けば、形勢は変わる。

 リュカ姉を助けるんだ。
 勝てないかもしれない。物語の主人公のように、スマートにはいかないだろう。逃げて、這いつくばって、泣きじゃくって、無様に殺されるのかも。あるいは、一撃でやられるのかも。

 それでも、僕はリュカ姉を助けたい。

 実に単純で、幼稚な思いだった。愚盲とも言える。状況を理解していない、ただのガキの決断だ。
 でも、本物だ。それは理由となり得る。
 趨勢は決した。

 立ち上がる。

「だから僕は、リュカ姉を助ける。ピクシーッ!! アプサラス!!」

 僕の掛け声と同時に、二人の妖精が全力で魔法を放ち、戦いの火蓋は切って落とされた。



 鳴り響いたのは爆破音と金属音。
 硝煙で見えないが、水の槍は弾かれたのだと音でわかった。とんでもなく硬い。

『ピクシー、あいつを引きつけろ。リュカ姉から引き離すんだ。アプサラスは僕のところへ』

 念じることで指示を出す。
 第一に優先すべきことは、リュカ姉を標的にさせないことだ。
 僕はリュカ姉から離れるように部屋の中央部へ向かった。ピクシーは爆撃を続けつつ、距離を詰める。

 硝煙の中から、デーモンが飛び出してきた。
 傷一つ負っていない。
 硬いのだ。
 わかっていたことだ。
 しかし底が見えないことで、改めて思い知る。
 加えて速い。
 大きいこと。
 それはパワーと引き換えに、動きを鈍くするに等しい。
 基本的にはそうだ。
 しかし例外はある。
 やつはその一つと言えた。

 あわてて方向転換したピクシーに、悪鬼が腕を伸ばした。
 鞭だ。
 しなやかに伸びるそれを見て、連想された。

 果たして、轟音。
 まるでハエを叩くようにその掌底は小さな妖精を捉え、地に叩きつけた。
 直後、部屋が暗闇に包まれ、ピクシーが消えたことを悟る。
 地面がビシビシと音を立てる中、僕は再びピクシーを召喚した。
 光が復活する。

「ごめんな、ピクシー。でも……」

 がんばってくれ、と言おうとして、口ごもる。
 健気な女の子に、それは酷すぎるんじゃないだろうか。
 バカか。
 なんて甘いことだ。
 思ってすぐに、頭を振る。
 使い魔だ。死ぬことは決っしてない。
 この子たちを銃の弾丸のように浪費する。それはこいつと戦うと決めた時、すでにわかっていたことだ。
 それでも戦うと決めた。
 後悔はない。
 気を遣うなんて、そんな資格はない。考えてはいけない。
 それは欺瞞だ。

『行ってくれ、ピクシー。今度は油断するな』

 念じると、一寸の迷いもなく、ピクシーは飛び出した。

 不意を突かれなければ、時間くらいは稼げる。その間にリュカ姉から対角に僕は陣取り、悪鬼を正面に据えた。

 策が必要だ。
 開始直後の魔法は、自爆を除けば、二人の全力魔法だった。
 あれ以上の魔法は、ない。
 一応アプサラスより上位の魔物も、召喚できるっちゃできる。治癒魔法のレベルを上げても、それだけのエネルギーが残っていた。

 だが、それでもあれに有効かと言われれば、首肯できない。決定打にするには足りないだろう。

「くそ……」

 しかもやつは、再生すると言っていた。
 ヤバい、勝てる方法が微塵も浮かばない。

 轟音。
 再びピクシーがやられたことを悟った。
 暗闇の中、炯炯と赤く光る悪鬼の目が、リュカ姉を捉える。
 ――まずい。
 即座にアプサラスに水の槍を撃たせ、ピクシーを召喚する――悪鬼の視線が、僕と交差した。
 それは、獲物が変わったことを示す。
 やつの中で、僕の地位が上がったのだ。
 空気から、邪魔者へ。
 やつにとっては、メインディッシュをゆっくりといただくために、群がるハエをはらう程度のことなのだろう。やつの目には、敵意よりいら立ちがあるように見えた。

『来る!!』

 二人へ伝えると同時に、脇差を右片手に構え、体勢を落とす。

 直後、果たして悪鬼は向かってきた。
 脳を揺らすほどの咆哮は、こちらの動きを封じるためか、いら立ちによるものか。
 しかし効果は絶大だ。
 鼓膜の痛みと生理的な恐怖が、足を後ろへ下げようとする。

 目を瞑り、念じた。
 ――逃げちゃだめだ。
 対抗することで、制御する。
 しかしその一瞬で、僕は逃げる機会を失った。
 目を開くと、迫っていた。
 圧倒的な速さで向かってくる。
 逃げることは不可能だ。

 目を見ると、視線が合った。
 敵は一瞬たりともこちらから視線を逸らさなかったのだ。それはやつが、歴戦の強者であるということを意味している。

 だからこそ、光明が見えた。

 僕の葛藤を悟ったか。
 口角が上がったように見えた。
 意思があるのだ。
 そしてそれは、明確な油断。
 幾度となくその嘲笑を見てきた僕には、種の違う悪鬼のそれがはっきりとわかった。

 敵は硬い。
 こちらの攻撃は、その骨の鎧を貫くことはできない。
 だが、すべてが硬いわけじゃない。
 目だ。
 あるいは緩んだ口。
 引きつけて二人に攻撃させる。

 命令は、瞬間的に伝達された。
 まるで腕を動かすかのように、二人が最善で動いてくれることを確信する。
 あとは、引きつけるだけ。

 できるのか? あんな化け物を引きつけるなんて。
 かすりでもすれば、僕は引きちぎられてしまうだろう。
 無残なイメージがよぎった。
 当然の不安。
 傍から見ていても、やつの動きは凄まじかった。とても僕に捌けるようなものじゃない。そしてその威力は、容易に僕の体を破壊するだろう。

 一撃でも喰らえば、アウトだ。
 でも、やるしかない。
 生きるためにはそれしかない。
 悪鬼の腕が振り上げられた。

 瞬間、僕は前に出た。
 考えはない。
 ただ、気づくと前に出ていた。
 悪鬼の腕が、振り上げられて、惑う。
 裏をかいたのだ。
 攻めてくることなど、予想もしていなかったのだろう。
 瞬前まで怯えていた僕が!

 硬直は一瞬。
 即座に軌道修正された腕の鉄槌が、頭上に迫った。

『いまだ!!』

 命令とともに、死を覚悟した。
 しかし衝撃は無かった。
 響いた断末魔は、僕のものじゃない。

 --やった!!!!

 上空で爆発した叫声を聞き、内心快哉を叫ぶ。
 デーモンの気配が離れ、僕は顔を上げた。

 暗闇の中、かすかなシルエットが浮かぶ。
 振り落とされるはずの腕が、顔を覆っている。
 稚拙な作戦は、まんまと成功したのだ。しかし命令を遂行した二人の気配はない。
 自爆だった。
 全力攻撃が効かないのだから、当然の手段だ。
 それでも、致命傷には至らないらしい。両目を失おうと、デーモンはぴんぴんとしている。

 想定の範囲内だ。
 僕はあいつを許せないが、一番大事なことは、リュカ姉を助けること。

 二人を再召喚し、すぐにリュカ姉のもとへ向かった。
 やつが悶えている隙にリュカ姉をつれて、この鉱山から脱出しよう。

 リュカ姉のもとへ駆け寄る。
 見ると、リュカ姉は何かを叫ぼうとしていた。
 声は無い。
 しかし必死だ。
 いったい、何を――? 
 直後走った戦慄に、僕は振り返った。

 悪鬼は、僕を捉えていた。
 目は見えていないはず。
 しかしこちらの何かを察知して、悪鬼は僕を捕捉している。迷いなく、一直線にこちらへ突進してきたのだ。

 咆哮は、今度こそ明確な敵意を孕んでいた。  
 即座にアプサラスを囮に、僕は離脱した。



 なにか……なにか手はないか。
 アプサラスがかろうじて引きつけているものの、長くはもたないだろう。
 やつは僕が妖精を操っていると気づいている。今は逆上してるが、いずれ無視して、僕に攻撃を仕掛けてくる。

 弱点を突いたはずの最大攻撃も、やつを倒すに至らない。
 今ある駒で直接やつを倒すことは、実質不可能と言えた。

 何か使えそうな魔物はいるだろうか。
 デーモンから目を離さず、僕は解放リストを確認する。

 アプサラスより強力なのは……ソード・リザード、ビッグ・パンサー、ゴーレム、ウィルムの四体だ。

 一番強いのは最後のウィルムだが、それがどんな魔物を指しているのかわからない。
 逃げるならパンサーだ。
 リュカ姉と一緒に乗って逃げればいい。

 ただ、問題は大きさと速さだ。
 ビッグというのが懸念される。
 大丈夫だとは思うが、これで通路を通れないほどでかいのが出たら、目も当てられない。
 それにやつより速いとは、必ずしも言えない。

 リザードは、たぶんダメだろう。ソードということは、逃げより戦うことに特化してるはず。
 ゴーレムは論外だし……。

 轟音がして、我に返った。
 デーモンが床を叩いたのだ。
 ビシビシという音とともに、床が砕ける。
 幸い、アプサラスは避けたようだが、デーモンはこちらを睨んでいる。

「くそっ!!」

 ――こっちに来る!
 察してすぐに駆け出し、ピクシーを放った。
 まずい。 
 本当にターゲットを僕に絞ってきたら、数分ともたない。

 懸念は当たった。
 デーモンは、本格的に潰しに来た。
 何も考えず端から潰していく。ではなく、頭を使って確実に殺す気で来たのだ。
 それはつまり、冷静になったということ。
 目をつぶされたことで油断が無くなり、冷静になった今、さっきのような不意打ちは見込めない。
 妖精たちは、必死にデーモンの周りを飛び交い、攻撃を放つ。
 しかし悪鬼は意にも解さない。

 距離が詰まる。
 歩幅が違いすぎるんだ。
 何か手は……なにか!?

 あせるほどに思考が空転し、霧散する。
 その時、

「あっ!?」

 何かに躓いた。
 そこは、デーモンがつくったクレーターだった。亀裂が入り、ところどころ床がめくれている。 
 ――しまった。
 不思議なほどゆっくりと、地面が迫ってきた。
 立て直せ、何とかしろと何度も何度も叫ぶ。
 しかし手足は動かない。
 全てがスローモーションになったかのようだ。

 そして僕は、何の抵抗もなく転んだ。
 殺気は、すぐ近くにあった。
 背中にビリビリと感じる。
 見えないはずのデーモンの姿が、鮮明に脳内に浮かび上がった――右腕が、振り下ろされる!!
 スキル解放!!

「何でもいい!! 出でよ!!」

 広間全体が揺れるほどの打撃音が、頭上で響いた。
 すでにひび割れていた地面が、ビシビシと悲鳴を上げている。

 予想していた衝撃は、無かった。
 自分が召喚したものを確認すべく、顔を上げる。

「で、でかい……」

 何よりもまず、その一言が浮かんだ。

 僕を庇うようにしていたのは、全身が岩でできた大男――ゴーレムだった。
 おそらくその巨大な背中でデーモンの一撃を受けたのだろうが、表情は一切変わらない。というか、表情は無い。石像のようだが、しかしなめらかに体は動いていた。

 ゴーレムが立ち上がると、三度、床が悲鳴を上げる。ゴーレムは、デーモンを遥かに超える巨体だった。
 突破口が見えた。

『叩き潰せ!!』

 命令とともに、ゴーレムが動く。
 腕を上げ、デーモンめがけて振り下ろした。
 しかし、遅い。
 デーモンは軽々と躱して、次の技を――

 ――ゴーレムの拳が、床を突き破った。

 崩壊は、いままでデーモンが作り出してきたクレーターと結合し、フロア全体へと続いていく。
 逃げ場はない。
 僕もデーモンもゴーレムも、なすすべもなく下へと突き落された。

「よしっ!! ピクシーッアプサラスッ!!」

 思わず拳を握り、二人に命令した。
 アプサラスにはリュカ姉の救助を頼み、僕はピクシーに手を引かれて、落ち行く魔物を見下ろす。

 ゴーレムはデーモンに組み付いていた。
 どうやらデーモンも、あの状態ではゴーレムを破壊するのに手を焼くらしい。まぁ空中では踏ん張ることもできないだろうから、それも当然だろう。

「ゴーレム!! フロアをどんどん破壊して行け!!」

 落下の速度とゴーレムの体重を乗せた攻撃なら、この程度の床破壊するのは容易いだろう。あとは二体の耐久力比べだが、ゴーレムなら問題ないはず。
 それに一番下はマグマだまりだ。

「ざまぁみろ糞骸骨!!」

 最後に穴の底に向かって叫び声を上げると、デーモンの咆哮がむなしく響いた。




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