女顔の僕は異世界でがんばる

ひつき

#1歪なつながり 1 プロローグ

 僕は学校が嫌いだ。毎朝、目が覚めると胸が苦しくなって、胃がキリキリする。
 行きたくない、ずっと布団の中にいたい。けれど、お母さんに心配かけるのはもっと嫌だった。絶対に、お母さんだけは悲しませちゃいけない、強迫観念にも似た強い気持ちが、僕を学校へ向かわせていた。

 家を出て、通学路を歩く。なるべくみんなが通らない脇道を選んで作られた、僕だけの通学路。多少学校までは回り道になるけれども、やつらの視線から逃れられるのなら、まったく苦にならない。
 アスファルトの地面だけを見て歩いていると、やがて喧噪が近づいてきた。学校が近いのだ。大勢が楽しそうにおしゃべりする中、僕はなるべく声を聞かないようにして、早歩きで教室へ向かった。
 
 教室の扉を、なるべく音をたてないように開ける。一瞬、こちらへ視線が集まるのがわかり、心臓が動悸した。なるべく見ないように下を向いていたのに、反射的に顔をあげてしまうーーいくつかは露骨にこちらから顔を背け、一つの集団はにやにやしながらこちらへ近づいてきた。
 幼児が昆虫をいじくり倒す、そんなイメージが浮かぶ。僕はやつらにとっては明らかな下の存在で、下位種だった。同じ人類とすら思われていないだろう。
 また、今日が始まるのか……いやだ、いや……。やつらの視線に金縛りにあったように動けなくなりながら、心の中で連呼していた。


 
 放課後、パシリや宿題の取り上げなどいくつかの小さなイベントをこなした僕は、校舎裏へと連行されていた。今日はサンドバックにされるようだ。珍しいな、また女役にでもされるのかと思ったけど、違うのか。
 最悪なのは女装させられ、汚いことを強要されることだ。こいつら性欲猿は、男でも見た目が女っぽければいいらしく、最近はもっぱらそれだった。けれど今日の鮫島ーーひと際ガタイのいい、集団のボス猿はいらだっているようで、そんな雰囲気ではなかった。
 何か嫌なことあったのだろうか。嫌な汗が背中を伝った。激しく心臓が鳴り、呼吸が浅くなる。酸欠によるものか、血の気が引いているからか、頭はもやがかかったように何も考えられなくなってきた。
 こういう時の暴力は、ただでは済まないことが多い。僕を囲むようにして数人が立ち、目の前に鮫島が立つ。いらだったように何か声を発していたが、すでに理解できなかった。
 こぶしが振り上げられーー

『いじめは死ね!!』

 殴られて、土の地面に倒れこみながら頭の中で叫んだ。
 僕の顔が女みたい。
 たかがそれだけの理由で上から見下してゲラゲラ笑う男どもが、心底憎かった。

「さっすが鮫島君。マジぱねーパンチっすわ!」
「ちょ、今こいつ一瞬浮いてたぜ? やっべー!」

 取り巻きの声に調子をよくしたであろう鮫島の足が動く。

「オラどうした男女(おとこおんな)!!」
「うぐっ!!」

 脇腹を蹴飛ばされて、僕は呻いた。
 何が面白いのか、僕の呻き声を聞いてますますノッてきたらしい男どもは、「ひゃっほーう」とかいう、いかにもバカっぽい奇声を上げて蹴ってくる。呼吸ができなかった。かろうじて残された肺の空気を振り絞り、声を上げる。

「やめでよ……」

 僕は泣きながら懇願した。
 けれど蹴りの応酬は激しさを増すばかり。

「やめてよだぁ!? 女かよてめえは!!」
「ひゃひゃひゃっ!! きっめーーっ!!」

 何が気に障るというのか、怒鳴り声と頭の悪い奇声を吐いて、さらに力を込めて蹴ってくる。上も下もわからなくなっていて、僕は嵐が去るのを待つ小動物のように丸くなっていた。

「おい、こいつ立たせろ」

 鮫島の一声で蹴りの応酬が止み、後ろから両脇を抱えられ、軽々と立たされた。
 僕程度の身長と体重なら、この野蛮人どもにとってはどうということもないのだろう。
 正面に立つ、巌のような城島の顔が愉悦に歪んでいた。

「おらぁっ!!」
「おぐぅっ!!」

 岩のような拳が、僕の腹にめり込んだ。
 一瞬呼吸が止まり、次の瞬間、強烈な気持ち悪さと奥から湧き上がってくるような鈍い痛みに襲われる。

「やっぱ殴るなら腹だぜ」
「次俺なっ!!」
「うぐぅっ!!」
「もういっちょ!!」
「ぐぅっ!!」

 次々にめり込んでいく。
 こいつらはバカでも、体力だけは普通の男子高校生を超えている。
 これはシャレにならない。死んでしまう! 
 薄れかけた意識の中、そう思った。

一旦応酬が止み、髪の毛が引っ張られ顔を持ち上げられる。鮫島がものすごい形相でにらんできていた。

「よくもチクりやがったな、てめぇ……」

 担任にか?いや、違う、僕はチクってなんかいない。それがいかに無駄で、それによりどれほどの被害を被るかなんて、とっくの昔に知っているからだ。

「い、いや、……チクってなんか」
「あぁっ!!!?」
 
 僕の抗議は鮫島の怒声にかき消された。恐怖で声が出ない。
 こいつらの機嫌が、いつもより悪い。それはクラスの誰かが担任に、僕がいじめられていると報告したからだろう。
 それで担任が適切に動いてくれればよかったのだが、やつは前みたいに、『斑尾煌輪
(まだらめおうわ)をいじめているというのは本当かね?』と、こいつらに直接聞いたのだろう。
 当然、こいつらが肯定するはずはない。担任はそれを知っていて、それでも一応確認したのだから、自分の義務は果たした。ということだろう。
 いじめはありませんでした、ってか。
 ただこいつらの機嫌を損ねただけとなったというわけ。……糞が。

「真空とび膝蹴りぃっ!!」
「おっ……!?」

 その時、一際強烈な一撃が僕の腹を抉った。
 ぐちゃりという音がしたのかどうかは分からない。
 けれど、そんなような音を感じて、体の中の何かが壊れたんだと気づいた。

「うっ……うぐぅっ……」

 温かいものが競り上がってくる。
 鉄のにおいが先行し、

「ごはぁっ!!」
「うおおっ!?」

 僕の口から、信じられないほど大量の血が飛び出した。

「おい、これやべぇぞっ!!」
「お、俺知らねぇっ!!」
「あっおいっ!!」

 あぁ、これはだめだ。
 遠ざかる足音を聞きながら思った。痛みは不思議と無くなっていたが、体にまったく力が入らない。
 血が不足しているんだ。  

 意識が薄れていく。

 死ぬのか、僕。走馬灯なんて見たくないな。
 いいことなんて一つもない人生。そんな人生を見返すなんてことしたくはなかった。
 せめて僕が死んだあと、あいつらがひどい目に遭えばいいと思うが、それも期待できそうにない。
 過失だとか事故だとか適当に片づけられて、少年院だかに数年籠って出てくるだろう。
 いや、それすら怪しい。なにせ、先生たちの証言では、いじめはなかったのだから。
 あいつらが大した罰も受けずに、この先ものうのうと生きていくのだと思うと、怒りとやりきれなさでいっぱいになる。

 悔しいな、畜生。
 いじめるやつも、見ていてそれを見過ごすやつも、みんな死ねばいいんだ。こんなゴミ虫どもに人権なんて必要ない。
 だから最後に、僕は呪う。

「……いじめは、死ね……」




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