底辺騎士と神奏歌姫の交響曲

蒼凍 柊一

負けた衝動

 セツナは早めに目が覚めてしまった。


「ん…まだ六時か…?」


 今日は休息日。週に二日連続である学院の休息日の最初の一日だ。
 セツナはベッドから出ず、二度寝を決め込んだ。
 だが、頭に浮かんでくるのは早く騎士にならなければならない、という焦燥感。
 考えれば考えるほど、言葉は出てこない。


 ――こんなところで寝てても何一つ進まないじゃないか…。


 たまらなくなって、セツナはベッドから出ることにした。
 部屋を出て、一階に下りる。
 リアナは休息日は遅くまで寝ていることが多い。連日の学院での魔物・悪魔討伐がきついのだろう。
 カノンは…セツナには行動パターンがまだ分からないので、大きな音を立てないよう、気を付けて廊下を進む。


 ――契約の言葉…想いを…出す…。


 考え事をしながら、階段を降りる。
 そもそも、カノンは自分以外の者と契約する気はないと言っていた。
 だが、それでも他の人がカノンに言い寄ればそちらになびいてしまうのではないか、という不安もセツナは持っていた。


 ――不安?…なんで俺は不安なんだ?


 一階の居間に入った瞬間、自分の感情に疑問を抱いた。
 なぜ不安なのか、セツナ自身分からないのだ。
 その時リアナ教官の言葉を思い出した。


 ――『セツナくんにとって神姫とはなんですか?…家族ですか?友人ですか…?恋人、ですか?』


 ――そうだ…俺は…神姫を…カノンを何だと思ってるんだ…。


 思考する。
 自分の奥底の気持ちを確かめるために。
 答えなんて、分かり切っているのに。


 ――『神姫とは、道具ですよ、セツナくん。そこに変な感情を持ちこむものが三流騎士と言われるんです』


 ――俺は…三流騎士になんか、成りたくない…だけど、道具だなんて…!


 セツナは思う。カノンのことを。
 どうしても、神姫である彼女の事を道具として視る事なんて出来なかった。
 Sevenseという歌姫でもあり、その歌には惹きつけられる強烈な魅力があった。


 ――だから…だから、【好き】になったし、【守りたい】、とも思った?


 言葉にするとなんと陳腐で、ありきたりな想いか。
 だが、セツナは気付いてしまったのだ。




 自身の本当の気持ちに。


 【恋人】だと、そういう気持ちに。




 ――だけど、俺なんかで本当にいいのか…って、まだカノンがそんなつもりでいる訳じゃないのに、俺はなんでこんなことを…。


 悩みながらも部屋のカーテンを開け放ち、窓を開ける。
 初春の風がさわやかに家の中に吹き込んできた。


「はぁ…守りたいって、そういう気持ちだと思ってたんだけどなぁ…」
「セツナ…?」
「うぉわああ!?」


 後ろから唐突に声を掛けられたセツナは飛び上がる。
 あわてて後ろを振り向くと、そこにはたった今自身が想っていた少女…カノンが立っていた。


「どうしたの…?」
「い、いや!な、なんでもないよっ!おはよう!カノン、さん」


 なぜかどうしようもなく恥ずかしくなって、セツナは思わずカノンを呼び捨てにしなかった。
 自分で言った後、なんで「さん」を今更つけたのだろう?などと思う。


「い、いい天気だね!は、ははは」


 誤魔化す為に外を指さしながら笑うが、カノンの表情は不満気だ。


「そういうの、嫌い。…いままで通りにして」
「え…あ、ごめん…」


 本気っぽい声でカノンはセツナに怒った。
 どうやらさん付けで呼ばれるのは非常にお気に召さない様子なので、あわててセツナは謝罪した。


「セツナ…今日は学院…休みだっけ?」
「あぁ…カノンは学院の休息日をしらないもんね…そう、今日学院は休みなんだ。」


 おかしい。とセツナは感じる。
 先ほどから動悸が止まらないのだ。


「ところで朝早くにどうしたの?もしかして、寝られなかった?」


 呼吸が少し早くなってしまうのを頑張って抑えながら、普段通りに話そうとするが、どうしても声が裏返ってしまう。
 すわり心地が良いソファに腰を掛けたが、動悸は収まらない。


「…よく眠れたよ?お腹すいたから…セツナを待ってた」
「え…?」


 セツナはぐぅ、と鳴くカノンのお腹を凝視する。


「……くっ、はははっ…!」


 たまらず笑ってしまったら、カノンは顔を赤らめながらそっぽを向く。


「…///……笑うセツナ、嫌い…」
「あっ…ごめんごめん!そうだよね。食材使っていいよって…言ってなかったもんね…。今朝ごはん作るから、ちょっと待ってて」


 セツナはカノンをソファに座らせた。
 今日の料理当番はセツナなのだ。
 買い出しは昨日のうちにリアナが済ませておいてくれたらしく、食糧庫にはたくさんの食材が保管されていた。


「私も、手伝う」
「いや、作らせてよ。昨日はカノンに作ってもらったからね」


 居間と続いているキッチンに立つと、カノンが声を掛けて来てくれたが、それをやんわりと断る。
 セツナは思う。


 ――なんだか、こうしてると新婚の夫婦みた…って何考えてんだ!俺!


 気恥ずかしさから、素材を切る手が早くなる。
 勢い余って、手を少し斬ってしまった。


「痛っ!」


 左手の人差し指を切ってしまったようで、数秒遅れて血が出てきた。


「セツナ大丈夫…?……!?」


 セツナの痛いという言葉に反応してキッチンまで来たカノンは、切ってしまった指を見て、固まる。


「か、カノン…大丈夫だよこれくらい……って、え!?」


 カノンの動きは迅速だった。
 セツナの手を取ってそのピンク色のぷるぷるした唇の元へと誘い…


 ―――ぺろ。かぷっ。


 指を、くわえた。


「―――――っ!!??」


 憧れの歌姫が自分の指を咥えているという異常事態。
 脳が活性化するのが分かる。
 指先に感じる生暖かいカノンの口の中の感触。


「んっ…はむ…」


 咥えなおした時のかすかな吐息がセツナの肌をくすぐった。
 背筋をゾクゾクとした感触が走る。
 チロチロと口の中で指がなめまわされている…。
 その肌触りは、これ以上ない位の幸福感をもたらした。
 指先と言う 微妙なスポットをなめまわされているのだ。
 普段自分でぺろっと舐めることはあれども、こんな風にじっくりなめまわされるのはセツナにとって人生初。
 その背徳感というか、いかにもなその状況でセツナはもう、冷静さを保っていられない。
 どうしようもない感覚が脳で暴れているのだ。


 ――このままじゃ、ヤバイ!!


 直感的に本能が感じる。
 このままではダメになる、と。
 男の本能は叫びたくなるほど正直だったが、今カノンにそれを悟られるのはまずいとセツナは思う。
 完全に、兆してしまっているのだ。セツナの男の部分が。


「…ふっ、はぁ…」


 満足げな笑みを浮かべて、カノンは離れる。
 離れる際に、濡れた人差し指と、カノンの舌で繋がる銀の糸が官能的で…。
 離れたくない、と伝えている気がして。


(こ、これは…もう…だめだっ!!)


「もう、大丈夫……きゃっ」


 セツナは衝動に負けた。
 あまりにも目の前の少女が愛しくて、恋しくて。
 衝動に任せて少女を抱き寄せてしまう。


「え、あ………せ、セツナ…?」
「もう、ダメなんだっ…」


 こらえきれない。
 この胸の内にある渦巻く想いを、胸を開いてそのまま見せつけてやりたい。
 熱く流れる【何か】を…。出し切れないこの【想い】を。


「カノン…俺、俺…」


 見つめ合う二人。
 ピンク色のぷるぷるした唇に、セツナは自分の唇を近づける。
 外で小鳥が啼いている。差し込む朝日が二人を祝福するかのように光り輝いていた。


「……そういうのは、妹がいないところでやって頂けませんか…お兄様…カノンさん…」


 暗い居間への入口で、リアナが憮然とした表情で立っていた。

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