髑髏の石版

奥上 紫蘇

第十章 ~脱出~

とはいっても、悲しみに明け暮れている暇は坂田探偵にはないのだ。この閉じ込められた地下空間からいかに脱出するか。もし、脱出できないのであれば、飢え死にするという運命を迎える。地下空間に冷たい風が吹き込んでいた。まるで、洞窟のように。
きっと、出口があるはずだ。坂田探偵はそう確信していた。理由は二つある。一つ目は、この風。風が吹き込んでいるということは地上へと繋がる道があるということ。あくまで風の道にすぎないが、十分出口がある可能性については言及できる。二つ目は、木崎助手の死。超能力者の犯行であることは明らかだった。もし、この空間から脱することの出来る手段を失っていたとしたら、超能力者も坂田探偵と同じ運命を辿らずにいられない。故に脱出経路は必ずどこかにあるのだ。
しばらく木崎助手の遺体に寄り添っていた坂田探偵はふと立ち上がるや否や何かを決意したかのように歩み始めた。そのときの坂田探偵の顔は暗くてよく見えなかったが、苦境に立たされている様子であっただろう。
東へと歩み始めた坂田探偵は、石橋を叩いて渡るかのごとく慎重に慎重に壁を触ったり、じっくりと壁を観察したり、五感を研ぎ澄ましていた。
この空間に超能力者がいる可能性はまだ否めない。そのため、脱出場所を見つけるだけではなく、超能力者にも細心の警戒を払わねばいけないのだ。
一番東の突き当たりに到達すると、そこには鋼鉄の壁があった。全くこの壁を破れる気がしない。たとい破れたとしても、ここは地下室だろうから地殻が見えてくるだけだ。
仕方なく坂田探偵は引き返すことにした。復路も慎重に歩みを進めていく。
木崎助手の遺体のある場所まで戻ってきた。坂田探偵は、その木崎助手の遺体を横目に更に歩みを進めていった。何か虐められている人を見過ごすかのような罪悪感を感じたが、ただここで立ち止まっていてもどうしようもない。
途中、床の岩質が変わったように感じた。そのためか、今までコツコツと音を立てていた足音もあまり聞こえなくなった。正確には岩質が変わったのではなく、音が伝わりにくくなっている。
ふと立ち止まった。すると、どこからか声が聞こえてくる。
「坂田探偵、元気かい?」
低い男の声がまるで悪魔の囁きのように感じられた。
「どこだ?」
坂田探偵はあたりを見回した。だが、人の姿は何も無い。当たり前だ。この空間に人がいるはずなどないのだから。
だとすれば、この声は一体...
坂田探偵が困惑してると、悪魔の囁きが再び坂田探偵の耳に入ってきた。
「フフフ...君は足元も見えないのか?」
坂田探偵は足元を見た。すると、床に携帯電話が落ちているのが見えた。
「やっと見つけたようだね。」
坂田探偵は携帯を慎重に拾い上げた。そして、携帯電話を手に持ちながら、何も言わず悪魔の囁きを一方的に聞いていた。
「もちろん、君には僕の正体が分かっているんだろうね?」
坂田探偵は、心の中で「もちろん」と思いつつも特に声には出さなかった。
「分からないのか?僕の正体は超能力者だ。すなわち、君をここに閉じ込めた犯人だよ。」
やはり、悪魔の囁きは超能力者によるものであった。さらに超能力者は話を続ける。
「さて、君をここに閉じ込めたが、当然ここから抜けられる手立てはないよ。とだけ言っておく。つまり、君は一生ここで暮らすことになるのさ。まあ、一生といってもほんの一部だけ。食糧も何もないこの空間で長い間生きれるだろうか。フフフ。これで邪魔者はいなくなる。さあ、いよいよ僕の目標は達成されるんだ。悔しいだろう?悔しいだろうが、君にはどうすることもできない。川坂庄太郎が死ぬか、それとも君が死ぬか。どっちが先か。これはいい戦いになりそうだね。それじゃあ。」
そう言って、超能力者は電話を切った。坂田探偵はこの通話記録を途中からでありつつも録音しておいたので、重要な証拠の一つとなりうる。
さて、端的に言ってこの場所からの脱出方法が存在しないということを超能力者から伝えられたのだが、そこまで坂田探偵は動揺しなかった。坂田探偵は、この超能力者の発言は本当のことを言っているのではなく、坂田探偵を焦らせるために言ったでまかせであるとほぼ確信していた。
坂田探偵は歩みを進めながら考える。
もしかしたら、この事件の犯人は栗森警部なのではなかろうか。であるとするならば、あの罠は一番仕掛けやすい立場にあった。床の仕掛けの発動する範囲は限定されていたわけだから、あの場においてその範囲外にいれば、超能力者の仕掛けに巻き込まれることを防ぐことが出来る。
だが、そうした場合の矛盾点がいくつかある。一つは、木崎助手の殺害。もうひとつはあの携帯電話。
これらの証拠から、超能力者もこの空間にいた。もしくは今もなおいる可能性が高い。よって、あの仕掛けの発動から逃れる理由が超能力者にはない。
ただ、もちろん坂田探偵は、超能力者が栗森警部であるという一定の疑念は持っている。 
そんなことを考えながら坂田探偵は歩いていると、坂田探偵の肩に雫が一滴落ちた。
「ん?」
坂田探偵にとってその雫は、まるで遭難者の追い求める水のように感じた。
坂田探偵は何かをひらめき、途端に歩いてきた方向と逆の方向へ走り出した。
何かを閃いた坂田探偵は、さぞかし満足そうな顔をしているかと思いきや、顔はこわばっていた。そこに満足や安心の感情は一切見えず、ただただ焦りと苦しみを感じさせるような表情。いわば、マラソン選手のようであった。
そして、坂田探偵はいよいよ木崎助手のいるところへ戻ってきた。
前とは違い、罪悪感は微塵にも感じなかった。坂田探偵にとって脱出する手立てが整ったからこそだろう。木崎助手を殺害した犯人に復讐をしてやる。という思いの方が燃え上がった。
長い距離を走ってきたので、坂田探偵は息切れしていた。
木崎助手のもとへたどり着くと、木崎助手の遺体から五十メートルほど離れたところで、おもむろに座り込んで、左靴の靴紐を解き始めた。
ただ靴紐を結び直すだけではない。靴紐を解き終えた後、坂田探偵は左靴を脱いだ。
そして、左靴を手に持ち、地面に押し付けた。地面はちょうどここ周辺が土になっており、靴の足跡が地面にくっきりと残った。
すると、坂田探偵は左靴を再び履き直した後、ポケットから懐中電灯と虫眼鏡を取りだし、左手に懐中電灯。右手に虫眼鏡。坂田探偵は、木崎助手の遺体に近づいたのち四つん這いになってかがみこみ、地面に虫眼鏡を押し当てて何か捜索を始めた。
分かる人にはもう分かっているだろうが、つまり足跡の捜索である。
足跡の種類は三種類。一つは、坂田探偵のもの。一つは、木崎助手のもの。もう一つは犯人、すなわち超能力者のものである。
木崎助手の靴の形状は特殊であり、たとえ木崎助手の足跡を調べなくても、消去法で超能力者の足跡を見つけ出すことができる。
超能力者の足跡を辿っていくと、五十メートルくらい東に進んだところにある側面の壁で、その超能力者の足跡は途絶えていた。
つまり、この壁に何かある。と、そう坂田探偵は感じた。
試しにその壁を押してみると、やはり思った通りだった。
壁がドアとなっていて、新たな道が開けたのである。その道は、一本道の長い廊下だった。明かりは相変わらずついておらず、不穏な空気を感じさせるものだが、この時だけ坂田探偵は、この廊下が宮廷の廊下のように輝いていると感じた。
一本道の廊下を進むと、みえたのは長い縄梯子。この廊下の突き当たりに位置する。
長さはパッと見て30メートルくらい。縄梯子のあるエリア付近だけ、吹き抜け構造になっており、天井が驚くほど高い。
30メートルの縄梯子を登るというのはとても勇気のいることである。もし、踏み外したら...
だが、前に進むしかなかった。
一分ほど躊躇いを見せつつも、坂田探偵はついに腹を決め、縄梯子を登り始めた。
途中走ったり、四つん這いなどの姿勢をとったりと体力面において消耗しているだけでなく、精神面においても相当打ちのめされていた。
だが、決して手を離さず黙々と進んでいく坂田探偵。その姿は称えられるべき姿であろう。
坂田探偵がここまで進むことができたきっかけにはやはり木崎助手の存在が大きい。
木崎助手を殺害した超能力者を何としても捕まえたいとの一念で、それが彼にとっての原動力となっていた。

非常に長い道のりだった。登り始めた時よりも、「あと少し」で登りきれる。このときが何よりも1番辛い。無論、高さが違うのは言うまでもなく、それだけにとどまらず、少なくとも「油断」という気持ちがより失敗を誘う種となっている。
1歩間違えれば闇。坂田探偵はその空間をどうにか潜り抜け、ついに登りきった。
登りきったところは、地下の構造とは異なり、どちらかというとこの建造物の一階の構造に似ているものがあった。つまり、家っぽい感じである。床はフローリングのようなもの。明かりがついていない以外は、ほぼ家の中にいると言っていいほどだった。
登りきった坂田探偵は、下を見下す。自分があれだけ登ったという自覚はない。ただただ夢中で一歩ずつ登っていった結果、辿り着いた。
と同時に、恐怖の気持ちも感じられた。
ともかく、坂田探偵はその場で息を整え、また先へと進んでいった。
先はそう長くない。坂田探偵が登りきったすぐ先に見えたのは、どっかの都会のビルにありそうな非常口の扉のようなものだった。
坂田探偵がそのドアのドアノブをひねると、見えたのは地上の空間。風景。景色。
坂田探偵は十年ぶりに光を見た。

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