異世界にいったったwwwww
エカトリーナ
――じゃあ、もし君が語るならどういう物語がいいと思う?
初夏の薫風を感じながら木陰で太い幹にぶら下がった少年が問う。
その青灰色の純粋な双眸は物事の真理を見極めようとしていた。悪戯っぽく笑窪を浮かべるその顔が少年期特有の溌剌とした面と、別の一面……つまり、暗く陰鬱な大人びた表情を見てとった。
皇女のエカトリーナは戒厳令の敷かれた城下を窓硝子から眺めつつ、遠き思い出に時間を費やす。あの少年の名前はなんと言っただろう? ふと、最近気が付くとあの時出会った少年の事が懐かしく感じられた。恐らく初恋――いいや、もっとそれ以前の純粋な気持ち……憧れだったのかもしれない。訊ねればなんでも答えてくれた彼。大人顔負けのあらゆる言い回しと文句で冗談をいって笑わせてくれた彼。
……本当に誰だったのだろう?
この月、石角湾には珍しく重苦しい雨と激しい風が窓を強く叩く。
エカトリーナは無意識に胸元のペンダントを触っていた。細長い管のような透明なガラス細工。その内側に青い砂が詰まっている。普段着の簡略化されたドレスを着て、日々を持て余していた。
父は今、中原の戦争で忙しいらしい。嘗て、エカトリーナの知っている頃の父は今はいない。「権力」に執着しだした時期を境にあからさまに変わってしまった。
トン、トン。
扉がノックされた、彼女は「はい、どちら様?」とペンダントをドレスの襟の内に隠した。
「お嬢様、お久しゅうございます。」
丁寧な礼をとりながら入室してきたのは、禿頭の
「ガンツ……? 珍しいのね。あなたが訪ねてくるなんて、もう随分ありませんでしたからね。」
彼女の声が皮肉に聞こえたのだろう。ガンツは低身で礼をとり、小柄だが屈強な姿は過日の勇姿を未だに思い起こさせる……そういう男が今は可活力が不足して萎れたような容子だった。
「いままで、申し訳ございませんでした。」
あまりに生真面目な対応に彼女は面を食らった。あの、余裕綽々としたガンツの姿はなく、むしろ年相応の老人にみえた。
「どう……なさったの?」
暫く口ごもったガンツだったが、観念したように、
「この老骨、本日をもってこの国を離れることになりました。恐らく再び戻っては来ないでしょう。その前に一度、エカトリーナ様のお顔を、と思い至まして。」
父が不在の頃、よくガンツに構ってもらっていた。そういう日々がノスタルジーとしてエカトリーナの胸に飛来した。エカトリーナの母ははやくに亡くなっている。両親の不在が長い中、保護者のような感覚を持っていた。
そのガンツをぼんやりとみやりながら、
「……そう。父の命令でしょう?」
ガンツはなにも言わず、ただ沈痛な眉の下に濃い影を刻んだ。
分かったわ、とエカトリーナは微笑む。それ以上の内容はおよそ察しがつく。けれども、忠臣にしてこれまで国家の屋台骨として働いたガンツを辞めさせるとは一体どういう思案なのだろう? 彼女は訝しんだ。
と、ガンツはおもむろに口を開く。
「……お嬢様。ああ、お美しくなられたお嬢様。お願いです。よく聞いてください。この老骨一家と共に国外へと出ましょう。脱出するのです。幸い、今日は警備がゆるいのです。」
「どうしたの? あなたらしくもないけれど?」
突然のことに訝しむ。
「――実は、その……よくお聞きください。この老骨の執務室を先程整理しているところ、降霊祭の準備が始まっておりました。つまり……」
「つまり、だれか魔族と都市契約をして魔術師として誕生する人間が発見された訳ですね?」
そう自分でいいながら、エカトリーナは胸の動悸が不気味に早くなるのを自覚した。
汗を拭いながら、ガンツは、
「そうです……その人柱が……その……」
エカトリーナはワザと空元気に笑う。「誰? だれよ、おっしゃい。今更隠しだてする必要もないでしょ?」
ガンツは生唾を呑む。
いやに、沈黙の時間が長い。
――だれ? と危うく金切り声で叫びそうになる寸前だった。
「お嬢様、エカトリーナお嬢様です……」
エカトリーナは後ずさりした……まさか、そんな! 突然の宣告に雷鳴に打たれたような気がした。
「お、お父様が一人娘のわたくしを……そんなことに利用するハズ、ありません。」
「……ですが」
「くどいッ、くどい! 讒言を……そう、讒言を父上に申し上げたのね? だ、だから退けられたのよ。そう、ええ、きっとそうに違いないわ。」
エカトリーナは何度も頷く。だが、肩は大きく波うち、息も切れ切れである。
「お嬢様……」
呼びかけたガンツに背中を向け、俯くエカトリーナ。両手を強く拳で握り締め、
「……出てって! 二度とわたくしと父上の目の前に現れないでッ。」言い捨てる。
……暫しの無音の後、ガンツは「……それではお嬢様、お元気で。」と囁く声がした。扉が閉まる音がするまで、よほどの精神安定せねばなるまいと、思った。それから、エカトリーナは落ち着きを取り戻し、後ろを振り返る。静かな自室があるだけだった。
(……お父様が、わたくしを魔術師に? ですって? うそ、うそ、うそよ。だって――)
初夏の薫風を感じながら木陰で太い幹にぶら下がった少年が問う。
その青灰色の純粋な双眸は物事の真理を見極めようとしていた。悪戯っぽく笑窪を浮かべるその顔が少年期特有の溌剌とした面と、別の一面……つまり、暗く陰鬱な大人びた表情を見てとった。
皇女のエカトリーナは戒厳令の敷かれた城下を窓硝子から眺めつつ、遠き思い出に時間を費やす。あの少年の名前はなんと言っただろう? ふと、最近気が付くとあの時出会った少年の事が懐かしく感じられた。恐らく初恋――いいや、もっとそれ以前の純粋な気持ち……憧れだったのかもしれない。訊ねればなんでも答えてくれた彼。大人顔負けのあらゆる言い回しと文句で冗談をいって笑わせてくれた彼。
……本当に誰だったのだろう?
この月、石角湾には珍しく重苦しい雨と激しい風が窓を強く叩く。
エカトリーナは無意識に胸元のペンダントを触っていた。細長い管のような透明なガラス細工。その内側に青い砂が詰まっている。普段着の簡略化されたドレスを着て、日々を持て余していた。
父は今、中原の戦争で忙しいらしい。嘗て、エカトリーナの知っている頃の父は今はいない。「権力」に執着しだした時期を境にあからさまに変わってしまった。
トン、トン。
扉がノックされた、彼女は「はい、どちら様?」とペンダントをドレスの襟の内に隠した。
「お嬢様、お久しゅうございます。」
丁寧な礼をとりながら入室してきたのは、禿頭の
「ガンツ……? 珍しいのね。あなたが訪ねてくるなんて、もう随分ありませんでしたからね。」
彼女の声が皮肉に聞こえたのだろう。ガンツは低身で礼をとり、小柄だが屈強な姿は過日の勇姿を未だに思い起こさせる……そういう男が今は可活力が不足して萎れたような容子だった。
「いままで、申し訳ございませんでした。」
あまりに生真面目な対応に彼女は面を食らった。あの、余裕綽々としたガンツの姿はなく、むしろ年相応の老人にみえた。
「どう……なさったの?」
暫く口ごもったガンツだったが、観念したように、
「この老骨、本日をもってこの国を離れることになりました。恐らく再び戻っては来ないでしょう。その前に一度、エカトリーナ様のお顔を、と思い至まして。」
父が不在の頃、よくガンツに構ってもらっていた。そういう日々がノスタルジーとしてエカトリーナの胸に飛来した。エカトリーナの母ははやくに亡くなっている。両親の不在が長い中、保護者のような感覚を持っていた。
そのガンツをぼんやりとみやりながら、
「……そう。父の命令でしょう?」
ガンツはなにも言わず、ただ沈痛な眉の下に濃い影を刻んだ。
分かったわ、とエカトリーナは微笑む。それ以上の内容はおよそ察しがつく。けれども、忠臣にしてこれまで国家の屋台骨として働いたガンツを辞めさせるとは一体どういう思案なのだろう? 彼女は訝しんだ。
と、ガンツはおもむろに口を開く。
「……お嬢様。ああ、お美しくなられたお嬢様。お願いです。よく聞いてください。この老骨一家と共に国外へと出ましょう。脱出するのです。幸い、今日は警備がゆるいのです。」
「どうしたの? あなたらしくもないけれど?」
突然のことに訝しむ。
「――実は、その……よくお聞きください。この老骨の執務室を先程整理しているところ、降霊祭の準備が始まっておりました。つまり……」
「つまり、だれか魔族と都市契約をして魔術師として誕生する人間が発見された訳ですね?」
そう自分でいいながら、エカトリーナは胸の動悸が不気味に早くなるのを自覚した。
汗を拭いながら、ガンツは、
「そうです……その人柱が……その……」
エカトリーナはワザと空元気に笑う。「誰? だれよ、おっしゃい。今更隠しだてする必要もないでしょ?」
ガンツは生唾を呑む。
いやに、沈黙の時間が長い。
――だれ? と危うく金切り声で叫びそうになる寸前だった。
「お嬢様、エカトリーナお嬢様です……」
エカトリーナは後ずさりした……まさか、そんな! 突然の宣告に雷鳴に打たれたような気がした。
「お、お父様が一人娘のわたくしを……そんなことに利用するハズ、ありません。」
「……ですが」
「くどいッ、くどい! 讒言を……そう、讒言を父上に申し上げたのね? だ、だから退けられたのよ。そう、ええ、きっとそうに違いないわ。」
エカトリーナは何度も頷く。だが、肩は大きく波うち、息も切れ切れである。
「お嬢様……」
呼びかけたガンツに背中を向け、俯くエカトリーナ。両手を強く拳で握り締め、
「……出てって! 二度とわたくしと父上の目の前に現れないでッ。」言い捨てる。
……暫しの無音の後、ガンツは「……それではお嬢様、お元気で。」と囁く声がした。扉が閉まる音がするまで、よほどの精神安定せねばなるまいと、思った。それから、エカトリーナは落ち着きを取り戻し、後ろを振り返る。静かな自室があるだけだった。
(……お父様が、わたくしを魔術師に? ですって? うそ、うそ、うそよ。だって――)
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