青春に贈る葬送曲

長月夜永

#22 幽霊型《ゴースト》(一)

 


     一



 湊輔そうすけたちがドゥーガ率いる鬼人型《オーク》たちと悪魔型《バフォメット》と戦った日から少し遡る。入学式を終えてまもなく一ヶ月を迎えようとする時期、四日間の連休が明けた翌日のこと。

 この日の一年B組の二限目は、英語の授業を行っていた。英語圏出身の教師が教科書に書いてある例文を読み上げている。

 佐伯さえき悠奈ゆうなは英語の授業に対して酷く苦手意識を持っていた。それは中学一年の頃から続いているもので、今こうやって英語教師が読み上げている教科書の例文でさえも、翻訳文がついていなければさっぱり意味が理解できない。それどころか、単語ですら分からないものもあるほどだ。

 ふと時計を見れば、授業はまだまだ中盤。この二限目が終わるまでまだ時間がある。

 英語教師が、今読み上げた例文を応用した短い英文を作ってみましょう、みたいなことを言って、廊下側の列、前から二番目の座席の我妻あがつま雅久がくを指名した。

 雅久は無言でゆっくり立ち上がると、教科書に目を落としながら考えるように間を置く。やがて例文を応用した英文ができあがったのか、どこか面倒臭そうな雰囲気を醸しながらたどたどしい発音で話し始める。

 それを聴きながら悠奈が頬杖ほおづえをついてノートの端に落書きをしていると、雅久の声がプツリと途切れた。不思議に思って顔を上げると、一年B組にいたクラスメートが、英語教師が、一斉に姿を消していた。

 さらに、辺り一面から色がなくなってモノクロ写真のように変わり果てている。時計を見れば、秒針が動いていない。

「これって……」

 悠奈にとって、この光景を見るのは今回が三度目になる。椅子から立ち上がるのと同時に、背後からゴドゴドッと重みのある硬いものが床に落ちる音が鳴った。その音に驚いて、思わず体をビクつかせる。

 振り返って教室の後ろに向かうと、これで三度目のご対面となる物体が転がっていた。西洋のよろいにおける籠手こてと腕当が合わさったもので、悠奈はこの武器を手甲てっこうと呼んでいる。

 一見すると一種の防具だが、悠奈は敵を殴る武器としてこれを活用し、これまで二度の戦いを――最初の戦いはほとんど遠くから見ているばかりだったが――くぐり抜けている。

 鉛色に染まる手甲を一つずつ持ち上げては腕に装着する。その感触を確かめるように、手を握っては開き、それを二度続けた。またも拳を握っては、手甲同士を打ちつける。コンコンという金属質で短い音が鳴った。

 悠奈の戦闘スタイルは手甲をつけた拳で敵を殴ることが基本となっている。これについて不満はなかった。

 というのも、父親が元プロキックボクサーで、悠奈が生まれる少し前からジムの経営者兼インストラクターを行っている。幼少の頃から父にジムへと連れられては、キックボクシングの手ほどきを受け、トレーニングにも取り組んでいた。

 小学校卒業まではほぼ毎日のようにジムに通ってはいたものの、試合をすることも大会に出ることも特になかった。中学入学以降もジム通いは続けていたが、体を動かすことよりもゲームをしたり、アニメを観たり、マンガを読んだりすることが好きで、個人でイラストを描くこともできるということにかれて美術部に入り、頻度は週一、二程度と少なくなっていた。

 この異空間に招かれ、忽然こつぜんと現れた武器が手甲だったことから、心の中でキックボクシングを教えてくれた父に感謝した。

 ――さて、まずは誰かと合流しなきゃ……。

 手元に落としていた視線を上げて教室から出ようとしたそのとき、扉にはめ込まれたガラス越しに廊下を歩いていた男子生徒と目が合った。

 爽やかで人の良さそうな印象の少年に、悠奈は見覚えがあった。教室の引き戸が開かれる。

「あれー? 悠奈ちゃんじゃん」

「あ、陽向ひなたくん……」

 悠奈は少年の名前を思い出した。塩谷しおたに陽向、隣のC組の生徒だ。

 陽向と知り合ったのは高校入学から間もない頃。同じ中学から進学した友達に誘われたカラオケの最中、席替えをして陽向が隣になったことで話したのがきっかけだった。

「いやー、悠奈ちゃんがいてくれて安心したよー。いきなり周りのみんなが消えるし、学校なのにモノクロの世界になっちゃってるしで、もしかして俺しかいないのかなーって思ってたんだよねー……てか、なにそれ? めっちゃイカしてるんだけど?」

 悠奈が口を挟む間もないほどの饒舌じょうぜつをふるうと、視線は鉛色の手甲に注がれた。

「これ? あたしの武器だよ」

「武器? え、なにそれ? どういうこと?」

 悠奈が右手を軽く上げて手を握ったり閉じたりする。この異空間に二度も招かれた悠奈にとって、どこか当たり前のようなことになりつつあったが、陽向はまったく分かってなさそうな反応を見せる。そして、武器らしきものは見当たらない。

「もしかして、陽向くんはここに来るの、初めて?」

「ここって、学校ってこと?」

「んー、見た目は学校なんだけど、学校じゃないというか……異空間、っていうのかな」

「異空間、ねぇ……」

 陽向は辺りに目を泳がせると、どこか納得したようにうなずいては悠奈を見る。

「まぁ、確かにおかしな空間だねー。うん、ここに来たのは初めてだね」

「なら、たぶん教室に武器があるはずだから、C組の教室に行ってみない?」

 悠奈の提案で、二人は隣の一年C組の教室に向かう。教室に入ると、後ろのロッカーに縦長の物体が立てかけられている。近づいてみると、刀身の先から柄までが灰色に染まった、一メートルは優に超える長さの剣だ。柄が拳二つ分ほどの長さがあり、刀身の幅が三、四センチほどある両刃の長い剣。

 ファンタジー系の作品が好きな悠奈には、その形状に憶えがあった。

「これ、バスタードソードだね」

「バスタードソード? ゲームでよく見る、あれ?」

「うん……たぶん、だけど」

 陽向はバスタードソードをつかみ、両手で持つと正眼に構える。

「うわー、なにこれ。重いんだけど」

 のしかかるような重さに驚きを見せつつ、ゆっくりと真上に持ち上げようとする。

 悠奈はそれを見て、慌てて止めに入った。

「待って待って! こんな狭いところで動かすと危ないよ」

「ん? あはは、確かにそうだね」

 陽向は持ち上げる両手を止めて、天井を見上げてから視線を落とすと、ゆっくりと両手剣を下ろした。

「ねぇ、なんで武器なんてあるの? これで誰かと戦えってこと?」

「うん、そう。敵が出てくるの」

「敵? どんな?」

「うーん……いつも違うんだよね。ゲームに出てくるようなのだったよ。あたしの場合、この前はコボルトで、その前はゴブリンだったかな」

「えっ……悠奈ちゃん、二回もここに来たことあるの?」

「うん、そうだよ。これで三回目になるね」

「へぇー、マジかー。じゃあ悠奈ちゃんに色々教えてもらっちゃおっかなー?」

「いや、あたしもあまりよく分かってないから……そうだ、あたしより強い先輩がどこかにいるはずから、探しに行こうよ」

 悠奈が先に教室を出て、追いかけるように陽向もその場を後にした。悠奈たちの一年の教室はA棟校舎の四階にあるため、階段を下りて三階に着くと、二年の教室を順番にのぞきながら廊下を進む。

「だーれもいないねー」

「うん、そうだね」

 どの教室にも人影は一つもなく、二人は他愛もない雑談をしながら階段に戻り、二階に下りると三年の教室を覗きながら廊下を進む。ここでもまた、誰の姿も目につくことがなかった。

「えぇー……もしかして、俺と悠奈ちゃんだけだったりして?」

 廊下の突き当たりまで来ると、陽向がほほ笑みとはまた違う意味を含んでいるような笑みを浮かべて、隣を歩く悠奈の横顔を一瞥いちべつした。

 悠奈はそれに気づかず、視線を落としてなにか考え込んでいる。

「それはないかな。まぁ、ここに来るのって五人って決まってるみたいだから、もうどこかに出払ってるのかも」

 悠奈は歩く速度を上げて廊下を進む。陽向も遅れまいと歩調を合わせた。それから階段を下りて一階の昇降口にたどり着くと、二人は内履きのまま外に出る。

 悠奈が顔を左に右にと動かして、なにかに気づいて「あっ」と声を上げた。昇降口を出て右側、学校の正門付近で多くの人影が入り乱れ、喧騒けんそうあふれている。駆け出そうと踏み出したところで動きを止め、陽向に振り返る。

「陽向くん、戦える?」

「え、いきなり? いやー、その、心の準備が……」

「そっか。うん、それでいいよ。あたしも最初そうだったから」

 言い終えると、悠奈は正門めがけて走り出す。

「んー、これはもう乗るっきゃないよなー」

 少しの間を空けて、陽向もバスタードソードを握り締めて駆け出した。

 悠奈が騒乱の渦に近づくと、たくさんの骸骨に囲まれる、剣と盾を持つ男子生徒の後ろ姿が見えた。骸骨が振るう骨の棍棒こんぼうの一撃を盾で防ぎ、弾き、剣を振りかざして斬りかかっている。

「お手伝いします!」

 男子生徒の斜め後ろから迫る骸骨に狙いを定めて、悠奈は一層スピードを上げて肉薄し、腰椎めがけて渾身こんしんのストレートを放つ。手甲をつけた悠奈の右手の一撃は、狙い通りに標的の腰椎を捉えて打ち砕いた。

 体の支柱を失った骨格は、見えざる結合を失ってガラガラと崩れ落ちる。

「かたじけない、助かる!」

 盾剣を駆使する男子生徒が声を上げるのを聴きながら、次の骸骨へと急迫する。標的は悠奈に気づいて棍棒を持つ手を振り上げるが、遅かった。鉛色の手甲が真正面から襲いかかり、胸椎と腰椎の継ぎ目を打ち抜いた。

「頭を下げろぉ!」

 力強い声が悠奈の鼓膜を打つ。咄嗟とっさに両足を開き、上半身をかがめる。視界の右側に男子生徒の姿が映り、左後方から破砕音が鳴った。

 いつの間にか悠奈もまた囲まれていたらしい。左後方から迫る敵に気づいた男子生徒が機転を利かせて、頭蓋に剣を突き立てる。頭蓋の下の結合が綻び、瞬く間に音を立てて骨の小山を築いた。体を失った頭蓋が刺さったままの剣を右に振り、隣にいた骸骨の頭に頭をぶつけて打ち飛ばす。剣先の頭蓋はその衝撃で半壊し、地面に落ちていった。

「すみません!」
「なに、お互い様ぁ! ――すまない! そのまま背中を貸してくれ!」

 意図のつかめない突然の申し出に一瞬戸惑ったが、悠奈は屈んだままの体勢を保った。すると、背中の中心あたりに刹那の重圧がかかった。

 ――この人、あたしを踏み台にした!

 か弱い女子の背中を踏み台にするという常軌を逸した行いに唖然あぜんとしながら、顔を上げて例の輩の姿を追った。どうやら、骸骨の包囲の向こう側に飛び移ったらしく、骸骨たちは一斉に背後に頭を向けている。

「せぃああああああああああああああああああああああああ!」

 ドスのきいた喉声をとどろかせながら、剣と盾を振り回し、群がる骸骨を片っ端から砕き、斬り、突き、押し進んでいく。竜巻があらゆるものを巻き込んでいくかのように、大小様々な骨片を巻き上げて悠奈に迫る。

 これは巻き込まれるんじゃないかと、悠奈は近くの骸骨を殴り砕いて、足早にその場から離脱した。

 竜巻は左右に揺れ動きながら着実に前進し、やがて辺りに白い残骸をき散らして終息する。一体たりとも骸骨の姿は残らず、戦跡に立っているのは、盾剣を持ちながら膝に手をついて肩を上下させている男子生徒のみだ。

「だ、大丈夫ですか!」

 破天荒な戦いぶりに、自分の背が踏み台にされたことなど忘れて、悠奈は息を荒げる男子生徒に駆け寄る。

「ふぅ……ふぅ……なぁに、これしき……でも、ありがとう」

 屈めた体を起こし、どこか満足げな涼しい笑みを浮かべて応える。だが、足元から体全体がふらついたことで、たまらずその場に腰を下ろした。

「はぁ……こんなことで座り込むなんて、まだまだだな。――それにしても、見事な拳打だった。なにかしているのか?」

「き、キックボクシングを……」

「そうか。可憐かれんな見かけによらず、勇猛だな。俺は日下くさか剣佑けんすけだ。きみは?」

「佐伯、悠奈、です」

 悠奈と話しているうちに剣佑はスタミナが戻ったようで、立ち上がると悠奈に右手を差し出した。

「佐伯か。うん、よろしく頼む」

「あ、はい。こちらこそ、お願いします。えっと、日下、さん?」

 それが握手だと気づいた悠奈は、同じように右手を差し出して剣佑の手を握る。悠奈の手よりずっと大きい剣佑の手から、ゴツゴツと、ザラザラとした感触が伝わってくる。日に焼けたその手をよく見ると、あちこちにテーピングが巻かれていることに気づいた。

「あぁ、日下さん、でいい。佐伯が呼びやすいならな。それで、佐伯だけか? 他に誰もいないのか?」

 悠奈はあることに気づいて、剣佑と手を離すと辺りを見渡した。

「あれ……どこ行っちゃったんだろ。――陽向くーん?」

 声を張って陽向の名前を呼ぶ。すると、A棟校舎の非常階段のかげから現れた。

「いやー、お見事。あんまりに二人がすごいから、出るに出られなかったなー」

 すると、腰のさやに剣を収めた剣佑が陽向に詰め寄り、襟をつかみ上げる。

「お前、そんなものを持っておいて隠れていたのか?」

「え、あーと、そのですね……」

 鋭い剣幕に圧倒されて、陽向は口ごもる。悠奈は慌てて二人の間に入った。

「く、日下さん、待ってください! 陽向くん、今回が初めてみたいだったので、私が無理しなくていいよって言ったから、隠れてたんだと思います。だから、あまり責めないでほしい、といいますか……」

 剣佑は依然と陽向の襟をつかんだまま悠奈を見て話を聞くと、陽向に向き直して手を離した。

「そうか、すまない、先走ってしまった。これが初なら無理強いするのも悪いな」

 謝罪の言葉を述べて頭を下げる剣佑の様子を見て、悠奈と陽向はともに安堵あんどの息を漏らした。そして、悠奈はあることを思い出して剣佑に問い詰める。

「そういえば、あたしを踏み台にしてましたよね?」

 つい先ほどしでかした行いを思い出したのか、頭を上げた剣佑の顔が引きつった。

「す、すまない! 悪気はない! まったくだ! 絶好の機会が来たからと、つい調子に乗ってしまった! 申し訳ない!」

 勢いよく頭を下げ、弁明を述べると、さらに深く頭を下げた。

「まぁ、いいんですけどね。日下さんのおかげで片付いたわけですから。でも、絶好の機会って、暴れ回ってたあれですか? あんなことができるなら、私が来る前にできたんじゃないかって思うんですけど……」

 悠奈に言われて、上半身を起こした剣佑は苦笑いを浮かべて頭をく。

「あぁ、あれはな、竜巻舞《ダンスオブデストラクション》という動的戦技《アクティブスキル》だ。これを使い終えると酷い疲労感に襲われるから、一人で戦っているときはむやみやたらに使えないんだ」

「そう、なんですね。すみません、でしゃばったことを言って……」

「いや、いいんだ。佐伯の意見は間違ってない。俺が集団戦でも役立つ戦技を身につければいいだけだからな」

「あ、あのー、さっき言ってたダンスオブなんたらとか、スキルってなんなんですか?」

 悠奈の剣佑のやり取りを見ていた陽向が、先ほど見せられた剣幕の余韻が残っているのか、控えめな声で尋ねる。

「竜巻舞は動的戦技の一つだ……いや、陽向は戦技のことは知らないんだな。ちなみに、悠奈はどうだ?」

 戦技についての知識を尋ねられるが、悠奈はいったいなんのことやらか、とポカンとしながら小首を傾げて応えた。

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