青春に贈る葬送曲
#21 鬼人型《オーク》(終)
九
ドゥーガが咄嗟にその場から飛び退くと、そこに大地を抉り、爪跡を刻む凄烈な一撃が叩き込まれた。地面に食い込む光沢のない鈍色の刃。それは大瑚が渾身の力を込めて振るった大斧だ。
「オマエ……ジャマ、スルナ!」
名乗り合い、実力を認め合った好敵手との戦いに水を差されたことに対し、ドゥーガは怒りを露わにして大瑚めがけて吠えつける。
だが、大瑚にとってはそのような事情はまったく関係なく、知ったことでもなかった。得物を引き抜き、右肩にかけると嘆息を漏らした。
「はぁ……ははは……うるせェな。あの山羊面、せっかく一対一でヤり始めたってのに、どっかに行きやがったもんだからよォ……」
思わず耀大と有紗はグラウンドに目を泳がせ、山羊面――悪魔型の姿を探すも、どこにも見当たらない。大瑚の言う通り、忽然と、なのかまでは分からないが、確かにいなくなっている。
「だから、ヤれるとしたら、てめェ、だけだろォ? こんな有象無象のカスどもより、俺のほうがずーッと、ずーッと強ェんだから、なァ? 俺とォ、ヤろうぜェ? 俺とォ、楽しもうぜェ?」
双眸は鋭く耽々とした輝きを放っているが、まるで発情期を迎えた獣か、艶かしく息を荒げながら顔を紅く色づかせている。それだけでなく、全身から興奮と高揚を惜しみなく醸し出していた。
その様子は先ほどよりも異常性を増しており、有紗も耀大ももう見ていられないというように、表情を酷く歪ませながら目を逸らし、二、三歩後ずさってしまった。
そして、ドゥーガもまた同様に、ボロボロの歯牙を食いしばって顔を歪ませている。だが、二人と違って不快と嫌忌ではなく、憤怒と憎悪が胸中を大きく占めていた。手に握っている剣の切っ先を大瑚に向ける。
「オマエ、ツヨイ。ダガ、センシ、チガウ。ドゥーガ、センシ。アイツラ、センシ。ダガ、オマエ、チガウ。ケモノ。ホンノウ、イキル、ケモノ。オマエ、センシ、ブジョク、スルナ!」
ドゥーガは己を戦士と言った。強さと知性を持ち、誇り高く戦う戦士だと名乗った。そして、耀大、有紗、湊輔の三人もまた同じく戦士と呼んだ。誇り高く、全力でぶつかろうとしている戦士たちの戦いに横槍を入れただけでなく、獣のごとく本能の赴くままに戦いを望む大瑚に、ドゥーガは張眉怒目を浮かべて激情のあらん限りをぶつけた。
興奮と高揚に体を上下に揺すっていた大瑚だが、ピタリと動きが止まり、どぎつく上気させた顔からは色が抜け、二つの眼が放っていた野性的で獰猛な光が消え失せた。
「……あ? 戦士? 獣? はッ、馬ッ鹿じゃねぇの? なに勘違いしてんのか知んねぇけどよぉ。俺もそいつらも、別に戦士なんかじゃねぇっつうの。偶然にもこのおかしな空間に連れてこられてよぉ、武器が目の前に出てきて、おかしなヤツらが出てきたから、仕方なく戦ってるだけなんだよ。テメエらやらねぇと、俺たちゃこっから出れねぇんだ。分あったか? 俺らは、仕方なく、戦ってるだけ、なんだよ。戦士だの獣だの、知ったこっちゃねぇよ……もういいだろ? とっとと終わらせてやるから――俺の相手しな」
瞬く間に冷然とした様になった大瑚は、左足を前にしながら両足を開き、腰を落とすと前傾気味に構える。そしてドゥーガに向けて手を伸ばすと、「来いよ」という風に人差し指から小指を揃え、二、三度折り曲げて挑発のジェスチャーをした。
「ムウゥゥ……グオオオオオオオオ!」
ドゥーガが剣を両手で握り、右肩辺りに構えると、大瑚に向かって走り出す。もう三歩とかからない距離に達すると、飛びかかるように大きく踏み込み、袈裟斬りを放った。
「ふんッ!」
大瑚は避けるでもなく、防ぐでもなく、迎え撃つわけでもなく、身構えたまま気合を込めたように身体を固めると、左腕を折り曲げてはドゥーガの剣を受け止めた。
ドゥーガは目を細め、剣を引き、と再び振り上げて左斜めに構えると、逆袈裟に斬りかかる。
またも大瑚は一歩も動くことなく、身体を固めて、今度は大斧を持つ腕で渾身の一撃を受け止めた。冷たく虚ろな目で、訝しげに睨むドゥーガの顔を見返す。
全力の二撃を受けて、まるで何事もなかったかのような反応を見せる大瑚にわずかな戦慄を覚えて顔をしかめたが、ドゥーガは攻撃の手を止めることはしない。剣をまっすぐに大瑚の胴体に向けて、弓の弦を引くように右半身を後ろにひねって構えると、すかさず身体を左にひねり返して一突き放ち、間を置かずに二発目、三発目を立て続けて三段突きを繰り出した。
胸から腹にかけて三度も鋭い衝撃を与えられてもなお、大瑚はびくともしない。ただひたすらに身構えたまま、静かにドゥーガをジッと見据えていた。
「グウゥ――ナメル、ナ!」
半歩飛び退き、剣を上段に構えてわずかな跳躍とともに振り下ろす。この瞬間、ドゥーガの脳裏に悪魔型の凄惨たる光景がフラッシュバックした。そう、これはあのときの悪魔型と同じ――
襲いくる刃を、大瑚は大斧で弾き返す。
「あー、もういいわ、お前」
吐き捨てるようにつぶやき、赤みを帯びた大斧を掲げ、
「ふぅんぬあああああああああああああ!」
弾かれた剣の勢いに引っ張られたことで体勢を崩したドゥーガの体躯、左側の首のつけ根から股下にかけて、半月の刃が勢いよく縦断した。その勢いは衰えることなく、凄まじい炸裂音を轟かせ、真下の地面に長いひび割れを生じさせた。
二つに割れた灰色の塊は、一つの叫喚も上げることなく、鈍く重々しい音を立てて地面に倒れ込む。それを見届ける双眸は、変わらず冷然と佇み、なんの感情も見せることはなかった。
湊輔がまぶたを開けると、教室の黒板に教師がチョークをカツカツと鳴らしながら、声を張ってなにかを話している。周囲から、ノートにシャーペンを走らせる音が聞こえる。湊輔もまた、右手にシャーペンを握っていた。
――あ、やべ、寝てた……いや、違う。
湊輔は右手に握る筆記具を置いて、左腕の袖をまくった。それから左手を握っては開き、握っては開く。袖を戻し、左頬に右手を当てて擦る。
なにもかもが、まるでなかったかのように元に戻っている。そしてこの場に、この時間に戻ってきている。
湊輔の記憶は途中から途切れていた。鬼人型のリーダー――ドゥーガという名前は知らない――が放った一撃を左手に受け、耀大を攻め立てている背後から腰に剣を突き刺し、殴られた。そこから視界は暗く染まり、音もなくなった。気づけば、こうして始まったばかりの五限目の授業中に目を覚ました。
気になることは山々だが、どうせ教室を飛び出したところで一緒に戦った他のメンバーも授業の最中。気を失ってからのことが気になり、気持ちが昂るものの、とりあえずこの時間が過ぎ去るのを待つことにした。
五限目が終わると、寄ってきた雅久に肩を叩かれた。
「よぉ、どうした? 珍しく居眠りでもしたか?」
「ん、いや……あー、まぁ、そんな感じ」
「おー? マジで? ホント珍しいな、湊輔が居眠りとか。ま、分からんでもないぜ? 昼飯の後なんてだいたい眠くなるしなー」
左の袖をまくり上げ、左頬を擦った湊輔の様子は雅久に見られていた。だが、その瞬間が異空間での戦いの直後だったことまでは分からなかったか、居眠りをしていたと勘違いしている。
六限目も終わり、下校あるいは部活動の時間になった。湊輔は部活動には所属していないため、特に用事がなければすぐに下校している。登校時に乗る駅近くの運送会社でのアルバイトを週三でしていることも理由の一つだ。
帰り支度をしていると、雅久から声がかかった。
「湊輔は今日バイトか?」
「ううん、なんもなし。でもすぐに帰るよ。雅久は部活だろ?」
「あぁ、大会も近ぇしな」
「スタメン、なれそ?」
「いやー、どうだろうな。なる気は満々だけどな」
雑談とともに雅久と教室を出たところで、背後から音を立てて足早に近づいてくる気配を感じ、なんとなく肩越しに見ると、有紗がいた。
いつも見ている凛とした表情に、どこか鬼気迫るものを浮かべている。やがて二人に近づくと、
「ちょっといいかしら」
湊輔の手をつかみ、有無を言わさずにそのまま引っ張り、どこかへと去っていった。
突然隣にいた湊輔をさらわれた雅久は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でポツリと呟く。
「アンビリーバボー……」
無言のまま、湊輔の手をしっかりと握り締めた有紗は屋上に向かった。
塔屋から外に出て、乱暴気味に扉を閉めると、湊輔を扉横の壁に叩きつけるような勢いで押しつける。そして拳一つ分くらいまで近寄ると、湊輔のあごに両手を添えて、右に左に動かしてジッと眺める。それが終わると、今度は右袖をまくって前腕を眺め、次いで左袖をまくって同じように眺めた。
湊輔には有紗がなにを考えているか、なにを思っているかがおおよそ理解できたが、はたしてどんな言葉をかければいいか分からず、有紗のなすがままにされていた。
すると有紗がため息とともにヘナヘナとその場にへたり込む。
「え、あ、い、泉さん? ……大丈夫?」
思わぬ事態に、湊輔はあたふたしながらしゃがみ込んだ。
「大丈夫かどうかって、そっちじゃなくて?」
有紗は俯いてはいるものの、よく通る澄んだ声がなにを言ったか、湊輔にはしっかり聞きとれた。
「え、俺? ――あぁ、そうだ、ね。うん、確かに」
再び自分の左頬と左の前腕を擦って、湊輔はその場に座り込む。
「えっと、その、ごめん、なのかな? いや、ありがとう?」
「……それ、私の台詞、なのよね」
有紗は顔を上げたが、伏し目がちで、視線は湊輔の脇に向かっている。そして一瞬目をつむって沈黙すると、まぶたを開いて居住まいを正し、湊輔と向き合った。瞳はどこか潤んでいるような、しかしいつもの凛然とした眼差しをしている。
「私のせいで、痛い思い、したのよね。ごめんなさい。それと、身を挺してドゥーガ――いえ、鬼人型のリーダーの前に立ちはだかってくれて、ありがとう」
有紗の謝罪と感謝を真っ向から受けて、湊輔は堪らず首を動かしながら目をあちこちに泳がせる。「え、えっと……その……あー……」と言葉にならない発声をしながら、明らかな動揺を見せた。
そのどうしようもない、情けなく見える湊輔の仕草を、有紗は半眼で見据えてしまう。
「ちょっと、もう少し堂々としてもいいんじゃない? それでもって、どういたしましてって言えばいいじゃない。なんかもう、色々台無しね……かっこよかったのに」
残念ながら最後の一言はかなり小声になったせいで、湊輔には届いていない。
動揺を見せたことを有紗につっこまれると、湊輔は俯いて肩を落とした。ため息を一つ吐いて、顔を上げる。
「で、ですよねー。あんまり女の子と話すのに慣れてないっていうか……泉さんみたいな人と話すことってなかなかないっていうか、その……」
結局言いたいことがハッキリせず、中途半端に言葉を切ると、自分の情けなさに落胆してまたも俯いた。
「なに、私みたいな人って……? まぁ、いいわ。……落ち着かなかったのよ。日常に戻って、授業が終わるまで。湊輔――遠山くんの、無事が分かるまで、ね」
刹那、湊輔の全身から緊張が消え去った。気持ちも、身持ちも楽になり、ゆっくりと顔を上げて有紗と視線を交わす。
「そう、だよね。一緒に戦ってる仲間が、その、やられたら、心配する、よね。うん、俺もそうなると思う。……あのさ、お願いがある、んだけど、いい?」
湊輔の申し出に、有紗はきょとんとして小首を傾げる。
「えぇ、いいわよ」
「えっと、泉さんが良ければ、なんだけど、俺のこと、名前で呼んでくれたら、その、ありがたいというか、嬉しいというか……ほら、さっきの戦いのときにも、一回、名前で呼んでくれてたし」
はたしてそうだっただろうか、という風に、有紗は人差し指をあごに当てながら記憶を遡ると、ハッと目を見開いた。
「あ、あれは、危なげだったからよ。敵の真後ろで、なにがしたいか分からなかったから……とお――湊輔がね。だから、つい……」
わずかに頬を赤らめながら、普段あまり人に向けて見せないような、驚き慌てる様子の有紗。言い淀んだ後、目を閉じて息を吸って吐くと、ほほ笑みを浮かべて目を開いた。
「ねぇ、私のことも名前で呼んでもらっていいかしら? 有紗って。一緒に戦った、いえ、これからも一緒に戦うかもしれない同級生に、泉さん、って呼ばれても、距離を感じるのよね。それに、湊輔も私のこと、名前で呼んでるじゃない」
湊輔も顔を赤らめると、ほほ笑むというよりにやつくような笑顔を浮かべる。
「んー、うん、そういや、呼んでた、かも。ほら、なんか危なかったし、咄嗟に出ちゃった、みたいな……あはは。えっと、じゃあ、その、改めてよろしく、有紗」
「なに、それ。変なの」
「へ、変、かな? ――あ、そうだ。もう一つお願いしていい?」
「なにかしら?」
湊輔は笑みを消して真剣な表情になる。これからなにを言うか有紗は察したらしく、同じように表情が引き締まった。
「俺、あの鬼人型に殴られた後から、全然記憶ないんだ。気づいたら授業に戻ってて。俺も有紗も無事なら、勝った、んだよな? 鬼人型は、悪魔型は、誰が倒した?」
「そうね。それについては湊輔にも言っておくべき、よね。――ただ、私、これから部活なの。また今度でいいかしら? そうだ、連絡先ちょうだい。今夜電話で話しましょう?」
有紗の提案を聞き入れて、湊輔は連絡先を交換し、夜に事の経緯を聞く約束を取り交わした。
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