青春に贈る葬送曲
#18 鬼人型《オーク》(六)
六
小紫色の巨体が背中から地面に倒れ込むと、その一部始終を目にしていた鬼人型たちが狼狽えるようにざわついた。
数体がかりで相手取っていた敵を、たった一人の人間が、たったの一撃で沈めたのだから無理もない。
「あの人がさっき言っていた、広瀬という先輩、ですか?」
有紗が塔屋から降りて、グラウンドの様子を眺めて呆然と立ち尽くす三人に合流した。
「あぁ、そうじゃ……こりゃぁ、流れが一気に変わるのぅ」
耀大は有紗に向けていた視線を再びグラウンドに向ける。
大瑚は大斧を右手で持ち、肩にかけて悠々とした様子で佇んでいる。
仰向けに倒れている悪魔型は、いまだピクリともしない。
鬼人型たちは落ち着いてきたようで、突如現れた大瑚に向けて鋭い視線を集中させている。それでも、威勢よく飛びかかるような素振りをする個体はいない。
「どうしますか? とりあえず鬼人型だけでも、泉さんに射かけてもらって削るっていうのは?」
湊輔の提案を聞いて、耀大も二菜も難しい顔をして考え込んでいる。
その煮え切らない様子を見て、湊輔はいてもたってもいられなかった。
「迷うこと、なんですか? 下にいる広瀬先輩に当たらないように、遠目の敵に向けて射かければいいじゃないですか?」
湊輔が強く言い寄ると、二菜が静かに話し始める。
「あのね、以前広瀬先輩と颯希さんが一緒になったときに、一悶着あったんだよ」
「颯希さんって、弓道部の長岡先輩のことです、よね?」
「うん、そう。あ、もしかして弓道部?」
二菜が尋ねると、有紗は無言で頷く。
「あたしと耀くんも一緒だったんだけどね。あのときも鬼人型が相手だったかな。広瀬先輩が鬼人型の群れに一人で突っ込んでいって、颯希さんとあたしと耀君と……あれ? あと誰だったかな? とりあえず残りの四人で突っ込んでいく広瀬先輩のフォローをしてたんだよ。まぁ、あたしは旗だからサポートしかできないし、離れた場所から見てたんだけどね。颯希さんはあたしのすぐ目の前から、広瀬先輩に群がる鬼人型を攻撃してたんだけど、いきなり広瀬先輩がね、倒れた鬼人型をつかんで振り回したと思ったら、こっちめがけて投げつけてきたんだよ。颯希さんが咄嗟にあたしを庇いながら倒れ込んで、あたしも颯希さんも無事だったんだけど、遠くから広瀬先輩が、『邪魔すんじゃねぇよ! このブス!』って叫んできたんだ。颯希さんも流石にカチンときたみたいでね。二人とも鬼人型を相手にしながら罵倒し合ったり、広瀬先輩が投げつけてきた鬼人型を颯希さんが避けながら戦ったりで、そりゃもう酷いことになっちゃったってわけ」
――なんなんだ? 鬼人型を投げるって。もうどっちが鬼だよ……。
湊輔は思わず口にしそうになったが、話の腰を折りそうだったので自粛した。
「つまり、泉さんには二の舞になってほしくないってこと、ですね?」
二菜はなにも言わずに頷く。
湊輔の視界の端で、小紫色の影が動きを見せた。
悪魔型が残った右腕を使って体を起こし、緩慢な動きで立ち上がる。
後ろに立ち並ぶ鬼人型たちは各々警戒の素振りを見せ始めたが、大瑚は相変わらず悠然と佇んだままだ。
完全に立ち上がった悪魔型が、再び大瑚を見据える。
「ブゥルルル……ブゥァアアアアアアアアア!」
低く唸ったかと思えば、突然体を反らして天を仰ぎ、辺り一帯に響き渡る咆哮を上げた。そして、咆哮とともに吐き出した分を取り戻すように息を吸いこみ、胸元を膨らませたかと思えば、体を折り曲げて前傾し、口から勢いよく黒い煙のようなものを吐き出した。
その煙はたちまちにグラウンド全体を覆った。
屋上にいる湊輔たちからは、大瑚や悪魔型、そして鬼人型たちの姿が見えなくなる。
煙はその範囲を広げ、やがて校舎の一階部分すらも飲み込んでいく。
「い、いったいどこまで広がるんじゃ……?」
その光景を見て、耀大が狼狽する。
そして、煙の海からなにかが飛び出した。ところどころゴツゴツしているような、丸い輪郭の物体。
やがてそれは落下して煙の中へと消えていく。
まもなく、再び同じような物体が二つ飛び出した。
「――うッ!」
その物体の正体が分かった瞬間、湊輔は顔をしかめて、思わず低い声を漏らした。
「え? あれって、首……?」
二菜の言葉に、耀大と有紗が顔を青くする。
丸い物体は煙の中に消え、離れた場所から、再び同じような物体が飛び出た。
灰色の、ざんばら髪の生え際あたりから伸びる二本一対の短い角、醜悪な造形。
そう、鬼人型の首が、黒い煙の海の中から飛び出してきていた。
「いったい、誰が――」
湊輔は言葉を切った。
誰が、なんて、それは当然鬼人型以外の存在に決まっている。
大瑚か、悪魔型か。
二つ目と三つ目の首が落ち切る前に、その近くから四つ目の首が飛び出て、さらに五つ目の首が飛び出てきた。
――速すぎる。
二者のうち、どちらかの仕業であることまでは解る。だが、どうしたらあの不自由な視界で、あれほどの速さで、正確に攻撃できるか、そこが解らない。
六つ目の首が飛んだ。
幸いにも、まだ大瑚の首が出てきていないあたり、やられていることはない。
そもそも、大瑚が立っていた場所から、首が飛び出た位置は離れている。
七つ目の首が飛んだ。
やがて、黒い煙は薄れていく。グラウンドの様子が見てとれるまで、そう時間はかからなかった。
屋上の四人の目に、グラウンドに広がる惨状が飛び込んできた。一同は絶句する。
七つの首がゴロゴロ転がり、首を失った七つの体が横たわっている。
ここにきて、生き残った四体の鬼人型たちの慌てふためく声が聞こえてきた。
湊輔は大瑚に目を向ける。
依然として大斧を肩にかけて悠然と突っ立っている。
――よくあんな状況で……。
そして、グラウンド中に視線を泳がせた。
確認しなければいけない存在の姿を確認するために。
――い……た?
ようやく見つけたそれを見て、思わず目を疑った。
小紫色の体、重種の馬のような脚、人間の女性のような、胸元に二つの膨らみがある、線の細い華奢な上半身。背中から生えている、至極色のこうもりのような大きな翼、ねじれた角を生やした馬――いや、山羊の頭。手には鉈を握っている。
校舎から真逆のグラウンドの端っこに直立するそれ。
そのせいか、先ほどよりも一回りほど小さく見える。
「ねぇ……アレって、さっきの悪魔型、だよねぇ……?」
「あ、あぁ、そうじゃが……そうなんじゃが……そうにも、見えんのぅ……」
二菜の問いに、耀大は曖昧に応える。
「ねぇ、遠山くん? あれって、この前の人狼型のときと似たようなものじゃない?」
「……そう言われると、確かにそう、なのかも?」
確信は持てないが、追い詰められた人狼型が体にいくつもの赤い筋を浮かび上がらせ、全身が肥大化したように、悪魔型も大瑚の一撃で一気に追い詰められたのだとしたら、あの違和感を覚える姿にはどことなく納得できる。
「あー、そっかぁ! そういうことかー! だったら分からないでもないかなー」
有紗と湊輔のやり取りから、なにか察したのだろう。納得した二菜は声を上げて、耀大はうんうんと頷いている。
「ただ……あの腕と翼って、なんなんですかね?」
湊輔がグラウンドの端に立つ悪魔型を指して言う。
最初見たときの姿から、ところどころ変容しただけでなく、先ほど大瑚によって斬り落とされた左の腕と翼がもとに戻っている。ただ、鉈を握っているのは右手だけだ。
「……単純に、再生、じゃないかしら?」
「だよねー。そうとしか言えないよねー」
「体を再生できるとしたら、かなり面倒じゃな……あるいは、あの体になるついでに再生した、のかもしれんのぅ」
悪魔型の変化について議論していると、プアーッというラッパのような音が響き渡る。
音の出どころを探すと、鬼人型の一体が角笛のようなものを吹き鳴らしている。
突如として悪魔型が動き出した。
鉈を両手で持って構え、角笛を吹く鬼人型めがけて肉薄する。
――速い!
変化する前の巨体では考えられないほどの速さで駆け抜ける。
そして、左の腰に構えていた鉈を振り払った。
ギイィンと鋭い金属の衝突音が上がる。
笛を持っていた鬼人型は、目にも止まらぬ速さで接近してくる悪魔型の襲撃に反応していた。
手にしていた無骨な剣で鉈の一撃を受け止めるが、耐えきれずに体が浮き上がった。
小さく吹き飛ばされた鬼人型は、着地とともに二、三歩後ずさるだけで、転倒することはない。
「耀くん、アレ、鬼人型のリーダーじゃない?」
耀大の背中を軽く叩きながら、二菜が例の鬼人型を指して言う。
「うむ、確かに」
よく見ると、その鬼人型は他の鬼人型と異なる点がいくつもある。
まずは先ほど吹き鳴らした角笛だ。他の鬼人型はそんなものを持っていない。
体にまとう鎧も簡素なものではなく、まさに鎧としての形を成しており、肌の露出が少ない。
そして、無骨な剣とはまた別のものを帯剣している。
リーダーらしき鬼人型は、悪魔型の一撃を受け止めた無骨な剣を眺めて、放り投げた。ひびが入っていたのか、歪んでいたのか。
腰の鞘に収まっている剣の柄に手をかけて、引き抜いた。
それは悪魔型の鉈のように先が平らで、だが、刃は刀身の両側についている。柄は鬼人型の拳が二つと半分ほど収まる長さだ。
「グオゥ! ガアァ……」
悪魔型に剣を向けて、挑発しているように見えた。
対する悪魔型はそれに乗るように、両手で持った鉈を構えて、鬼人型のリーダーに迫る。
そこから、二者による激しい斬り合いが始まった。
湊輔はその戦いに驚きを覚えた。
鬼人型と悪魔型、いわばモンスター同士の闘争の中に『技』があったからだ。
今回戦った鬼人型は、ただ力任せに剣を振るってきただけだった。
途中から現れた悪魔型も、体育館の中から見ていたときは、襲いかかってきた鬼人型を手に持った鉈で力任せに薙ぎ払っていた。
それが、鬼人型のリーダーも今の悪魔型も、『力』とともに『技』も見せつけている。
悪魔型が飛び上がり、頭上から鉈を振り下ろす。
それを鬼人型のリーダーは剣の腹で受け流し、カウンターで胴めがけて斬り払う。
悪魔型は鉈の柄を押し返すようにして体を宙に躍らせて、その一撃を避けると、翼をはばたかせて空中で体勢を変えて、鬼人型のリーダーの頭めがけて右脚を振り下ろし、踏みつけようとする。
すかさず後方に転がり、鬼人型のリーダーは悪魔型の蹄の一撃を免れた。
「なに、あれ……? まるで手練れた人間の動きみたいじゃない……?」
「うん。下手すると、柴山先輩並みか、それ以上……かも」
リーダー以外の鬼人型たちは、悪魔型と対峙しているリーダーを応援しているのか、拳で胸当を叩いて打ち鳴らしている。
そして大瑚はといえば、睨み合う二者に向かって、ゆっくりと歩み寄っていた。
やがて間近に迫ると、大斧の刃を地面に叩きつけた。
鬼人型のリーダーと悪魔型が大瑚を見る。
二者の視線が向いた途端、大瑚は大斧を持ち上げて肩にかけると、足を開いて腰を落として構え、
「うぅあああああああああああああッ!」
グラウンド中に轟かすように吠える。
「まさか……アイツらとやる気なのか、のぅ? 二菜、とりあえず旗振っとけ。後でなんか言われたら……そんときはそんときじゃ」
「う、うん、分かった……」
二菜は旗を掲げると、攻勢、守勢、強壮をかける。
旗の効果がすべてかかり終える前に、大瑚と鬼人型のリーダー、悪魔型の戦いが始まった。
最初に動いたのは悪魔型だ。鉈を左肩に担ぐように構え、大瑚めがけて急迫する。
渾身の右薙ぎを、大瑚は再び受け止めた。またも微動だにしない。
動きが止まった悪魔型めがけて、鬼人型のリーダーが襲いかかる。
大瑚は受け止めた鉈を弾き返すと、差し迫る鬼人型のリーダーの一撃を受け止め、これもまた弾き返す。
大斧を振り上げる。またも鈍色の刃がほんのりと赤く染まった。
「ふんぬあぁッ!」
そして、一瞬よろめいた鬼人型のリーダーめがけて振り下ろした。
間一髪、鬼人型のリーダーはよろめいた体を利用して、身を転がしてその場から離れる。
悪魔型に放ったものより威力は低いが、大瑚の大斧の一撃はグラウンドにひび割れを生じさせた。
「またあの攻撃……福岡先輩、あれっていったいなんなんですか?」
湊輔は大瑚の攻撃がとても気になっていた。
わざと相手の攻撃を受け、その後に反撃する。そうする意味がさっぱり解らなかった。
「わしもよくは分からんのじゃが……広瀬先輩の斧が赤くなっているのは、湊輔には見えているかのぅ?」
「はい、悪魔型を斬ったときも、赤くなっていましたね」
「さっきみたいなとんでもない一撃が出るとき、いつも斧が赤くなっとる。たぶん、戦技なんじゃろうな」
「柴山先輩の霞脚《ヘイズステップ》や霞躱撃《ヘイズレイド》、みたいな感じなんですかね。普通の人間にはできないことをやってのけるのは……」
「――ッ! 増援よ……南、図書館の近くね」
三人の視線が一斉に有紗に向けられた。
「鬼人型? 何体くらいいそう?」
「……四、五……五体ね。もしかしたら、さっき吹いていた角笛のせい、かもしれないわ」
「どこを通っとる?」
「……A棟校舎沿いです」
「うむ、好都合じゃ。ここからならすぐに行ける。広瀬先輩にはグラウンドのヤツらを相手してもらって、わしらは増援がグラウンドに入る前に阻止するかのぅ」
耀大の提案に、反対する者はいない。
「二菜、ここから旗を振っとけ。なに、ヤツらを屋上には行かせんから、安心せい」
「うん、それなら大丈夫! もしヤバくなっても全力で逃げるもんねッ!」
「よし。なら、湊輔、有紗、さっそく行くとしようかのぅッ!」
「「はいッ」」
二菜を屋上に残し、耀大、湊輔、有紗は非常階段を使って下に降りていった。
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