青春に贈る葬送曲

長月夜永

#7 柴山泰樹 (一)

 


     一



 湊輔そうすけが空を見上げると、雲一つない青空が広がっている。
 
 肌を優しくなでるようなそよ風が心地よい。

 顔を下げると、緑色のフェンスに囲まれた屋上が視界に広がる。

 つい二時間ほど前、向こう側にあるB棟屋上で人狼型《ワーウルフ》と対峙たいじしたばかりだ。

 あまりに閑静とした光景に、そんな殺伐とした戦いがあったことなど誰が想像するだろうか、というようなことを考えながら、湊輔は感慨にふける。

「よぅ、待たせたな」

 ふと声がかかり、そちらに視線を向けると、おそらく弁当箱が入っているであろう手提げバッグと小さい紙袋を持った雅久がくがいた。

「なにそれ?」

 湊輔が雅久の手元の紙袋を指して尋ねる。

「これか? 特製クリームメロンパン。うちの学食の超人気メニューで、なかなか手に入らないんだぜ」

 外側はサクサクの甘いクッキー生地に、内側はフワフワのパン生地。そしてパン生地の中に特製クリームが入っている。

 一日三〇食限りということで、その美味しさと相まって昼休み開始三分で完売するという超人気メニューだ。

 おいそれと手に入らない貴重な一品が手に入ったからか、雅久はえらくご機嫌であることが見てとれる。

「湊輔にもちょっとやろうか?」

 雅久は特製クリームメロンパンを少しばかりちぎると、湊輔に差し出す。

「お、いいの? じゃあありがたく……」

 差し出されたパンを受け取った湊輔はすぐさま口へと放り込んだ。

「んじゃ、一五〇円な」

「おい、ふざけんな」

「冗談だよ、じょーだん。――にしてもよ」

 雅久はパンを紙袋に戻して手提げバッグから弁当箱を取り出すと、声のトーンを抑え気味に切り出す。

 湊輔としても、これから雅久がなにを話すかは想像がついている。

 そう、二時間ほど前の出来事について、だ。

「あの瞬間、マジでヒヤッとしたぜ? 湊輔が――殺されるんじゃねぇかってよ」

 湊輔は雅久の言う『あの瞬間』を思い返す。

 血管のような赤い筋が身体のあちこちに浮かび上がるとともに全身のあらゆる筋肉が肥大化し、生存本能を全開にした人狼型。

 突如最後列に控える有紗ありさ泰樹たいきの後ろに高速で飛び移ると、有紗めがけて裏拳を放った。

 だが、すかさず割って入った泰樹に防がれて、なおかつ反撃を受ける。

 次に巧聖こうせいのそばに飛び移るが、動きを読まれていたのか、着地とともにやりを突き出された。

 それをかわすように飛び上がり、反対側にいた湊輔の背後に着地する。

 このとき、湊輔は完全に孤立しており、有紗のように誰かがすぐにカバーに入れる状態ではなかった。

 雅久の悲鳴のような叫び声で名前を呼ばれた瞬間、自分の死を直感した。自分の死の光景が脳裏をよぎる。

 だが、突如その光景が巻き戻され、貫手を放つ人狼型の股下を転がって避けると、すぐさま破突《ペネトレイト》を繰り出し、さらには抉牙《バイト》で追撃する光景が視えた。

 それに倣うように体が動き出したことで、湊輔は直感した死を回避し、まさに九死に一生を得た。

「あれな、俺もよく分かってなかったんだよな。いや、今でもよく分かってないけど」

 斜め上の虚空を見つめながら、湊輔は話す。

「なんだよ、それ。でもよ、湊輔がまだ生きてることに良かったって思ったし、それに、すげぇって思ったな。えーと、柴山しばやま先輩、ほどじゃないにしても、動きがこう、初めてやるやつの動きじゃねぇっての? 滑らか? 慣れてる? みたいな?」

 適当な例えが思いつかないのか、胸のあたりで腕を組み、頭を右に左に傾けながら雅久は言葉を絞り出す。

「へぇー、そうなのか」

 まるで誰か他人の話をしているかのように、湊輔は上の空になって聞いている。

「………………」

「………………」

 しばしの沈黙。二人は黙々と弁当の中身を口に運んでは咀嚼そしゃくする。

「あれー? 湊輔と雅久じゃーん?」

 二人はほぼ同時に顔を上げて、声の主へと視線を向けた。

 つい二時間ほど前、共に人狼型と戦った二年の先輩、荒井あらい巧聖だ。

「荒井先輩、お疲れ様です」

「うッス」

「なになにー? 男二人でこんな屋上で黄昏たそがれてんの? せめて女子の一人や二人くらい連れてくればいいのに」

 巧聖は二人のそばに来て座り込むと、手に持っていた紙袋からおにぎりを取り出して頬張ほおばる。

「いや、さっきのあれの話だったんで、教室で話すのもどうかなって」

「ふんふん……あぁ、さっきの人狼型の? そかそか、二人で反省会みたいな? へぇ、割と真面目だね、お二人さん」

「そんなんじゃないッスよ。ただ、湊輔が生きてて良かった、というか……」

「確かになぁ、それは俺も思った。あれはもうガチで死んだって悟ったし? まぁ、死に際に立ったのはなにも湊輔だけじゃないよ? あの有紗っても、さっきの戦いで二度は死んでるね。まぁ、最初は雅久が出てきて、次は泰樹さんが割って入って、どうにか助かったって感じだけど。あー、だとすると湊輔は自分でどうにか助かってるんよね? もう、すげぇって叫んじゃったし?」

「そうッスよ、こいつ、自力で生き延びたんスよ」

 雅久も巧聖も湊輔のことで盛り上がっているが、当の本人はやはり他人事のように意に介さない様子でご飯を頬張りながら聞き入っていた。

 そして、あることを思い出す。

「荒井先輩、柴山先輩ってどうやったら会えますか?」

 唐突な、というよりも、その問いの内容に思うところがあったのか、巧聖はポカンとした顔で湊輔を見ながら、少しばかり間を置いて答える。

「どうって、教室行けば会えるよ? 三Aが泰樹さんのクラスだけど?」

 すると、雅久が湊輔の肩に手を置いた。

「いやー、そういうの苦手なんスよ、こいつ。誰かに会うために、知らない人がいっぱいいる空間に入るってのができないんスよ」

「なるほどねぇ……まぁ、俺が一緒に行って泰樹さんを呼んであげてもいいけど、どう?」

「それもちょっと……というか、わざわざ呼び出すのがすごく申し訳ない、みたいな」

「はぁー……好きな先輩に告白しようと思ってる女子じゃないんだし、もっとこう、堂々とすればいいじゃん? んー……ん? あぁ、そうだ!」

 なにかを思いついたのか、巧聖が急に声を張り上げた。

「泰樹さんの家って、商店街の通りにある喫茶店なんだよなぁ。実家兼店舗、みたいな? 『喫茶イチゴ』って言うんだけど、休みの日に昼過ぎあたり行ってみれば? もしかしたら店手伝ってるかもしれないし」

 湊輔はすかさず『喫茶イチゴ』をスマートフォンのメモ帳アプリに書き込む。

 その隣で、雅久は小さい声で『喫茶イチゴ』の名をつぶやきながら、なにか考え込み、

「そんな名前の店、ありましたっけ? 俺たち電車で通ってて、駅から学校に来る途中商店街を通るんスけど、『喫茶イチゴ』って名前、見たことないんスよね」

 雅久が言うと、湊輔もまた、いつも通っている商店街の通りに並ぶ店の外観や掲げられている名前を思い返してみる。

 ――そういや、『喫茶イチゴ』って言われても全然ピンと来ないな。

「二人とも、商店街の横道に入ったことないっしょ? 学校側から入ると、えーと、一、二、三……三つ目の交差点を右に曲がった先にあるよ。なんなら今日の帰り、行ってみれば?」

 商店街、学校側、三つ目を右、と先ほどのメモに追加する。

「ありがとうございます。この店、よく行くんですか?」

「え? いや? 俺さ、こらへん育ちなんだよね。だから商店街のあたりなんかはよく知ってるし、泰樹さんとは小学校から一緒だから、知ってる範囲でならある程度知ってるよ」

「へぇ、じゃあなんか、意外な一面とかも知ってたりするんスか?」

 巧聖は周りを一瞥いちべつしてから体を屈めて、右手を口元の横に添える。

 その様子からあまり大声では言えないことと察して、湊輔と雅久も同じように体を屈める。

「ああ見えて泰樹さん、シスコンなのよ」

「マジッスか! ――なんか、マジで意外なこと聞いたッス」

 思わず体を起こして驚嘆する雅久だが、すかさず再び体を屈めた。

 それを見て巧聖は「アハハ!」と陽気に笑うと体を起こす。

「ま、別にひそひそ話すことでもないんだけどね。知ってる人はだいたい知ってるよ、泰樹さんがシスコンなのは。まぁ、当の本人にはその自覚がないみたいだけど。――おっと、そろそろ時間だねぇ。あ、そうだ、連絡先教えてよ。俺のも教えるからさ」

 スマートフォンで時間を見ると、昼休みが終わる三分前を示している。

 巧聖は二人と連絡先を交換すると、先に校内へと戻っていった。

「なぁ、さっき荒井先輩が言ってた喫茶店、今日寄るついでに入ってみようぜ?」

「今日? 雅久、部活は?」

陽奈ひなちゃんが朝言ってただろ? 体育館の工事の準備で今日の放課後は立ち入り禁止だって」

 雅久はバレーボール部に所属しており、平日は毎日放課後に、休日は土曜日の午前中に体育館で練習をしている。

 そして『陽奈ちゃん』とは、湊輔と雅久のクラス、一年B組の担任教師・宍戸ししど陽奈の愛称であり、教室内であればそう呼ぶことを許されている。ただし、教室の外でそう呼ぼうものなら、たちまちに低く、冷たく、無機質な声と真顔で「宍戸先生、です」と訂正される。

 ――そういえばそんなこと言ってた、ような?

 実のところ、湊輔は今朝のホームルームで陽奈の話をほとんど――いや、まったく――聞いていなかった。前日に夜遅くまでネットの動画サイトでお気に入りの投稿者の動画を見漁っていたら寝るのが遅くなり、登校して机に着くと眠気に襲われてしまったからだ。

 広げていた弁当をそそくさとまとめたあたりでチャイムが鳴る。

 二人は屋上を後にすると急いで教室へと向かった。

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