青春に贈る葬送曲

長月夜永

#2 人狼型《ワーウルフ》 (二)

     二



 雅久がくの言った通り、標的は屋上にいた。正確には、湊輔そうすけや雅久がいた普通教室があるA棟ではなく、特別教室があるB棟の屋上だ。

 B棟屋上では、すでに戦闘が始まっていた。

 一足遅れてきたことになる湊輔と雅久は、すぐさま屋上に出ることはせずに、出入口で身をひそめるようにして状況を伺う。

 二メートルを優に超える筋骨隆々としたたくましい体つきに、全身を覆う黒い体毛。手足の先には爪が、口元には牙が鋭く生えている。興奮の度合いを表しているかのように、腰から背中、後頭部まで覆い隠すほどもある逆立った尾。そして狂気に満ちたように赤く血走った眼。

 もはや怪物と言わんばかりの出で立ちをした二足歩行のおおかみが、湊輔や雅久が通う高校の制服を着た生徒二人を相手に暴れまわっている。

「うーわ、マジかよ……。まーた人狼型《ワーウルフ》とかないわ……」

 屋上で暴れまわる二足歩行の巨狼きょろうが今回の敵だと分かった途端、雅久は落胆を露わにした。

「まさか、前回もあれ?」

「……あぁ、そうだよ。くそッ、面倒だし疲れんだよなー、あれ」

「あらら……。――いや、俺は良かったと思うぞ? 人狼型は初めてだけど、雅久が経験あるってんならかなり心強いしな?」

「………………」

「………………」

「はっはっはー、そうだろー? 心強いだろー? 俺がビシッと引きつけるから、ガツガツたたいてくれよー?」

 一瞬の間をおいて、半眼で棒読みな感じはあるものの、雅久はやる気を示したらしい。

 はたして、湊輔がここで「だからって、やらなきゃやられるだけだろ」なんて発破をかけたとして、同じような反応を見せてくれたかどうか。

 とはいえ、生死がかかっている状況でやる気がどうのこうのと言っている余裕はない。雅久としてもそれを承知のはずだ。

 よって、背中を叩いて無理矢理押し出すよりかは、柔らかめに一緒に一歩踏み出すような感じがいいと判断して、湊輔はあの言い回しをするに至った。

「なぁ、湊輔はあの二人が誰か分かるか?」

 雅久が大盾の内側に収まっている短剣を抜いて、その切っ先を屋上で人狼型と対峙たいじしている二つの人影に向けながら湊輔に尋ねる。

 二人のうち一人は両手で長いやりを巧みに使いこなす男子生徒、もう一人はその男子生徒の斜め後ろから弓矢で援護射撃を行う女子生徒だ。

「槍を持って前に出てる男子は分からないな。弓を使ってる女子は泉さんだと思う」

「泉?」

「A組のいずみ有紗ありさ。知らない?」

「いや、全ッ然。A組って接点あるやついないからな――って、おい!」

 屋上で繰り広げられる戦いに変化が起こった。

 二人が屋上の出入口に到着して状況を伺っている時点で、さほど優勢といえるものではなかった。

 緩急自在のトリッキーな人狼型の攻撃を、槍使いがどうにか避けながら――致命的な直撃こそないものの、何発かかすっている――合間を縫っては攻撃して、後衛の弓使いに人狼型の注意が向かないようにしのいでいる状態だった。

 そしてついに、人狼型は意表をつくフェイントで槍使いの体勢を崩し、強烈な裏拳を叩き込んだ。

 直撃を受けた槍使いは何メートルか吹き飛んでいった。

 その様子を目の当たりにした雅久は、反射的に屋上へと飛び出していく。

 槍使いを吹き飛ばした人狼型は、その血走った真っ赤な眼をギロリと泉に向けるや否や襲いかかる。鋭利さを強く主張する爪の生えた五本の指をそろえると、有紗に向けて勢いよく貫手ぬきてを放つ。

 間一髪、大きな鉄の板が間へ割って入ってきたため、有紗の体に人狼型の爪が深々と突き刺さることは免れた。

「悪いな、遅くなった! 俺が引きつけるから任せな!」

 突然の割り込みに、人狼型は後方へと飛び退く。雅久はその姿が見えるように大盾を構えながら距離を詰めていく。

 ――おいおい、さっき人をヒーロー呼ばわりした割には、お前のほうがよっぽどヒーローっぽいぞ。

 なんてことをふと思いながら、湊輔もまた、腰のさやから剣を引き抜いて屋上に出ては泉に駆け寄る。

「えっと、A組の泉さん……だよね?」

「――そうよ。えっと……」

「俺はB組の遠山とおやま湊輔。で、今出てきたのが我妻あがつま雅久。同じくB組。さっき一緒に戦ってた人は?」

「ごめんなさい、名前は分からないの。……たぶん、二年の人。胸ポケットのラインが緑だったから」

 湊輔が通う高校では、入学年度によって異なる色の横線が胸ポケットに装飾されている。

 湊輔の年代、つまり現一年は黄、現二年は緑、現三年は青となっている。

「そっか。――じゃあ、俺があの人を助けるから、泉さんは雅久の援護をお願いできる?」

「えぇ、できるわ。……でも」

 言いよどんだ有紗の表情には、明らかな不安がにじみ出ている。はたしてそれは、今まさに前衛を務める雅久の防御能力に対するものか、後方から援護をすることに対する自信のなさか、はたまた湊輔が負傷者の救護を先に申し出たことに対してか。

「大丈夫、雅久はあの人狼型とやり合った経験があるらしいし、そもそも前に出て戦うのが上手いし、そう簡単にやられたりはしないから」

 そう言いつつ、湊輔にも多少なりとも不安はある。初めて交戦するために、これといった情報がなに一つない相手。どんなときにどう動くか分からない。

 それでも、雅久が上手く引きつけてくれることを信じるしかない。

 人狼型の裏拳をくらった生徒――有紗いわく、二年の先輩らしい――は少し遠い位置、一〇メートル弱ほど先に吹き飛ばされ、いまだピクリとも動かない。

 もしかすると――いや、そんなことは、最悪の事態は考えたくもない。

 それでも、あの惨状を目の当たりにした湊輔の脳裏で、そんな考えがよぎる。

 ――落ち着け、落ち着け。

 今はとにかく、あの男子生徒のもとへ駆けつけることだけに集中する。

 人狼型は眼前に立ちふさがる雅久に対して完全に注意が向いているようで、前後左右に身を動かしては距離を詰めたり開けたりしつつ、パンチ、キック、タックルなどといった格闘攻撃を次々と繰り出す。

 対する雅久は前回の経験が活きているようで、人狼型のトリッキーな動きにしっかり対応して、繰り出される一撃一撃を防ぎきっている。

 ――行ける、行け。

 心の中で自身を鼓舞すると、湊輔は一気に駆け出して倒れた男子生徒のもとに向かう。

 ガンッ、ガガンッという衝撃音が、一〇メートル弱という距離を駆け抜ける湊輔の背中で鳴り響いていた。

「大丈夫ですか?!」

 仰向けに倒れている男子生徒に声をかけて、体を揺する。

「……ん、あぁ、大丈夫大丈夫。だからそんなに体を揺らすなよ」

 まるで寝起きのように億劫おっくうな感じで目を開けた男子生徒は、上半身を起こすとともに両手を上げて伸びをする。

「いやー、ありゃ強烈だったな。トラックにねられたような気分だよ。と言っても、トラックどころか車にすら撥ねられたことないけど。……さすがに槍と弓だけじゃ無理だって。吹っ飛ばされた瞬間、あの娘がやられることを覚悟したんだけど――どうやら状況がよくなったみたいだねぇ」

 伸びを終えると、今度は首を時計回りに、逆時計回りにと動かす。

 あの太い腕から放たれた裏拳で吹き飛ばされた直後とは思えないほど、男子生徒は飄々ひょうひょうとしている。

 起き上がって伸びをしながら饒舌じょうぜつを振るい、首を回してストレッチをして立ち上がった一連の様子を目の当たりにした湊輔は、ただただ呆然ぼうぜんとするしかなかった。

「それで、君は誰だい?」

 男子生徒の問いかけで、湊輔は我に返る。

「一年B組の遠山湊輔です」

「へぇ、漢字はどう書くの?」

「遠山は遠い山。湊輔はさんずいに奏でるのそう、くるまへんに、三浦や浦島の浦のつくりをくっつけたすけです」

「ふーん、湊ってみなとって読むあれね。そっかそっか。俺は荒井あらい。荒井巧聖こうせい。荒れるに井戸の井の荒井で、たくみって読む巧に聖杯や聖火の聖で巧聖。よろしく。――で、あのでっかい盾持ってるのは?」

 巧聖は、現在進行形で人狼型と攻防を繰り広げる雅久に向けて指をさす。

「俺と同じクラスの我妻雅久です」

「あがつま? あがつまって我欲のに人妻の妻のあれ?」

「合ってますよ。合ってますけど、なんでよりによってその例えを持ち出したんですか?」

「さぁ、なんとなく? それで、名前は?」

みやびに久しいの久です」

「へぇ。初見じゃ読めるかどうか怪しいところだね。仮にまさひさって読むんだったら、すごく言いにくそうだし」

「はあ……」

 ――なんでこの人、こんなピンピンしてんだ?

 ついさっきぶん殴られて吹き飛ばされた割には、体のどこかに不調をきたしているような素振りはなく、こうして悠長に話しているというのが湊輔にとってとにかく疑問でしかなく、気になってしょうがなかった。

「あとそれと、あの女の子は?」

 巧聖は次に有紗に向けて指をさす。

「一年A組の泉有紗です」

「ふーん。泉は白にしたみずのあれでしょ? ありさは?」

「有無の有に、いとへんに少ないのしゃです」

「へぇ、女の子っぽくていいね。てか、隣のクラスのはずなのによく漢字まで分かるね? おなちゅう?」

「そういうわけじゃないんですけど、入学直後の学力テストで上位五人の名前が張り出されていて、そこに泉の名前があって知ったんですよ」

 湊輔たちが通う高校では、全学年が年度初めに学力テストが行われる。

 国語、数学、英語、社会、理科の主要五科目で、各学年の科目ごとの成績上位五名と全科目の成績上位五名の名前が廊下に張り出されることになっている。

 有紗は国語で学年三位、英語で二位、社会で二位、全科目で三位となっていた。四つの項目で名前が挙がっていれば、嫌でも目につくし、憶える。

「そっかー、デキる子ってやつか。ま、いいけど。――さて、と」

 巧聖は足元に転がる長槍を蹴り上げてはつかみ取る。

「雅久、だっけ。壁役めっちゃ上手いね。いやー、これなら勝てる気がしてきた」

「まぁ、人狼型は経験あるみたいなんで……」

「俺も人狼型は初めてじゃないんだけどね。あそこまで器用にはやれないかな。と言うか、俺、見ての通り槍だし? 壁役じゃなくて攻撃役だし? ――ま、いいんだけど。それよりいい加減行ってやらないとね。あの二人だけじゃ決定打に欠けるし」

 そう言って巧聖は長槍を両手で持ち、足を開きつつ腰を落として構え、一歩踏み込んだ。
途端に巧聖は一陣の風となり、一〇メートル弱という距離を、まるで一〇秒にも満たない速さで駆け抜けた。

 やがて人狼型に肉薄するやいなや、構えた槍の穂先を、ちょうど雅久の大盾に正拳突きを打ち込んだ太く強靭きょうじんな右腕前腕部めがけて突き出しては深々と突き刺した。

 突然の奇襲に面食らった人狼型は、歯牙を食いしばり、表情に苦痛の色を滲ませ、「グルル……」と低くうなりながら右腕に突き刺さった槍と、その先にいる巧聖をにらみつける。

 憎悪の視線を向けられた巧聖は、おののくことなくニヤリとあやしい笑みを浮かべて突き刺した槍を力任せに引き抜き、後退して距離をとる。

「これはさっきのお返し。ビックリした? どぉ、痛い? 痛いよねぇ?」

 立て続けに、巧聖はあおるようにいやらしい口調で人狼型に問いかける。

 はたしてその煽りが通じているかはさておき、人狼型はより興奮し、狂気とともに憤怒を露わにする。

 標的を雅久から巧聖に移すと、両腕を広げながら迫り、つかみかかろうとする。

 巧聖は長槍の石突きを平場に突き立てると、棒高跳びのように上空へと跳躍し、人狼型の肉薄から免れた。

 跳躍の高さは三メートルを超えている。

 空中で器用に体勢を整えると同時に槍の穂先を下に向け、

「どこ見てやがる! 俺はここだあッ!」

 つかみかかりを空振りした人狼型めがけて落下する。

 巧聖の声に反応した人狼型が上を向いた途端、「グアアアアァァァァッ!!」と叫び声を上げた。

 今度は右目に槍が突き刺さっている。

 人狼型が、槍を突き刺して顔面に張りつく巧聖を振り払おうとするより早く、巧聖は槍を引き抜いて飛び退き、距離をとった。

「はッ! ざまぁみろってね!」

 三分にも満たないこの短時間で、人狼型の体に槍を突き刺した巧聖は完全に調子づいている。

「お、おい、こりゃ一気に叩けるチャンスだぜ!」

 急変した状況に呆気あっけにとられていた雅久は、たじろぐ人狼型の様子から本能的に絶好の機会と捉えて声を張り上げる。

 大盾を構え直し、人狼型の眼前へと詰め寄る。

 雅久の一声に呼応して、湊輔と有紗も動き出す。

 有紗は射線に誰も入らない位置――雅久の右斜め後ろ――に着くと、弓に矢をかけて弦を引き絞る。

 湊輔は巧聖とともに雅久の左側に着き、いつでも仕掛けられるように構える。

 こうして標的を取り囲み、一気に畳みかける布陣が出来上がった。

 すると、人狼型は身を翻し、屋上を取り囲むフェンスを飛び越えて屋上から飛び降りていった。

 湊輔たちはすぐさまフェンスに詰め寄ると、人狼型の行方を目で追った。

 それまで後ろ足だけで立って動いていた人狼型は、四足歩行で校舎の壁沿いを駆けていく。

「くそッ、逃げられちまった……。ま、ヤツの居所なら常に分かるからいいけどよ。――てか、あんた無事だったんだな? あんな一発くらっておいて、よく動けたな?」

 雅久はいぶかしげに巧聖を見やる。

「ん、俺? あぁ、無事も無事。この通りピンピンしてるよ」

 巧聖は空いた左手を腰に当てて、胸を張って笑みを浮かべて陽気に答える。

「それより、えーと、我妻雅久と泉有紗だっけ? 俺は荒井巧聖、よろしく」

「ん? なんで――」

 なんで俺の名前を知ってるんだ? 雅久はそう聞きかけたが、なにか悟ったらしい。

「そっか、さっき湊輔から聞いたのか」

 雅久はチラリと目線だけを湊輔に向ける。湊輔は無言でうなずいてこたえて、

「雅久、荒井先輩は二年の先輩だってよ」

「あぁ、そうなのか。――よろしくお願いします、荒井先輩」

「泉有紗です。よろしくお願いします」

 雅久が巧聖に挨拶をして軽くお辞儀をする。有紗もそれに倣う。

 後輩二人に頭を下げられた巧聖はさらに気分を良くしたようで、

「うひゃぁ、こうも後輩から頭を下げられるとなんか俺、先輩って感じだなぁ。てか、事実先輩なんだよなぁ、うんうん」

 独りで勝手になにかに納得して、手に持った槍を抱き込むようにして両腕を胸の前で組み、うんうんと頷く。

 そして、陽気にほころばせていた表情を急に引き締めた。

「それで、雅久はアイツと戦った経験はあるようだし、壁役としても申し分ないし、さらにはアイツが今どこにいるかも分かる、と。ちなみに今最後に言ったのは動的《アクティブ》? 静的《パッシブ》?」

「えっと……なんスか? 動的とか静的って」

 あまり聞きなれない単語に、雅久だけでなく湊輔も首を傾げる。

「動的は必要なときに発動させて、静的は常に発動しているもの、ですよね?」

「お、有紗は知ってたか。そう、その通りさ」

 巧聖が有紗に向けて指をパチンと鳴らす。

 動的、静的と聞いて分かるあたり、どうやら有紗も湊輔や雅久と同様に何度かこの戦いを経験しているらしい。

「なるほどな……だとしたら俺の場合常に発動しているようなもんだから、静的ってことッスね」

「ふーん、じゃあ感知《ソナー》持ちってことか、いいねぇ。――じゃあ、有紗は弓矢を使うけど、ただ敵に向けて矢を射る以外になにかできる? 例えば、矢継射《ヤツギウチ》とか天降矢《アメフラシ》みたいな」

「いえ……すみません、これといって特別なことはできません……」

 人狼型との戦いの経験あり、優れた壁役、感知という特殊能力持ちと、傍から見れば良いこと尽くしに思える雅久の後に聞かれて気負いしたのか、有紗はすごく申し訳なさそうに答えた。

「そっかそっか、大丈夫、問題ない。――で、湊輔は?」

 雅久、有紗と聞いて、当然ながら湊輔にも問いかける。

「俺も変わったことはできないですね」

 湊輔があっさりと答えると、巧聖はまたも腕組みをしてうんうんと頷いた。

「ん、オッケー。よし、これで三人の特徴は把握できた。せっかく一緒に戦うんだから、誰がどんなことをできるかは知っておかないとね。それでもって、それぞれの特徴を活かして戦うわけよ」
 巧聖の表情に不安や不満といったネガティブな感情はまったく見えない。

 だが、湊輔は巧聖の「それぞれの特徴を活かして戦う」という言葉を聞いて、心がざわつくような感覚、漠然とした不安を覚えた。

 雅久のような特殊能力も、壁役としての突出した防御力もなければ、荒井のように標的との距離を一瞬で詰めるスピードや空高く跳躍して敵の頭上から攻撃するような身体能力もない。そして、有紗のように敵との距離が離れていても攻撃できるような手段がない。

 得物は主に片手で扱い、場合によっては両手で持っても良さそうな剣。完全に敵との距離を詰めて戦う、完全に前衛向きのものだ。

 これまで湊輔がこのような戦いに参加した経験は三回。今回が四回目となる。


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