なんとなく怖い話

島倉大大主

どうしようもない野菜

 ――君は実に――どうしようもない男だな――


 暗黒の中で、その言葉が何度も響き、俺は目を覚ました。
 意識が焦点を結ぶにしたがって、三つの疑問が頭に浮かんでくる。

 ここはどこだろうか?
 周囲には白い物が立ち込めている。
 臭いの類は無い。という事は霧か? してみると部屋の中ではないということか。
 下は剥き出しの、味もそっけもない茶色い土のようだ。それは、一メートルも行かないうちに霧に飲まれて見えなくなっている。
 次に浮かんだ疑問は、一体何故こんなことになっているのか、ということだった。
 地面があまりに近すぎるのでは、と更に下を向くと、驚いたことに首から下は埋まっているようだった。試しに体を動かしてみるが、指一本動かせない。ならばと精一杯首を捻ってみても、斜め後ろまでしか向けない。やはり、そこも同じく味もそっけもない地面と霧の壁だ。
 つまり地面に首まで埋められ、霧の壁に囲まれているのだ。
 夢――か。
 単純な結論だった。
 だが、それなら最後に浮かんだ疑問も致し方ないのかもしれない。

 俺は自分の名前が判らなかった。


 ――君は実にどうしようもない男だな。私はここで神に祈ることにするよ――


 はっとして目を覚ます。
 いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。
 動けないのに、苦しくもなく、それどころかほんのりと温かい。
 だから、眠ってしまったのだろうか。
 しかし、夢の中で寝る、ということがあるのだろうか?
 もしや夢ではないのか――いやいや、状況が変すぎる。相変わらず自分が誰なのかも思い出せないし。

 俺は動けない体で伸び、のようなものをした。
 夢というやつは、見ている間は現実と区別がつかないと聞く。
 なら夢の中で寝る、というのもありなのだろう。
 それにしても、夢の中の夢で聞いたさっきの声は、自分の声ではないようだった。落ち着いた、そして非常に呆れた調子の、そう、老人のようだった……。

 神に祈る、とか言っていたな――

 俺は鼻で笑うと、周囲を見回す。
 相変わらず霧以外には何も見えない。
 上を見る。
 霧の向こうに、一際白く、そして丸く光るものが見える。
 太陽、だろうか?
 やはり、外か……。
「……おい、誰か……」
 俺は恐る恐る声を出した。圧迫感は無いが、声は出辛い気がした。
「誰かいるか? おい……俺、埋められてんだけど……」
 静寂。
 急に、自分が間抜けに思えてきた。恥ずかしくなり、そして、頭にきた。
「おおい! 誰か! 誰かいるか!? なんなんだよ、これは!?」
 叫び、体を動かそうとする。首の筋が張るのは感じるが、体が動く感覚は全くない。もしや、すでに長い間埋められていたので、色々と障害が起きているのだろうか?
「おい! 早くここから出せ! ふざけてるのか!? 俺を笑いものにしようってのか!!?」
 そうだ、そうに違いない。
 誰かが俺をここに埋めて、動画にでも撮って笑いものにしようってんだろう。
 怒りが加速する。
 そうなると――そうだ、いつも抑えが効かなくなる。抑えが効かなくなれば、あとは勝手に手が動いて――
「おい、こらっ! こんなもの全然笑えねえ――」

 悲鳴が聞こえた。

 男の悲鳴。
 だが、霧のせいか、遠いのか近いのかも判らず、そしてもう聞こえなくなった。
 ごくり、と喉が鳴る。
 なんだ?
 これも動画の演出――いや、これは夢のはずだったよな? 
 なら、そろそろ覚めてくれても――

 ぐしり、と大きな音がした。

 ぞくりと首筋に鳥肌が立つ。
 何だ、今の音は?
 再び、ぐしりっ。
 ぎゅむ、ぐしりっ。
 雪を踏みしめるような音。
 だが、酷く大きい。
 地面に目をやる。
 そこらに転がっている小石の位置が、さっきと違っているような――
 ぐしりっ。
 地面が――揺れている!
 どういうことだ、と俺は息を殺しながら、霧の向こうに目を走らせ続ける。
 みしり、ぐしり、と大きな音。
 俺は左を向いた。
 確かにそちらから聞こえた気がしたからだ。
 息を殺し、首を強張らせる。
 汗が額から右目の脇をつうっと流れていく。

 霧の向こうに影が現れた。

 俺は息を呑んだ。
 それは人の形をしていた。
 だが、巨大だった。
 まるでビル、いや山のような大きさ――

 悲鳴がまた聞こえた。
 霧の裂け目ができたのだろうか、間違いなく男の悲鳴だった。そして、すぐ後に、ぶちぶちという音が響いた。何かが千切れていくような――いや、肉がを裂けるような音。
 そして――

 ぼとっという音が聞こえた。

 いつの間にか、視界の端に小さな影があった。
 それはごろりごろりと、一ヶ所で揺れ、やがて止まった。
 いびつな球体で、表面に凹凸があるらしいシルエット。あれが首じゃなかったらなんなのだろうか?
 幸いなのは霧のせいで、詳細が判らない事だ。
 今、それが判ってしまったら、俺は悲鳴を上げてしまうんじゃないだろうか。


 ――君は悲鳴を上げたことがあるのかい? ――


 な――んだ?
 一体なんだ、この声は?
 俺は――
 そうだ! 階段を上る前に、部屋で交わした会話だ!
 俺が部屋に入った時、あいつは、あの爺は確かにそう言ったんだ!


 ――君は悲鳴を上げたことがあるのかい? ないだろう? つまり、君は人の痛みが判らないんだ。だから、そんな事が言えるんだ――


 そうとも、俺は悲鳴を上げたことが無い。
 むしろ――悲鳴を上げさせるほうだ。
 いや――だった?

 霧の向こうで、また大きな何かが動く。
 悲鳴。かすかに肉を裂く音が聞こえる。
 そして――霧が動いた。
 するするとカーテンのように霧が無くなっていく。

 あの影はやはり首だった。
 酷い表情の千切れた土に汚れた首。
 口を開けて、涙と鼻水を垂れ流した俺の首が転がっていた。
 俺は悲鳴を上げた。
 霧が引いていくにつれ、赤茶けた地面がどこまでも広がっているのが判ってきた。そこに、均等に並んだ首、首、首。そしてぽつりぽつりと転がっている千切れた首達。
 俺は更に叫び続ける。
 涙と汗、そして鼻水がとまらず、埋まっていて動かないはずの全身が震えた。
 見渡す限りに、俺が埋まっている。
 俺が転がっている。
 俺の首達は、俺や他の俺達を見て叫んでいるのだ。
 これは――
 これは夢だ、そうじゃなきゃ――――


「反省の言葉はない、か」
 教誨師きょうかいしの老人は、男の薄笑いを浮かべた顔にそう言って溜息をついた。
「君はこれから死刑に――まあ、言わなくても判っているのだろう。そう……現世での更生が駄目だとしても、来世で――君は無宗教だったよね? 生まれ変わりは信じていないかな?」
 男は鼻で笑い、老人にあざけりの言葉を浴びせた。
「……来世でも、生まれ変わっても殺す、か。八人殺しても、飽き足らない、と。そうか……君は悲鳴を上げたことがあるのかい? ないだろう? つまり、君は人の痛みが判らないんだ。だから、そんな事が言えるんだ」
 老人は扉の横に佇む刑務官に頷いた。
「君は――君は実にどうしようもない男だな。私はここで神に祈ることにするよ。ん?」
 老人は笑った。
 男の憎まれ口に、大いに笑ったのだ。
「はははは! 君の冥福なんて祈らないよ。私は、君が人に生まれ変わらないように、と祈るのだよ。
 そうだな……誰とも競わず争わない――管理された土地に植えられた植物、そう、野菜なんていいんじゃないかな? うん、君が野菜になれますように、って祈ることにするよ」
 男は呆れ、笑った。
 だが、老人は笑っていなかった。


 辺りがふっと暗くなった。
 影だ。
 真っ黒い、人の形をした大きな塊。それが複数辺りをうろついている。
 やや小さい無数の影と、巨大な二つの影、それらが一ヶ所に集まってしゃがみ込むと、悲鳴と肉の裂ける音が聞こえ始める。
「た、たすけ、助けてくれ――」
 俺の叫びが聞こえる。いや、喋っているのは俺自身か? もう、それすら判らない。歯がかちかちと勝手に噛み合わさり、なのに体はぴくりとも動かない。手も胸も、足の感覚もない。鼓動すらない気がする。
 きっと――きっと俺の首から下は、絡み合った根っこなのだ。
 だから、だから――

 ぞくり、と髪の毛が逆立つ。
 巨大な影達が俺の方を見ていた。
 やめろ、と俺は呟いた。
 やめろ、やめてくれ。
 影達が一列になって近づいてくる。土を踏みしめる音がどんどん大きくなる。
 やめろ! 触ったら殺す、殺すぞ!
 影達はしゃがみ込み、その巨大な手が俺の頭を掴む。
 撫でまわし、ぐっと圧力がかかり、そしてぐりぐりと首を左右に回し始めた。
 ひ、引きちぎる気か!?
 やめてくれ! やめて! 助けて! 痛い! やめっ、お願い、いた――



 のどかな日だった。
 学校の近所にあるこの畑は、毎年子供達の体験学習のために開放されている。折り畳まれ、畑の脇に積まれた白く薄い防虫ネットは、昨日の大風で骨組みが壊れたらしく、先ほどまでキャベツ一個一個に覆いかぶさっていた。
 大風が続いていたら延期だったな、とジャージ姿の女性教諭は胸を撫で下ろす。
「……はい、では、キャベツの収穫なんだけどもね、ホントならこう、根元の部分に鎌を入れて切るんだけど、皆さんには危ないので――」
 女性教諭はそう言って、子供達を見た。
 熱心に聞いてくれている子が八割、退屈そうに地面をいじっている子が二割、そして残りは――
「先生! ほら! 見てて、見てて! はあぁ~~~っ……」
 やれやれ、と女性教諭は苦笑いすると、畑の持ち主の老人に頭を下げた。牧師である彼は、同じく苦笑いをしながら、やんちゃをしている子供に温かい眼差しを送っていた。
 その子は、気合を入れながらキャベツの下に手を入れ、左右に捻って千切り取ろうとしているのだ。
 あらあら、腰をやっちゃわないかしら。
 女性教諭が不安に駆られたのと同時に、ブチブチと音がした。
 顔を真っ赤にしたその子は、自分の頭よりもやや大きなキャベツを、頭上に掲げた。
「とっっったどーっ!!」
 皆がどっと笑い、凄い凄いと拍手が巻き起こった。
 まったくもう、と女性教諭も笑いながら拍手をした。
 牧師の老人はキャベツを受け取ると、子供達に向かって微笑んだ。
「さて! 今からこのキャベツを使って美味しいシチューを作るんだけど、手伝ってくれる人はいるかな~?」
 子供達は一斉に、はーいと手を挙げた。
 だが、キャベツをもぎ取った子は、畑に目をやっている。
「……ねえ、牧師さん、もう一個キャベツをとってもいい?」
 老人はその子が見ているであろう方に目をやった。
 畑のはずれに、隠れるように生えている丸々としたキャベツ。
「そうだね。もう一個ぐらいは……いいかな」

 子供達の何人かが立ち上がり、その子を先頭にキャベツに近づいていく。
 老人と女性教諭も土を踏みしめながら、その後に続いた。

 了

コメント

コメントを書く

「ホラー」の人気作品

書籍化作品