牧之原智花は人を殺さない

もやもや

12


「準備はいい? 忘れ物はない?」
 大きめのスーツケースとリュックサックを背負いながら、側にいる毘沙門天に声をかけた。
「全部智花に預けてあるから大丈夫」
「……。じゃあ行くわよ」
 智花はちらともう帰ってこれるかどうか分からない、部屋を眺めた。五年ほどだったか。ここのアパートにいたのは。色々あったなぁ……。思い出が走馬灯のように再生された。
 
死神界から逃げ込むようにアパートに住み始めたこと。初めて一人暮らしをしたこと。
だが特に毘沙門天との出会いが大きかった。
 
アパートの近くで親猫とはぐれたのか、はたまた人間に捨てられたのか分からないが一匹鳴いていたのが今の毘沙門天だ。まだ生まれて数ヶ月くらいだった。その時からどういうわけか、毘沙門天の声だけは理解できた。
 
お互い一人と一匹ということもあってか、毘沙門天は智花にすぐに懐いた。普段は憎まれ口しか叩いてこないが、智花にとっては毘沙門天の存在は非常に大きかった。智花は毘沙門天に視線を移し、軽く目じりが熱くなるのを感じた。
「どうしたの」
「なんでもないわよ」
 智花はドアノブを握り呪文を呟いた。
「それだけ?」


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