マギアルサーガ~惡の化身~

松之丞

第二十六話

 俺は、誰だ? ここは、どこだ? なぜ俺は、ここに眠っている? この眼に映る世界は、かくも難解だ。

 俺という存在を取り囲む、青々とした世界。全てが、生き生きとして、絶えずざわめいている。

 五月蠅いな……。この身体から伸びる腕を、まるで羽虫を払い除けるように、振るった。するとどうだ、荒野が出来上がったじゃないか。そうだ、この荒涼こそ、俺の望む静けさ――侘しさ――だ。

 ……何? 俺の思考に、何かが割り込んできた。気分のいいものじゃない。何者だ? ……応えは、帰ってこない。邪魔は、嫌いだ。障害は、煩わしい。だが、俺の中にあるんじゃ、仕方がない。それが現れるたびに、否定すればいい。いずれは、消え失せるだろうさ。

 だけど、ここは一体、どこなんだ? 俺はなぜ、こんなところにいるんだ? そもそも、俺は一体、何者なんだ? 俺は、どこに向かっていたんだ?

 分からない。分からない。分からないことが、煩わしい。なぜと問うても、俺の中の俺は、何も返すことはない。徒労だ、無駄な時間を過ごした。だが、俺の奥深くの、俺の認識が届かぬところで、何かを指し示している。俺が向かうべき場所は、あるようだ。それ以外に、思考は無用。考えたところで、何かが生まれるわけじゃない。一先ず――西に向かうか。

     *

 身体は、軽やかか? 恐らく、そうなんだろう。縛り付ける感覚は、何もない。全てが自由であり、一切の障害はない。俺の背中に、順風が吹き付ける。十分だ、充足だ、何も支障はない。

 だが――何かが、足りないような、気がしてならない。無意味と断じても、それが迫り来る。五月蠅いな、邪魔だ、雑念でしかない。俺はこの胸に、我が鉤爪を押し当てて、強く、猛烈に、引き裂いた。

 己が胸部から、真紅の血潮が噴き出した。肉は剥き出しとなり、風穴が開く。そこには、鼓動を響かせる、心臓が現れた。こいつが、原因の正体か? 拍動を続ける肉の塊を鷲掴み、握り潰す。

 地に膝を着く。身体に、力が入らなくなった。息が、出来なくなった――しかし、どういうことだ? 暫くの後に、我が胸部の風穴が、閉じているじゃないか。胸に手を当てると、やはり、鼓動が鳴り響いているのを感じる。なるほど……俺は、死ぬことが出来ないようだ。道中、幾度か目に映る生命を屠った。そのどれもが脆く、儚いものだ。僅かに捻れば、その形は瓦解する。だが、形を失っただけでは、即座に事切れることはない。そう、俺がこの手で握り潰した、己の心臓。これを砕けば、生命はその形を失わずとも、生き延びることあたわず――だが、俺は未だ、ここに存在する。ならば俺は、死ぬことを忘れた生命なんだろう。

 それは果たして、生命と呼べるモノなのか? いや、そんな問いに、意味はないか。事象の定義など、観測者によって変わるものだ。俺はここに、自我という意識を持っている。ならばそれは、命なんだろう。

 しかし、だ。当初の目的は果たせずにいる。この、何かが欠けたような、極めて煩わしい感覚だ。そのしこりは、周囲を取り囲むあらゆる事物になすり付けても、削れることさえない。依然として、胸の奥底にわだかまったままだ。命を屠る、青々とした草花を消し飛ばす、目障りな大木を捻りきる。俺には不要であると本能が訴えかけていたが、摂食も試みた。だが、まるで何も感じない。いやむしろ、口内に気色の悪い感触がへばりつく、不快感だけが残ったか。我ながら、何とも無様な有様だった。

 では……このまま西に向かえば、何かが見つかるか? 確証はないが、他に手もあるまい。ただ愚直に、突き進むのみ。これまた無様な有様といえるが、致し方あるまい。内なる俺が囁く方に、向かうのみ。

     *

 どれほど、経っただろうか。死を忘れた俺に、時間という概念など不要だが、ただ無闇に突き進むのも、もはや辟易へきえきとしてくる。意味のないことでも、戯れというものは肝要だ。如何に下らぬことでも、愉悦なるものは命を豊かにする。だがそれは、常に認識し続ける事の出来ない、まさに蜃気楼のようなもの。だがそれは、常に傍らにあっては飽きが来る、手遊びのようなもの。なかなかに得難いが、得た喜びは一塩というものだ。

 なるほど、これが俺の求めるモノの一つと言えるか。ならば、どのような犠牲を払ってでも、得るべきものだな。生命を屠る時、内なる俺が囁いた――無用、無意味な殺生を拒めと。しかし裏返せば、我が悦を満たす殺戮ならば、問題がないということだ。まあ……脆く儚いものを壊したところで、心躍る戯れとはならんのだがな。

 ならば、死を忘れた俺という存在さえも、滅ぼすことを可能とする超常の存在がいれば、どうだ? そこに至れば、それはもはや殺戮ではない。そうだ、この破壊衝動を満すに十分な、戦闘行為が可能では? 俺のような尋常の生命から逸脱した存在が、一体でもこの世に顕在するのならば、決して有り得ない話じゃない。恐らく、俺のような存在は他にいる。これまで屠ってきた生命にも、姿形の似通った生命が大量に存在した。それと同じ原理よ。この世に孤高は存在すれども、絶対なる孤独など有り得ないという事実に他ならない。

 ならば、俺はそいつを、必ず見つけ出そう。俺の悦を満たしてくれ。滅びぬ肉体を、滅びるまで砕くがいい。その不倶戴天なるを、俺は必ず、捻り伏せてみせようじゃないか。

 フフフ、そんな想像が膨らむだけで、心が躍ってくるようだ。全く、、俺という奴は、何とも単純な生命だったようだな。戦闘衝動、破壊衝動、殺戮衝動。それらこそが、俺という存在を形作る源流か。純粋にして単純な答えで結構なことだ。煩わしさがない、澄み切った暴威といえよう。俺にとっては最適解だ。

 では、俺の満足する回答が現れたところで、西へ向かうとしよう。そこに、望む相手がいればいいんだがな。

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