マギアルサーガ~惡の化身~
第二十三話
「トマソン、俺たちのような短い時を生きる人間には、辿り着けない境地にいたんだ、フリアエって魔女は。だから、実感を抱くなんてできやしない。その境地にまで精神を加速させることなんて、できないんだ。だけど、俺はようやく理解したよ。あの人を、この手で殺めてから、だけどな」
「何を、理解したというんだ? あの神癒なる力が、人々を怠惰に誘うとでも? 愚かな……ならばお前は、聖女フリアエがどれほど拒絶しようと、その手を取って、俗界から雲を霞と姿を消せば良かったんだ。わざわざ、命を奪う必要なんてなかった。それほど彼女をただの人として理解し、寄り添うことができたはずのお前が、なぜそれだけはできなかった、なぜ彼女を護ってやれなかったんだ!」
……ああ、痛いな、胸に刃が突き刺さるようだ。そうだ、それだけが、俺の唯一の後悔だった。
「……トマソン、あの人にとって、人々を苦しみから救うことは、俺たちが息をすることと同じなんだ。息ができなくなれば、人は死んでしまうだろう? ましてや、目の前で苦しんでいる人々に背を向けるなんてことは、剣で胸を穿たれるよりも苦しいことなんだ」
「だが、しかしだ……! 殺める以外の方法が、他になかったのか……! 死に値する罪を、なぜお前のような者が、背負わなければならなかったんだ……!」
「……どうにもならなかったんだ。《妖睛》なる力が、彼女の自由を縛り付けた。あの人の眼には、魔が宿っている」
「……《魔眼》、人の身に宿りし魔石と呼ばれる、あれか」
俺はトマソンに首肯する。そう、言うなれば、生まれもってその身に宿す魔石、それが《魔眼》と呼ばれるものだ。その因子は血統によって子々孫々に受け継がれ、必ずではないが、魔の才を持つ者がその力を発現させることのある、《存在理由》と呼ばれる異能だ。その力を発現した者は、肉体に様々な特徴として現れる。
その特徴の一つが、千紫万紅の瞳として現れる《魔眼》がある。フリアエの瞳に宿る紫苑がそれだ。
「《妖睛》の力は、他者の心を奪い、魅了するものだ。普通なら、眼を合わせた者を惑わし溺れさせる程度のものだろう。だけど、フリアエの《妖睛》は、次元が違うんだ。お前も知っているだろう? あの人は、人々の傷も、病も、苦悩さえも取り去ってしまう。あの人にとっては、概念さえも魅了してしまうんだ」
「そ、そんなことって、あり得るのか……いや、それが魔法の神髄か……奇跡のような願いも叶えてしまう力」
「分かるか? フリアエにとって、この世界に逃げ場などないんだ。あの人の存在が、あらゆる物事の渦の目となるんだ。望もうとも、望まずとも、必ずな」
フリアエを殺める覚悟を抱いてから程なく、魔法に関する文献を読み漁った時期があった。あの人がなぜ、死を望まなければならないほどに苦悩していたのかを、紐解くためだ。そこで見つけた有力な原因、それが《妖睛》だった。
なら――酷な話だが――眼を潰してしまえば、その苦しみも取り払われるのでは? でもフリアエのそれは、そんな次元の話じゃなかった。《魔眼》という瞳に宿る魔を吹き消せば済む程度の話じゃなかったんだ。もはや、あの人の存在自体が、魅了の魔力を内包していた。操ることも、鎮めることもできない、暴走する力を。
「……残酷な話だ」
「世界は、残酷だよ。時に、一切の容赦なく、命を奪っていく。でも、フリアエは言ったんだ。それを乗り越えられる力が、人間にはあると。だから、人が持っている、自らの力で困難を乗り越える力とその意志を、縛り付けるような真似はしたくないと言った。それがあの人の願いだったんだ」
顔を伏せ、黙りこくるトマソン。すると、何かを悟ったか、真摯な表情をして顔を上げる。暫くの間、その生真面目な瞳で俺を見据えていると、突然俺から目を背けて、遠くを見遣った。
「……行け」
そう一言、トマソンが静かに呟いた。
「え? それは、俺を見逃――」
「俺は、何も見なかった。何も、聞かなかった」
「トマソン、お前……」
「俺は、二日ほどの逗留の後、聖女殺しのレフ・レック・ファウストを征伐するため、部隊を引き連れて西に向かう。森の監視を生業とする狩人たちにも協力を仰ぎ、マーロウの森一帯に網を張る。決して、ロギヴェルノ全土に張り巡らされた包囲網からは、逃れることなどできない。そう奴に、祖国の土を、二度と踏ませはしない。それが、教会から叙任を受けた、騎士としての務めだ」
トマソン……お前も父君に似て、甘い男だよ、本当に。わざわざ、こんな俺に、逃げ道を用意してくれているんだからな。やっぱり、優しい男だよ、お前は。
「きっと生きていろ、レフ・レック・ファウスト。次に会うときは、俺と刃を交える覚悟をしていろ。必ず俺が、お前の首魁を討ち取ってやる。だからそれまで、決して死ぬんじゃない」
お前の優しさに、存分に甘えてやるさ。トマソン、いずれまた会おう。その時は、ロギヴェルノの民ではないかもしれないな。ましてや教会の信徒でも、騎士でさえもないかもしれない。互いに、ただの人として、杯を交わせたらいいな。いや、そうか、お前は下戸だったか。まあいい、語らいのための肴など、己が身一つ無事でさえあれば、十分だよな。
地面に落とした剣を拾い、再びに背に担ぐ。踵を返し、トマソンに背を向けて、俺は未だ煌々と輝く沈みかけた夕日に向かって歩き出した。遠くには、小さな影となって飛翔する燕が見える。今やもう、きりぎりすが鳴き始める時間か。丘陵を覆う陰影が、夜の訪れを物語る。
さらばだ、我が二つ目の生家、ノワール家よ。さらばだ、心優しき我が友よ。いずれまた、どこかで。
「何を、理解したというんだ? あの神癒なる力が、人々を怠惰に誘うとでも? 愚かな……ならばお前は、聖女フリアエがどれほど拒絶しようと、その手を取って、俗界から雲を霞と姿を消せば良かったんだ。わざわざ、命を奪う必要なんてなかった。それほど彼女をただの人として理解し、寄り添うことができたはずのお前が、なぜそれだけはできなかった、なぜ彼女を護ってやれなかったんだ!」
……ああ、痛いな、胸に刃が突き刺さるようだ。そうだ、それだけが、俺の唯一の後悔だった。
「……トマソン、あの人にとって、人々を苦しみから救うことは、俺たちが息をすることと同じなんだ。息ができなくなれば、人は死んでしまうだろう? ましてや、目の前で苦しんでいる人々に背を向けるなんてことは、剣で胸を穿たれるよりも苦しいことなんだ」
「だが、しかしだ……! 殺める以外の方法が、他になかったのか……! 死に値する罪を、なぜお前のような者が、背負わなければならなかったんだ……!」
「……どうにもならなかったんだ。《妖睛》なる力が、彼女の自由を縛り付けた。あの人の眼には、魔が宿っている」
「……《魔眼》、人の身に宿りし魔石と呼ばれる、あれか」
俺はトマソンに首肯する。そう、言うなれば、生まれもってその身に宿す魔石、それが《魔眼》と呼ばれるものだ。その因子は血統によって子々孫々に受け継がれ、必ずではないが、魔の才を持つ者がその力を発現させることのある、《存在理由》と呼ばれる異能だ。その力を発現した者は、肉体に様々な特徴として現れる。
その特徴の一つが、千紫万紅の瞳として現れる《魔眼》がある。フリアエの瞳に宿る紫苑がそれだ。
「《妖睛》の力は、他者の心を奪い、魅了するものだ。普通なら、眼を合わせた者を惑わし溺れさせる程度のものだろう。だけど、フリアエの《妖睛》は、次元が違うんだ。お前も知っているだろう? あの人は、人々の傷も、病も、苦悩さえも取り去ってしまう。あの人にとっては、概念さえも魅了してしまうんだ」
「そ、そんなことって、あり得るのか……いや、それが魔法の神髄か……奇跡のような願いも叶えてしまう力」
「分かるか? フリアエにとって、この世界に逃げ場などないんだ。あの人の存在が、あらゆる物事の渦の目となるんだ。望もうとも、望まずとも、必ずな」
フリアエを殺める覚悟を抱いてから程なく、魔法に関する文献を読み漁った時期があった。あの人がなぜ、死を望まなければならないほどに苦悩していたのかを、紐解くためだ。そこで見つけた有力な原因、それが《妖睛》だった。
なら――酷な話だが――眼を潰してしまえば、その苦しみも取り払われるのでは? でもフリアエのそれは、そんな次元の話じゃなかった。《魔眼》という瞳に宿る魔を吹き消せば済む程度の話じゃなかったんだ。もはや、あの人の存在自体が、魅了の魔力を内包していた。操ることも、鎮めることもできない、暴走する力を。
「……残酷な話だ」
「世界は、残酷だよ。時に、一切の容赦なく、命を奪っていく。でも、フリアエは言ったんだ。それを乗り越えられる力が、人間にはあると。だから、人が持っている、自らの力で困難を乗り越える力とその意志を、縛り付けるような真似はしたくないと言った。それがあの人の願いだったんだ」
顔を伏せ、黙りこくるトマソン。すると、何かを悟ったか、真摯な表情をして顔を上げる。暫くの間、その生真面目な瞳で俺を見据えていると、突然俺から目を背けて、遠くを見遣った。
「……行け」
そう一言、トマソンが静かに呟いた。
「え? それは、俺を見逃――」
「俺は、何も見なかった。何も、聞かなかった」
「トマソン、お前……」
「俺は、二日ほどの逗留の後、聖女殺しのレフ・レック・ファウストを征伐するため、部隊を引き連れて西に向かう。森の監視を生業とする狩人たちにも協力を仰ぎ、マーロウの森一帯に網を張る。決して、ロギヴェルノ全土に張り巡らされた包囲網からは、逃れることなどできない。そう奴に、祖国の土を、二度と踏ませはしない。それが、教会から叙任を受けた、騎士としての務めだ」
トマソン……お前も父君に似て、甘い男だよ、本当に。わざわざ、こんな俺に、逃げ道を用意してくれているんだからな。やっぱり、優しい男だよ、お前は。
「きっと生きていろ、レフ・レック・ファウスト。次に会うときは、俺と刃を交える覚悟をしていろ。必ず俺が、お前の首魁を討ち取ってやる。だからそれまで、決して死ぬんじゃない」
お前の優しさに、存分に甘えてやるさ。トマソン、いずれまた会おう。その時は、ロギヴェルノの民ではないかもしれないな。ましてや教会の信徒でも、騎士でさえもないかもしれない。互いに、ただの人として、杯を交わせたらいいな。いや、そうか、お前は下戸だったか。まあいい、語らいのための肴など、己が身一つ無事でさえあれば、十分だよな。
地面に落とした剣を拾い、再びに背に担ぐ。踵を返し、トマソンに背を向けて、俺は未だ煌々と輝く沈みかけた夕日に向かって歩き出した。遠くには、小さな影となって飛翔する燕が見える。今やもう、きりぎりすが鳴き始める時間か。丘陵を覆う陰影が、夜の訪れを物語る。
さらばだ、我が二つ目の生家、ノワール家よ。さらばだ、心優しき我が友よ。いずれまた、どこかで。
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