マギアルサーガ~惡の化身~

松之丞

第八話

 だけど、拾い子に対して、男手一つでここまで仕込むだなんて。一体、どんな人物なんだ?

「そうか……親父さんの名は?」

「カスパー・デューラー。元騎士様なら聞いたことあんだろ」

「デューラーだと!」

 驚いたな。カスパー・デューラーといったら、宮廷御用達の職人だぞ。かつてはお抱えでもあったくらいだ。

「当たり前だ、騎士に憧れる者なら誰だって知っている。なんせ、ロギヴェルノの騎士が胸に抱く誇り、獅子王の紋章はデューラーの意匠じゃないか。武勇で功績を挙げた者に授与される獅子褒章も全てそうだ」

「ヘッ、突然熱くなりやがって。ならアイツがどんだけ世間離れした変人かってのもご存知で?」

 なるほど、それもそうだな。彼なら、一人前となったお前を置いて、ふらりと姿を消しても不思議じゃ無い。

「ああ、デューラーに養子がいたとは、想像もできなかった程にはな。常に居を転々として定まらず、依頼があれば手近な工房にふらりと訪ねて製作する、流浪の工芸家と聞き及んでいる。だけど、金工品で得た収入も、路銀や工房の賃借料で使い果たすとか」

「そういうこった。今や似たような生き方してるオレが言えたことじゃねぇが、アイツは常人の生き方が出来ねぇ人間なんだ。だからよ……そんな人間にも関わらず、血の繋がらねぇ拾い子のオレを、ここまで育ててくれた親父には、感謝してんだ」

 そう言って、ティルは頭巾を目深に被り、弩を携える。目元まで覆った頭巾から覗く口元は、微笑んでいるように見えた。

「そうか、良い父を持ったんだな、ティルは」

「……けどよ、オレにとっちゃ一生背中を追い続けなきゃならねぇ相手だ。凡骨のオレじゃ、何百年経ったって追いつけやしねぇ。けどよ、だからこそ、カッケェって感じんだろうな。だから、オレの夢は、アイツに並ぶこと……アイツを、超えること」

 それはまるで宣誓するように呟いたティルは、立ち上がって周囲を見渡す。狩りの準備ができたようだ。俺も立ち上がり、身に纏っていた鎧を脱いで身軽になる。

「へえ、格好良いじゃないか。今ならお前の細首を刎ねなくて良かったと思うよ」

「て、テメェ……これだから血の気の多い大人族ヴァンダルの野蛮人は嫌いだぜ……」

 ティルは照れくさそうに俺から視線を外した。だけど、これは本心だよ。本懐……とも言うか? なあ、フリアエ。貴女が美しいと感じたものが、俺の目の前にいるよ。これが、人の可能性、ってやつなんだろうな。

「じゃあ逆に聞くけどよ、レフは何やらかしたんだ? オマエ、曲がりなりにも騎士様だろ、人の道の模範じゃねぇのかよ」

 そこを突くか……いや、突かれるよな、そりゃ。ティルだけに半生を語らせる訳にはいかないもんな。

「まったくだ、耳が痛いな。語れば長くなるが、いいか?」

「構わねぇよ、話せ。トランプでもありゃ手遊びにもなるが、どうせ暇が続くんだ」

 お互いくたばらん為に、これから狩りに行くっていうのに、随分余裕じゃないか。いや、お前は何度もこういう状況を潜り抜けて来たんだろうな。たった独りで、愚痴を言う相手もなく、ただ黙々と目標に向かって。

「トランプか……懐かしいな。騎士だった頃は、同僚とよく遊んだものだ」

 俺も別に、大それた話じゃないけどさ、聞いてくれるか? あの人の――フリアエの話をさ。

     *


 鬱蒼としたマーロウの森に囲まれて、まるで窪地のようにポッカリと開けた平地に、牧歌なる我が故郷レコンがある。特筆すべきところも無いけれど、血気盛んな祖国ロギヴェルノの封土としては最果てに位置し、中央政府からも半ば見放されているせいか、こそばゆくなるほど素朴で長閑な村だ。

 赤茶けた瓦を葺く、昔ながらのこぢんまりとした家屋が、村一帯に軒を連ねている。そこに住まう人々は、鶏鳴の轟きとともに朝を迎え、牧笛の音色とともに夕餉を囲う。春の息吹に涼みて豊穣を願い、秋の紅葉を眺めて冬籠もりの薪を割る。生を喜び、老を敬い、病に臥せ、死を悼む。彼らは至って凡庸で、そして純朴な、気の良い人々だった。

 だが俺の出生は、正確にはレコンじゃない。そこから森に進み入りて程近くに、我が父ラング・レック・ファウストの住まいがある。そこがつまり、俺の生家だ。そこで、俺は男手一つで育てられた。自我に目覚める頃までは、父以外の人間など会ったこともなかったな。

 父はその頑固で偏屈な性格から、レコンと周辺の森林を己の領地として監督はしつつも、決して村人と馴れ合うことをしなかった。我が母は俺を産んでまもなく逝去した、だから顔も声も覚えちゃいない。だけど父は、別の女を娶ることもせず、飽くまでも一人の力で生きることを貫いた。その背中は、どこまでも孤独だったように思う。

 その時はまだ俺が、大人を羨む眼の高さだった頃の話だ。父は俺をレコンに通わせ、学校教育を学ばせ始めたんだ。理由は単純、俺を官僚の道に進めるため。父の爵位は男爵、貴族の中でも最下級の地位にある。まあ、それも仕方ないだろう。何しろ村の発展を促すどころか、当の監督役が世捨て人なんだから、王や諸侯が呆れるのも無理はない。だから父は、ファウストの家格を剥奪されぬよう、俺に望みを託したんだ。さぞ身勝手な話だけど、少しでも権力を掴んだ家に生まれたのなら、避けては通れないお話なんだ。

 その頃だ、俺が出会ったのは。藍色の質素な祭服を身に纏い、白銀に艶めく髪をはためかせ、村人たちに柔和な微笑みを向ける、紫苑の瞳を湛えた女。その女は、彼女よりも余程華美な装いの侍祭たちを後ろに引き連れて、村外れの素朴な聖堂へと向かっていく。子供心に、異質だと感じた。その女を一目見て、同輩はおろか、父や教師や魔術師や聖職者にさえ感じない、あたかも吸い込まれるような威光――ただ目の前から歩いてくるだけなんだ、それなのに……。俺は当時、ある種の興奮と恐怖とを、同時に感じていたのかもしれない。ある種の怖いもの見たさ、のようなものか。

 だけど、後日その女の話題に耳を傾けると、やれ素敵だ、やれ神々しいだ、やれ聖女様だ、などと褒め称える言葉しか聞こえなかった――いや違う、あれはまるで、白昼夢でも見ているかのようだった。ああそうだ、村人たちはひとたび女の話題となると、みんな恍惚な顔を湛えて、たちまち酩酊してしまったんだ。不思議だ、異様だ、不気味だ。みんなが感じたものと、俺が感じたものとは、あまりに乖離していたんだ。美しいとは俺も思う。けど、それ以上に異様だったんだよ。

 俺は背筋に妙な冷たさを感じながら、急ぎ足で家に戻って、事の顛末を父に語る。すると父は「二度とその女に近づくんじゃない」と静かに、だが厳かに俺を叱った。俺が「なぜ?」と問うと、「アレは傾国の魔女、纏わる者を破滅に追い遣ってきた、本物の怪物だ」と父は恐々として答えた。

 普通、人と人とがする会話で考えれば、ただ口数の少ない意思疎通のようにも思える。だが、普段の父ラングという男は、学問や武芸の指南以外で、ほぼ一切の口をきかない人間だった。肌を刺すような張り詰めた空気が漂う食卓、それが我が家の日常であり、気が滅入るほど嫌いな習慣だった。その父が、顔を強張らせながら、ここまで言葉を交わしたという事実が、俺にとっては奇跡的であり、そして只事じゃない事情だということも察することができた。

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