ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者~

ニセ梶原康弘

第7話 囚われた王姫

 峡谷を抜けると、そこには茫漠たる荒野が広がっていた。
 魔物達は不安そうな足取りで未知の土地へと入ってゆく。
 峡谷に入るまでは、まるで誰かが「生き物が過ごしやすいように作った」とでもいうように木々や草花も多く、川もあった。空には鳥もいた。
 ところが峡谷の外には、今まで魔物達が住み慣れていたそんな風景とはまるで違う世界が広がっていた。
 さながら、誰も知らぬ大昔に巨人が積み木で塔を作りかけ、途中で遊び飽きてめちゃくちゃにして去っていった、とでもいうような……鋭く尖ったぎざぎざの岩の塊が露出して盛り上がり、薄気味の悪い形の小さな岩が方々に転がっていた。空には鳥もなく、地面を這う虫すら見当たらない。生きたものといえば、僅かに生えた草ぐらいだった。
 青く澄んでいたはずの空もいつの間にか、どんよりと曇っている。この先に本当に希望があるのだろうか。何か恐ろしい運命が待ち受けているような気がした。
 それでも彼等は前へ進んでゆくしかない。
 少年と別れた後、遠くから微かにこだましていた砲声は聞こえなくなっていた。それほど戦場から遠く離れたのか、それとも戦いは終わったのか……誰にも分らなかった。

(テツオとティーガーは大丈夫だろうか。七人も相手にたった一人で……)

 泣き疲れ、おぼつかない足取りでトボトボと歩いていたアリスティアは後ろを振り返ったが、少年の安否を掴める手がかりなど、無論わかろう筈がなかった。
 ふと、周囲を見ると歩き続ける魔物達は誰もが不安で心細い顔をしている。彼女はハッとなった。
 ここはもう世界の果て、見知らぬ世界なのだ。希望へ向かって歩いているつもりでも、何が起こるかわからないという不安が彼等の心に大きく影を落としているはずである。
 それでもアリスティア姫の言葉に運命を委ね、信頼している。それよりほかに、彼らの心の拠り所はないのだ。
 魔族を束ねる王姫として自分が皆を支え、導かねばならない。
 どこにもないはずの楽園へ向かう今だけでも、明るい気持ちでいて欲しかった。
 旅路の終着点には何もないことを、いつか彼等は知ることになるのだから……

「ごめんなさい、私、自分のことばかり……。みんな元気を出して」

 魔族の王姫は気持ちを切り替えたように無理に笑うと、魔物達の先頭に立った。

「さあ、西へ向かいましょう」

 そう言って皆を励ますアリスティアの顔は、かわいそうなくらい痛々しかった。
 汗を拭く振りをして、彼女はそっと涙をぬぐった。

(泣いてばかりいてどうするの。テツオはあのとき、きっともっと辛かったはずなのに)
(彼の気持ちにせめて少しでも応えなければ……)

 尖った砂や凸凹の多い地面に足を痛める者が現われはじめた。背負ったり肩を貸したり……庇いあい、助け合いながら彼等は進んでゆく。
 アリスティアも幼い子を背負い続けて疲れた母ゴブリンから子を取り上げ、抱き上げて歩いた。彼女自身も足を痛めてもいたが、それを顔には出さないように元気な振りをして歩き続けた。
 せめて樹の一本でもいい、この先にどこかに身を預けて休息出来るような場所はないだろうか……彼女は祈るような思いで西へと進んでゆく。
 そうしながらも時折、後ろを振り返っては魔物達に「疲れた?」「無理しないでね」と、優しく労わった。不安や疲れで暗くなりがちな魔物達は、アリスティアの言葉で魔法にかけられたように笑顔になり、僅かながらも元気を取り戻した。

「アリスティア様もお疲れではありませんか? 無理しないで下さい」
「大丈夫よ、ありがとう。もう少しだけ頑張って歩いたら休憩しましょう」

 振り返って励ますたび、彼女は隊列の後ろ……もう見えなくなった峡谷の方角にちらっと目を向ける。地平線の彼方に、鋼鉄の王虎と少年の姿が見えてこないだろうか……そんな思いを捨てきれずにいるのだ。
 だが、何度振り返っても姿を現わすものはなく、彼女は唇を噛み締めては健気に前を向くのだった。

「……」

 そんな彼女の様子をじっと見つめる目があった。
 足にはアリスティアから巻いてもらったドレスの切れ端を付けている。魔王城から救出された時、彼女から包帯代わりにそれで足の怪我を手当てされたオークの子だった。怪我は治ったが、彼はそれを外そうとしなかった。
 アリスティアは努めて明るく振る舞い、臣下の魔物を気遣いながら西へと導いている。
 大人達に混じって歩きながら彼はその様子を黙って見つめていたが、時折見比べるように自分の足に巻きつけたドレスの切れ端を見た。
 埃に塗れて薄汚れていたが、彼はいつもそれを子供心に愛おしく感じていた。

(これは姫様と同じだ)

 見るたびに彼は思った。
 彼は、アリスティアが明るく振舞っている裏側でどんなに悲しみを堪えているのか、何を待っているのか、ドレスの切れ端を通じて、手に取るように分かった。
 やがて、彼は何かに得心したように一人うなずいた。
 三つ首の番犬ケルベロスに近寄り、耳打ちする。話を聞いたケルベロスは立ち止まると彼の頬を優しく舐め、背中に乗せる為に身を伏せた。
 そして、アリスティアに気づかれぬよう頃合いを見計らって彼等は隊列からそっと離れ、どこかへ向かって一散に走り出した……


**  **  **  **  **  **


「姫様。見て下さい。ほら、あそこ」

 峡谷を出てどれくらい歩いただろう。
 半ば疲れた足を引き摺るようにして歩みを進めていた一行の前で、視力の良い一匹のドワーフが彼方を指差した。

「森らしいものが見えます」
「確かに……緑と樹らしいものが見えるのう」

 つぶやいたドルイドが、目を凝らしたアリスティアの横から魔法を掛け、彼女の視力を一時的に高めた。
 望遠鏡を覗いたように景色がよく見えるようになったアリスティアは声を上げた。

「森よ。確かに森だわ」

 暗く淀みがちだった魔物達の表情に幾らか生色が戻った。
 生きたものが何も見えない荒野よりも、生きた草木の生い茂る森の方が、ずっと安心出来たのだ。
 魔物達が持参していた食糧や水もかなり心細くなっていた。森の中ならまた手に入るかも知れない。何よりもチート勇者が追ってきても身を隠すことが出来る。
 魔物達は吸い寄せられるように森へ向かって進んでいった。
 次第に見えてきた森は曲がりくねった木々に黒々とした葉を抱えている。今まで自分達のいた世界の森に比べたら薄気味悪く見えたが、殺伐とした荒野を彷徨っていた魔物達には安らぎの恩恵を得られる場所に他ならなかった。
 彼等は森の中に分け入ると、倒れた木や苔むした岩の上に腰を下ろしたり、大樹に背中をもたれさせてホッと安堵の息をついた。

「この森で何日か休みましょう」

 ひと休みしたらとりあえず水と食べ物を探さなくては……と思いを巡らせながらも、どうかするとアリスティアの視線は森の外……自分達が辿って来た路の先へ自然と向いてしまうのだった。
 天気は峡谷を出てからずっと日の差さぬ曇った空だったが、曇りの色は重く濃くなっていた。
 そして、彼等が森の中で休息している間にとうとうポツ、ポツと降り出してしまった。

「まあ、たいへん! みんな急いで岩陰や木の下へ」

 慌てて命じながら、アリスティアは雨が降る前に何とかここへたどり着けて良かったと胸を撫で下ろした。
 幸い、森にはたくさんの葉を抱えた樹木が密生していて雨宿りの場所には少しも困らなかった。魔物達は三々五々と大木に生い茂った葉の下や張り出した大岩の下に集まった。ゴブリン達は竹筒や皮袋を出して雨水を貯め、グリズリーは雨中に己の身体を晒して旅塵に汚れた体毛を洗った。
 それからしばらく経ったが、雨は止むどころか次第に激しくなった。
 ぱらぱらと鳴っていた雨音は叩きつけるような音へと変わり、魔物達はそれぞれの場所で黙って身をすくめた。今はただ大人しく、雨が治まるのを待つしかない。

「ひどい雨、テツオは濡れていないかしら……」

 樹齢を重ねた老木の下で小さな岩に腰掛けたアリスティアが心配そうにつぶやくと、傍らのドルイド爺が慰めるように言った。

「大丈夫でしょう。あの神獣の中に居れば濡れたりすることはないはずですし」
「そうだといいけど……」

 アリスティアがため息をついたので、ドルイド爺は元気づけようと言葉を重ねた。

「きっと我々の後を追っておりますよ。この森を見つけるはずです。そうしたら、また一緒に……」
「いや、それは無理だね。旅はここで終わるから」

――ふいに

 魔物達の誰でもない声がした。

 嘲笑を含んだ冷たい声。
 アリスティアは「誰?」と腰を浮かせ、ドルイドは「皆、敵がおるぞ!」と、叫びながら杖を取りあげようとしたが、ぶつけられた粘液に身体を絡め取られるほうが早かった。

「姫様が!」
「敵だと? 一体どこだ!」
「チート勇者か? 姿を見せろ!」

 異変に気付いた魔物達が慌てて雨の中を飛び出し駆け寄ろうとしたが、彼等一匹一匹の真上にゼリー状の球体が現われ次々と叩きつけられる。

「うわっ、何だこれは!」

 命中して弾けると、そこからドロドロした粘着性の液体が飛び出して身体の自由を奪うのだ。もがけばもがくほど、その粘着力は強くなってゆく。
 しかもその粘液は体力を奪う効力も兼ねているらしく、彼等はたちまち一匹残らず弱って動けなくなってしまった。

「……チェックメイト」

 気取った声と共に黒衣を纏った魔導師風の男が、風景の中から抜け出したようにスッと姿を現した。
 アリスティアも魔物達も誰一人、姿を現わすまで彼にはまったく気付けなかった。その理由である光学迷彩……視覚的に彼の姿を透明化させた小さな装置が、肩の上で赤い光を明滅させている。
 迷彩を解いた後も見えない幕で身体を覆っているらしく、降りしきる雨は彼の周囲で弾き飛ばされ、身体は少しも濡れていなかった。

「あなたは……」
「チート能力で異世界を牛耳っているのは、剣と魔法とキャッキャウフフの間抜けな勇者ばかりだと思った? 残念でした」

 アリスティアの問いかけに肩をすくめると、男は黒衣の下に隠した手で何か操作した。
 すると粘液に絡め取られていた彼女の背後に奇妙な模様で構成された、十字架のような拘束台が現われ、磁石のようにアリスティアの身体を吸い付けて磔にした。

「やめろ、姫様に何て狼藉を!」

 野太いドワーフの絶叫を聞き、それがまるで自分の行為を肯定された言葉のように彼は頷くと、右手を上げてパチリと気障に指を鳴らした。

「ああああっ!」

 突然、拘束台のアリスティアが悲鳴を上げ、その華奢な身体が魚のようにビクンと撥ねた。拘束台の端から雨の飛沫に反応してバチッと青白い火花が散る。

「姫様!」
「言い忘れてた。口の利き方に気をつけないとお姫様は感電死することになる」
「き、貴様……」
「ごめん、聞こえなかったか」

 もう一度指が鳴る。激痛にアリスティアの口から再び悲鳴が漏れた。

「口の利き方に気をつけないとお姫様は感電死することになる。あなた達には大事なことだから二回言いました」
「……」

 下手に口を開けば敬愛する王姫が電流でいたぶられると知らされ、彼等は迸りかけた罵倒を喉元で押さえ込むしかなかった。
 魔物達から燃えるような憎しみの視線を集めた男は無理矢理黙らせたことがご満悦だったらしく、しばらく沈黙を楽しんだ後、奇妙な抑揚のある独特の声で「ククク……」と、笑った。
 年齢は少年のようにも老人のようにも見えたが病的なくらい痩身で、落ち窪んだ金壺眼かなつぼまなこから陰湿で残忍な光を放っている。

「さて、聞く気になってくれたみたいだから始めよう。僕はこの世界のことわりを監視している『影の支配者』だ。名前は……そうだな、監察者インスペクターとでも呼んでくれたまえ」

 もったいぶった仕草で自分の胸を指差すと、インスペクターは芝居がかった声で自己紹介した。

「さてさて、このリアルリバーは本来、平凡でくだらない異世界のはずだった。魔物は人々を脅かし、転生して現われたチート勇者がそんな魔物をあっという間に駆逐する。人々はチート勇者の能力やこの世界の常識を覆す知恵に驚き、ぜひこの世界を統治してくれと頼む。勇者にすっかり惚れ込んだお姫様やエルフ達が寵愛を巡ってホレたハレたの大騒動を繰り広げる」

 雨の中、まるでこの異世界の全てを知り尽くしているかのように彼はしゃべり続ける。

「僕のいた世界では、もう何千、何万回と作られ、読み返されたライトノベルのテンプレート設定だ。それでも飽きられないのは需要があるからに他ならない。努力なしに凄い能力を授かって世界中を驚かせ、傲慢な敵は小指で瞬殺。美少女達に熱愛を押し付けられ、困った振りしてニヤケ顔。たくさんのチート勇者が、そんなもの別に望んでいなかった顔をして異世界へやって来る。このリアルリバーも、溢れかえったそんなチート勇者達の需要を満たすために慌てて創られた異世界のひとつに過ぎなかったはずだ。ところが……」

 肩をすくめたインスペクターは、塗り固められたように束縛された魔物達と磔にされたアリスティアを横目で見た。

「そんな世界のあるべきことわりが少しづつ乱れ始めた。魔物が人間を解放し、支配しようとしなくなった。そればかりかしがらみを避けて人間から遠ざかり、今どこかへ去ろうとしている。おいおい、そんなことをしてもらっちゃ困るんだよ。チート勇者様が異世界で要らない存在になってしまうじゃないか。仕方ない、ここは異世界を影で統制している僕が表に出て、魔族の皆さんを悪の道に戻さなくては……そう思っていた矢先に、今度は圧倒的に強いはずのチート勇者そのものを脅かす奇妙な異分子が現われた」

 後ろ手を組んで行きつ戻りつを繰り返しながら芝居がかった声で語り続けていたインスペクターは足を止めると、いかにもウンザリしたように両手を広げた。

「何でもアリっていうのはチート勇者だけの特権だっていうのに、そんなものを無視して戦車なんて代物を持ち込んでいいなんて一体誰が言った? 僕は許可した覚えはないぞ。それもどうやって?」

 途方に暮れた……という情けない顔をした次の瞬間、彼は憎々しげに顔を歪めてアリスティアへ詰め寄った。

「言え、奴は何者だ!」

 豹変したインスペクターは悪鬼の表情で、身動きできない王姫の喉に指を押し付けた。

「異分子は排除する。当然だ。もちろん、お前ら汚れ役はそんなものに関わる必要などない。だが知っていることは全て聞かせてもらう。テツオと言ったな? 奴はどこから来た」

 磔にされたアリスティアは真っ青な顔で震えていたが、小さな声で聞き返した。

「どうして彼のことを聞きたいの?」
「……」

 インスペクターは物も言わず、右手を上から下へ振り下ろした。
 途端に拘束台が青白く発光し、激しい電流が迸る。アリスティアは突然の激痛に身体をのけ反らせて絶叫した。

「あああああああああああっ!」
「質問を質問で返すな!」

 よほど短気な性格なのか、少しでも己の意に沿わぬ言動があると許せないらしい。怒りに任せて苦痛を与えると、アリスティアは身体を痙攣させたまま気を失ってしまった。

「姫様!」
「やめろ! お願いだから、もうこれ以上酷いことをしないでくれ!」

 たまらず、動けなくなった魔物達の間から悲鳴や哀願の声が上がる。
 だが、インスペクターは容赦なく再び手を振り下ろした。一度は気を失ったアリスティアの意識は激痛によって引き摺り戻され、悲鳴の後には口から血の混じった涎が零れ落ちた。

「ねえ、君たちバカなの? 口の利き方に気をつけないとお姫様は感電死することになるって、確か二回言わなかったかな。これで三度目だけど、四度目に死んでも僕は知らないよ?」
「……」

 再び沈黙を強いられた魔物達の痛憤を冷笑で返すと、インスペクターはお情けと言わんばかりの口ぶりでアリスティアの質問に答えた。

「敵を知り己を知れば、百戦危うからずって言うからね。テツオって奴や戦車のことを知れば、おのずとウィークポイントが見えてくる。魔力が少ないなら消耗戦に、攻撃力が低いなら叩き合いの土俵に引きずり込めばいい。もちろん戦う以外にも弱点があるはずだ」

 得意そうに彼は自己流の戦略を語る。

「彼に弱みがあればそれを利用出来る。犯罪歴、家庭環境、学校では虐められてた、引き篭もりのニートだったとか。後ろめたい過去や恥ずかしい性癖……そんなものが晒されて逆ギレしてくれたら猶更有利に戦える。僕の手のひらの上でいくらでも踊らせてやるさ」

 身体はまだ感電に痺れていた。
 だが、苦痛に息を喘がせていたアリスティアの瞳には、目の前で賢しらに話し続ける監察者の姿など映っていなかった。彼の言葉で、瞼の裏に蘇ったものがあったのだ。

(僕は勇者じゃない。勇者なんかじゃない)
(元いた世界でも僕、クズ呼ばわりされていたし。ずっと一人だったし)

 自分達魔族と同じ弱さや悲しみを心に抱えていた少年の姿。
 思わず拒絶してしまった自分を恨むどころか、自らを捨て石としてチート勇者を引きつれ去っていった……

(テツオ……)

「さあ、何でもいい。喋ってもらおうか。余計なことを言っても嘘を言っても電圧は倍増しだから発言は慎重に。グズグズしても同じだけどね」

 そう言って陰湿そうに笑ったインスペクターは、アリスティアの唇が弱々しく動いたので慌てて顔を近づけた。

「何? 何て言った? テツオくんの何を知ってるのかな? お姫様」
「……」

 唇に耳を寄せるとアリスティアは蚊の鳴くような声で……しかし、はっきりと告げた。

「知らない……知っていても貴方には教えないわ……」
「……」

 高貴な血を引く姫は、きっぱりと拒絶したのだった。

「そうかい。別にいいよ。もちろん、そう言うからには覚悟は出来ているよね」
「……」
「何でも話すから許して下さいって言うのが今か、痛い目に遭った後か、それだけの違いだから無駄な手間なんか掛けさせるなよ。面倒じゃないか」
「あなたには……」

 気丈にもアリスティアは言い返した。

「きっと分からないわ。弱い者や惨めな者の苦しみなんて。どんなに怖くて、どんなに悔しくて、どんなに悲しかったか……そんな私たちを助けてくれた人がどんな気持ちだったのかも。分かって欲しくもないわ。教えるものですか、あの人のこと」
「ほぅ」

 インスペクターの目が鋭く細められた。
 弱者の心の痛みなど驕り高ぶった高慢な貴方には所詮分かるまい……という毅然とした言葉に、彼は自分への侮蔑を感じたのだ。

「姫様……」

 拘束された周囲の魔物達は、はらはらしながらアリスティアの言葉を聞いていた。
 相手は異世界の魔法も及ばぬチート能力を持っているのだ。身動きも取れぬ身で、異邦人の少年と神獣の秘密を明かさぬアリスティアがこれからどんな目に遭うのか、想像するだに恐ろしかった。
 そして、その恐ろしい想像はこれから現実のものになろうとしていた。

「よく言った。この呪われたゴミ虫どものクズ姫様」

 インスペクターは歯の間から押し出すようにささやいた。
 やにわに、腰のベルトに挟んだ鞭を大きく振りかぶる。磔にされたアリスティアの華奢な身体へ、そのまま振り下ろした。
 鞭には鋭い棘が植えられている。無礼な言葉で不快な思いにさせられた分、痛めつけねば気が済まなかったのだ。
 激しい鞭打ちに、たちまちアリスティアのドレスは破れ、剥き出しになった白い美しい肌は切り裂かれてずたずたになった。
 鞭がうなるたび、千切れた皮膚や血が無惨に弾け飛ぶ。
 か弱い少女に、そんな衝撃と苦痛など耐えられるはずがなく、アリスティアは声を枯らすほどの絶叫を上げた。
 悲鳴を聞かされる魔物達は血の涙を流し、泣きながら必死にチート勇者へ哀れみを乞うた。

「やめてくれ! 頼むから……」
「アリスティア様が……姫様が死んでしまう!」
「オレでよければ代わりになるから……もうやめてくれ!」

 魔物達の哀願にも、彼は「アーアー聞こえなーい」と耳を貸さない。
 そして、アリスティアに幾度も悲鳴をあげさせて散々いたぶり、ようやく溜飲が下がったようだった。
 彼が「僕は優しいから、これくらいにしといてやろうかな」と鞭を収めたとき、アリスティアは半ば気を失い、死んだように拘束台の上でぐったりとしていた。

「生意気な口を利くとどういうことになるか、ちょっとは分かってくれたかな」

 フンと鼻を鳴らして酷薄な笑いを浮かべると、インスペクターは髪の毛を引っ掴んで引き摺り上げ、無理矢理アリスティアの血まみれになった顔をあげさせた。

「さあ、吐いてしまえ。隠し立てしても無駄なだけだからな。貴様らを助けたテツオという奴は一体誰で、どこから来て、どんな能力を持っているんだ。その戦車とやらは、どんな能力を持っていて攻撃力や防御力はどれくらいあるんだ。弱点になりそうなところはどこなんだ、ええ?」

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