ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者~

ニセ梶原康弘

第2話 差し出された手

「貴方の名前を聞かせてくれますか? 私はアリスティア。アリスティア・アルデン・リアルリバーと云います……」

 魔族の長としてアリスティアは少年へ丁寧な物腰で挨拶したが、彼の名前を知ったのは、そうやって名乗った晩から半日以上も経った後になった。
 彼は自己紹介する前に、怯え切った様子で周囲を見回している魔物達を見て「アイツの他にも追っ手はいるの?」と尋ねてきたのである。

「いないと思うのですが……いいえ、いるかもしれない。ごめんなさい……何もわからないの」
「そうか」

 その応えを聞いて少年の顔がさっと変わった。さっきまで戦車に向かって色々と話し掛けていた彼だったが、それを聞いて無駄に時を費やしていられないと悟ったらしく「さっきの奴の仲間がいるかも知れない。とにかくここからどこか隠れられそうな場所まで移動しよう」と申し出た。

「ええ……」

 だが、うなずいたアリスティアの表情には困ったような、辛そうなものが伺える。
 何だろうと思った少年は、すぐに気がついた。
 必死に逃げ、勇者へ抵抗していた魔物達は誰もが傷つき、疲れ切っていたのである。アリスティアもずっと走り続けた上に魔力も使い果たし、立っているだけでやっとという有様だった。

「そうだったね。気がつかなくて、ごめん」

 少し考え込んだ少年は、ティーガーを見上げて頷いた。

「じゃあ、みんなティーガーに乗っていこう」
「ティーガー?」
「この戦車の名前だよ。重装甲戦闘車パンツェルカンプフワーゲンケーニヒス・ティーガー」
「戦車?」

 聞き返す少女へうなずく少年の顔は、誇らしさを隠し切れない。彼は、自分の背後に従えた鋼鉄の王虎へ魔物達を促した。

「さあ、これの上にみんな乗って」
「き、急に暴れたりしない?」

 彼は笑って分厚い装甲板を叩いてみせた。

「暴れたりなんかしないよ。生き物じゃないから。機械だから」
「機械?」

 これもこの異世界で初めて聞く言葉だ。アリスティアは首を傾げた。
 そんな彼女をよそに、少年は子供の身長ほどもある巨大な転輪へ足をかけ、不器用に車体をよじ登っている。
 そして、砲塔の後部から「ほら、ここに乗って」と手を差し出した。
 魔物たちは始めて見る戦車にこわごわと近づいた。しばらくは眺めたり、恐る恐る触ったりしていたが「ぐずぐずしていると別の追っ手が来るかも知れない。さあ、早く」と急き立てられ、まず担ぎ上げられるようにしてアリスティアが、続いて他の魔物達が仲間に助けられたりしながら戦車によじ登った。
 エンジンの振動に震える車体の上は、乗り心地が良いなどとお世辞にも言えた代物ではない。彼等は初めて身を預ける異形の上で身をすくめ、自然とひとかたまりになった。

「みんな、しっかり掴まっていないと落ちるからね」

 そう言うと、少年は戦車へ「微速前進」と告げた。

「ゴウンッ――」

 巨大な歯車にも似た起動輪がキャタピラの一枚一枚を確かめるように噛み込みんでゆく。
 車体を軋ませ、人が歩く程度のスピードでティーガーはゆっくりと動き始めた。
 ティーガーの後部に乗せられた魔物達の中から魔法使いの老人ドルイドが時折とねりこの杖をかざし、歯噛みのように地上へ残されてゆくキャタピラの足跡を魔法で丹念に消していった。こうすれば、追っ手がいても簡単に後をつけられない。
 こうしてその場所から離れ、夜通し進み続けた戦車は夜明け前にようやく小さな泉の畔へたどり着き、停車した。
 そこは窪地で広葉樹に覆われていて、隠れるには都合の良い場所だった。
 偽装カモフラージュの樹を倒さぬよう、少年は慎重にティーガーを乗り入れ、エンジンを停める。一行はようやく、一時の安息を得られたのだった。
 夜通し戦車の上で揺さぶられ続けた魔物達は疲れ切った顔で降り立つと、そのままそこにうずくまってしまった。地面の上でも、まだ揺られているような感覚が残っている。
 だが、疲れた顔に安堵の色を浮かべる中で彼等は誰ともなく、つぶやいた。

「助かった……」

 互いに疲れ切った顔を見合わせる。

「助かったんだな」
「良かったね……」

 本来なら喚くような歓声が上がったところだろう。
 だが、身も心もボロボロの魔族達の口からは、かすれた震え声しか出なかった。
 それでも生き延びた喜びを噛み締めて、彼等は手を握り合った。抱き合って泣き出したドワーフ達。黙ったまま黒い眼窩から涙を流すゴーレム。幼子を抱きしめるゴブリンの親。メデューサ婆はアリスティアに「お婆ちゃん、自分を置いて行けなんてもう二度と言わないで」と、背中をさすられながら優しく叱られ泣いていた。その頬を尻尾を振ったケルベロスが舐めている。
 少年は痛ましそうに彼等を見ていたが、気がついて車体のフックに掛けられたバケツを手に取った。そのまま林の向こうへ駆け出した彼が戻ってきた時、そのバケツには泉の冷たい水がなみなみと湛えられていた。
 そして「なくなったらまた汲んで来るから遠慮しないで飲んで」と、魔物達の周囲を回っては、しきりにバケツの水を勧めるのだった。

「ありがとう……」

 疲れ果て、喉も渇いていた彼等は感謝と共に水を啜った。
 バケツの水がなくなるたびに彼は身を翻して元気に駆け出し、また水を汲んで戻って来ては魔族達に振る舞う。
 魔法使いのドルイド爺は水を飲む元気すらなく、倒れるように横たわっていたが、少年はその背に手を当てて優しく抱き起こし、手で掬った水を口にあてがって飲ませてくれた。

「お爺さん、少しづつゆっくり飲んで」
「ありがとう。でも先に姫様へ……」

 気遣われたアリスティアは笑顔で首を横に振り、先に他のみんなに水をあげて……と、促した。
 本当なら介護する少年を手伝ってあげたかったが、疲れ果て立ち上がることすら出来なかった。気が狂いそうなくらい喉も渇いていた。
 それでも疲れや苦しみにじっと耐え、 疲労困憊した魔族の民を労わる少年を優しく見つめた。たまに視線が合うと、微笑みかけて感謝の気持ちを伝えた。
 虚ろな表情だった魔物達は、命の水を与えられて次第に生気が戻ってゆく。
 みんなに水が充分行き渡った頃、アリスティアもようやく「ありがとう」と、差し出された水を押し頂き、喉を潤したのだった。

「ああ、なんて美味しい水なのかしら!」

 人心地のついた彼女がつぶやくと少年は微笑み、頷いた。
 林の木陰は気持ちの良い風が吹いている。緊張の解けた魔物達は眠気に誘われるまま、次々と芝生の上で横になり、目を閉じていった。

「君も少し眠るといいよ」
「でも……」

 魔族達が無防備に眠るここにまた勇者が現われたら……と心配するアリスティアへ、少年は「僕が代わりに見張ってるから」と請け負った。

「貴方だって疲れているでしょう」
「大丈夫だよ。これくらい」
「でも……」

 口ごもったアリスティアの横からメデューサ婆が口を挟んだ。

「親切な旅の御方、ありがとうございます。どうかお言葉に甘えさせて下さいまし」

 丁寧にお礼を言うと彼女を抱き寄せる。

「お婆ちゃん……」
「さあ、姫様。婆と一緒に少し休みましょう」

 宥められ、彼女は子供のように寝かしつけられた。
 痩せこけた老婆の胸に抱かれていると、慎まし気に鼓動する心臓の音が伝わってくる。不思議と心が安らいだ。それまでずっと緊張と不安と恐怖で身も心も疲れ切っていたアリスティアは、それ以上睡魔に抗うことが出来なかった。
 少年はティーガーの砲塔のキューポラに腰掛け、空を眺めたり周囲を見回したりしている。勇者が襲ってくる気配は感じられず、やがて、寝入った魔物達の気持ちよさそうなイビキや寝息が聞こえてきた。
 心地よい風に草花がさやさやと揺れ、疲れて眠る彼等を優しく慰める。見張りを請け負ったはずの少年も、いつしかこくりこくりと居眠りを始めてしまっていた。
 魔物達の憩う林の一隅へ陽光は柔らかく降り注ぎ、ひとときの平穏を知った数羽の小鳥が飛んで来て戦車砲の砲身に止まり、可愛らしい歌声でさえずりはじめた。

 ティーガーは身じろぎもしない。

 その光景は遠目に、まるで鋼鉄の王虎が静かに鳥の歌へ耳を傾けているようにも見えた……


**  **  **  **  **  **


 そこからずっと離れたとある場所で。
 差し込んだ朝の光がガレキの山を照らした時、そのガレキをガラガラと崩して一人の男がヨロヨロと立ち上がった。
 それは、ティーガーの戦車砲に吹き飛ばされて気絶していた勇者リュードだった。
 黄金の甲冑は無残にひしゃげて歪み、マントはズダボロに破けている。さながら敗残の落ち武者といった有様だった。

「おかしいだろ……何でチート勇者のオレがこんな目に遭う? おかしいだろ……」

 砂と泥に塗れた顔から眼だけがギラギラと怒りの光を放っている。

「ふざけんな、オレはチート勇者だぞ! この異世界の誰もオレにかなわないはずじゃなかったのかよ! 無敵で無双で瞬殺じゃなかったのかよ! くそっくそっくそっ!」

 地団太を踏んで喚き散らしていた彼はやにわに背中の刀を抜き、周囲の岩や大木を滅茶苦茶に切りまくった。
 呪文を唱え、手から魔法弾を矢次早に撃ち放し、彼方の山を砕き、周囲の草原を焼き払う。

「ふざけんな! ふざけんな! クソが! カス風情のクソ野郎が!」

 怒りに我を忘れてしばらく荒れ狂った彼は、持っていた膨大な魔力をようやく使い果たした。
 ゼイゼイと肩で息をしていたが、やがて魔物達が消え去った森を見てつぶやく。
 憎しみに燃えた声で。

「あいつらコロす。ぜってーコロす! ゆるさねえ……」


**  **  **  **  **  **


「んがっ」

 こくり、こくり、と首を揺らしていた少年は、ガクッと姿勢が崩れた拍子に目を覚ました。
 慌てて周囲を見回す。
 空を仰げば、異世界の太陽は中天を大きく過ぎている。ささやかな憩いの地に、穏やかな昼下がりが訪れていた。

「うわぁ、うっかり居眠りしちまった!」

 見張りは自分がするから、とカッコ良く請け負っておきながら……情けない面持ちで砲塔から見下ろすと、少年より先に起き出していた魔物達がティーガーの周辺で思い思いにくつろいでいた。
 彼が起きたのに気がついた少女が微笑んで手を振っている。情けない気持ちで、促されるままティーガーから降り立った少年の前に彼女が歩み寄ると、魔物達は彼女の背後へ自然に寄り集まった。

「ゴメン……見張るつもりがウトウトしちゃって」

 少年はバツが悪そうに謝ったが、彼を見る魔物達の中にそんなことを咎めるような視線などひとつもなかった。
 アリスティアは少年の手を掬うようにそっと取った。

「助けてくれてありがとう」
「あ、いえ……その……どういたしまして」

 間近で礼を言った彼女のうなじから、金木犀に似た匂いがかすかに漂ってくる。
 真っ赤になって狼狽した少年へアリスティアは昨晩聞けなかった彼の名前をもう一度尋ねかけた。

「貴方の名前を聞かせてくれますか? 私はアリスティア。アリスティア・アルデン・リアルリバーと云います……」
「僕は……クズウ・テツオです」

 少年はようやく名乗った。
 自分の名前が恥ずかしいのか、勇気を奮って魔族の民を救った少年らしくもない、蚊の鳴くような情けない声。
 それでも、魔物達とアリスティアは恩人の名を正しく聞きとめた。

「テツオ、ありがとう」
「いや、その……どういたしまして」

 礼を述べた彼女の後ろで魔物達が「テツオ?」「テツオ……」と、言い慣れない発音でその名を呼び合っている。
 アリスティアを除けばみな奇怪な容姿の魔物ばかりだが、勇者に殺されかけているのを見かねて飛び出した彼は、今さらその容姿を恐ろしいとは思わなかった。

「アリスティア、昨晩のアイツは一体何者なの。知っていたら教えてくれない?」
「あなた、チート勇者のことを知らないの?」
「チート勇者?」

 首を傾げる少年を見て、アリスティアはすぐにそれと察した。

「テツオ……貴方はこの世界と違う場所から来たマレビト、『異邦人』なのね」

 少年は黙って頷く。
 アリスティアの胸にふと、目の前のこの少年はチート勇者と同じ世界から来たのではないかという疑念が沸いた。
 だが、彼女はすぐに心の中でそれを打ち消した。

 (この人がチート勇者と同じ種族の筈がないわ。チートの代わりに神獣を操る勇者など、今まで聞いたことがないもの……)

 ドラゴンを下僕にしようとした勇者なら幾人もいたが、誇り高い彼等が下劣な猟犬役になどなるはずがなく、拒絶された勇者の怒りを買ってドラゴン族は絶滅している。
 そんな残忍なチート勇者と彼が同じはずがない。何よりも自分達を守ろうと命懸けでそのチート勇者と戦ってくれたではないか。
 アリスティアは「お話しますから座って下さい」と促すと自分も倒木の上に腰を下ろし、静かに語り始めた。

「テツオ、チート勇者は貴方と同じ異邦人です。だけど、彼等は私達魔族を滅ぼすためにこの世界へやって来ました」
「……」
「かつて、この世界『リアルリバー』は私達、魔族が支配していました。『人間』という魔力を持たない種族を……奴隷にして悪逆非道の限りを尽くしたと云われています」

 醜い過去を語る時、さすがにその口調は苦しげになったが、彼女は己の血族の闇を正直に明かした。

「でも、それはもう昔の話よ。誰かを辛い目に遭わせて平気な世の中なんて間違っている、そう悟った私達の先祖は人間を解放して、彼等から遠く離れた場所に自分達の王国を作ったの。もちろんそれまでに、そしてその後にも、たくさんの苦しいことや悲しいことがあったと聞かされましたが」

 彼等に良心が芽生え、罪なき者を鞭打つ悪逆を悔いたのはいつの頃だったのだろうか。だが、それを言い出した者とそれに従わぬ者との間にもきっと諍いが起きただろう。
 征服から解放された人々もそれまで受けた苦しみを簡単に許したはずがない。長い年月を経て怨恨が消えるまで、おそらく多くの血が、涙が流れたに違いない。
 淡々と語られる言葉の端々に、異世界リアルリバーの歴史の闇が垣間見えた。
 だが、少年は何も言わなかった。ただ黙ってアリスティアの言葉に耳を傾けている。

「だけど、それからは人間も魔族も互いに関わりあうことなくずっと平穏な時代が続いてきました、今まで。でもある日……」

 それは今から一年前のこと。
 このリアルリバーとは異なる世界から突然「勇者」が次々と現れた。
 彼等は「この異世界の人間を暴虐の支配と虐待から解放する」為に、魔族へ戦いを挑んできたのだ。
 おかしな話だった。人間はとうに解放され、この異世界に独自の社会を作り、平和に暮らしている。奴隷にされたのは遥かな昔の話で、今は弾圧などされていないし誰も魔族に殺されてなどいない。
 なのに、彼等は「選ばれし勇者」と自称しながら「まったり暮らしたい」と言い、なのに平和を謳歌している人々に「魔族達に酷い目に遭わされています、助けて下さい」と懇願されたのだと言う。
 そして、嬉々としながら「しぶしぶ魔族討伐」へ赴いてきた。
 戦いを挑まれた魔族達は我が身を守る為に勇者達と戦ったが、それは戦いと言えるものではなく虐殺だった。彼等の魔法も牙も、チート勇者の圧倒的な力にまったく歯が立たなかったのだ。
 そうして気の済むまで魔族達を屠った勇者は「自分はこの世界を救い、平和をもたらした」と自己陶酔の勝利宣言をすると、いずこへかと去ってゆく。
 だが、またしばらくするとどこからかともなく新たな「勇者」が現われ、平和がもたらされたはずのリアルリバーの人間達に再び懇願されてまた魔族狩りを始めるのだ。

「私の一族は今ではもう滅ぼうとしています。勇者の眼に怯えながら隠れて……それでも見つかっては殺されて……」
「……」
「私は生き残った者達を集めて、懸命に生き延びてきました。でも、昨日勇者に見つかって追われて、もう駄目だと思ったときに貴方が助けてくれたのです」
「……そうだったんだ」
「みんな、大切な私の仲間、家族です。もうこれ以上誰も死なせたくない。みんなを集めてどこかで静かに暮らせたら。ずっとそんな希望を探して……でも……」

 手の甲でそっと涙を拭うアリスティアを少年は黙って見つめた。
 彼はその勇者達がどこから来た何者なのか、察しがついた。

(間違いない。奴等は僕と同じ世界からやって来たんだ)

 自分がいた世界で、彼は今聞き知ったものと同じような物語を本屋で何冊も立ち読みしたことがあったのだ。
 その「巨大なチート能力を携えて異世界に転生する」英雄譚を彼等はここで堪能している。英雄気分で戦いを楽しみハーレムを満喫する為に、この異世界の魔族は悪役にされ、迫害されて。

(僕も同じ世界から来たなんて、とても言えない……)

 その悲しい境遇を知っては言い出せるはずもなく、少年は俯いて立ち尽くすしかなかった。
 しゃくりあげたアリスティアの傍にそっと寄り添ったメデューサ婆が目顔で会釈して抱き寄せる。彼女は肩を震わせてその胸に顔を埋めた。
 魔法使いの老ドルイドが静かに彼を促し、少年は立ち上がった。

「どうか気を悪くしないで下され」

 半ば杖にすがって歩きながら、ドルイドは涙で途切れたアリスティアの話を引き取った。

「姫は、このリアルリバーの魔族を統べていた王族の最後の生き残りなのです」
「最後の……」
「ずっと辛い思いをしてこられての。どうか察して下され」

 少年は黙ってうなずいた。

「わしらはみな、姫様に命を助けられたのですよ。ワシなど浅ましく人間の振りなどして隠れていましたが、露見して死にかけたところを救われて」
「そんなことが……」
「雨の降る日じゃった。人間にさんざん石を投げられ、血まみれになって倒れていたワシを、姫様は助けて下さって……」

 少年は、言葉の端々から人の悲しみや辛苦を想像する力を持っていた。
 雨の中、ボロ雑巾のようになった路上の老ドルイドを泣きながら抱き上げる悲しい情景……自らも命を脅かされながら、同じ弱者を救おうとする小さな聖母の姿が脳裏に浮かんだ。

「この老いぼれの魔法でも、もっとお役にも立てられたらの。亡くなられた父上の魔王様や王妃様の代わりに姫様はあんなに無理なさっておるのに……」
「亡くなられた?」

 まさか、と少年は息を呑んだ。彼女の両親がどうなったのか、それが誰の手によるものだったのか……老ドルイドは黙って彼の想像を肯定した。
 彼は何故アリスティアが思わず泣き出してしまったのか、ようやく察することが出来た。
 見ると、泣き止んだアリスティアが向こう側で魔物達を集めて悲しげに何かを説いている。彼等はうなずき、足拵えをしたり、武器を取り出して戦う準備を始めていた。

(どうしたんだろう……)

 気になった少年は近づいて「どうしたの? どこへ行くの?」と声をかけた。

「私達はこれから魔王城へ行きます」
「どうして?」
「地下牢に私達一族の者がまだ囚われているの。彼等を助けに行くのです」
「魔王城に?」
「はい。お父様の城……魔族のみんなの集まる家でもありました。一年ほど前に勇者達が乗り込んで奪われ、今は勇者達の根城になっています」
「そんなところへ……」

 少年は驚いた。せっかく助かったのに、わざわざまた殺されに行くようなものではないか!
 だが、怯えながらも凛としたアリスティアの表情に浮かんだ悲壮な決意は揺がなかった。

「……何を仰りたいか分かっています。無謀だって、犬死にだって……。でも、どうしても助けに行かなければ」
「助け出す手立ては……何かあるの?」

 無力な彼らにそんな術などあろうはずがない。アリスティアは悲しそうに微笑み返しただけだった。

「捕われた者は、チート勇者に狩られる為に城に集められているのです。人間の街にわざと解き放たれ、怯える人間を守る勇者に皆殺しにされるために。そんなことをさせられる私達の同胞を見捨てるなんて出来ないの、絶対に」

 アリスティアの声は震えている。少年は驚愕のあまり声を失った。
 チート勇者の「正義」を見せつけるために、かつて異世界を支配していた魔族の民は、狩りの獲物のように扱われていたのだ!

(ひどい、まるで鬼畜の所業だ……)

 少年は心に込み上げる憤りを隠せなかった。異形だからといって生命を何だと思っているのか。

(僕から何か力になってあげられたら)
(力に……)

 少年は傍らのティーガーを見上げた。長大な戦車砲が頭上にある。
 七一口径八八ミリ戦車砲。第二次世界大戦で猛威を振るった王虎の「牙」。
 その砲で当時貫けぬものはなかったと云われている。ナチス・ドイツの首都を巡る最後の戦いでは、敗戦までベルリン市民を逃がす為に阿修羅のごとく戦ったのだという。迫り来るロシア軍の前に立ち塞がり、満身創痍となって……
 もちろん、ここはそんな過去の歴史とはまったく異なる時代、異なる世界だった。
 だが、同じように運命に翻弄され、絶望の中で奪われようとしている生命がある。

(もしかしたら、ティーガーでこの異世界の魔物達を助けられるかも知れない)

 あの時代の人々を救ったように。
 初めてこの王虎が現われたときのことを少年は思い出した。あのとき、誰かが叫んでいたのだ。

――この力の全てを、弱き者を救う為に捧げたい!

 誰の叫びだったのか……その切実な響きを少年は空耳だと思えなかった。

「……テツオ、助けていただいたご恩は忘れません。どこかでまたお会い出来たら……」
「僕も行く」

 少年はアリスティアの言葉を遮って言った。
 突然の宣言だった。

「僕も力を貸す。捕まっている魔族のみんなを救い出そう」
「えっ? でも貴方にもこれ以上ご迷惑をかける訳には……」

 思いがけない申し出にアリスティアは狼狽した。

「迷惑じゃない、僕がそうしたいんだ」
「嬉しいけれど、私達、貴方へお礼に差し出せるものが何も……」
「お礼なんていらない。欲しくない」

 魔法も剣もない。特殊スキルもない。だけど鋼鉄の王虎がいる。
 きっとティーガーは力を貸してくれる。弱き者を救う為に……彼は信じていた。

「テツオ……本当に頼ってもいいの?」

 少年を見上げるアリスティアの瞳がみるみるうちに潤んでゆく。

「ありがとうございます。本当はね……助けて下さい、もう一度力を貸して下さいって言いたかったの。でも私達、悪のレッテルを貼られた一族は助けられてはいけない存在なのだから……」

 魔族の王姫が右手で涙を拭い、喉を詰まらせながらそう告げた時、カッとなった少年は思わず怒鳴ってしまった。

「ふざけんな!」
「えっ?」

 怯えてしまったアリスティアを見て我に返った彼は、慌てて「ご、ごめん……!」と謝ったが「でも」と一転、厳しい表情でアリスティアを叱った。

「助けちゃいけない生命なんてあるもんか! 昔がどうだっただろうが今は何も悪いことをしていないんだろ?」
「ええ」
「じゃあ、今でも魔族が殺されても仕方ないっておかしいだろ!」
「テツオ……」
「アリスティア、力を貸して下さいって言ってくれよ。お願いだから。僕がそうしたいんだ」

 迫害され続けた魔族に、今までこんなことを言ってくれた者がいただろうか。
 過去の罪業を今なおあげつらわれ、異形の容姿を忌み嫌って誰ひとり手を差し伸べてくれなかったのだ。それを、この少年は……
 アリスティアは両手で顔を覆い、肩を震わせた。

「ありがとう。じゃあ言います……テツオ、どうか私達に力を貸して下さい」
「うん。みんなにも色々協力してもらうことになるけど」

 アリスティアは泣き顔を恥じるのも忘れ、叫ぶように言った。

「もちろんよ! 私達に出来ることは何でもするわ!」
「じゃあ、まずはええと……」

 ……何をどうしたらよいのだろう。
 力強く「助ける」と言ったものの、一介の少年に軍隊の特殊部隊のような経験や知識などあるはずもない。彼はたちまち困ってしまった。
 第一、この鋼鉄の王虎をどうやって動かすのかさえ正確に把握していないのだ。ティーガーのことが好きで読んだ書籍の知識程度で、どれほど実際の役に立つのか考えると心細くなった。

(どうしよう……どうしたら……)

 途方に暮れたが、まずは落ち着けと少年は自分に言い聞かせた。

「そ、そうだな……作戦を立てなくちゃ。城の見取り図を地面にでも書いてもらえる? どこから城に乗り込むかとか考えなきゃ」
「はい」
「後は……あ、ティーガーは人の手で動かしたほうが機敏に動かせるかも知れない。だとしたら魔族の誰かに搭乗員になってもらわないと。とりあえず装填手と操縦手かな」
「そ、そうてんしゅ? そうじゅうしゅ?」
「うん。戦車は僕の声で動くみたいだけど多分人の手で動かす方が多分素早いし、大砲もすぐ撃てると思うんだ」
「た、たいほう?」

 聞きなれない言葉の羅列に困惑するアリスティアへ少年は慌てて「後でちゃんと説明するよ、ごめんね」と謝った。

(考えてみたら見るのだって初めてなのに、戦車のことを理解出来ている筈ないじゃないか)

 先走ってしまった少年は、こんな有様で魔族の救出が出来るだろうかと不安にかられたが「落ち込んでどうする」と、心の中で自分を叱った。
 だが、アリスティアは少年の横顔を見てそんな彼の苦悩を察した。
 彼は懸命に考え、今まで一度もやったことのない救出の戦いに挑もうとしているのだ。
 それも自分達魔族が辿ろうとしている悲惨な末路を見かね、出会ったばかりの鋼鉄の神獣の力を借りて。

(泣いているだけじゃ私達の同胞は助けられない。少しでも彼の力にならないと……)

 アリスティアはうなずくと、ブツブツ独り言を呟いている少年に声をかけた。

「ねえ、テツオ。誰かが怪我をした時に介護する役とかも必要じゃないかしら」
「あ、そうだね」

 少年はうなずいたが「城へ向かう前に戦車の動かし方も練習しなくちゃ。それからええと……」と、また一人で悩もうとしている。
 アリスティアは彼の手を引いた。

「テツオ、一人で考え込まないで、みんなで話し合いましょう」

 みんなで、という言葉に力を込める。少年の顔がちょっと明るくなった。
 何も独りで悩む必要はないのだ。みんなで知恵を出し合い力を合わせれば、囚われた魔族を助ける良い方法が見つかるかも知れない。

 「そうだね」と、うなずく少年をアリスティアは「こっちへ来て」と魔族の集まっている場所へ促した。
 その顔にさっきまでの悲壮感はなかった。希望を見出した輝きに溢れている。
 彼女はふと、傍らのティーガーに気がついた。

「戦車……ケーニヒス・ティーガー?」

 静物のように音もたてず、じっとうずくまっている鋼鉄の王虎。最初見たとき、それは未知の怪物で恐ろしく見えた。
 だが、その力で同胞を救ってくれるのかも知れないと希望を抱いて見る今は、力強い守護神のように思える。
 奇怪に見えたその迷彩も、戦士が戦意を高める為に顔に施した化粧のように見えた。

「あなたはどこから来たの? 誰から生まれたの?」

 アリスティアはティーガーに近づくと、その側面の厚い装甲板に手を触れてささやいた。

「お願いです。ティーガー、どうか無力な私達のために力を貸して下さい……」

 静物と化していた彼からは、もちろん何の応えもなかった。
 優しくその言葉を聞いてくれたようにも、その願いを冷たく無視したようにも見える。
 鋼鉄の王虎は何も語らない。
 祈るようにして自分の力を乞うた少女の姿を彼はただ、黙って見つめていた……

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