無能王子の冒険譚 2 虚構の冒険者たち

エムックス

1 港町デジマ

   酒場の片隅で、ウィルレット・キサラギは右手で頭を抱えて溜め息をついた。
珍しい黒髪を短く切り揃えた、黒い瞳の少年である。
 年は十七、あどけなさと大人になりかけの凛々しさを兼ね備えた精悍な顔つきをしている。
旅装束に身を包み腰からは成人の折に父から送られた立派な剣を携えていた。
 どこぞの貴族の子弟を思わせる風貌だが、実際訳あって出奔したこの国の第一王子であった。
今は王子であることを隠しているためウィルと名乗っている。

 そのウィルの視線の先では乱闘騒ぎが起こっている。
銀髪の女騎士と緑の髪をした男の拳闘士が群がってくる男達を返り討ちのようにしているのだった。

 銀髪の騎士は見た目は若い少女のようだったが、実際には何十年も生きている、人間と妖精種エルフとの間に生まれたハーフエルフだった。
 その特徴である、銀髪と三角の長耳を持ったハーフエルフのリールラは怜悧れいりな美貌をいささかも崩すことなく、大勢の男達を両の拳で殴り付けている。
 腰に下げた長剣を使わないのは、殺しつもりがないだけということであって、容赦はない。
歴戦の強者である彼女に殴られた男達は、鼻や口から血を流し、中には折れた歯を吐き出す者もいた。

 拳闘士のディッツの方はもっと酷かった。拳闘士である彼は己の身体こそが武器である。
例え手甲をつけていない素手であっても凶器そのもので、殴られた相手はリールラにやられたよりも酷いことになっている。

 更に彼は外にいるときは鉄靴てつかを外さない。鉄靴とはいっても実際には特殊な金属で覆われたその蹴りは、腕に当たれば腕を、脚に当たれば脚を、胸に当たれば肋を叩き折った。
 犬歯も剥き出しに獰猛どうもうな笑みを見せながら打擲ちょうちゃくを続ける彼の周りの被害者はほぼ一撃で動けなくなりうずくまり呻き声を上げるだけになっていた。

 「大事になったわね………」
 「と、止めなくて、いいんですかぁ?」
 ウィルの側には二人の女性がいた。いずれも特徴的で目立つ二人。
 呆れながら半眼でぼやいている、金髪の少女はレナといい、昨年成人したまだ幼さが残る少女だった。真っ白な神官服に身を包み、その手には神官に与えられると言う錫杖しゃくじょうを持っている。
鬼神の如く暴れまわる二人を見ても少しも慌てることなく、落ち着いている。

もう一人の黒髪の女性は名をフーセレティアと言った。
今にも泣きそうな顔をしている。ウィルやレナよりも年長だが、よっぽど年下に見えるくらいに取り乱していた。
だが、こう見えても盗賊団を一人で壊滅させ、屈強な兵士を瞬時に焼き尽くすほどの魔法を扱う凄腕の魔導士だった。
髪と同じ色のローブと手にした杖が彼女が魔導士だとわからせてくれている。

「止めろって言われてもなぁ………」
ウィルはフーセレティア………フィアの泣き顔を見返しながら困り果てる。
リールラもディッツも一騎当千の強者だ。それに彼等に向かっていっている男達もその見た目から決して弱いわけではないのが見てとれた。

そんな二人と連中の戦いに「無能王子」と罵られた自分が割り込んでも怪我をするだけなのは目に見えている。
なので、フィアの期待に応えてやれることは出来ない。
それに、これだけの騒ぎなのだからそろそろ衛兵でも来るはずだ。
彼等に止めてもらうしかない。

そう考えた正にその時、ばん、と大きな音と共に入り口の扉が開かれて、鎧で身を固めた兵士たちが大勢入ってきた。
暴れる男達を次々と押さえていく。
リールラとディッツは衛兵達を確認してからは、動くことはやめ抵抗することなく衛兵達の指示に従う素振りをしている。

騒ぎが収まろうとする頃に、扉を通って桃色の髪をした一人の青年が姿を見せた。
他の衛兵とは違う金色の豪奢な鎧を纏い、明らかに格が違うことがわかる。
どうやら衛兵達の隊長格の様だった。

その青年がウィルを見て驚愕の表情を見せる。
ウィルも相手に気付き、同じような表情になった。
その二人の様子を見て、レナ達や衛兵達が怪訝そうに首を傾げた。
ウィルはその青年に見覚えがあった。勿論、相手も同じだった。


事の発端はこういうことだった。

隣国ウルセトに海路で向かうため、キサラギ南端の港町のデジマに到着したウィル一行は、かねてより決めていた新たな通訳者を雇うために他国の人が多く集まると言う酒場まで来たのだった。

酒場にはいかにも冒険者といった風体の輩が多くいた。
リールラがレナを使ってウルセト語で一人の男に声をかけ、用件を伝えると報酬につられたのか周りで酒を飲んでいたものも集まってきた。
ここまではまだ良かった。
だが、誰かが伸ばした手でリールラのフードが外れ、顔が現れると様子は一変した。

銀髪のハーフエルフ。声から女だとはわかっていたが、珍しい種族の上にリールラは美しかった。
種族に対する嫌悪感よりも性欲が勝ったのだろう。
酒も入った勢いで、男達は暴走した。

誰が通訳として雇われるか、ではなく。誰がこの美女を抱くのか、というリールラからすれば許せるわけもないオークションのようなものが始まってしまったのだ。
リールラは頬をひきつらせながらも耐えていたが、先走った一人の男がリールラの尻を撫でた。
その男はその直後、ディッツに殴り飛ばされた。

そこから男達と、ディッツ。尻を撫でられて完全に怒り心頭となったリールラとの乱闘へと発展していったのだった。


ウィルはそのような経緯を通された執務室のような部屋で金色の鎧の青年に説明した。
二人は部屋の中央の向かい合ったソファにそれぞれ腰掛けている。
レナやフィアは別の部屋だ。リールラとディッツは事態が事態だけに一時的に牢に入れるということになってしまった。

人払いもしたので飲み物を持ってきた給仕も今は部屋にはいない二人きりだ。
間にあるテーブルにはその給仕が用意した葡萄酒ぶどうしゅのボトルとそれが注がれたグラスが二つあった。

一気に喋ったウィルは喉を潤すために、葡萄酒を口に含んだ。
対して相手の青年は、気持ちを落ち着かせるためにグラスを傾ける。
それほどの渋味もなく、酒精も弱いため飲みやすかった。
どうやら、酒を嗜むというよりも喉を乾きを癒すために作られた葡萄酒らしかった。

水の都オーサカとは違って地方では水は貴重だ。
長期の保存にも向かないので、飲用には水よりもこういったものが用いられるのだった。

「なるほど、そう言うことでしたか………殿下」
ウィルを殿下と呼ぶ青年はグラスを空にすると、ボトルを手にして注ぎ直す。
「迷惑をかけてすまなかった。クロウド」
ウィルに名を呼ばれると青年―――クロウドは少しだけ微笑んだ。

ウィルよりも三つほど年上のクロウドはこの南の地を治める貴族だった。
家名はムツキ。
国王が定めたキサラギ一二家の序列一位とされる家だ。
彼の祖父を始祖とし、現在はその娘婿の二代目が家を継いでいる。
その婿の妻がキサラギ王妃の妹なのだ。
つまり二人は従兄弟いとこという関係だった。

ムツキ家は特殊で王家のキサラギ家の方が序列が二位という不可思議な立場だった。
どういうことかはわからないが国王の定めた事なので誰もその理由を知らない。
だが、飾り物の家と言うわけでもなく、ウィルの従姉妹はクロウドを含めて三人いるが、彼等にも王位継承権は認められていた。

親戚でもある二人は何度も王都トーキョーで会ったことがあったし、年もそれほど離れていないのでよく話しもして仲も悪くはなく、気心が知れた間柄だった。

「いかほどの報酬を示されかは存じませぬが、さそざ彼等は色めき立ったでしょうな」
クロウドは少しだけ蔑んだような口調になった。
乱闘になった相手たちに思うところがあるのだろうか、とウィルは察した。

「確かに………まるで餓えた獣のようだったよ」
または甘いものに群がる蟻のようだった、とウィルは彼等の姿を思い出した。
こちらは出奔した王子だ。その事を雇った相手に説明するつもりはないが、余計なことを話させないための口止め料も含めて高く報酬を設定はしたのだが、それにしても彼等の反応は想像以上だった。
何か訳でもあるのだろうか?
ウィルは葡萄酒を喉に流し込みながら、クロウドの言葉を待った。

「あの者達はウルセトやニストから流れてきた冒険者達です」
「冒険者?」
その名の通り、冒険を生業にしている者達の事だ。
ウィルの両親だって冒険者から建国まで成り上がったのだ。
ウィルは冒険者に悪いイメージは無かったが、どうやらクロウドは違うらしい。冒険者と口にしたその言葉には刺があった。

「殿下に申し上げるのは不敬になるやも知れませぬが……」
「いいよ。僕と君との間だ。遠慮なく言ってくれ」
ウィルの言葉にクロウドは頭を下げると言葉を続けた。
「冒険者とは厄介なことこの上ありません、はっきり申し上げますと迷惑なだけです」
遠慮なく、とは言ったが思った以上に強い言葉がクロウドから出てきたのにウィルは驚く。
クロウドのグラスを持つ手に力が入っているのがわかる。
押さえようとしても、押さえられない怒りがあった。

「先程のことはともかく、以前から問題を起こしてばかりなのです。このデジマだけではなく、領地の主だった町から何とかしてほしいとの陳情が毎月のように父上の元に届く有り様でして………」
「問題って……どのくらいの?」
「その者を縛り首にしなければならなかったこともあるくらいの問題も珍しくありません」
クロウドは存外にあっさりと言ったが、領内の治安を大きく乱す存在に冒険者がなってしまっているということだ。
それほどなら毎月のように陳情が来るというのも頷ける。

「冒険者って厄介者なのか? その………何て言うか困った人を助ける英雄じゃないのか?」
父と母はそうだったではないか、とウィルは従兄弟に訴えかけた。
両親だけではなく、古今東西英雄物語に登場する冒険者達は皆が立派な人格者ばかりだ。

だが、桃色の髪の従兄弟はかぶりをふった。
「それは昔のこと、それも陛下や叔母上が活躍されていた頃よりもずっと昔のことでございますよ。国と領地の関係がしっかりと確立された現在では、冒険者などに出来るのとなどありませんから………」
「でも、父さんと母さんは……」
「叔母上達とて元はレイチェル様のお父上に雇われていた傭兵ですよ。魔剣士を討伐してからは、陛下と叔母上で諸国を漫遊したこともあるそうですので、その時のお二人を指して冒険者と称することもあるのです」

ウィルはクロウドの言葉に黙り込んだ。
この旅は自分の汚名を払拭するのは勿論のこと、両親のような高名な冒険者になるというのも目標の一つだった。
だが、どうも冒険者というのは世間では評判が良くないらしい。

「今の冒険者というのは、立身出世などの一発逆転という有り得ないことを夢想して、当たり前のようになし得ず、賊に身をついやす者達のことを言うのですよ。要するに罪人の一歩前の者達といったところです」
「……………」
「このデジマからウルセトやニストで何も出来ず、それでも農民や商人のように働くことも受け入れられないならず者や、夢想家の冒険者が集まっては領内に広がっているのですよ」
クロウドはぐいいっと煽るようにグラスの葡萄酒を飲み干した。
新しいものを注ごうとしてボトルが空になっているのに気付き、深く溜め息をついた。

そんな従兄弟を見てウィルは本当ならもっと強い酒でうさを晴らしたいのかもしれないと思った。
彼もいずれは父の後を継いで領主となる人間だ。
この問題に相当頭を悩ませているのだろう。出来れば領主になるまでに解決したいはずだ。

それに、これは自分にとっても無関係ではない。
トーキョーの城下では聞いたことのない話だったが、もしかしたらいずれ都にもその冒険者達が来るかもしれない。
自分が国王になったときの禍根になるかもしれない。

とは言え、今何をどうすればよいのかもわからないのも事実だった。
何より、その事よりもウィルには優先しなければならないことがある。

現在進行形で事態に直面しているクロウドには申し訳ないが、ウィル達はウイル達で差し迫っているのだった。
それ故に知らなかったとは言え素行の悪い冒険者達に声をかけたのだから。

「クロウド、申し訳ないがウルセトの通訳に当てはないだろうか?」
問われたクロウドはまた溜め息をついた。溜め息をつくと幸せが逃げていくと父が言っていたことがあったが、今だけで彼はかなりの幸せに逃げられているな、とウィルな思った。

「叔母上から報せが来てはいましたが………本当だったのですね、キサラギを出られるというのは……」
「理由も聞いてるのか?」
「いえ、私が聞いているのは、もし殿下に会うことがあるならば協力するようにということだけです」
暗殺者から身も守るため、と伝えないのは混乱を避けるためか。
真の理由は言うつもりはない。クロウドはウィルを馬鹿にするようなことはないが、悪評を立てた人達を見返すためなどとはやはり言えなかった。

クロウドは従兄弟の王子を見つめる。
王子が国を出るなど尋常な事ではない。何か普通ではないことが起こったことは間違いないだろう。
少し前に王都で王子が行方知れずになったという噂がこのデジマにも届いた。
かと思えば叔母からは先程のような報せが届く。

そして実際に王子に会ってみれば、まともな警護もない。
四人の従者の内、城に勤めているのは乱闘騒ぎを起こした二人で、残りは行きずりの者だという。
この四人がどれ程の実力を持っていたとしても四人に出来ることなど限りがある。
なのに、叔母は従兄弟が国を出ることに協力しろという。
おかしなことばかりだ。

だが、問いただしても答えは返ってこないだろうとクロウドは思った。
従兄弟のウィルレットは温厚な少年だが芯は強く、これと決めたことは譲らないところが幼い頃からあった。
そんな彼に出来ることは、出来るだけ力を貸して無事を祈ることではないか。
クロウドはそう考えることにした。

「先日、雇ってくれと言ってきた二人組の冒険者が居まして断ったのですが、明日にまた来ると言っていました………雇うことは出来ませんが、代わりに殿下達の通訳を斡旋しましょう。二人ともウルセトの出身でウルセト語と、レクトゥール語を話せます。今回のことに適してるかと」
直接会って話したが、ならず者というわけではなく、英雄に憧れただけの夢見がちな若者といった風情だった。
きっちりとした、報酬を支払えば害をなすこともしないだろうし、故郷に帰ってやり直す機会も与えられるだろう。

ウィルは納得したようで笑顔になった。

「助かったよクロウド。ここで君に会えたのは幸運だった」
「今夜はこちらに泊まって下さい。お連れ様も一緒に………リールラ殿とディッツ殿も牢から出しましょう」
クロウドの提案にウィルは首を横に振った。そして珍しく王子らしい様子で言った。

「駄目だ。手を出したのはあの二人からだからな。今夜は牢で過ごさせる。食事も抜いてくれ。罰はちゃんと与えないとな」
「わかりました。そう伝えておきましょう」

リールラとディッツは冷たい床で一晩過ごした上に食事も抜きにされたのだった。























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