神聖具と厄災の力を持つ怪物
九十七
倒れたシングを見て、リアは叫ぶ。
「シングさん!」
リアは駆け寄ろうとするが、アイリスは手を掴んで止めた。
「駄目です。ミノタウロスがいるのに近寄るなんて······」
「で、でもなのです!」
リアは尚も行こうとする。だが、アイリスはしっかり手を掴んで離さない。
「おいっ、んな事言ってる場合じゃねぇだろうが? あのミノタウロスをどうにかしねぇと······」
ヴェルストは、ダガーナイフを両手に持ち、構えている。
ミノタウロスは、三人の方へ振り向くと睨む。
その様子は、今に突進してきそうだ。
ヴェルストは警戒をゆるめない。
やがて、ミノタウロスは咆哮を上げる。
暫くして咆哮が止むと、牛頭の怪物の瞳から、一筋の涙が流れた。
すると、その身体から靄が漂っていく。
「何だ!? 何が起きてやがる?」
ヴェルストは更に警戒を強め、ダガーナイフを持つ両手に、力を込める。
突如、ミノタウロスに異変が起きた。
その身体は、縮んでいき、体毛と筋肉の盛り上がりが無くなっていった。
程無くして、三人は驚きで目を見開く。
何故なら、そこにいたのは──。
ミレイだったからだ。
リアは、瞳に涙を溜め、すぐに駆け寄る。近寄ると嬉しそうな表情を浮かべた。
「ミレイさん、良かったのですぅ······」
リアは、服を着ていないミレイの体を、自分の上着のローブを脱いで包んであげた。
「まさか、戻るとはな」
ヴェルストは、気の抜いた表情を見せた。
アイリスは、シングの右肩からの切り傷を、聖法術で治療していた。
ふと、ミレイの両目がうっすら開く。
完全に目を覚ました時、彼女の眼前にはリアの泣きじゃくる顔があった。
「あれ、リア······? どうしたのよ、そんな泣いて······?」
「ミレイさん、ミノタウロスになってたのですよ。戻って良かったのです······」
「そういえば、あたし······ミノタウロスの声が聞こえて······。あれ、シングとアイリスは?」
ミレイはリアに問う。
「······シ、シングさんは······」
「何よ、シングがどうしたのよ? ······」
ミレイはふと、ある考えがよぎった。
(あたしはミノタウロスになってた······シングならあたしを止めるはず。まさか······)
ミレイは辺りを見回す。すると後方に、血まみれのシングが倒れていた。
アイリスは必死に治療している。
「う、うそでしょ······?」
ミレイは、即座に立ち上がり近寄る。
シングの傍らに座ると、その手を両手で握った。
「どうしてよ。何であたしを倒さなかったのよ······」
リアは沈んだ表情で口を開く。
「シングさんは、ミノタウロスになったミレイさんを倒そうとしました。なのですが、最後ミノタウロスは、ミレイさんの声でシングさんの名前を呼んだのです。それで躊躇って反撃を······」
「な、何よ······それ······。それであんたが死んだら世話ないわね」
ミレイの冷たい言葉に対して、誰もいさめない。当たり前だろう。
ミレイの両の瞳から、涙がこぼれていた。
「何よ······どうして······?」
「ミレイさん······」
リアは掛ける言葉が見付からない。
「あんたがいなくちゃ意味ないのよ! どうして······あたしをその槍で貫かなかったの······? 目を覚まして答えなさいよ······。お願いだから!」
リアは堪らなくなって、ミレイの背後から抱き締める。
「ミレイさん······」
ふと、癒しの術をかけていたアイリスが口を開く。
「ミレイ······悔しいですが、私では力が及びません。言いたくないのですが、覚悟をして置いて下さい······」
「えっ······覚悟って何よ? アイリス、お願いだからシングを助けて!」
ミレイは懇願するが、今のシングの状態では厳しいだろう。
彼の右肩からの切り傷は深く、血も大量に流れている。
「······」アイリスは、ミレイの言葉に答えない。その唇はきつく閉じていた。
不甲斐ないと、自身に対して思っているのだろうか。
「······もう、駄目なの? ねえ······約束したわよね? 一緒に国を立て直すって······」
ミレイはぎゅっと、握っているシングの手に力を込めた。
その間、シングの呼吸は荒さを増していた。
「シング······」
その時、微かに近付いてくる足音がした。
真っ先に気付き、振り向いたのはリアだった。
足音の大きさは、次第に増していき、やがて。五人の近くで止んだ。
リアは立ち上がり、声を発する。
「あなたは······せ······」
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