東京ゾンビ地獄618!:眼鏡巨乳ヒロインと駆け抜けた、あの闇を照らせ!

島倉大大主

終:終わりにおきまして

 さて、ここまで読んでくれた読者諸君には、お礼を述べさせていただきたい。
 これは、言ってしまえば著者氏に対する『供養』のようなものであり、本来ならば、面識のない皆に読書という形で半強制的に参加してもらうべきものではないのだ。

 私の我儘につきあっていただき、本当にありがとうございました。


 以下、私の雑感という名の観念的というか、要は無駄な独り言が続くのだが、何か結論が出るわけではない。
 なので、そんな『不毛なもの』を読みたくないあなた、お疲れさまでした。また逢う日まで!

 この度は読んでくれて、本当にありがとうございました!






 さて、編集氏が、私が『やみテラ』を『相応しい』と言った理由は、実際に本文を読んでいただいた今ならば、読者諸君には、なんとなく理解していただけたと思う。
 618事件を娯楽として捉えるのは不謹慎である、という風潮は今後も強まっていくであろう。
 だが、私は、『娯楽として捉えてしまう』と宣誓した事実を覆すことはないと思う。

 そして、改めて思うのだ。
 やはり『618事件』は『魅力がある』――いや


 『618事件は魅力的過ぎる』のだ。


 勿論、『魅力』には、この場合、様々な意味合いが含まれる。だから、一つの言葉で括ってしまうのは、如何かとも思うのだが、他に表現しようがないのだ。

 そこで、出てくるのが、最近各所で時折目にするようになった

 『あの、618に戻りたい』

 という意見だ。
 冒頭で長々と述べた『618関連の創作物』が『売れている』こととも、無関係ではないはずだ。

 私自身はどうなのかと聞かれれば、即座に『もう結構だ。あの日には戻りたくない』と答えるだろう。
 とはいえ――『本当にそうか?』と聞かれたなら、心の何処かで何かがざわつくのを否定することはできない。

 『魅力的過ぎるもの』は、『中毒』を引き起こす。

 そして『中毒』は人を変えてしまう。

 いまだ突き止められていない『ゾンビの素』は、人をゾンビに『変えた』。
 そして、そのゾンビと闘った我々も、実は『変わってしまった』のではないだろうか?
 しかも――『永久』に。

 哲学者ニーチェは、『人生を危険にさらせ』と書き、また、『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物とならぬよう気を付けよ』と説いた。

 読者諸君は、くれぐれも気を付けられたし。

 深淵、闇、暗黒。
 その向こうを見つめる時、こちらを見かえしてくる者を確かめようと照らしたなら、そこには、『怪物』がいるかもしれないのだ。

 しかも、その怪物の顔は――

 だから、まあ――『闇』は、近寄らず、踏み込まず、照らさず――酒でも飲みながら、座って眺めるぐらいがちょうど良い、と私は思う。(そういう意味でも、ライトノベルというのは618事件に実はピッタリなのではないかと考えてしまう)

 それでは、最後に著者氏の自宅の机の上に残されたメモ、その最初に書かれた文章で、この長い無駄話を〆るとしよう。

 著者氏はこれを――巻頭に飾るつもりだったのではないだろうか?
 では、読者諸君! また何処かで!










 ――――あの事件の時に、活躍してしまった全ての人達へ

 また、活躍できる、その時を、今ここに――――


 了

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