エデン・ガーデン ~終わりのない願い~

七島さなり

2

 それからいくつか話をした後、ロエルが「さて」と呟きながら立ち上がった。


「もう外もだいぶ暗くなってきたし僕はもう帰るよ。聞きたいことは聞いたしね」


 それにつられてか、エヴィも立ち上がる。


「私もそろそろ戻るの」


 二人は座っていた椅子を机の中にきちんと収めると部屋の外に向かって歩き出した。


 ティエルも二人を見送るために立ち上がり扉に向かう。


「じゃあ、エヴィはまた明日。ロエルも、近々図書館の方に行く」


「ありがとう、また明日なの」


「はいはい、待っててあげるよ」


 三者三様の挨拶を交わして別れる。


 遠くで


「エヴィ、今度図書館においで」


「うん。わかった」


 という二人のやりとりが聞こえた。


 ティエルは二人が角を曲がるまで見送り、部屋に戻った。


 それからしばらくして、エヴィがこれからどこで寝泊まりをするのかを知らないことに寝る前の湯浴みを終えたときに気付いた。


「聞いておけば良かったな」


 そんなことを小さく呟く。


 ベッドの横に据えられている椅子に腰かけながら、ティエルはぼんやりと天井を仰いだ。


 今日はいろいろなことがあったなあ、とそんなことを思う。


 すると控えめなノックの音がした。


「どうぞ」


「失礼致します」


 そう言いながら入ってきたのはルームメイキングに来たメイドだった。


 メイドは流れるような動作で部屋まで入ってくると慣れた手つきでクローゼットを開け、中から明日着る服を選んでしっかりと皺を伸ばしながら外のハンガーラックに吊るしていく。


 その様子を眺めながら、ふとティエルはそのメイドとぶつかりそうになったことを思い出した。


「あの、昼間はごめん。大丈夫だったか?」


 遠慮がちに声をかけるとメイドは作業を続けながら僅かに振り返り、無表情のまま


「問題ありません。実際に衝突をしたわけではございませんので。


 しかし、今後は気をつけていただかなければ困ります。あのようなことは決して客人の前ではなさらないでくださいね」


 と言った。


「うん、わかってる」


 ティエルは苦虫を噛み潰したような顔をしながら大きく頷く。


「それより客人ってのは?」


 しかし、その顔をいつまでも続けているわけではない。


 すぐに別の対象に興味が移り、椅子の上で胡坐をかきながらそう尋ねた。


 その間にメイドはクローゼットの整理からベッドの整頓に移っていた。元々ベッドは整頓されているのだが、夜の気温を見て布団を増やしたり減らしたりするのだ。今日は減らすらしい。


 念入りにシーツの皺を整えるメイドは少しだけ首を傾げた。


「エヴィ・F・エンドレス様のことです。ティエル様がお連れした方だとお伺いしましたが?」


 ティエルは思わず身を乗り出す。


「え、城に居るのか?」


「はい。アルフェルド様のご命令で本日からこの城にお泊りいただくことになっています。残念ながらティエル様にお部屋を教えることはできませんが」


 そう言われ、思わず乗り出した体を引っ込めた。


 どうやらメイドのティエルに対する信頼はそこまで厚くないようだ。


「別に教えられても何もしないぞ」


 拗ねたように呟く。


「エヴィ様からの申し付けです。絶対にティエル様にだけは伝えぬようにと強く念を押されました」


 淡々とした口調でメイドは言った。


 どうやらエヴィのティエルに対する信頼もそこまで厚くないらしい。


 無性に悲しくなってきたティエルは小さく溜息を吐いた。


「一体何をなさったのですか? ティエル様」


「別に、何も……」


 まるで軽蔑でもするような視線が耐えられず、思わず顔を反らす。


 これじゃあ肯定してるのと同じだと思ったが、なぜかメイドの方を見ることが出来なかった。


「……エヴィが、城内の掃除を手伝ってくれたって聞いたんだが」


 顔を反らしたまま、なんとか話を反らそうと口を開く。


 しかし思いの外、メイドの食いつきは良かった。珍しく弾んだ声が言う。


「そうなのです。エヴィ様にお手伝いしていただいたので今日はいつもより早く掃除が終わり、わたくし達は大変助かりました」


「魔法、使ったんだよな?」


 チャンスとばかりにそのまま話を掘り下げていく。


「はい。しかし、わたくしは今まであのように便利な魔法を見たことがありません。確かに物を動かす魔法があることは知っておりますし、見たこともございます。しかしあれだけの数の物を同時にそして自由に動かすことが出来る魔法は初めて見ました」


「確かに、あれは凄かったな」


 ティエルは昼間に見た動く箒と雑巾を思い出す。そして、それと同時に初めて会った時にエヴィがやってのけた所業も思い出していた。


「まるで奇跡のようでした」


 うっとりとした口調でメイドが言う。


「奇跡……」


 その言葉をなぞりながら、ティエルはふとあることを思い出した。


「そういえば魔法を使う前にエヴィがおかしなことをしたりしなかったか?」


 顔を上げてメイドを見ると、メイドは不思議そうな顔で首を傾げた。


「おかしなこと、ですか?」


「うん。例えば誰かにキスしたり」


 その顔が一瞬にして険しくなる。


「……いえ?」


 冷めた声にティエルは「あー」と僅かに視線を泳がせた。


「あの、過度なスキンシップをしたり、とかさ」


 しどろもどろになりながらなんとか言葉を絞り出す。


 メイドは冷めた顔のまま口元に手を当てながら少し黙ると、


「いえ、そのような記憶はございません」


 と静かに首を横に振った。


 ティエルは「そっか」と少しだけ残念そうに呟く。


 エヴィについて何か知ることが出来るかもしれないと思ったが、そう上手くはいかないようだ。


 ベッドの整頓を終えたメイドが毛布を持って静かに立ち上がった。そして深々と頭を下げる。


「では、わたくしは失礼させていただきます」


「ああ、いつもありがとう」


 ティエルが笑いながら言うとメイドはまた小さく頭を下げた。


「ではティエル様、今宵も良い夢を」


「うん、おやすみ」


 そして扉に向かって歩き出す。


 その後ろ姿をティエルはぼんやりと眺めていた。


 すると部屋を出ていく直前、メイドが思い出したように「そういえば」と言った。


「? どうした?」


 咄嗟にそう尋ねる。


 メイドはきちんと振り返ってティエルを見た。


「過度なスキンシップはありませんでしたが、エヴィ様は誰かと手をつなぐと落ち着くと言ってわたくし達の手をよく触っていましたよ」


 言いたいことは全て言ったらしく、メイドは扉に向き直ると「失礼致しました」と部屋を出ていった。


 バタンッという短く微かな音が響く。


 その後、シーンという音がしそうなほど静かになった部屋で


「手をつなぐと落ち着く、か……」


 メイドの残した言葉をなぞり、ティエルは思わず自分の掌を見つめた。


 何かが掴めそうで掴めない。


 軽く頭を振るとティエルは「考えてもしょうがない」と呟いて立ち上がった。


「寝るか」


 言うと同時に明日のことを思い出す。ティエルは誰もいないのに、まるで見せつけるように思い切り顔をしかめた。

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