エデン・ガーデン ~終わりのない願い~

七島さなり

6

 女性はティエルを見つけるとわずかに微笑んだ。


「ごきげんよう」


 そう声をかけられる。


 その途端、頭が真っ白になってしまった。それでもティエルはしどろもどろながらも「は、はじめまして」と言葉を絞り出した。


 緊張が伝わったのか、女性は落ち着かせるようにニコリと淑やかに笑うと、しっかりとした足取りでティエルに近付き、すっと手を差し出した。


「はじめまして。わたくしはフェリカ・Relレルと申します。以後、お見知りおきを」


「ティ、ティエル・エデンです。これからよろしくお願いします!」


 フェリカと名乗った女性の手を握り返す。緊張のあまり手汗をかいていないか、ティエルはただそれだけを心配していた。


 すると突然後ろから


「ねえ、入り口付近でやってないで中入ったら良いんじゃあないのかい? 僕が入れないじゃないか」


 という青年の声がした。


 驚いて思わず手を離してしまう。


 扉の影から現れた青年にフェリカも驚いたようだった。


「貴方は確か……、ロエル、様?」


 小さな声でそう呟く。


「やあ、フェリカ。久しぶり」


 青年、ロエル・Voiヴォイは軽い調子で言いながら扉を閉めると、ティエルの横に並んで恭しく一礼をした。


「なんと言いますか、その、随分と……」


 フェリカはロエルをしばらく呆然とした様子で凝視していた。


「僕のことなんて後々。今は王子だろ」


 しかし凝視されていた本人はそんなことも意に介さず、ティエルの肩に軽く手を置いた。


「あ、ええ。そう、でした」


 それで我に返ったのか、フェリカはティエルに視線を戻し、照れたようにはにかんだ。


「申し訳ありません。知人に合うのは久しぶりだったので」


「い、いえ、お構いなく」


 ティエルは何度も首を横に振った。


 ロエルの乱入のおかげか、緊張はいくらか収まっていた。


「本日から、現王、アルフェルド様の命によりティエル様にこの世界の歴史をお教えすることとなりました。


 今日は顔合わせということで、軽い自己紹介とティエル様がどれほど世界史をご存知なのかを確認させていただきたいと思っております」


 座りましょうか、とフェリカに促されるまま、ティエルは普段自分が座っている席に着いた。ロエルはその後ろにおいてある監督用の椅子に腰掛けている。


 授業部屋の中は扉のすぐ真正面が窓になっており、扉から見て左側に黒板と教卓、教卓から少し離れた位置にいくつかの学習机と椅子が置いてある。ちなみに扉から見て右側には監督用の椅子と授業で使う様々な備品が乱雑に置かれている。


「では、少しだけ私のお話を交えながら、ティエル様がどれだけ世界史を知っておられるか、確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 拒否する理由もなく、ティエルは小さく頷いた。


「もう、ティエル様はご存知でしょうが、私は竜王エデンの娘です。母はリリィ・Rel。先の氷河期によりすっかり珍しくなってしまいましたが、正真正銘の竜です」


 竜王エデンの本名はエデン・Relというらしい。初めて知った事実にティエルは小さく「へぇ」と感嘆の声を上げた。


「ちなみに、これは全く関係のないことですが、私達竜が人の身に変化へんげし暮らすようになったきっかけはそこに居られるロエル様なのですよ。ティエル様」


 クスッと子どものようにフェリカは笑う。


 ティエルは突然飛び出した意外な名前に思わず後ろを振り返った。


 ロエルはよほど驚いたのか数回口をパクパクとさせた後、ばつが悪そうに顔を逸らして押し黙っていた。


「話を戻しましょう。ティエル様は氷河期以前に起きていた世界戦争についてどれだけご存知ですか?」


 世界戦争。それは竜王エデンが世界に安穏をもたらすために起こした戦争のことである。


「あまり。甚大な被害が出たという程度のことしか知りません」


 ティエルが答えると、フェリカは紙にペンを走らせた。


「わかりました。授業はそこから始めることにしましょう」


 それから似たような質問がいくつか続いた。竜王について、氷河期について、竜人達じぶんたちのルーツについて、今の現状について。


 いろいろなことを聞かれたが、ティエルはそれに満足に答えることが出来なかった。


「では、ティエル様から私に何か聞きたいことはございますか?」


 最後に、フェリカがそう言った。


 少しの間考える。今疑問に思っていることはいずれ授業で解決するだろう。その上で今聞いておきたいことを考える。


 しばらくの沈黙の後、ティエルは静かに口を開いた。


「……フェリカ様は九百年間、世界を見て回ったんですよね。世界を見て、どう思いましたか?」


 フェリカはゆっくり言葉を噛み締めるようにゆっくり頷くと、最初に見たときのような憂いを帯びた表情を浮かべた。


「ひどい、とそう思いました」


 短い返答。それが物事の重大さを如実に語っていた。


「――」


 思わず声を失う。


「でも、希望だってある、とも思いました」


 フェリカは困ったような顔で笑った。


「世界を巡って、私にも出来ることはあるのだと、そう思ったのです」


 そう、力強く言いながら。

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