エデン・ガーデン ~終わりのない願い~
4
ティエルが消えた決闘場の上。こっそりとどこかに立ち去ろうとするケーイに向かってリンが言った。
「ケーイ副隊長。少しお話が」
ケーイはビクッと体を震わせると、恐る恐る振り返り
「ばれたかァ」
と呟いた。
「当たり前です」
呆れた声が言う。
ケーイは苦笑いを零しながら決闘場から降りた。そしてリンの横に並ぶ。
「それにしても思わぬ伏兵だったなァ。リン様、今日はこちらで共に訓練をなさる予定でしたっけ?」
「そうです。お誘いくださったのはケーイ副隊長、貴女のはずですが?」
「あ、そうか。そうだったな……。申し訳ない」
すっかり忘れていたケーイは「あはは」と笑って頬を掻いた。
「構いません」
リンはすました顔で言う。
不意に両者の間に沈黙が落ちた。
ケーイは困惑した。
話があると言ったにも関わらず、リンはそれ以上の言葉を紡ごうとしない。
ケーイは気まずさを感じつつ、ただ黙ってじっと立っていた。声をかけようにもなんと声をかけたら良いのかわからないのだ。
「歩きませんか」
そうして悩んでいると、いきなり前に躍り出たリンが静かな声でそう言ってきた。
特に拒否する理由も見つからなかったので、ケーイは頷き
「良いですよ」
と応じる。
するとリンは何も言わずに歩き出した。
どこかへ向かって歩き始めた後ろ姿を追いかけ、ケーイは決闘場を後にした。
エデン軍の訓練所は正門へと続く道の端にある花壇、の後ろに乱立する木々の中にある。深い木々によって人目から隠されているため詳しい場所は兵士達しかわからないが、おおよそで言うならば城から見て左手側に訓練所が設けられている。
ちなみに右手側には兵士達のための宿舎がある。
大きさはどちらも城の半分ぐらいだ。十分に大きいと言えるだろう。
訓練所の半分は決闘場となっており、実はケーイ達が使っていたものの他にもう二つほど舞台がある。残り半分は当然のように兵士達が普段の訓練や鍛錬を行うための訓練場である。
いかなる訓練でも行えるように訓練場には様々な器具や備品が取り揃えてあるため、兵士達にとってあの場所は楽園にも等しい。
要するに決闘場から訓練場まで行く道のりが以上に長いのだ。
そんなのケーイにしてみればとうの昔に慣れた道であるし、体力はある方なので本来ならば何の問題もない。
しかし、今はその長さを心底憎んでいた。
理由は言うまでもない。自分の前を歩く彼女が一向に口を開こうとしないからだ。
こちらが一方的に感じているだけなのかもしれないが、こうしてリンと二人で居ること自体、ケーイにとっては重責なのだ。
理由はいろいろある。二人を包む重苦しいまでの静寂が気まずいことこの上なかった。
ケーイは密かに首を傾げる。
なぜリンが黙っているのか、よくわからなかった。
やがてリンがその足を止めた。ケーイは数歩進んでリンの横に並ぶ。
目の前に広がるのはケーイにとってはよく見慣れた、柔らかそうな芝生が広がる訓練場だ。
訓練場は雨が降ろうが雪が降ろうが槍が降ろうが訓練を可能にするため、しっかりとした屋根がついている。窓も今は全て締め切っているため、完全な密封空間だった。
外の音が一切ない場所で、男たちのむさ苦しい声だけが反響していた。
むわっとする熱気に襲われ、ケーイは少しだけ顔をしかめる。リンも同様に少しだけ眉根を寄せていた。
必死に素振りに勤しむ屈強な男たちの中、ケーイは一際小柄な人影を見つけた。
見間違えるはずもない。ティエルだ。
ティエルは額に玉のような汗を浮かべつつ、それを拭おうともせずに一心不乱に剣を振り続けていた。口が微かに「五百一、五百二」と呟いているのが見える。目標の四千回はまだ遥か遠いようだ。
リンもティエルを見つけたのだろう。同じ方向を見ながら小さく呟いた。
「最近、ティエル様を甘やかしてはいませんか」
静かな声。怒っているようにも聞こえる声に、ケーイはリンがなんのためにここに来たかを察した。
ああして自分の『やるべきこと』のために必死に頑張っているティエルを見たかったのだろう。
リンはティエルのことを話しに来た。それに気づいたケーイは口調を副隊長のものから、ティエル・エデンの従者のものへと変えて応じた。
「そんなことはないと思うけどなァ?」
リンが振り向く。ケーイはただ真っ直ぐ、自分と対峙する相手を見つめた。
「リン様がティエル様のことを案じる気持ちはわかりますよォ。何せ、あなたはティエル様の許婚。貴女には貴女で自分の旦那に、未来の王にこうあってほしいという理想がおありでしょう」
リン・トラスト。彼女はエデン家の次に力を持つトラスト王国の王女で、竜王エデンの右腕と言われたトラストという竜の血を色濃く継ぐ一族の一人だ。
そしてティエルの許婚でもある。
リンは燃えるような赤い瞳でケーイを見据える。
「私はティエル様のことを思って言っているんだ。
最近のティエル様の行動は目を見張るものが多い。貴女はそれに対して注意を怠っているのではないか」
ケーイはふむ、と小さく唸った。
リンが言っているのは毎日のように行われる『勉強部屋』からの脱出だろう。それにもっと注意を払うべきだと、言いたいのだ。
しかしケーイはリンと違い、今までのティエルの行動を咎める気にはどうしてもなれずにいた。もしティエルが命に関わりそうなことをしようものなら注意をするし監視もするだろう。
しかし、ティエルは絶対にそんなことはしないと自信を持って言える。だからケーイは目を瞑ってもいいのではないかと思っているのだ。
「おいらは年中ティエル様の傍にいるわけじゃァないので、怠っているかどうかと言われても困ってしまいますォ。そりゃ、年中一緒にいないことを怠慢だと言われたらそれまでですが。ただ、おいらは王子に過度な干渉をしようとは思わないし、本当に止めるべきものなら止めますよ」
これでこちらの思いが伝わればいいが、とケーイは少しだけふざけた調子で言った。
対するリンは少し黙りこみ、やがて
「……私は、貴女に歯止めになってほしいと思っています」
静かにそう呟いた。
それにケーイは困ったように眉尻を下げる。どうやらケーイの思いは伝わらなかったようだ。
「おいらは、リン様は少しティエル様に厳しいのではないかと思ってるんですよねェ」
おずおずと口を開くと、リンは訝しむような顔でこちらを凝視した。
「注意したって聞かないんですよォ、あの人は。だったら少しぐらい自由にやらせても良いと、おいらは思うんですけどねェ」
なるべく怒らせないように言葉を選びつつ話す。
しかしお気に召さなかったらしく、リンは鋭くケーイを睨み付けると、押し殺したような声で
「そうして私達が諦めてしまえば、ティエル様はどんどん駄目になっていってしまう」
と言った。
「王とは誠実でなければならない。今のティエル様にそれは不可能でしょう。だから私達が彼を立派な王に、竜王エデンのような王にしなければならない!」
睨み付けてくる瞳に浮かぶのは宿命に燃える強い意志。
ケーイはそれに圧倒されそうになるのと同時に言葉を失った。
竜王エデンのような王にするという言葉に唖然とした。
昔からリンの竜王に対する執着がどれほどのものかとういうのは知っていた。それにティエルがうんざりしていることも。しかし、それがここまでだとはケーイも流石に思っていなかった。
「それは理想の押し付けでは?」
だからこそ、思ったことをそのまま口にする。
「いいや、これがティエル様のためなんだ」
しかしリンは目を爛々と輝かせながら、わずかに頬を紅潮させて力強く言い放った。それが正しいと信じて疑っていないのだ。
もう話は通じない。そう思ったケーイは顔半分を手で覆うと、思わず失笑した。
「いつまでもそんな風にしてると、いつか愛想つかされますよォ。許婚候補は他にも居るんですから」
からかうようにそう呟く。
すると、リンはひどく神妙な顔をして
「貴女がそれを言うと洒落にならないな」
と言った。
それがとても可笑しくて、ケーイは「やめてくださいな」と笑った。
「ケーイ副隊長。少しお話が」
ケーイはビクッと体を震わせると、恐る恐る振り返り
「ばれたかァ」
と呟いた。
「当たり前です」
呆れた声が言う。
ケーイは苦笑いを零しながら決闘場から降りた。そしてリンの横に並ぶ。
「それにしても思わぬ伏兵だったなァ。リン様、今日はこちらで共に訓練をなさる予定でしたっけ?」
「そうです。お誘いくださったのはケーイ副隊長、貴女のはずですが?」
「あ、そうか。そうだったな……。申し訳ない」
すっかり忘れていたケーイは「あはは」と笑って頬を掻いた。
「構いません」
リンはすました顔で言う。
不意に両者の間に沈黙が落ちた。
ケーイは困惑した。
話があると言ったにも関わらず、リンはそれ以上の言葉を紡ごうとしない。
ケーイは気まずさを感じつつ、ただ黙ってじっと立っていた。声をかけようにもなんと声をかけたら良いのかわからないのだ。
「歩きませんか」
そうして悩んでいると、いきなり前に躍り出たリンが静かな声でそう言ってきた。
特に拒否する理由も見つからなかったので、ケーイは頷き
「良いですよ」
と応じる。
するとリンは何も言わずに歩き出した。
どこかへ向かって歩き始めた後ろ姿を追いかけ、ケーイは決闘場を後にした。
エデン軍の訓練所は正門へと続く道の端にある花壇、の後ろに乱立する木々の中にある。深い木々によって人目から隠されているため詳しい場所は兵士達しかわからないが、おおよそで言うならば城から見て左手側に訓練所が設けられている。
ちなみに右手側には兵士達のための宿舎がある。
大きさはどちらも城の半分ぐらいだ。十分に大きいと言えるだろう。
訓練所の半分は決闘場となっており、実はケーイ達が使っていたものの他にもう二つほど舞台がある。残り半分は当然のように兵士達が普段の訓練や鍛錬を行うための訓練場である。
いかなる訓練でも行えるように訓練場には様々な器具や備品が取り揃えてあるため、兵士達にとってあの場所は楽園にも等しい。
要するに決闘場から訓練場まで行く道のりが以上に長いのだ。
そんなのケーイにしてみればとうの昔に慣れた道であるし、体力はある方なので本来ならば何の問題もない。
しかし、今はその長さを心底憎んでいた。
理由は言うまでもない。自分の前を歩く彼女が一向に口を開こうとしないからだ。
こちらが一方的に感じているだけなのかもしれないが、こうしてリンと二人で居ること自体、ケーイにとっては重責なのだ。
理由はいろいろある。二人を包む重苦しいまでの静寂が気まずいことこの上なかった。
ケーイは密かに首を傾げる。
なぜリンが黙っているのか、よくわからなかった。
やがてリンがその足を止めた。ケーイは数歩進んでリンの横に並ぶ。
目の前に広がるのはケーイにとってはよく見慣れた、柔らかそうな芝生が広がる訓練場だ。
訓練場は雨が降ろうが雪が降ろうが槍が降ろうが訓練を可能にするため、しっかりとした屋根がついている。窓も今は全て締め切っているため、完全な密封空間だった。
外の音が一切ない場所で、男たちのむさ苦しい声だけが反響していた。
むわっとする熱気に襲われ、ケーイは少しだけ顔をしかめる。リンも同様に少しだけ眉根を寄せていた。
必死に素振りに勤しむ屈強な男たちの中、ケーイは一際小柄な人影を見つけた。
見間違えるはずもない。ティエルだ。
ティエルは額に玉のような汗を浮かべつつ、それを拭おうともせずに一心不乱に剣を振り続けていた。口が微かに「五百一、五百二」と呟いているのが見える。目標の四千回はまだ遥か遠いようだ。
リンもティエルを見つけたのだろう。同じ方向を見ながら小さく呟いた。
「最近、ティエル様を甘やかしてはいませんか」
静かな声。怒っているようにも聞こえる声に、ケーイはリンがなんのためにここに来たかを察した。
ああして自分の『やるべきこと』のために必死に頑張っているティエルを見たかったのだろう。
リンはティエルのことを話しに来た。それに気づいたケーイは口調を副隊長のものから、ティエル・エデンの従者のものへと変えて応じた。
「そんなことはないと思うけどなァ?」
リンが振り向く。ケーイはただ真っ直ぐ、自分と対峙する相手を見つめた。
「リン様がティエル様のことを案じる気持ちはわかりますよォ。何せ、あなたはティエル様の許婚。貴女には貴女で自分の旦那に、未来の王にこうあってほしいという理想がおありでしょう」
リン・トラスト。彼女はエデン家の次に力を持つトラスト王国の王女で、竜王エデンの右腕と言われたトラストという竜の血を色濃く継ぐ一族の一人だ。
そしてティエルの許婚でもある。
リンは燃えるような赤い瞳でケーイを見据える。
「私はティエル様のことを思って言っているんだ。
最近のティエル様の行動は目を見張るものが多い。貴女はそれに対して注意を怠っているのではないか」
ケーイはふむ、と小さく唸った。
リンが言っているのは毎日のように行われる『勉強部屋』からの脱出だろう。それにもっと注意を払うべきだと、言いたいのだ。
しかしケーイはリンと違い、今までのティエルの行動を咎める気にはどうしてもなれずにいた。もしティエルが命に関わりそうなことをしようものなら注意をするし監視もするだろう。
しかし、ティエルは絶対にそんなことはしないと自信を持って言える。だからケーイは目を瞑ってもいいのではないかと思っているのだ。
「おいらは年中ティエル様の傍にいるわけじゃァないので、怠っているかどうかと言われても困ってしまいますォ。そりゃ、年中一緒にいないことを怠慢だと言われたらそれまでですが。ただ、おいらは王子に過度な干渉をしようとは思わないし、本当に止めるべきものなら止めますよ」
これでこちらの思いが伝わればいいが、とケーイは少しだけふざけた調子で言った。
対するリンは少し黙りこみ、やがて
「……私は、貴女に歯止めになってほしいと思っています」
静かにそう呟いた。
それにケーイは困ったように眉尻を下げる。どうやらケーイの思いは伝わらなかったようだ。
「おいらは、リン様は少しティエル様に厳しいのではないかと思ってるんですよねェ」
おずおずと口を開くと、リンは訝しむような顔でこちらを凝視した。
「注意したって聞かないんですよォ、あの人は。だったら少しぐらい自由にやらせても良いと、おいらは思うんですけどねェ」
なるべく怒らせないように言葉を選びつつ話す。
しかしお気に召さなかったらしく、リンは鋭くケーイを睨み付けると、押し殺したような声で
「そうして私達が諦めてしまえば、ティエル様はどんどん駄目になっていってしまう」
と言った。
「王とは誠実でなければならない。今のティエル様にそれは不可能でしょう。だから私達が彼を立派な王に、竜王エデンのような王にしなければならない!」
睨み付けてくる瞳に浮かぶのは宿命に燃える強い意志。
ケーイはそれに圧倒されそうになるのと同時に言葉を失った。
竜王エデンのような王にするという言葉に唖然とした。
昔からリンの竜王に対する執着がどれほどのものかとういうのは知っていた。それにティエルがうんざりしていることも。しかし、それがここまでだとはケーイも流石に思っていなかった。
「それは理想の押し付けでは?」
だからこそ、思ったことをそのまま口にする。
「いいや、これがティエル様のためなんだ」
しかしリンは目を爛々と輝かせながら、わずかに頬を紅潮させて力強く言い放った。それが正しいと信じて疑っていないのだ。
もう話は通じない。そう思ったケーイは顔半分を手で覆うと、思わず失笑した。
「いつまでもそんな風にしてると、いつか愛想つかされますよォ。許婚候補は他にも居るんですから」
からかうようにそう呟く。
すると、リンはひどく神妙な顔をして
「貴女がそれを言うと洒落にならないな」
と言った。
それがとても可笑しくて、ケーイは「やめてくださいな」と笑った。
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