エデン・ガーデン ~終わりのない願い~

七島さなり

2

 謁見の間から出る。その後、ティエルは部屋には向かわずに玄関に向かった。


 広い玄関ホールを足早に通り抜ける。開きっぱなしの扉を抜けて外へ飛び出した。


 段差の少ない階段を降りる。すると正門まで続く長い石畳の道に出た。


 障害物が一切ない道。その両脇には花壇があり、季節外れの様々な花が咲き乱れている。その後ろには城を覆うように広がる木々の群れがあった。その向こうには森を囲うように高い塀が建っているのだが、ここからでは正面にそびえる正門しか見えなかった。


 ティエルは足を止めることなく、正門まで続く道をただ真っ直ぐ歩き出した。


 道の両脇に咲き乱れる花に一切視線を向けることもなく。


 無我夢中で歩いているうちにいつの間にか正門までたどり着いていた。


 見上げるほど大きな門には華美な装飾は一切見られない。白銀に煌めく頑丈そうな分厚い門。ティエルは唇を噛み締めてしばらくそれを見上げていた。


 そして沸き上がる憤りに任せてその門を殴った。


 凄まじい衝撃音。しかし門には傷一つつかず、逆に殴った手に走る痺れるような痛みに「っ――……!」と声にならない呻き声をあげた。


 ティエルは殴った体勢のまま、しばらくじっとしていた。


 もやもやとした思いが胸を支配する。気持ちが言葉にならない。思わず泣きそうになる。


 しかし、ティエルはぐっと唇を噛み締めて涙を堪えた。


 やがて「……よし」と小さく呟く。


 顔を上げたティエルはもう普段通りのティエルだった。


 何かを考え込むように門を見上げる。


 そして、にやりと笑うと門の凹凸に手と足をかけて器用に上り始めた。


 慣れた様子で門を登っていく。なんの苦も問題も感じさせない軽やかな足取りで、あっという間に一番上まで登り切った。


 荒く息を吐きながら座り込む。息を整えるために深呼吸を繰り返した。


 そして最後に大きく息を吐くと、ゆっくりと門の上に立ち上がった。


 身を斬るような冷たく強い風が体を襲う。吐く息が一瞬で凍りつき、白く濁って風に流されていった。


 ティエルはそれに少しだけ苦しそうに顔を歪める。体の感覚が徐々に失われ、体が動きにくくなっていくのがわかる。


 しかし、それでも決して降りようとはしない。ティエルは凍りついて開きにくい目を必死に開きながら遥か下にある世界を眺めた。


 そこは、全てが白に染まった世界。


 上空に浮かぶ、緑溢れるエデン城とは比べ物にならないほどの過酷な世界が目の前には広がっている。


 約九百年前に突然起きた氷河期。それは今も尚、全ての生き物に猛威を振るい続けている。


 まるで本当の姿を隠すように、全てから隔絶するように大地を覆う氷。そして降り積もっては長く大地に留まり続ける雪。


 それらに光が反射して、きらきらと美しい光の粒子を振りまいていた。


 それをティエルは美しいと思った。残酷で、美しいと。


 次に空を仰いだ。


 太陽が二つ見える。


 ひとつは本物の太陽。そしてもう一つは竜王エデンが作った疑似太陽だった。


 伝承によるとかつての太陽は光だけでなく熱も与えてくれる物だったらしい。しかし、氷河期と共に太陽はただ光を与えてくれるだけのものになり、世界が急激に冷え込んだ。


 だからエデンは疑似太陽を造り、大地に熱を与えようにした。


 疑似太陽の開発は成功。現在では氷が溶けることはないが、降り続けていた雪が止むようになり、また溶けるようになった。


 下に視線を戻す。


 ここから世界の全てを見ることはできない。それでもティエルは食い入るようにそれをじっと見つめた。


 じっと見つめて、強く思う。


「なんとか、しないといけないんだ」


 王子として。この世界を背負うものとして。


 ティエルは拳を握りしめた。もう手の感覚はほとんどなかったが、それでも強く握りしめる。


「もっと頑張らないと」


 そして自分に言い聞かせるように小さく呟いた。


 すると


「何を頑張るのさ」


 不意に風の唸り声に混じって聞き慣れた声が聞こえた。


 その途端、さっきまで体を煽り続けていた風が止む。


 驚いて辺りを見渡すと、彼女はさも当然のように塀の上に立っていた。


「ケーイ」


 名前を呼ぶと、つなぎ姿の少女、ティエルの従者であり同僚のケーイ・A・ヴィオはやる気のなさそうな笑みを浮かべてぱくぱくと口を動かした。


 どうやら何かを言っているらしい。


 ティエルはケーイを見つめながら小さく首を傾げてみせた。


 それに彼女は短く何かを唱える。


 すると今度ははっきりと


「ごきげんよう。ティエル様」


 という言葉が耳に届いた。


「なァ」


 ケーイは軽い調子で言いながら、同じく軽いステップでティエルの目の前まで近づいてくる。


 そして楽しそうに口を歪ませて笑った。


「王子はバカなのかァ? それともアホ?」


 しかし、その目は決して笑っていなかった。


 思わず数歩下がる。が、それに会わせてケーイも近づいてくるため、距離が離れることはなかった。


「ごめん」


 ティエルは諦めて立ち止まると、ケーイの目を見つめてはっきりとそう言った。


 それにケーイは少しだけむっとした顔をして、ティエルの腕をしっかり掴んだ。


「こんなところに王子一人で来たら死ぬって何度も言ったぞ、おいらは」


 上空は氷河期中の地上と比べても殊更に気温が低く、また風が冷たく強い。長時間そこに止まると体に様々な弊害が及ぶ危険な場所である。


 空高くに浮かぶエデン城はそれら全ての危険に対してありとあらゆる対応を施してようやく住むことができている。


 しかし、対策がしてあるのはあくまで塀の内側だけであり、塀の上にまではそれが及んでいない。


 ゆえにそこに生身で長時間居ようものなら高確率で死ぬ。


 だからもし塀に上るのなら、大概はケーイのように魔法を使って寒さや風を遮るのが常だ。


 魔法は誰にでも使える無属性魔法と、生まれながらにして持っている属性に応じた属性魔法とがある。この世界に生まれ、方法を知っていれば誰でも扱うことができるのが魔法の最大の特徴だ


 しかし時にそれを自由に扱うことができないものがいる。


 ティエルはその中の一人だった。


 というのも、ティエルは普通の竜人や人間に比べて体に溜めておける魔力の量が圧倒的に少ないのだという。体を動かすのに必要最小限の魔力しか体に留めておけないため、それを魔法に回すことが出来ないのだ。


 ティエルはそんな自分の体質を十分に理解していた。しかし、わかった上でここに来たのだ。


「うん、覚えてる」


 視線を少し下に向ける。


「来るなら声をかけてくれってのも言った」


 ティエルの腕を掴む手が微かに震えているのが見えた。


「うん、それも覚えてる」


 それに思わず笑いそうになる。


「じゃあ、なんでここに居るんだ」


 必死に逃がすまいとするケーイ。それが冷えきったティエルにはとても暖かかった。


「ごめん、心配かけた」


 ティエルはケーイの手を握ると、ついに耐えきれずに笑いだした。


 それにケーイは怒ったように頬を膨らませた。


「……おいら、ふざけてるつもりないんだけど」


「いや、つい……。悪いな」


 ケーイはしばらくじぃっとティエルを見つめていたが、やがて諦めたように小さくため息を吐いた。


「手、冷たいよ」


「ケーイの手は暖かいな」


 とぼけてみせると、ようやくケーイは小さく笑った。


「まったく、こんな薄着で……。おいらが気付かなかったら死んでたぞ」


 愚痴を言いつつ、ケーイがティエルの手を包んだ。


「ごめん。でもほら、俺元気だし。大丈夫だよ」


 ティエルは軽い調子で言ってみせる。


 それにケーイは呆れたような顔で溜息を吐いた。


「おいらが気付かなかったら死んでたよ」


 そう言われてしまうとティエルは何も返せない。


「………………ごめん」


 と小さな声で言うと、


「別に、もう良いよ」


 とケーイは微かに笑った。


 その声が耳に心地よく響く。


 そして、そこではたとケーイにお礼をしていなかったことに気付いた。


「そういや、ありがとな」


 急に畏まったからか、ケーイは「ん?」と一瞬びっくりしたように目を白黒とさせた。


「あー、これだよ、これ」


 なんと言ったら良いかわからず、包まれていない方の手でくうを指す。


 それでようやく理解したのか、ケーイは楽しそうに口を歪ませると


「ああ、結界のことねェ。構いませんよ、亡くなられたら困りますので」


と言った。


 そこまで死ぬ死ぬと連続で言われるとまた申し訳なくなってくる。ティエルは小さく「ごめん」と呟いた。


「もう良いってば」


 ケーイはぎゅっとティエルの手を握ると明るく笑った。


「それより、なんでこんな所にいるのか教えてくれないか?」


 そして首を傾げてそう言う。


 ティエルはその問いかけに少しだけ迷った。


 しばらく黙る。


 ケーイはじっとティエルのことを見つめていた。


 結局、ティエルは今日あった出来事を洗いざらい全て話すことにした。


 今日も部屋を抜け出した。不思議な地下室で不思議な少女に会った。少女に頼まれて父の元へ行った。父に怒られて少し腹がたった。むしゃくしゃしたのでここまで来た。


 と、端的にわかりやすく今日あった出来事を全て話す。


 ケーイはそれをずっと黙って聞いていた。


「というわけだ」


「……うん、だいたいわかった」


 全てを話終えると、ケーイは数回頷きながら微かに忍び笑いをして


「まだ聞きたいことは山ほどあるけど……、ティエル様がここに来た理由はわかった。んで、やっぱアホなんだということがわかった」


 と言った。しかも言った途端に堪えきれなくなったのか、盛大に笑いだす。


「アホって言うな」


 それに少しむっとする。しかし事実なので強く否定することも出来ず、ティエルはもごもごと口ごもりながら小さく反論した。


「ごめんごめん。ただ……っ」


 まだ笑いが収まらないのか、口に手を当ててケーイは必死に笑いを堪えている。


 小刻みに揺れる体を見つめ、もう何も言うまいと心に決めたティエルは仏頂面で押し黙った。


 ケーイがようやく落ち着いたのは、それから大分時間が経ってからだった。


「はー、死ぬかと思った」


 腹部を撫でながら疲れたように呟く。それをティエルは静かに睨んだ。


「これくらいで怒るなよォ。お互い様だろー」


 しかし、そう言われてしまうと何も言えなくなる。せめてもの反抗としてそっぽを向くことにした。


「そいで、頭は冷えたのか?」


「おかげさまで」


 素っ気なく返事をする。


 顔を見なくてもケーイがどんな顔をしているのか容易に想像出来てしまうため、ティエルは顔を逸らしていることが無性に虚しくなった。


「いい加減、機嫌直せってェ。いつまでも拗ねてるなんて男らしくないぞ」


 そう思った矢先にそんなことを言われる。ティエルは仕方なくケーイの方に向き直った。


 想像通り、ケーイは口をニヤつかせて笑っていた。


「見なければ良かった」


 小さくそう呟く。それにケーイはケラケラと可笑しそうに笑った。


「まあ、そう言いなさんな!」


 おまけにばしばしとティエルの肩を叩き始める。


「ちょ、いっ、いてっ!」


 ティエルは肩を守るように僅かに体を傾けつつケーイから数歩離れた。


「こらこら、そんな力入れてないぞ」


 すると少しだけ唇を尖らせてケーイが言う。


「元が馬鹿力なんだろっ」


 ティエルは思わずそう返した。叩かれた肩が微かにじんじんと痛む。


「なっ! なんてことを言うんだよォ! こんなにも可憐でか弱いおいらにっ!」


 ケーイは目を見開くと、思い切り不機嫌そうに眉間に皺を寄せて怒鳴った。


 それをティエルは鼻で笑う。


「寝言は寝てから言えよ!」


「ねご……っ!」


 しばらく二人でにらみ合う。十秒過ぎても、一分過ぎてもずっとにらみ合っていた。


 そうしていると段々と可笑しくなってきて、二分過ぎた頃になって二人そろって同時に笑い出した。


「はははっ」


「へへっ」


 どれくらい笑っていたのか、お互い笑い疲れるまで笑い合う。二人の機嫌はすっかり元に戻っていた。


 二人は同時に視線を外に向けると、眼前に広がる真っ白な大地を見つめた。


「きれいだね」


「ああ」


 そんなやり取りを何回か繰り返す。


 すると突然


「ありがとな」


 とティエルが小さく呟いた。


「いえいえ」


 ケーイは小さく首を横に振る。


「おいらはティエル様に仕える身。貴方が迷っているとき、手を差し伸べるためにおいらは居るんですよォ」


 そう言う顔に浮かぶのは照れたような笑顔。ティエルは最後にもう一回「ありがとう」と言うと城の方へ向き直った。


「そろそろ訓練の時間だし、降りるか」


 すると、訓練という言葉に反応したケーイが


「もうそんな時間かァ……。


 なァ、ティエル、決闘しないか?」


 と不意に口調を変えて言った。


「え、また怒られるぞ……」


 それにティエルは渋い顔をする。


「大丈夫大丈夫、その時は全てティエルの責任ってことにするから」


「は!? それ俺が大丈夫じゃねえぞ!!」


 ふふん、と笑うケーイの恐ろしい発言にティエルは思わずそう叫んだ。


 するとケーイは涼しい顔をして


「もう決まった。今決めた!」


 と叫びながら塀の上を駆け出した。


「あ、こら、待てっ」


 その後をティエルが追いかける。


 きっと試合場の使用許可申請をしに行くつもりなのだろう。それを阻止しようと必死に走る。しかし、走る速さが大体同じであるケーイとの距離が縮まることは一向になかった。

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