エデン・ガーデン ~終わりのない願い~
1
目を丸くするティエル。一方の少女はただ目を閉じてじっとしていた。
五、六秒の僅かな間の触れ合い。
「は……っ」
小さな吐息を零して口が離れた。
状況が理解できずにさらに数秒間、少女の顔を凝視したまま固まる。
しばらくすると完全に機能を停止していた思考が少しずつ状況を理解し始めた。
そして我にかえったティエルが何かを言おうと口を開いたその瞬間、突然ひどい眩暈に襲われて視界が歪んだ。
「っ……!」
前に倒れそうになるのを頬に添えられている少女の手が支える。
体に全く力が入らない。ティエルは座り込んだまま、指先を動かすことすらできなくなってしまった。
世界が回っていると錯覚するほどのひどい眩暈と、訓練で体力を根こそぎ持っていかれた時のような疲労感が体を襲う。
「大丈夫?」
目の前の少女がゆっくりと口を開いて、気遣わしげな眼差しでティエルを見た。
その姿に先ほどまでの眠たそうな、ともすれば弱々しく見えてしまいそうだった雰囲気は一切ない。
ティエルは大きく息を飲み込むと、苦しげに眉をひそめて少女を睨んだ。
「な、にを、っ……」
呻きの延長線のような声が吐き出される。
それに少女は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「なに、を……した、っ」
なんとか最後まで言葉を搾り出す。
すると少女は納得したように大きく頷いた。
そして、すぐに頬を少しだけ赤く染めて
「何って、キス……」
とひどく恥ずかしそうに呟いた。
状況にそぐわない少女の反応。予想と大きくかけ離れた反応に
「なんだ、それ……」
と気の抜けた声で呟く。僅かに、本当に僅かに残っていた力が一気に無くなっていく気がした。
そのせいで思わず倒れそうになる。
しかし、それでもティエルはぎりぎりのところで踏みとどまった。
頬に添えられている手を振り払うことは出来ない。それでもなんとか床に手をついて体を支える振りだけはする。
「それ以外、で……、おれに、なにか……っ、したん、だろっ」
息が苦しい。それでも言葉を吐き出した。
きつく相手を見据えて、相手の様子を探る。
対する少女はひどく困ったような顔をしてティエルを見つめていた。
「俺に、なにを……っ」
何度目かになる問いかけ。
もしこうしてティエルの体力を奪うことが目的なら、ティエルが動けないようにするのが目的なら、きっと答えなど返ってこないだろう。
ティエルは不毛なことをしているような気持ちになった。だが、ここで折れるわけにはいかないと気丈に振舞う。
ティエルの視線を真っ向から受け止めている少女はそんなティエルを見つめて、とても優しい顔で小さく笑った。
「そんなに警戒しないで」
のんびりとした優しい声で囁きながら。
「大丈夫だから」
まるで心に直接語りかけてくるような、そんな声。ティエルはそれに一瞬だけ、本当に一瞬だけ油断した。
「今はあまり無理をしないほうが良いよ」
そして、その一瞬の間に気付けば横に寝かされ、少女の膝の上に頭が乗っていた。
「なっ」
いつの間にかそうなっていたということと、ドレス越しに伝わる少女の柔らかい腿の感触に驚く。
「なにして……っ」
咄嗟に膝枕という恥ずかしい体勢から逃れるために暴れようする。しかし、限界に近かった体は全く動かなかった。
「ほら、こうしてると楽でしょ?」
こちらの焦りなど全く気にせず、少女はティエルの頭を撫で始めた。
恥ずかしい。ティエルは少女から視線を逸らした。
「まだ警戒しているの?」
頭上から降る少女の声。それはひどく優しくて、頭を撫でる手も優しくて。
それに段々と心地がよくなってきてしまう。
駄目だ、と思う。それなのに段々と張っていた気が抜けていってしまって。
ティエルは少女の顔を横目で見た。
少女はそれに笑う。
なんの悪意も感じられない無邪気な笑顔。
それがティエルにはただ不思議だった。
動けなくするのが狙いならばその目的はすでに達成されている。別の狙いがあるのだとしても、動けなくなってしまったティエルを気遣う必要がない。
もしかしたらこうして信用させることが目的なのかもしれない。
だけど、少女の笑顔からはそんな悪意のようなものはまるで感じない。
ティエルは動きの鈍い頭でいろいろな可能性を巡らせてみた。
しかし目の前で笑う少女の印象、というよりも彼女が纏っている痛ましいぐらいに純粋そうな雰囲気がそれらを全て否定する。
理論では説明できない。ただ、彼女はそういう小細工じみたことが出来そうにない、と直感が告げる。
ティエルは少しだけ苦虫を噛み潰したような顔をした。
「きみは、スパイかなにか、か?」
「? なんでわたしがそんなめんどうなことしないといけないの?」
なぜそんなことを言われるのかわからない、とでも言いたげな顔で首を傾げる少女。
それにティエルはふっと小さく苦笑を浮かべる。
そして少女の膝にゆっくりと頭を預け、目を閉じた。
ティエルはさも当然のようにスパイを面倒と言ってのけた少女を信用してみることにした。
「へんな、やつ……」
もごもごと口の中でそう呟く。
それが聞こえたのか、「ふふ」という少女の笑い声がした。
それを最後に、二人の間に沈黙が落ちる。
ティエルは話す気力がなく、ただ静かに目を閉じていた。
少女は何を考えているのか、ただティエルの頭を撫で続けている。
なんの音もなく、時間だけが過ぎていった。
しばらくして目を閉じて横になっていることで体力の消耗が抑えられたからか、それとも何か別の理由があるのか、ティエルの体を襲っていた気だるい疲労感が徐々に消え始めてきた。
微かに目を開ける。
眩暈はもうすっかりなくなっていた。
話すのに支障がないくらいにはなったか、とティエルはまだ薄らぼんやりとする頭で思う。
それに気付いたのか、少女が遠慮がちに口を開いた。
「ねえ、きみって王子様だよね。名前はなんていうの?」
言った本人はなんてことない質問のつもりだったのだろう。
しかし、ティエルはこちらの正体を知られているという事実に少しだけドキッとした。
咄嗟にいろいろな想像が頭を巡る。
しかし、動きの鈍い頭ではうまく思考がまとまらない。ティエルはこの状態で考えても仕方がないと思い、おとなしく質問に答えることにした。
「てぃえる……、ティエル・エデン」
「ティエル? いい名前」
「それは、どうも……」
名前を褒められたのは初めてだった。少し照れくさい。
顔が熱い気がして顔を背ける。そのせいで少女の足に顔をうずめるような体勢になってしまう。余計に恥ずかしさがこみ上げてきた。
しかし少女はあまり気にしていないようで、何事もないかのように「えっと、じゃあ……」と質問を続けようとする。
仕方なくティエルはまた少女と向かい合った。
「いまは何年?」
なぜそんなことを聞くのだろう。ティエルは訝しげに眉をひそめつつ口を開いた。
「え、っと……? ひょうき、氷期、九百二十七年」
「へえ、そんなものなの。
氷期ってことは、世界はいまも氷の中?」
「中というか、うん。ずっと氷河期、だな」
「そっか……」
少女は小さく呟くと、うんうんと何度も頷いた。その仕草はまるで自分を納得させようとしているかのようだ。
しばらくそうして頷いていた少女は、それを終えると何かを考えるように黙り込んでしまった。
質問はもう終わりなのだろうか。
ティエルが不思議そうな目を向けると、少女は言い難そうに再び口を開いた。
「じゃあ次、竜王はまだご存命、かな?」
ティエルは再び眉をひそめる。
「……いや。もうずっと前に、なくなった」
「そう。……かの王も寿命にはかてなかったということね」
少女は小さく呟いて、くすりと少しだけ寂しそうに笑った。
「竜人はさかえた?」
「栄えてるかどうかはわからないけど、今は竜とか人よりも、竜人の方が、多いと思う」
「そう。なら良かった」
今度はにこりと嬉しそうに笑う。
答えによって表情が一喜一憂する。それを見て
「よく笑う、やつ……」
とティエルは無意識にそう呟いた。
「ん?」
少女が首を傾げる。ティエルは「なんでもない」と答えて、少女から視線を逸らした。
それから少女はいくつかの質問をし、ティエルは素直にその質問に答えた。
そうして少女の質問の内容が世界に対するものから段々とティエルの好みなどに移行していく間に、ティエルの体を襲っていた疲労感がほとんどなくなり、だいぶ明瞭な答えを返せるようになってきた。
「もう平気?」
と少女が聞いた。
「うん」
ティエルは頷いて頭を起こす。まだ少しぼんやりする頭を軽く振る。視界は良好。うまく動かなかった思考も支障がないくらいには動くようになっていた。
「なんだったんだ、あれ」
尋ねると少女は少し考えるように頬に人差し指を当てた。そして気まずそうな、苦笑いのようなものを浮かべて
「儀式、なんだけど、ティエルには少しきびしかったみたい」
とひどく申し訳なさそうに言った。
「儀式……?」
首を傾げる。どうにも不穏な響きだ。
「べつに名前ほど仰々しいものじゃないの。ただ、それに一番ちかいかなって」
すました顔で肩を竦めてみせる黒い少女。
ティエルはその姿にとある知り合いを連想した。
当の少女は落ち着かないのか、きょろきょろと辺りを見渡した後、ふと思い出したように
「この部屋は暗いの」
と言った。
言うと同時に四方に掲げられた松明に火が灯り、灰色の部屋が照らし出される。
ティエルは驚いたように目を見開き、少女をじっと見つめた。
少女は不思議そうな顔で首を傾げて
「どうしたの?」
と言う。
ティエルは一度ぐっと押し黙ると意を決して口を開いた。
「……君は、何者なんだ?」
そこでようやく自分がこの少女について何も知らないことに気付いた。
だから、一言そう言ってしまうと疑問が次々と浮かび始める。
「名前は? それにこの部屋は何なんだ? なんでこんなところに? というかなんのためにここに? 一体なにを――」
ティエルは思いついくままに口から出てくる質問を少女にぶつけた。
少女はその止まらない質問に戸惑ったようで「え? あ、う?」と声にならない声で応じる。
やがて、質問が終わりそうにない、というより答えさせる気がないことに気づいてか、少女は「もうっ!」と少し怒ったような声を上げてティエルの口に人差し指を添えた。
「そんなに次々と質問されたらこえられないの!」
落ち着いていてとてものんびりとした口調。しかし不思議なことに怒っているのはよく伝わった。
「質問はひとつずつ! じゃないとわたしは答えないのっ」
彼女は「ね!」と言うと、むっと唇を尖らせた憤慨の顔をティエルに思い切り近づけてきた。
怒っているのがひしひしと伝わってくる。ティエルはその迫力に何度もこくこくと頷いた。
五、六秒の僅かな間の触れ合い。
「は……っ」
小さな吐息を零して口が離れた。
状況が理解できずにさらに数秒間、少女の顔を凝視したまま固まる。
しばらくすると完全に機能を停止していた思考が少しずつ状況を理解し始めた。
そして我にかえったティエルが何かを言おうと口を開いたその瞬間、突然ひどい眩暈に襲われて視界が歪んだ。
「っ……!」
前に倒れそうになるのを頬に添えられている少女の手が支える。
体に全く力が入らない。ティエルは座り込んだまま、指先を動かすことすらできなくなってしまった。
世界が回っていると錯覚するほどのひどい眩暈と、訓練で体力を根こそぎ持っていかれた時のような疲労感が体を襲う。
「大丈夫?」
目の前の少女がゆっくりと口を開いて、気遣わしげな眼差しでティエルを見た。
その姿に先ほどまでの眠たそうな、ともすれば弱々しく見えてしまいそうだった雰囲気は一切ない。
ティエルは大きく息を飲み込むと、苦しげに眉をひそめて少女を睨んだ。
「な、にを、っ……」
呻きの延長線のような声が吐き出される。
それに少女は一瞬だけ不思議そうな顔をした。
「なに、を……した、っ」
なんとか最後まで言葉を搾り出す。
すると少女は納得したように大きく頷いた。
そして、すぐに頬を少しだけ赤く染めて
「何って、キス……」
とひどく恥ずかしそうに呟いた。
状況にそぐわない少女の反応。予想と大きくかけ離れた反応に
「なんだ、それ……」
と気の抜けた声で呟く。僅かに、本当に僅かに残っていた力が一気に無くなっていく気がした。
そのせいで思わず倒れそうになる。
しかし、それでもティエルはぎりぎりのところで踏みとどまった。
頬に添えられている手を振り払うことは出来ない。それでもなんとか床に手をついて体を支える振りだけはする。
「それ以外、で……、おれに、なにか……っ、したん、だろっ」
息が苦しい。それでも言葉を吐き出した。
きつく相手を見据えて、相手の様子を探る。
対する少女はひどく困ったような顔をしてティエルを見つめていた。
「俺に、なにを……っ」
何度目かになる問いかけ。
もしこうしてティエルの体力を奪うことが目的なら、ティエルが動けないようにするのが目的なら、きっと答えなど返ってこないだろう。
ティエルは不毛なことをしているような気持ちになった。だが、ここで折れるわけにはいかないと気丈に振舞う。
ティエルの視線を真っ向から受け止めている少女はそんなティエルを見つめて、とても優しい顔で小さく笑った。
「そんなに警戒しないで」
のんびりとした優しい声で囁きながら。
「大丈夫だから」
まるで心に直接語りかけてくるような、そんな声。ティエルはそれに一瞬だけ、本当に一瞬だけ油断した。
「今はあまり無理をしないほうが良いよ」
そして、その一瞬の間に気付けば横に寝かされ、少女の膝の上に頭が乗っていた。
「なっ」
いつの間にかそうなっていたということと、ドレス越しに伝わる少女の柔らかい腿の感触に驚く。
「なにして……っ」
咄嗟に膝枕という恥ずかしい体勢から逃れるために暴れようする。しかし、限界に近かった体は全く動かなかった。
「ほら、こうしてると楽でしょ?」
こちらの焦りなど全く気にせず、少女はティエルの頭を撫で始めた。
恥ずかしい。ティエルは少女から視線を逸らした。
「まだ警戒しているの?」
頭上から降る少女の声。それはひどく優しくて、頭を撫でる手も優しくて。
それに段々と心地がよくなってきてしまう。
駄目だ、と思う。それなのに段々と張っていた気が抜けていってしまって。
ティエルは少女の顔を横目で見た。
少女はそれに笑う。
なんの悪意も感じられない無邪気な笑顔。
それがティエルにはただ不思議だった。
動けなくするのが狙いならばその目的はすでに達成されている。別の狙いがあるのだとしても、動けなくなってしまったティエルを気遣う必要がない。
もしかしたらこうして信用させることが目的なのかもしれない。
だけど、少女の笑顔からはそんな悪意のようなものはまるで感じない。
ティエルは動きの鈍い頭でいろいろな可能性を巡らせてみた。
しかし目の前で笑う少女の印象、というよりも彼女が纏っている痛ましいぐらいに純粋そうな雰囲気がそれらを全て否定する。
理論では説明できない。ただ、彼女はそういう小細工じみたことが出来そうにない、と直感が告げる。
ティエルは少しだけ苦虫を噛み潰したような顔をした。
「きみは、スパイかなにか、か?」
「? なんでわたしがそんなめんどうなことしないといけないの?」
なぜそんなことを言われるのかわからない、とでも言いたげな顔で首を傾げる少女。
それにティエルはふっと小さく苦笑を浮かべる。
そして少女の膝にゆっくりと頭を預け、目を閉じた。
ティエルはさも当然のようにスパイを面倒と言ってのけた少女を信用してみることにした。
「へんな、やつ……」
もごもごと口の中でそう呟く。
それが聞こえたのか、「ふふ」という少女の笑い声がした。
それを最後に、二人の間に沈黙が落ちる。
ティエルは話す気力がなく、ただ静かに目を閉じていた。
少女は何を考えているのか、ただティエルの頭を撫で続けている。
なんの音もなく、時間だけが過ぎていった。
しばらくして目を閉じて横になっていることで体力の消耗が抑えられたからか、それとも何か別の理由があるのか、ティエルの体を襲っていた気だるい疲労感が徐々に消え始めてきた。
微かに目を開ける。
眩暈はもうすっかりなくなっていた。
話すのに支障がないくらいにはなったか、とティエルはまだ薄らぼんやりとする頭で思う。
それに気付いたのか、少女が遠慮がちに口を開いた。
「ねえ、きみって王子様だよね。名前はなんていうの?」
言った本人はなんてことない質問のつもりだったのだろう。
しかし、ティエルはこちらの正体を知られているという事実に少しだけドキッとした。
咄嗟にいろいろな想像が頭を巡る。
しかし、動きの鈍い頭ではうまく思考がまとまらない。ティエルはこの状態で考えても仕方がないと思い、おとなしく質問に答えることにした。
「てぃえる……、ティエル・エデン」
「ティエル? いい名前」
「それは、どうも……」
名前を褒められたのは初めてだった。少し照れくさい。
顔が熱い気がして顔を背ける。そのせいで少女の足に顔をうずめるような体勢になってしまう。余計に恥ずかしさがこみ上げてきた。
しかし少女はあまり気にしていないようで、何事もないかのように「えっと、じゃあ……」と質問を続けようとする。
仕方なくティエルはまた少女と向かい合った。
「いまは何年?」
なぜそんなことを聞くのだろう。ティエルは訝しげに眉をひそめつつ口を開いた。
「え、っと……? ひょうき、氷期、九百二十七年」
「へえ、そんなものなの。
氷期ってことは、世界はいまも氷の中?」
「中というか、うん。ずっと氷河期、だな」
「そっか……」
少女は小さく呟くと、うんうんと何度も頷いた。その仕草はまるで自分を納得させようとしているかのようだ。
しばらくそうして頷いていた少女は、それを終えると何かを考えるように黙り込んでしまった。
質問はもう終わりなのだろうか。
ティエルが不思議そうな目を向けると、少女は言い難そうに再び口を開いた。
「じゃあ次、竜王はまだご存命、かな?」
ティエルは再び眉をひそめる。
「……いや。もうずっと前に、なくなった」
「そう。……かの王も寿命にはかてなかったということね」
少女は小さく呟いて、くすりと少しだけ寂しそうに笑った。
「竜人はさかえた?」
「栄えてるかどうかはわからないけど、今は竜とか人よりも、竜人の方が、多いと思う」
「そう。なら良かった」
今度はにこりと嬉しそうに笑う。
答えによって表情が一喜一憂する。それを見て
「よく笑う、やつ……」
とティエルは無意識にそう呟いた。
「ん?」
少女が首を傾げる。ティエルは「なんでもない」と答えて、少女から視線を逸らした。
それから少女はいくつかの質問をし、ティエルは素直にその質問に答えた。
そうして少女の質問の内容が世界に対するものから段々とティエルの好みなどに移行していく間に、ティエルの体を襲っていた疲労感がほとんどなくなり、だいぶ明瞭な答えを返せるようになってきた。
「もう平気?」
と少女が聞いた。
「うん」
ティエルは頷いて頭を起こす。まだ少しぼんやりする頭を軽く振る。視界は良好。うまく動かなかった思考も支障がないくらいには動くようになっていた。
「なんだったんだ、あれ」
尋ねると少女は少し考えるように頬に人差し指を当てた。そして気まずそうな、苦笑いのようなものを浮かべて
「儀式、なんだけど、ティエルには少しきびしかったみたい」
とひどく申し訳なさそうに言った。
「儀式……?」
首を傾げる。どうにも不穏な響きだ。
「べつに名前ほど仰々しいものじゃないの。ただ、それに一番ちかいかなって」
すました顔で肩を竦めてみせる黒い少女。
ティエルはその姿にとある知り合いを連想した。
当の少女は落ち着かないのか、きょろきょろと辺りを見渡した後、ふと思い出したように
「この部屋は暗いの」
と言った。
言うと同時に四方に掲げられた松明に火が灯り、灰色の部屋が照らし出される。
ティエルは驚いたように目を見開き、少女をじっと見つめた。
少女は不思議そうな顔で首を傾げて
「どうしたの?」
と言う。
ティエルは一度ぐっと押し黙ると意を決して口を開いた。
「……君は、何者なんだ?」
そこでようやく自分がこの少女について何も知らないことに気付いた。
だから、一言そう言ってしまうと疑問が次々と浮かび始める。
「名前は? それにこの部屋は何なんだ? なんでこんなところに? というかなんのためにここに? 一体なにを――」
ティエルは思いついくままに口から出てくる質問を少女にぶつけた。
少女はその止まらない質問に戸惑ったようで「え? あ、う?」と声にならない声で応じる。
やがて、質問が終わりそうにない、というより答えさせる気がないことに気づいてか、少女は「もうっ!」と少し怒ったような声を上げてティエルの口に人差し指を添えた。
「そんなに次々と質問されたらこえられないの!」
落ち着いていてとてものんびりとした口調。しかし不思議なことに怒っているのはよく伝わった。
「質問はひとつずつ! じゃないとわたしは答えないのっ」
彼女は「ね!」と言うと、むっと唇を尖らせた憤慨の顔をティエルに思い切り近づけてきた。
怒っているのがひしひしと伝わってくる。ティエルはその迫力に何度もこくこくと頷いた。
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