僕のお姫様

七島さなり

3.軋轢

 翌日、堂抜は学校付近を右往左往していた。


 理由は校門前で花楓が仁王立ちをしているからだ。


 その姿を見た時に思い出したのは後ろで聞こえた顔を覚えたという脅迫めいた言葉。


 それには自分を探すためにわざわざそうしているのかと思う程に恐怖を植え付けられていた。


 しかし、すぐにそうではないことに気付く。


 今日から一週間、風紀委員による『あいさつ運動』が行われる。風紀委員が毎朝交代で八時から八時半までの間、校門に立って登校する生徒達に挨拶を促すという一種の学校行事。


 今日が初日であるため、委員長である花楓が参加しているのだ。


 しかし今の今までそんなことも記憶からすっかり抜け落ちていた堂抜はいつも通りの時間に登校した自分を呪う。


 知っていれば早めに行くなどの対策をとれたのに。


 しかし今更そんなことを言っても遅い。


 堂抜は結局、予鈴後の風紀委員が撤収した後に教室に向かうことにした。


 見つからないようにどこかで時間を潰そうと回れ右をする。


 そしてどこに行こうかと呑気にそんなことを考えながら人の波に逆らって歩き出した。


 学校の周辺は住宅街。コンビニは歩いて五分ぐらいの場所にある。しかし、十分程歩いた先にある最寄り駅のコンビニの方が品揃えは良い。


 駅まで戻ってお弁当を買おう。


 目的地を決めて進む足を速める。


「堂抜?」


 すると不意に真向かいから歩いてきた女生徒にそう声を掛けられた。


 その声を堂抜は決して間違えない。


「あ、姫、おはよう」


 堂抜は顔を綻ばせると女生徒――凉那の前で立ち止まった。


「おはよう」


 凉那はいつ、いかなる時もしゃんとしている。堂抜を含め、まだ眠い目をしている生徒も少なくない中、彼女にはそんな様子は微塵もなかった。 


「学校は逆だけど、何かあったの?」


 だからこそ、些細な違和感も見逃してはくれない。


 普段はどちらかといえば垂れ目がちな瞳が、生徒会長状態の眼光の鋭いそれに変わる。


「あー、いや……」


 堂抜はばつの悪そうな顔を浮かべると後頭部を掻いた。


「早く行かないと遅刻するよ」


 凉那はその様子を不審がっているのか、再び言葉を重ねる。


 堂抜はなんと言ったものかと考えを巡らせ、悩んだ末にへら、といつもの情けない笑みを浮かべてみせた。


「僕、ちょっと遅れていこうかなーって思ってて……」


「どうして?」


 返事は早かった。


「それは、えっと……」


 咄嗟に後ろを見る。まだ校門からはそこまで離れていない。花楓の姿は容易に捉えることが出来た。
 凉那もそちらに視線を向ける。


「花楓がどうかした?」


 そしてその姿を見つけて怪訝そうに眉根を寄せた。


「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


「?」


 昨日のことを知られたくない。そんな思いが堂抜の口を重くする。その歯切れの悪さに凉那は余計に困惑の色を強くする。


「と、とにかく姫は先に行って良いよ。僕も遅刻しないようにはするから」


 これ以上話すとぼろが出る。そう思った堂抜は口早にそう告げると一歩前に進み出た。


「あんた、堂抜咲麻ね」


 しかし、後ろから突然掛けられた低い声に足が止まる。


 びくりと竦んだ体に鞭を打って恐る恐る振り返ると、そこには獲物を見つけた肉食獣のような、鋭利な眼差しを浮かべた花楓が立っていた。


「み、宮間さん……」


 名前を知られていること。見つかってしまったこと。それらの事実が恐怖として体を凍てつかせ、逃げることもままならない。


 彼女は青筋を額に浮かべながら、静かに抑えた声で言う。


「昨日のことで話がある、んだけど――」


 しかし、その顔が堂抜の後ろに向けられた途端に一変する。花楓はそこに凉那が居るのを見て、言葉を無くしたのだ。


 視線が二人の間を交互に行き交う。信じられない物を見たような、そんな様子だった。


「二人とも、知り合いだったの?」


 それは凉那も同様だったらしい。花楓ほどではないが驚いた様子でそう尋ねる。


 しかし花楓がそれに答えることは無かった。彼女は急に顔を真っ赤にして「あんたもしかして……!」と堂抜に詰め寄る。


 堂抜も答えることは出来ず、反射的に花楓の肩を掴んだ。


「ご、ごめん、姫! 僕ちょっと宮間さんと話があるからまた後でね!」


 そして力任せに後ろを向かせると、掴んだ肩を押して急ぎ足でそこから遠ざかろうとする。


「あ……」


 凉那が何かを言おうと口を開いたのが見えたが、それは「触るな!」という花楓の甲高い声に遮られた。


 そのまま二人で登校する生徒達の注目を集めながら校舎の中に入る。


 堂抜はいたたまれない気持ちに苛まれながらも、なんとかじゃじゃ馬を体育館裏まで連れて行くことに成功した。


 人気が無いのを確認して、肩から手を離す。


 解放された花楓は目にも止まらぬ早さで距離を取るとぐるると犬のように唸り声を上げた。


「ごめん!」


 堂抜は顔の前で両手を合わせて深々と頭を下げる。


「どうしても昨日のことは姫に知られたくなくて……」


 力の無い声でそう呟いて顔を上げると、花楓は出鼻を挫かれたような顔をしていた。


「……あんた、凉那とどういう関係?」


 そして上目遣いにそう尋ねてくる。


 堂抜は少しの間黙っていたが、ゆっくりと「友達だよ」と答えた。


「好きなの?」


 しかし続く質問にげほっと噎せ返る。


「な、なんで?」


「答えて」


 思わず聞き返すが花楓が理由を言うことはなかった。俯いているせいで顔色を伺うことも出来ない。


「そう、だけど……」


 堂抜は戸惑いを隠せないまま、素直にそう答える。


「じゃあ、これ、凉那に使うつもりだったわけ」


 すると勢いよく顔を上げた花楓は惚れ薬の入った瓶を目の前に突きつけてきた。


「ちがっ……!」


 堂抜は首を横に振って否定しようとする。しかし、いきなり襟元を掴まれて最後まで言うことは出来なかった。


「凉那に何かしたら、許さない」


 低い声で吐き捨てるように言われ、堂抜は思わず息を呑む。


「……決めた」


 花楓はその体に似つかわしくない力強さで堂抜の体を後ろへ押すと、腕を組んで睨み付けた。


「変な気を起こさないようにあんたを見張ることにする」


 そうして告げられたそれは、堂抜にとって地獄の宣誓でしかなかった。

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