何も変わっておりません、今も昔も。
09
二日後の昼前、皇帝ユルゲンに指定された時間に水龍に連れられ、皇帝の執務室までやって来た二人。
エリーゼとセルジェだ。
本来であればそう簡単に人間の前に姿を現さない精霊王だが、今回ばかりは水龍の忠告もあってか大人しく来ることにしたようだった。
そして非公式な会談ということで通された執務室では先日フランがエリーゼとセルジェのことを話した時にいた近衛騎士三人と、前回はいなかった軍務卿、ダルトン・ギャレッドが同室した。
「まずは、精霊王並びにエリーゼ・ベル・ルヴィンド嬢。突然の呼び出しながらも応えてくれたこと感謝する」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
先に口火を切ったのは皇帝。それに返事をしたのはエリーゼだけで、セルジェは話を振られない限りは口を開かないようだ。
「早速だが用件に入らせてもらおう。まず、この国にお二方が住むのは問題なく、また衣食住の保障しても良いのだが、我が帝国で余自らが保障できるのは実力者のみ。精霊王がいれば問題ないとは思うがその点だけ頭に入れておいてくれ」
「それは弱き者は保障するに値しないということでしょうか?」
「今言ったように余自らが保障できるのは役に就く少数、その者たちは余が信頼出来る者ということになる。ある程度は融通はしよう。だがそれ以上を求めるのであれば口喧しい者達を納得させなければならん。そして、帝国に住む者は皆、余の民であることに変わりは無いが、言ってしまえばお二方は我が国の民ではない」
疑問を口にしたエリーゼにユルゲンが答える。
そしてその回答はおおよそ納得のいくものであった。いくら王国を捨てたとはいえ、エリーゼ自身は帝国の民になる気はない。そこを見抜いての皇帝の言葉にエリーゼは一つ頷いた。
「承知致しました」
「それと、精霊王殿。申し訳ないが、少しばかりエリーゼ嬢とサシで話がしたい」
向かって右斜めに座り憮然とした表情の精霊王に恐れる様子もなく皇帝は申し出た。
当然セルジェは内心では嫌でしょうがなかったが、皇帝と完全に二人きりになるわけでもなく、ましてやこれはエリーゼの生活がかかっている会談である。セルジェは渋々席を外した。
セルジェが退室し、微かにあった緊張感が和らいだ執務室で皇帝はエリーゼへと視線を向ける。
「エリーゼ。ここからは建前抜きで話をさせてもらう」
「はい」
「まず前提となる情報の確認だ。お前は第二王子エドワードから婚約破棄と追放を言い渡された。それが十日ほど前だ。その間どうしていた?」
「当日、精霊たちに案内をされてセルジェ様のところに行きました。その後は古き盟約に従い、四大龍の元へ挨拶に。途中、風龍のところで三日ほど滞在した後は精霊界で過ごしておりました」
「とんでもねぇなおい。……まぁわかった。ところでお前、自分の価値はきちんと理解しているか?」
「価値、ですか?」
不思議そうに聞き返すエリーゼにユルゲンは零しそうになるため息をこらえて告げる。
「王太子の元婚約者、公爵家令嬢、精霊王の愛し子、四大龍の主人。お前の一声で龍と精霊王が世界の敵に回ることだって在り得る」
「私はそんなこと……」
「お前が望まなくともそうなる可能性が在り得る、と言うのが問題なのだ」
望まない、と言いかけたエリーゼを遮り、ユルゲンは厳しい眼差しで指摘するとエリーゼはその可能性に思い当たったのか顔を顰めた。
「実際問題。お前が捕らえられ、人質にでもされたらその人間だけでなく周辺国に及ぶまで滅ぼされるのは間違いない。よしんば止められたとしても、今後お前を受け入れる国がなくなるぞ。誰だっていつ自分に牙を向けるか分からない狂犬を手元におきたいとは思わないからな」
「…………」
ユルゲンはエリーゼの様子を窺い見ると、顔を顰めたままなのは変わらないが、その表情のどこにも焦りは見つからなかった。
普通、行き場がなくなると人はどうにかしようとあれこれ考える。けれどエリーゼにはそんなことを考えてすらいないのか、むしろどことなく余裕そうな雰囲気さえある。
そしてふと、一昨日の水龍の発言を思い出し、得心がいった。
―――人の側でなくともいいのか、と。
王国でのエリーゼの生活がどういうものだったのかは草から聞き及んでいたし、婚約破棄騒動も聞いた。そしてその上で、この娘は人の側にいることを忌避しているのだ。避けている、と言うよりかはどちらかと言えば避けたい。
エリーゼはすでに人として大切なものが欠けている。だが、水龍の帝国に住んだ方が良いと言う言葉に従ってもいいと思える程度であるのは僥倖だろう。
水龍に言われたように良い手札が手に入ったと思ってエリーゼを保護すると判断したが、人に絶望し人であることを無意識に嫌っている娘の扱いにはほとほと頭を悩まされる。
仕方のないこととはいえ、本当にあの王国は余計なことしかしない。皇帝は侮蔑と諦観を彼の国の王に向けて思った。
「水龍との約束だ。お前たちの衣食住は保障する。出来る限り貴族や他国の手からは守ろう。だが、もしお前がこの国から逃げ、牙を剥くというのなら容赦はしない。精霊王や龍を相手にするのは骨が折れるが、お前はまだ人間だし、不可能ではない。……理解したな?」
「はい。ではその見返りに何を求めるのでしょうか」
エリーゼは冷淡な声色で尋ねる。
ユルゲンが言いたいことを理解したのだろう。そういうところで頭の回るエリーゼに皇帝は思わずほくそ笑む。
「四肢欠損の者が何人かいる」
「その程度ならば問題ないでしょう」
「一人につき金貨三枚」
「承知致しました」
テンポ良く進む会話を心地よく感じながら皇帝は騎士へ目配りすると意を察した騎士の一人、ミムは席を外していた精霊王を呼びに行く。
不機嫌極まりないセルジェの後ろからは恐怖でがたがた震えるミムがついてきていた。
よほどエリーゼと離されたのがお気に召さなかったらしい。
意外に人間味のある精霊王に幾許かの好感を抱いたが、ここでそれを見せて気安く接しようものなら特大級の魔法がぶち込まれてもおかしくはなかった。……それくらい機嫌を損ねていたからである。
「お二方が住む屋敷はこちらで用意しよう。屋敷を維持するための使用人も」
皇帝の言葉にエリーゼは頭を下げて感謝の意を示す。当然だが精霊王は特に反応を返すでもなく、ただじっとユルゲンを見つめている。その目には僅かながらの厳しさと警戒、そして探るような鋭さが含まれている。
「…………」
「何か?」
「ヒトは愚かだ。だが、貴様は違うようだな」
ふっと視線を緩めてセルジェはユルゲンに僅かに笑みを向けた。
「セルジェ様?」
「クォーツ帝国の皇帝ユルゲン・ヨハネス・サイフェルト、非礼を詫びよう。貴殿は私が見てきた愚か者とは違うようだ」
「精霊王のご慧眼に適ったと?」
「正しくもあり、誤りでもある。ただヒトへの認識を正しただけだ」
長らく人の世を離れていた精霊王でも人の欲深さ、醜さは良く知っている。
アルテミシアとともにいた頃、国家間の政治の闇をいやと言うほど見せられたこともある。それになにより自分が精霊王であることにも機縁している。
「ハッ、そうかよ」
「それが素か」
「まぁな」
「そちらの方が良い。我らは表より裏を好む。そして貴殿の魂は思っていたよりも幾分かは心地好い」
セルジェが過去に出会った人間は皆加護を求めた。中には水を愛し者のように寵愛を求めた者もいた。
見返りを求めず、自らの力で事を成そうとするヒトの魂は高潔で清廉で、とても気持ちが好いのだ。
「男に褒められてもなぁ」
「兎も角、話は済んだな?」
「ああ。ダルトン、用意していた屋敷に案内してやれ」
「御意」
皇帝の命令に従い、ダルトンがセルジェとエリーゼを連れて執務室を後にする。
残された近衛騎士三人と皇帝はため息をついた。
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