何も変わっておりません、今も昔も。

斎藤こよみ

シスター・エレン――01



しんと静寂が支配する教会で、一人祈りを捧げる女の姿があった。
彼女はエレン。この教会でシスターを勤める女性である。


「神よ、どうかあの方に平穏が訪れますことを……」


普通は教会に勤める者が特定の者の幸福や平穏を祈ったりはしない。
教会に勤める者は全て神のしもべであり、決してお願いをする立場には無いからだ。


けれどエレンは願わずにはいられなかった。
孤独で、全てが手に入る立場でありながら全てを諦めているあの方・・・


あの方がこの教会と併設する孤児院へやってきたのは数年前のことだ。
当時、教会からの補助金が支給されながらも立場が上の神父におよそ三分の二ほどの金額を横領されており、孤児院の収入は微々たる物であったため、日々の食事も満足できるものではなかった。
エレンは自らの食事を子供たちに分け与え、切り詰められるところは徹底的に切りなんとか生活を送っていた。王都にある孤児院は孤児となってしまい引き取り手が無い子供たちも多く引き取っていたため補助金の額もそれなりだったのだが、神父が残す僅かな補助金ではこれ以上どうしようも出来なかった。
上に訴えようにも神父は賄賂を渡しているらしく、告発は不発に終わり。むしろ神父はこれ幸いとばかりにさらに渡す金を減らしてきた。
そんな折、視察と称してやってきたあのお方は、シスター・エレンと子供たち、そして神父を見るなりそのことを看破したのだ。
その時のことをいまだに鮮明に思い出せるのは、エレンがそれだけエリーゼに感謝の念を抱いているからだろう。


エリーゼは神父と最初に挨拶を交わし、教会と孤児院を見回る。
一通り見終わり、帰路に着こうとした際に、エリーゼは世間話のように切り出した。


「ここの孤児院の子供たちはみな良く躾けられているようですね。他のところを回った際はもみくちゃにされて大変でした」


「でしょうとも。子供らが将来困らないよう今から礼儀作法を教えておりますゆえ」


エリーゼの言葉に気を良くした神父は自らの功績をアピールするためにそう吹聴する。
それを聞いたエリーゼは一つ頷いて、にこりと笑みを浮かべて言った。


「神父様、貴方は素晴らしい方のようですね。私の知り合い・・・・のクルセン枢機卿に“王都には素晴らしい神父様がいらっしゃるので、将来の心配は無い”と貴方の働きをきちんと・・・・伝えておきましょう」


エリーゼの言葉に込められた含みに神父は好意的に取ったのか相好を崩して下卑た笑みを見せる。


「それはそれは、在り難きお言葉!ありがとうございます、エリーゼ・・・・様」


その時、神父は頭を下げていたから気付かなかったが、そのやり取りを隠れて覗いていたエレンはしっかりと見てしまった。
神父を見つめる紺碧の瞳に侮蔑の色があったことを。




後日、枢機卿の使いとエリーゼがやって来て神父に解任と破門を言い渡していた。
教会を破門された者が辿る道は悲惨の一言に尽きる。
そもそも、横領などと神のしもべたるに相応しくない行いをした者が辿る顛末など、瑣末なことであった。
エレンは神父を追い出したエリーゼの下へ行き、おずおずと尋ねる。


ルヴィンド・・・・・様……、この度はありがとうございました。また、教会の汚職の後始末のためにお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」


「構いません。ただ見過ごせなかっただけですから」


「それでも、私たちは救われました。あの……、何故神父様が横領していると気付かれたのでしょうか」


「見れば分かる。貴女と子供たちは明らかに痩せていた。教会の質素な食事を心がけていたとしても、あの神父と比べて明らかでしょう」


あの神父は肥えているという物言いと、端的に表情を変えることなく淡々と述べるエリーゼに思わず笑いがこみ上げた。
むしろ、この現状を見て何もしない人間などいるのか、と問いたげな表情をしている。


「それに、自分より下にいるはずのシスターにすら理解できる貴族を相手にする作法が理解できていないのです。もう少し頭の回る男でしたら、もっと上手く偽装したでしょう。様々な点において神父としても神のしもべとしても致命的な欠点です」


作法と言われても特に何かしただろうか、と首をひねるエレンにエリーゼは少しだけ笑みを浮かべて言う。


「貴族の令嬢を相手にする際は初対面で名前を呼んではいけないのですよ。特に王太子妃候補わたしのような者は特に」


笑みを苦笑に変えた。
それは教会に勤める者だけでなく、平民も知っていることだ。身分が上の相手には許可無く名前で呼ぶことは不敬にあたる。
神父は先日の査察の時にエリーゼと初めて会った。なのに帰り際にはエリーゼ・・・・様と呼んだ。
そのことに思い当たったエレンは思わず「あ、」と声を漏らす。


「それに、あの男にも言いましたが、ここの子供たちは元気がない・・・・・。他の所ではもみくちゃにされるほどでしたもの」


「それは……」


食事もまともに取れていないならば無理もない。
腹が空いては人は動けないのだから。


「明日、あの男の資産を売却した分を持ってこさせます。子供たちにお腹いっぱい食べさせてください」


エリーゼの言葉に、エレンは心から感謝して、そこで実感できた。
今まで満足に食べさせてあげることが出来なかった。自らに勇気と相応の力が無いせいで、苦労ばかりかけていた子供たちに、ようやく報いることが出来るのだと。


「ありがとうございます、ルヴィンド様。ありがとうございます……!」


「シスター、どうぞエリーゼとお呼びください」


「はい、エリーゼ様。名乗るのが遅くなってしまって申し訳ありません。エレンと申します」


「シスター・エレン、これからどうぞよろしくお願いしますね」


そう言って笑ったエリーゼはとても美しく、幼い頃に聞いたかつて召喚された勇者とともに魔王討伐を成した聖女のようで。エリーゼが帰路についた後、礼拝堂で一人、エリーゼに出会えたことを神に感謝した。








あの日のことを思い出し、深く祈りの時間に入り込んでいたエレンはふと意識が浮上した際に扉が開く音に振り返った。
扉の向こうから現れたのは、軽鎧を身につけた騎士らしい壮年の男性だった。


どくり、と心臓が嫌な音を立てた。出来るならばその男性が吐き出す言葉を聞きたくないと思えるほど、嫌な予感が全身を駆け巡る。


「シスター・エレンは貴女だろうか?」


「……はい、私がエレンです」


「貴女が……。神への祈りの最中、邪魔をした。火急の用件があったため無礼も承知で参らせていただいた。私の名はゼウラ。貴女にある方から言伝を預かってきた」


エレンは、ゼウラの言うあの方・・・が誰なのか、すぐに理解した。
そしてそれが、とても良くないことだということも、騎士の……ゼウラの表情から察した。察してしまった。


「……”約束を守れず申し訳ない。この詫びは次の機会に”。そう言っていた」


「あの方は……、あの方はどうなさったのでしょうか」


「本来であれば国王の指示を仰がねばならないのだが……。昨夜、第二王子による婚約破棄が成された故に、あの方はあるで精霊の森へ追放されてしまった」


「!なんて、ことを……!!」


婚約破棄だけでも酷だというのに、追放だなんて。しかもあの森に!!
何故、と目だけで問えばゼウラは痛ましい表情で告げる。


「とある男爵令嬢に嫌がらせや誹謗中傷をしたと」


「あの方がそんなことするはずがありません!!」


誰よりも優しく、強く、気高い方だ。己の価値を自ら貶めるようなことするはずがない!
力一杯否定するエレンにゼウラは小さく頷く。


「私とて、あの方がそんなことするとは思っていない。それに本人も否定された」


「ならば!」


「恐らくその罪状のほとんどは王子に侍る男爵令嬢を快く思わない令嬢らの仕業であろう。だが、証人がそう証言してしまったのだ。貴族は……特に令嬢や子息らはいずれ王太子になる方に睨まれては今後家族にも影響が出てしまう。逆らう術はなかったのだろう……そういうものなのだ、貴族というものは」


自分もそうだから、その気持ちや行動は理解出来る。それをするかしないかは別としても。
子息や令嬢たちの行動はとてもらしい・・・とゼウラは言葉を重ねる。


「そんな……、それではあまりにも、あの方が……」


「最後の最期まで気高く強く……美しかった。出来るならば王国ではなくあの方に……いや、何でもない。聞かなかったことにしてほしい」


ゼウラは途中で言葉を切り、礼拝堂に置かれた十字を見上げた。
その視線の先は十字ではなく彼の方を映しているのだとエレンでも理解した。


言葉にしてしまえば最後、己が行動してしまうことを理解していたのだろうか。
もしくは一度は捧げたジェラルド・エレセウス国の剣・コンラードとしての矜持故か。


「……頼まれた言伝は伝えた。これで私にも後顧の憂いは無くなったというもの」


「どうなさるおつもりですか?」


「何、どうということでもない。長らく就いていた職を辞するだけよ」


「!」


エレンは理由を聞こうとして、やめた。それは神に仕える一介のシスターが聞くべきことではない。
聞くべきはゼウラが仕える主人とそれらに連なる者たちだけだ。


「シスター・エレン。差し支えがなければ、あの方と交わした約束とはなんだったのか聞いてもいいだろうか」


「たいしたことではありません。ただ、週末にこちらへ来て頂く予定だっただけなのです」


「……そうか。私は最後まで気遣われたようだ」


ゼウラはどことなくやりきれないように寂しさを滲ませた笑みをこぼした。
エレンは先ほどの言伝からして、ゼウラの言った気遣いがどういうことか思い当たった。
最後まであの方らしい、とエリーゼに気遣われた同士であることに共感を覚えてエレンは同意する。


「そういう方ですから。自分より他人を気遣い、弱さを見せない。誇り高くお強いお方です」


「それもそうだな」


ゼウラは疲れた様子を見せつつも背負っていた重荷を降ろしたようにどこか晴れ晴れとした表情で、ふと落とすように笑った。








コンラード王国騎士団長、ゼウラ・デラ・ファルマンが二十余年の就任期間を終え退任するという御触れが出るのはまだ少し先のことである。







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