何も変わっておりません、今も昔も。
03
『―――遅い、一体どれだけ我を待たせれば気が済むのだ……!』
精霊たちに案内されて向かっている途中で風の精霊が運んでくれたのは精霊王の呟きだった。
まだ距離があるせいか遠くから微かに聞こえてくる耳に心地良いテノールボイスに思わずエリーゼの顔が綻ぶ。
久しぶりに聞いた彼の人の声は、苛立ち混じりに、でもどことなく弾んでおり、言葉とは反対にエリーゼの帰還を喜んでくれているようだ。
精霊たちの案内に付いていくと、豪奢な扉の目の前に着いた。
軋む音を響かせて開かれた扉の先は精霊たちが集まる不思議な空間へと繋がっており、魔の森とは反対に光に溢れ、様々な花が咲き乱れる空間になっていた。
エリーゼは遠い昔に辿ったこの道を知っていた。
あの頃から何一つ変わらない、懐かしい場所。
迷いなく踏み出し、進み続けていると周りを漂う精霊たちがクスクス笑いながらおしゃべりを始めた。
『精霊王、ズットアンナダッタ』
『アルテミシア、早ク早クッテ、ウルサカッタ』
『タマニ、見ニ行ッテタノ』
精霊たちが教えてくれた、エリーゼがいなかった時の彼の様子はまるで翌日に行事を控えた幼子のようで。
前世で死んでから、転生して此処へ戻るまでの長い長い時を待っていてくれた。その事実にエリーゼは喜びを隠しきれなかった。
だから、ようやく会いたくて堪らなかった愛しい彼の姿を見つけて駆け出した。
早く彼のぬくもりを感じたくて、しょうがなかったのだ。
丘の上でそわそわした様子で、まだかまだかと待っていた彼は待ち侘びたエリーゼの……アルテミシアの気配に気付いてこちらを振り返る。
数百年ぶりに見る彼は、あの頃と全く変わっていなかった。
彼は一秒の時間も惜しむようにエリーゼのそばに転移すると、その存在を確かめるようにそっとその腕の中に閉じ込めた。
鼻を擽るのは花や草木の香り、そこに混ざる微かな水の匂いと、人よりも低い、けれど温かな体温。
それらは、ようやく帰ってこれたという実感を私にもたらしてくれた。
いつもは全てに対して興味を持たない冷たい瞳が今だけはエリーゼを映して柔らかな熱を孕んでいることに喜びを感じ、笑みがこぼれる。
「……ただいま帰りました、セルジェ様」
『おかえり、アルテミシア』
そっとエリーゼの額に落とされた唇。
甘い雰囲気になりかけたところで、正しく空気を読んだ精霊たちが二人の周りを飛び回った。
『む……邪魔をするでない。久方ぶりの触れ合いだと言うのに』
『僕ラダッテ久シブリダモン』
『アルテミシア、遊ボー』
『精霊王ズルイ』
「ふふ、みんな喧嘩しないでください。これからずっと一緒にいられるんですから」
邪魔をされて僅かに不機嫌になる精霊王と精霊たちの様子に思わず笑みが浮かぶ。
王都にいた時は暗殺だのと血なまぐさいことしか無かったのでとても和む光景だ。
『はぁ、アルテミシアが言うならば仕方ない。そうだ、風のと土のが騒いでいたな。ようやくお前が戻ってきたのだ、旅行がてらついでに他のところも回るか』
精霊王はそう言うとエリーゼに確認することも無く大規模な転移魔法を起動させる。
光に包まれ、一瞬のうちに切り替わる景色。
色とりどりの花が咲き乱れる穏やかな丘から、外界の緑に溢れた山の頂上に近い場所に、見上げるには首が痛くなるほど大きな洞窟が目の前にあった。
『土の、来てやったぞ』
陽の光が差し込んでいるはずなのに不自然に真っ暗なその穴から這い出してきたのは黄土色の巨体。
エリーゼはまた懐かしさを感じ、微笑みを浮かべようと……
『やかましいッ! そんなにでかい声を出さんでも聞こえとるわ!』
したが、土龍の言葉にそんな感動も吹っ飛んだ。
さすが長き時を生きる龍である。侮れない。
『久方ぶりに懐かしい気配を感じて起きてみれば、でかい声で喋りおって。やかましくてかなわんわ、全く……ん?』
「久しぶりね、ウィル」
『アルテミシア!なんと、ようやくかっ』
巨体を揺らし、ウィルと呼ばれた土龍は溌剌と笑った。
『めでたき時じゃ。ようやっとこの時が来たのか!精霊王よ、永き時を経た甲斐があったのぅ!』
『ああ。だがまだ準備が整っていない。魂は目覚めてはいるが、器の方にはあの国の呪いがかけられている』
忌々しい、と零す愛しい人にエリーゼはそっと寄り添う。
「セルジェ様が解いてくださるのでしょう?」
『当たり前だ!いつまでも私のアルテミシアの体にあんな国のモノをまとわりつかせて置けるものか』
「ならば、それまでは私のことはエリーゼとお呼びください。準備が整い、来るべき日が来たその日にアルテミシアと」
聖女 アルテミシア。
精霊王に愛され、地・風・水・火を司る龍を従えた慈愛を持った麗しき聖女。
魔王討伐よりも前からその名は各国に届いており、教会は彼女の癒しの力を求めた人々で溢れていたと言う。
後世において、彼女は魔王討伐後、教会で以前と変わらぬ生活をしていたが、その強大すぎる力に肉体が耐え切れず若くして散ったと伝えられた。
精霊王は嘆き悲しみ、そしてその子らである小さき精霊たちもまた、悲しみに暮れ。
アルテミシアの魂を輪廻転生の環へと早々に導いた。
けれど、聖女の力を持ったアルテミシアの魂を受け入れるための器が無かったのだ。
輪廻転生の準備は整い、後一歩のところで止まってしまったアルテミシアの転生は、聖女の力を受け入れるに足るエリーゼ・ベル・ルヴィンドがこの世に生を受けてようやく開始される。
だが、その聖なる力を宿した魂は奇しくもこの世で最も穢れを受けている王国の公爵家の子供だったことだけが不運だった。
けれど、とエリーゼは思う。
エリーゼにはエリーゼとして歩んだ記憶がある。
アルテミシアは死んだ。それは曲げられない真実であり、エリーゼとして生を受けた自分がその証拠なのだ。
アルテミシアとしての記憶を持つ彼女は、決してアルテミシア本人ではないのだ。
『……そうだったな。アルテミシアとエリーゼ、どちらもアルテミシアでありエリーゼなのだからどちらかしか呼ばぬのも、“今”を生きるヒトには似つかわしくない』
「セルジェ様……ありがとうございます」
けれど彼はアルテミシアがエリーゼだから。エリーゼがアルテミシアだから。
魂を感知して個人を判断する精霊や龍には関係の無いことを、エリーゼの為に配慮してくれたのだ。
アルテミシアとエリーゼ。どちらも同じなのにどちらかしか呼ばれないのは、不公平だと。
『主は変わらぬ。今も昔も清く、美しいままじゃ。身だけでなく……その心さえ』
ウィルはエリーゼをよく見ようと頭を寄せた。
エリーゼを映して輝く琥珀色の瞳は、今のエリーゼだけでなくかつてのアルテミシアをも映して。
そっと笑った。
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