マフラーの軍狼

ソラボ

第四話 追尾

  木々の天辺の枝に足が着いたかと思えば、既に次の木に移り終える。脆い古葉は巻き起こる渦風に巻き上げられ、あまりの早さに重みで末枝がたわむこともない。瞬く間、否、その暇も与えぬほどに一人の少年は駆け抜ける。彼が通り去った数秒後、空気が切り裂かれた衝撃波と轟音が残される。乗ったとて微動だにしなかった小枝は愚か樹木全体が歪み、まだ幹の柔らかい若木は耐えきれずに圧し折れる。その一部始終を少年は知る由も、知るつもりもない。唯一人、見えずとも狙った者を追って、彼が内で叫ぶ本能のままに一直線にひた走る。魔力の流れを感じ取り、その本体の位置を正確に探り当てる───それが彼の持つ異能の一つだった。


 「いる、いるねぇ。いるんだよねぇ。確実にこっちだ」


 無意識に笑みがこぼれ、上がった口角に細められた左右異彩オッドアイが鋭光を放つ。悦びに染まり上ずった自身の声色に少年は気付かない。その間も豪風踏ゼル・アヴェル刹層滑ガウダ・ギエーナを巧みに使い分け東を目指し走る。僅かな枝葉の隙間から見えた一際高い木に目をつけ、魔法の軸を変え、推進力を真正面から上に切り替える。一気に飛び乗って───


 「!」


 突如として少年の足が止まる。少年が見つめる先───森が開けた先には端の見えないほどに巨大なレンガの壁がそびえ立っていた。高レベルな強化魔法並びに魔法吸収反射魔法まで施された漆黒のレンガは視覚的にも心理的にも少年の立ち入りを拒絶しているような威圧感を覚える。現に少年の異能である魔力の流れを探知する力も壁から放たれる魔法の影響か、森の中を抜けた時より少し鈍らされている。


 「うわぁ……まさかサプタの言う通りになるとはなぁ。これがエクスリア外壁ってやつ?でっかいねぇ。仕方ない、念のために持ってきたこれを使う番だね」


 少年はポケットから一枚の紙を取り出し、すっと地面に降りるとゆっくりと歩き始めた。どこで拾って来たのか分からないが、彼の知人から持っておけと押し付けられた紙。彼の目の前に立ちはだかるエクスリア外壁はサンティレアの防衛の最前線。あまりの巨大さに近寄っているはずなのに見た目が全く変わらないので、距離感が狂う。そしてどの外壁よりも衛兵の数は多い。しばらく歩いたか、最寄りの門まで移動して衛兵に一礼してから適当な理由を繕う。

 
 「すみません、中で買い物をしたくて」


 左右異彩というのはどこに行っても珍しがられる。この衛兵もそうだろう、少し目を見開いて少年を一瞥した。慣れた手つきで少年が取り出した紙───サンティレアの通行証をさっと検閲しつつ、


 「どうぞ」


 大きな音を立てながら門扉もんぴが開く。少年の倍近い背丈と頑強な躯体が、無機質な声のおごそかな雰囲気に拍車をかけている。再び軽く会釈をし開かれた門から入る。少年とて数えるほどしか訪れたことのないサンティレアだ。少し気分が高まってきた少年はどうも、と軽くお礼をしてからやや早足で通過する。その少年を少し見送った後、再び無機質な衛兵の声がする。


 「───こちらエクスリア第6門。左右異彩、銀髪の不審な少年を確認。グラモニッドのものと思われる衣類を着用。正規の通行証を持っていたため通行許可。本部への報告は───はあ、しかし───はい。承知しました。」


 ■■■■■

 エクスリア外壁の門をくぐる。噂にこそ聞いていたが、いざ商業地帯の活気を目にすると圧倒されるものがある。ひしめき合う商店、一部の区画に林立するコンドミニアム、その間を行き交う人、物、リヤカー、乗り合い馬車。ぽっと出の田舎者が商業地帯にやってくるとあまりの活発さに人酔いするという噂もあながち法螺ほら話ではないように思えてくる。あちらこちらを見回したところで、敷き詰められたレンガ道路の交差点の先に少し広めの公園を見つけた。整然と刈り込まれた芝生の上にベンチがあって、そこまでやってくるとその一つに腰かけている青年を見つけた。移動魔法でも使った後なのだろうか、ちぢれた茶髪は風で尚更に乱れ、額には僅かに汗が滲んでいる。顔は少し大人びているが、少年と同じほどに背が低い。しばらく特徴を見ていたら急に立ち上がり飛び立とうとしたので、反射的に慌てて声をかける。


 「お~い!そこの君!ちょっと待って!」


 少しばかり遠かったがこちらの声には気づいたようで、こっちを向いて立ち止まってくれた。
飛音遷ファドミアーノで駆け寄ると、青年は得体の知れないものを見たかのように目を丸くした。なぜ目を丸くしたのか少年には分からないが、止まってくれたことに謝辞を述べとりあえず本題に入る。


 「ごめんね、急いでただろうところを。君は、キドロア・セルエイクという青年を知らないかい?」
 

 失礼な話、正直知っていそうな顔でも雰囲気でもない。ただ優しそうな顔をしていたので聞いたら答えてはくれるだろう、という安直な発想からだ。青年は一応思い当たってはくれたのだろう、首をかしげて考え込む仕草をした。


 「キドロア……?いや、聞いたことないなぁ」
 
 
 案の定首を横に振った。少年としては青年が嘘をついているようにも見えない。親身になって記憶を整理している辺り、本当に知らないようだ。割と名前は知れているはずだ、と聞いていたがそうでもないのだろうか。少年は内心見切りをつけ、腕を頭の後ろで組んで一つ伸びをする。


 「そっか。やっぱ知らないよね。仕方なーーー」


 その刹那の風圧、魔力の流れ。遥か上空にいようとも、少年が感じ取れないはずもなかった。莫大な人口を抱えるサンティレアといえど、上級魔法、殊に最上級魔法を使いこなす者など数えるほどしかいない。そのような人間からは当然強い魔力が発せられているし、その人間本体の位置も掴みやすい。その上少年には人間の風貌を僅かながらに視認できた。黒髪で長身。その青年もまた豪風踏ゼル・アヴェルの使い手であった。そして何より少年が追い求めていた人物と一致する───緋色のマフラーを巻いていたということ。完全一致したその人物は東に向かっている。ヘイグターレの地理には疎い少年だが、確か名前はウレバの森とかがある方面だな、と想起していた。


 「……いた」


 少年の愉悦と狂喜に満ちた笑みと意図せず零れ出た独り言は隣の青年にも伝わったようで、ひきつった顔でこちらを見ていることに気がついたのは去り行く標的を見届けた数秒後だった。


 「ああ、ごめんね。何でもないよ。とにかくありがとう!急用が出来たからじゃあね!」


 即座に高く飛び上がったところでふと止まる。強大な魔力の流れを、狙い定めたあの男を追うことに傾倒しすぎて一つ見落としていた。直前まで尋ねていた茶髪の青年。彼からも微力ではあるものの魔力の流れを感じ取れたことを。つまり彼も魔法士、いや、これから魔法士になる人物かもしれない。


 「なるほど……。もしかしたら、近いうちにまた会えるかもね」


 少年は高揚を隠しきれないと言った様子で、サンティレアを東に突っ切っていく。感じるままに、赴くままに。───マフラーの青年を追い求めるままに。


 ■■■■■


 偶然にしては少々出来すぎている気もしたが、探し始めて30秒。何はともあれ仮実習のチームメイトは揃った。
 

「キドロア・セルエイクだ。よろしく」


 立ち上がって、草や土が付いて汚れた衣服をはたくサルカーノにロアは手を差し伸べる。こける理由は良く分からないが、遅刻しそうになって急いでいたのだろうと言うことはなんとなく読み取れたので触れずに置いた。ルカがロアの手に気づいて手を出し、サルカーノを引き上げた後二人は握手を交わす。


 「キドロア……?どっかで聞いたことがあるような気が……」

 「……?俺は君と会うのは初めてなんだが」


 ルカは何かを思い出そうとしていたが、少しして諦めたように首をかしげた。そんなルカとミリーナを交互に見やりながら早速なんだが、と一つ前置いて説明を始める。


 「二人とも事前説明で聞いて理解しているとは思うが、球体はこの広大なウレバの森の中に20個しかないし、どこにあるとも示されてない。かといってさっさと見つけないと、就職そのものはできても、有り体に言って出来損ないの烙印を押されてしまう。その上入手方法は問わないときた。もしも球体を所持したまま他のチームと出くわした場合、どうなるか分かるな?」


 ロアの説明を頷きながら聞いていた二人が、質問に対し少し考え、閃いたように顔を上げて言葉を発したのはほぼ同時だった。


 「力付くで奪いに来る可能性がある」

 「譲って欲しいとお願いされる」


 想定解を述べたミリーナとは対照的に、サルカーノの答えにロアは面食らった。どこのお花畑で生まれ育ったのだろうか、と出かかった侮蔑とも取られかねない質問をすんでのところで飲み込み、恐らく事の本質と重大さと危険性を理解していないサルカーノに再度詳しい説明を捲し立てるように始める。


 「あの、いいか?皆自分の配属先、先を見据えれば昇進にも響くかもしれないこの仮実習。誰もが必死になる。その上どこにあるのか分からないんだから、勝負吹っ掛けて持ってるやつから無理矢理奪った方が当然楽だ。持っているところを他のチームに見られたらミリーナの言う通り、力付くで奪いに来る奴が必ず出てくる。球体を同時に見つけたら場合なんかも絶対に取り合いになるのは分かるよな?」


 サルカーノは気圧されたかのようにおずおずと頷く。


 「そうなった場合、実力の程度の知れない3人を相手に、二人と良くわからん球体を守りながら戦うのは───正直しんどい」


 幹部候補生トップクラスの実力を持つノルアスすら手玉にとって見せ、試験も実力測定不能の文句無しの首席合格、青紙を得て鳴り物入りで入隊への門戸を叩いたロア。しかしそれは対戦が1対1だったから。自分一人で良かったから。対複数の戦闘では戦い方も、魔力の消費量もまるで違う。更に今回は護衛対象となる人間が二人、物体が一つ。極端な話、ロアからすれば6対1のようなものである。恐らく単体で見れば虫けら同然と言える大概の受験者も、複数人、そして何チームも束になってかかってくる連戦となると労力も時間も無駄になる。蹴散らそうと派手な魔法を使えばその音や衝撃で更に別チームが来ることにも繋がる。


 「欲しけりゃどうぞの仲良しごっこやってるんじゃないんだ。いかなる状況でも臆せず魔法が使えるかどうかは軍人としてめちゃめちゃ重要なこと。優しいだけじゃ何も守れんぞ」


 サルカーノに向けて諭したつもりの言葉だったが、ロア自身にも少し刺さったのは言い放った後だった。何も守れないのはまさしく自分も同じ。まだ幼い頃、魔法を覚えている段階では母が無理が祟って病に倒れ、今となっては大切な恩師の身の安全どころか消息も掴めない。魔法を身に付けたところで守りたいものはことごとく手遅れになってしまっている現状に、消えかけた心の揺らぎが再び焦げ付き、燻り始めようとするのをどうにか抑える。ここで取り乱しては二人にも不安を与えてしまう。ひとつ深呼吸をし、話を切り替える。


 「……とにかくだ。出来る限り早くオーブを見つけて、出来る限り他のグループとの接触を避けてここに戻ってくるべきなんだ。その為に二人には俺に付いてきて欲しい」


 ロアの真面目な顔と声色に、二人は気圧されたように、ではあるが強く頷いた。


 「でも、具体的にはどうしたら良いんですか?」

 「簡単な話だ。やることは一つ───」


 ミリーナの質問に対するロアの返答が早いか、ガオニの大声が再び通る。


 「大変お待たせした。それでは皇歴1033年度、ヘイグターレ帝国軍、国家魔法士仮実習を開始する!」


 一段と大きくなった声で試験開始の合図が告げられた。それと同時に三人揃って空中に浮かび上がり上空から探索を試みるチーム、裏をかいて森の中へ駆け出していくチームなど、オーブを目指して三々五々に散っていく。ロアたちはと言うと───


 「うわああああああああああああああああ」

 「ひいいいいいいいいいいいいいいいいい」

 「やかましいな。急に飛び上がったのはすまなかったが、もう少ししっかりしてくれ。ちゃんと捕まってないとこのままのスピードで地面に叩きつけられるぞ」


 ロアの得意とする風属性の移動魔法、飛音遷ファドミアーノでどのチームよりも速く移動していた。適正の低い者が高度な魔法を使おうとすると大量の魔力、体力を消耗するのと同じように、適正の高い者が使う高度な魔法を低い者とも共有した場合もそれ相応の身体的負担がかかる。今サルカーノとミリーナは使ったことの無い魔法によって未曾有みぞうの負荷に晒されているのだ。ロアもそれは少しばかり理解しているようで、流石に最上級魔法である豪風踏ゼル・アヴェルは使っていない。しかし飛音遷ファドミアーノにもを上げるほど耐えられないとは考えていなかったようで、他チームから離れるように、手を握りながら飛んでいる現在も、内心二人の想像以上の適正の低さに喫驚と困惑を覚えている。2分もたたない内に同じ方向に飛んでいた他のチームも見えなくなったので、弱めの追風タービルに切り替え、降り立てそうな場所を探し始める。

 
 「ん……あれが丁度いいな」


 少し先の方に開けた空間が見てとれた。更に近づくとそこには倒木があり、どこかしこも薄暗いはずのウレバの森に煌々と陽が差し込んでいた。ギャップと言うのだと聞いたことは覚えているが、誰からなのかは忘れてしまった。朽ち倒れてからそこそこ時間が経過しているようで、その倒木を栄養源として細々とした草木が根を据えて真上に背を伸ばしている。流石に空中にオーブを置いているわけはないだろうから、そろそろ降りて探索をしたい、加えて二人を休ませるためにも地に足を付けたいと考えていたロアには好都合だった。


 「降りるぞ」


 二人に返事をする余裕は無かったようなので待つこと無く更に追風タービルを弱め徐々に下降し、微風ブリジアに切り替え、魔法の向きを真上に変えて極限まで緩衝し着地する。サルカーノは大層疲弊していたようで、着地したと同時にヘナヘナと座り込んでしまった。一方、同じように甲高い声をあげていたミリーナだったがさほど疲れた様子は見せていない。素振りほどに魔法適正は低くないようで、ロアは少し感心したような心持ちになる。とりあえずサルカーノは動かさず休ませるとして、倒木の雑草が生えていない樹皮が剥き出しの箇所に背を預けた。ミリーナも太めの枝にそっと腰を下ろす。肩を回してほぐしながら改めてざっと周囲を見回す。まるで3人のために用意されたかのように家一つ分ほどの空間が出来ており、日光を一身に浴びた多種の草花が挙手の如き勢いで直立している。その咲花の周囲に引けを取らない程鮮やかな虫が蜜を求めしがみつき、姿は見えずとも鳥の囀りも聴こえたりと、文字通り森が生きていると肌で感じられる。振り返ると助走をつければ飛び越えられそうな程の浅い小川があり、和ましい流水音を立てている。澄んでいて岩礫の底が見えるが、魚は見当たらなかった。今のところ、自分を含め三人以外に人の気配は感じない。ミリーナに声をかける。


 「追風タービル程度なら余裕そうだな?」

 「え!?あ、は、はい、自分でも、つ、使えますので……で、でも飛音遷ファドミアーノは無理です……あれは息が苦しかったです……」

 「そうか、それはすまなかった……。でもさほど疲れてないのは凄いな」

 「い、いえ!キドロアさんの方が凄いじゃないですか!私達二人を引っ張りながらあのスピード凄いですよ……!私なんかまだまだ……これもただ親族に国家魔法士がいるという血筋のお陰というだけですので……」


 ロアとのこの会話の間も常に目は合わせない。謙遜しているのと引っ込み思案なのは伝わったが、緊張から来ているであろう早口が尚更聞き取りづらさに拍車をかけている。


 「俺だって、ただ師匠に教わっただけだ。親父は物心付く前に亡くなってたし、その親父も魔法士だったらしいが軍にいたわけではないし……母さんは魔法士ですらないしな。だから俺が証人、とまでは言えないが血筋が全てじゃないってのは確かだ。ミリーナも努力次第で強くなれるさ」


 父、ファラドの話はほとんど知らない。というのも母も兄も、父と親しかったはずの恩師ディアゲラすらもほぼ話してくれないし、話したがらない。母の作るリンゴのケーキが好きだったとか、お酒はあまり飲まなかったとか、日常的なことは気兼ねなく話してくれるのだが、魔法士時代、帝立央魔院にいた頃の仕事の話になると頑なに口を閉ざすのだ。魔法を教わる前の凄く幼い頃からそうだったので、ロアとしては彼らの対応が変わることが恐怖の対象であり、聞いてはいけないことなのだと遺伝子レベルで刻み込まれており、今となっては聞こうとも思わない。父がいないからといって不幸な思いをしたことはないし、父がいないことを冷やかしてきた学友は全て魔法でねじ伏せて黙らせてきた。母を心配させるまいというのもあるが、一番はもういないとはいえ、思い出もないとはいえ、実父を他人に汚されるのが許せなかったからだ。


 「お師匠さんか……キドロアさんみたいにとても強い人なんでしょうね。私の親族には軍に所属している人がいるんですよ。とても忙しい人で、最近は全く会えてないんですけどね……」

 「そうなのか。軍に入ってその人と一緒に働けたら良いな。確かに師匠は俺なんかよりも遥かに強い人だ。実力的にも、精神的にも。劣勢になることがないぐらい強いし、不測の事態にも動じない。全てが俺より高水準な人。永遠の憧れだ。もはや父親の代わりと言っても過言じゃないぐらいだな」


 この話の間もミリーナは目を合わせようとしない。ディアゲラの話をしたにも関わらず、心のモヤモヤは不思議と感じなかったことにロアは喋った後に気づいた。師匠を誉める話だったためだろうか。なにはともあれ、名前が出ずとも話題に上る度にじりついていた不快感を感じなくなったことにほんの少し爽快感と安堵を覚える。そこにようやく息の整ったサルカーノがふらふらと立ち上がり、口を開く───かと思いきやいきなり涙を流し始めた。ロアとミリーナは訳が分からず顔を見合わせるが、ミリーナは即座に顔を逸らす。やはりどうやっても顔を合わせてくれない。そしてロアはようやくミリーナの耳が真っ赤なことに気づいた。体調でも悪いのだろうか。飛音遷ファドミアーノで負担をかけすぎたか、色々と思考を巡らせる。が、まずはサルカーノの話に意識を向けることにした。


 「サンティレアの人ってこんなに魔法が使えるのか……。やっぱり僕には無理だったんだ……」

 「な、なんだ。どうしたいきなり」

 
 宥めながら聞いてやると、色々と家庭環境を話し始めた。

 サンティレアの東にあるナザームという村から来たということ。11人家族の長男であること。村唯一の魔法士になれたことが分かった。その上、家族全員に期待されて寝る間も惜しんで魔法の鍛練と勉強に勤しみ、どうにか掴んだ魔法士の道。自分でいうのも難だが努力はしたのでそれなりに通用する、と思っていたらしい。それをキドロア・セルエイクという化物染みた強さの魔法士と出会い、淡い希望を粉々に打ち砕かれたのだという。別にロアが悪いと言っているのではない。サルカーノ自身がいけると思っていた程度の努力では通用しないことに打ちひしがれているようだ。このままでは無理を通してでも親身になって協力してくれた家族に顔向け出来ない、と自分の非力を嘆いているのだった。ロアは内心呆れながらも励まさねばならないと思い、口を開く。


 「俺自身がいうのもアレだが、俺レベルのやつは同期にいない。それどころか軍でも数えるほどしかいない。普通の新入りは皆お前レベルだし、今後お前が会うだろう上官でもそうそういないと言っておこう。だからなにも嘆くことない。軍に入れば好きなだけ魔法も練習できる。逆に言えば嫌でも魔法は鍛練させられるから自然と上達する。それはそれとしてだ。別にさっきのは見せびらかすつもりだった訳じゃない。俺はいずれは軍の上層部に登り詰めてやろうと考えているから、こんなちょっとした試験一つでつまずいてられない。俺と同じグループになった以上、ついてきて欲しかっただけだ。それに仕事中だけじゃなく、鍛練のやり方、時間の使い方次第、練習の質と量で魔法適正はいくらでも伸びる。村では他に魔法士がいなかったんだろう?それなら仕方ないが、正直な話教本なぞに頼らなくとも実践練習の積み重ねで問題なく通用するぞ」


 サルカーノは教本に頼るしかなかった環境だっただろうが、ロアは教本など一度も読んだことがない。全てはディアゲラとの鍛練とその中で使った、もしくは使われた魔法の復習がほぼ全てだ。筆跡が人によって違うように、魔方陣も人によって書き方や属性の得手不得手が異なる。サルカーノも自身に合う練習の仕方や得意な属性が見つかれば、これからいくらでも実力は伸びる可能性を秘めていることも話した。それを聞いて少しは気が楽になったのだろうか、サルカーノは寄りかかっていた木から体を離して独りでに立ち、服についた細かい草を払う。


 「ありがとう。少しは希望が持てたよ。それに、気付いたよ。今ここで諦めてしまったらそれこそ家族に顔向け出来ないってね。納得が行くまで頑張ってみる」


 よく言えば感受性豊か、悪く言えば浮き沈みの激しいやつ。率直な感想はそっと胸にしまい込んで、同意を示すように強めに頷く。嘘をついているようには見えないが、実際サルカーノの家庭事情はロアからしたら関係のあることではない。同情の余地はあるが、今はそれよりも仮実習を穏便に手早く終えることがロアの中での最優先事項だ。一つ伸びをして、二人に話を切り出す。


 「気持ちの整理と休憩が済んだらこの辺からオーブを探し始めよう。受付の見本を見る限りは白い球体だった。この薄暗い森の中なら白は目立つはずだ。パッと見で見えないなら葉の裏、岩の裏なんかに置かれてるかもしれない。くまなく探して欲しい」


 ミリーナもサルカーノも頷いて返し、立ち上がる。


 「ああ、それと……ミリーナ。大丈夫か?耳が真っ赤だったが。体調でも悪いのか?」


 いくら仕事とはいえ体調不良で倒れられたら困る。もしこのままミリーナが倒れたら受付まで連れて帰るか、監督官であるガオニの部下達に来てもらう必要がある。時間の浪費は免れない。加えて実力を考えるとサルカーノを置いていくわけにもいかないから、連れて帰るとなると今度こそサルカーノがロアの魔法に耐えられない可能性がある。いずれの対応を取るにしろ、魔法適正以外の不安材料があるなら出来るだけ早く取り除いておきたいのがロアの本心だ。ミリーナは全力で首と手を振りながら否定の念を示す。


 「ちちちちち違います!どっこも悪くはないです!ないですよ!ただ───」

 「ただ?」

 「び、ビックリしただけです……いきなり男の人と手を繋ぐなんて……父親以外なかったので……」


 完全に盲点だった。ミリーナは紛れもなく年頃の女の子なのである。幼馴染みのリカは話の途中でツッコミを入れるついでに軽く小突いてきたり、買い物に付き合わされる時は手を握ったりするなど傍から見ればかなり積極的に見える───だがそもそも向こうからは恋愛対象から除外されている。だから異性として意識していない場合、女性の立ち振舞いとはそういうものなのだろうと勝手に勘違いしていた。むしろリカがスキンシップに抵抗が無さすぎるのである。通説、他者を手を繋ぐこと自体、信頼の置ける人としかしないものだ。そしてそれが異性ならそのハードルは更に高くなる。ましてやミリーナはただでさえ奥手な性格のようなので、ロアにいきなり手を繋がれたときの困惑と恥ずかしさは耐えがたいものだっただろう。ロアは効率のみを重視した自分の軽率さを恨むと共に、ミリーナの前に跪いた。ヘイグターレでは片膝を地面につき、頭を垂れる仕草が最大級の謝罪の形とされている。


 「それは大変すまなかった。実習のこと、自分の成績のことしか考えていなかったせいで、人としての基本的な部分を忘れてしまっていた。あなたの尊厳を傷付けてしまったことを心からお詫びする。許して欲しいとも、無かったことにして欲しいなどとも言わない。せめて、この仮実習の間だけでも、怒りを沈めてくれないか」


 自分を責めてやまないロアに、ミリーナは再び首と両手を横に振る。


 「そ、そんな!やめてください!怒りだなんて、何一つ怒ってないですよ!ほんとに、ほんとにただビックリしただけなんです……そ、それに!ぎ、逆にちょっと嬉しかったんです……わ、私引っ込み思案だし、ドジだし、喋るときもす、凄い緊張しちゃうから、あんまり言いたいこと言えなくて、よく周りに置いてけぼりにされるんです。でも、キドロアさんはちゃんと連れてってくれたのが、実はちょっと嬉しくて……」


 そういうルールだったから連れてきただけ、という自身の考えはすんでのところで飲み込んだロア。それにしてもなんだこの純粋な生き物は。どういう環境で育てられたらこんなに素直な人間になるのだろう、という邪な感情もしまい込んで、平静を保って受け答える。


 「……そういって貰えて何よりだ。でも、本当に体調が悪くなったり、大怪我をしたらすぐに言って欲しい。そんな状態の人間をあちこち連れ回すのは良くないし、治癒魔法でどうにもならん場合は本部まで連れ帰らなきゃならないだろうからな……。とはいえここで途中棄権するのはミリーナの今後に関わりかねんのも事実だが」


 恐らくは人に、殊に異性にいきなり手を握られたことに驚いたというのは本当だろう。その先を気にし始めるとキリがないので考えないことにした。しかし万が一は起こり得ることだ、とロアはあらかじめ予防線を張りつつ、話の趣旨をそれとなく移す。


 「そ、そうですね。何かあったときはすぐ言いますね」


 ミリーナは頻りに首を縦に降り肯定を示した。丁度会話の終わりに、何のことやらと突っ立っていたサルカーノにも何かあったら申し出るように伝えた。休憩時間を含めても10分程度しか経過していないので、他のグループに遅れを取っていることはないだろう。


 「よし、仕切り直しだ。手分けして探そう。俺は森の中を探す。ミリーナは日の当たるところから、サルカーノは小川の方を探してくれ」

 
 迷っている時間は無駄なので手早く割り振りを決めて指示を出し、捜索を始める。勝算があるわけではないが、ものは試しと、魔力を帯びた物を見付けられる魔法、調導波メルシンピアーを使い、オーブを探してみる。360度見回したがそれらしきものは感じ取れなかった。やはりそう簡単に見つかるようにはなっていないらしい。となると、やはり地道に捜索するしかないのか。草木の葉をめくってみたり、枝に引っ掛けてはないかと樹木を揺すってみたり。数分ほど探したがそれらしきものは無かった。ミリーナに進捗を伺うも手応えは無いようで、真上からは少し外れたものの、陽光が目一杯降り注ぐギャップは枝葉の天井に覆われた森林とは気温が違う。ミリーナはまだ汗をかいてはいなかったが、先程耳が赤かったことも気になる。念のため場所を入れ換え、ロアが日向側に移る。その直後に派手な水の音がした。振り返るとずぶ濡れのサルカーノが川の流れの中に座り込んでいた。どうしたのかは大体想像がつく。


 「うっわ……ずぶ濡れだ。付いてないなぁ」


 そういえば試験が始まる前も派手に転んでいた。なにかとつまずいたり、転んだりする不幸体質なのだろう。


 「はぁ……。そうだな、輪炎リメリアは使えるか?調整して使えば手早く服は乾かせるぞ」


 ロアは嘆息しながら助言する。サルカーノも輪炎ぐらいは使えるようで、ロアの指示通りに自分を取り囲む形で輪炎を作り出し、服を乾かし始める───その場で。


 「いやいや、川から上がってやらないとズボンがいつまで経っても濡れ続けるし靴も濡れてるだろ」

 ロアに言われて下を見て初めて気付いたのか、ああと声を上げながら川から上がろうとするサルカーノ。水をたっぷり吸って鉄板入りの訓練用軍靴並みに重くなった革靴を水中から上げようとしたとき、

 
 「ん?」
 

 足元の水中に手を突っ込み、何かを持ち上げた。掌にすんなり収まる大きさのそれは、他の小石とは一線を画す、純白で完全な球体。それ自身も淡く発光している。


 「これって───オーブ?」

 
 サルカーノが呟くのとロアがサルカーノの肩を掴むのはほぼ同時だった。


 「良くやった。君は運が良いのか悪いのか分からないな……。間違いない。これは試験開始前に見せられたあのオーブそのものだ。後は落とさないよう、誰とも会わないよう3人で帰るだけだ」

 「サルカーノさん、凄いですね!陸の上を探してた私たちでも分からなかったのに水底に沈んでるオーブを見つけるだなんて!」


 二人に誉められたサルカーノは事を理解しきった様子ではないが称賛の言葉は伝わったようで、上機嫌でニヤニヤしている。何はともあれ、休憩したことを除けば驚くほどトントン拍子で事は進んでいる。後は二人の疲弊に注意を払いながらガオニとヴェジルの元まで帰るだけだ。飛音遷ファドミアーノの魔法陣を構えるが、そこまで急ぐこともないと思い直し、追風タービルに切り替える。サルカーノが球体を持っている上に追風タービルを上手く使えないので3人分の魔法を用意する。いざ陣を作り終え飛び立とうとしたまさにその時だった。


 「───! 二人とも、待ってくれ」


 僅かな空気の流れの変化。本当に小さな不快感をロアは察し、そのまま流すに値しないものと判断した。獣の臭いとも、にわか雨の予兆特有の、黴が鼻を突くような湿潤な微風とも違う、何者かが作り出す"気配"。絶えず揺れて存在感を示していた草木が今や静寂しじまを手放さない。いつの間にか野鳥のさえずりも鈴虫の輪唱も鳴り止んでいた。何者が、どこからかは分からない。だがこれだけは分かる。


 「───何かがこちらに来てる。この森にいてはいけないものが」


 ディアゲラやグアジェドのお陰もあり、同年代の者より遥かに多くの魔法士を見てきたロア。人間、殊に魔法士の持つ独特の気配はなんとなく分かるようになった。今感じているものはそれに近いが、この異質な感覚は未知のもので、不快感も甚だ強い。明らかにロア同様試験に臨む者とは到底非なるこの違和感が徐々に強まっている。


 「川の向こう岸───!!」


 ロアがようやく違和感の正体、その方向を感じ取りその方向を見やった時、すでに"それ"は敵意に満ちた闇属性の魔法を放っていた───ミリーナに対して。


 「なっ───」


 即座に右手を構えたがどんな魔法をつかおうとも絶対に間に合わない。ならばせめても回避させねば。そう判断したロアは咄嗟に左手でミリーナを突き飛ばした。


 「えっ、───」


肩に急な衝撃を食らったミリーナは半ば吹っ飛ばされながらよろめき、"何者か"が放った魔法が左肩を掠める。吸い込まれそうな暗闇の尖槍が音速にも等しい疾さながらに音も纏わず、周囲の空気ごと一帯を貫く。ロアの咄嗟の行動により直撃を免れたものの、軽撃を食らったミリーナは目を見開き、全身が硬直したまま倒れていく。ロアは思うが早いか、それを豪風踏ゼル・アヴェルで回り込んで抱きかかえて受け止めた。ミリーナは呼吸はあるが、数度揺すれど返事も意識もない。


 「閹雷貫戟フォンバ・ロギドゥーカ……」


ロアは無意識に一人ごちていた。脊髄の動きを抑制する黒破痺戟サレムク・マラーデルとは違い、閹雷貫戟フォンバ・ロギドゥーカは生物の脳内信号を"書き換え"て、全細胞の動作を一瞬停止させる───それは全身の筋肉、ましてや心臓すらも硬直することを意味する。そのままでは全身が動かず、顔から地面に激突してしまう。そこが河原の砂利ともなれば尚更酷い怪我を負うことは必至だ。闇魔法を齧ったロアとしては危険性は十分に理解している。だがついぞ自身が数時間前に使った闇魔法を使われる───しかも更に上級なものを高い精度で───とは想像すらもしていなかった。精一杯押し殺しながらも戦慄が背筋を巡る。飛び移れるほどの小川が隔てる向こう岸、それは無意識で、純真で、それでいて酷薄な笑みでこちらに対峙する。


 「───惜しいな。でも、見つけたよ」

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