マフラーの軍狼

ソラボ

第三話 歯車

 「さて……。色々あったが一旦帰るとするか。そのうち引っ越しの準備なんかもしないとな。でもこれでまた三人暮らしになるわけか」


  正午を過ぎたサンティレアを上空から見ると、昼食の時間帯ということもあり、石畳の路面からの照り返しをものともせず、仕事を終えたであろう人達で飲食店や食料品店が賑わっている。
ダダロンの庭を後にしたロアは一人、サンティレアの上空を西に向かっていた。

                      
■■■


 「個人的な感情だけで言えば確かに対戦してみたいっす。ただ、私とロア君との戦いをいざやったところで、私がいつ心のタガが外れるか分からないっすね……。それに、こうやってロア君と互角に渡り合えるレベルの隊員がいないということは、それだけ今の我が軍の戦力と、未来のヘイグターレを担う彼らの世代との実力に差があるということっす。もちろん自分の指導力不足を痛感してるっすけど……。なんで、未来のヘイグターレの為に、まずは彼らを育てる必要があるっす。彼らへの教育が十分に行き渡ったときには、ぜひ一戦願いたいっす」
 

 幹部候補生の一人、ノルアスとの手合わせの後グアジェドに「なんならウォルザとも手合わせしてみたらどうだ、他の隊員が学べることも多かろう」と勧められた。ロアは好奇心と恐怖に近いたじろぎからしばし迷っていたがウォルザは即座に自身の考えを述べた。先程のグアジェドの明晰な意見に諭されたのか、血気盛んなウォルザの印象とはかけ離れた理論立てられた意見にロアは内心少々驚かされた。ウォルザは候補生らを集めてあれこれと指示を出したのち、二人に一礼すると引き連れて隊員の指導に戻っていった。残念がりながらそれを眺めていたグアジェド曰く、魔法軍の最高レベルの戦力を一度ロアに身を持って体験させたかったことに加え、ディアゲラの良きライバルであったウォルザにディアゲラの一番弟子の本気を見せたかったらしく、戦闘狂のウォルザならその場の流れ次第では話に乗ってくれそう、と判断したらしい。しかしそこは幹部育成担当の第二部隊隊長、律儀に断り隊長としての業務に戻る。教え子のレベルは誰よりも把握しているようだ。グアジェドは少々つまらなさそうな表情をしたが仕方ない、と一言つぶやいて引き下がった。意外といたずら好きな一面もあるんだなとロアは初めて知った。


 「うーん、無念だ。はっはっは……仕方ない、俺も部下に任せた仕事の進捗を確認に本部に戻るとしよう。……ウォルザよ。そやつら幹部の卵をどれだけ鍛え上げられるかで国力が大きく変わるからな。今後も頼むぞ」


 グアジェドはそうひとりごちて軍服の襟を正すと、ロアに向き直る。

 「ロア、久々に会えて嬉しかったぞ。更に腕を上げたようだな。これからがますます楽しみだ。今はあれこれ忙しい時期だが、落ち着いたらまた積もる話を語り合おう、それまでお前自身も気を強く持つことだ」

 ディアゲラの件への直接的な言及を避けるためか、かなりぼんやりとした言い方で励ましたグアジェドは翻ると魔法軍司令部本部棟がある中心部へと歩いていってしまった。ロアもあらかた用事は終わってしまったので、一度家に戻ることにして、今に至る。


 ロアの実家はサンティレアの隣町のキアブラーニという小さな町にあり、今は母と二人暮らしだ。隣町といっても乗り合いの魔法馬車を使っても町に入るまで15分はかかる。その間の道路は舗装されて両端に柵こそ整備されているがその奥は荒野が広がり、野生動物が生息していたりとお世辞にも安全とは言えない。その上ごくまれにウォルザが先ほど話していた"魔物"と呼ばれるひときわ危険な生物が徘徊しているため、母のためにも引っ越したいとイヴァンとは話し合っていた。既に国家魔法士になっているイヴァンは現在ギガロ商業地帯の一角にある、国家魔法士専用の官舎に住んでいる。今回ロアも晴れて国家魔法士となったため、母も連れて今度は一軒家を買い三人で住もう、ということだった。前々から購入する家も決めており、入居前に必要な書類手続きは粗方終わっている。


 「ヘイグターレ内に家を買えば母さんも一安心だろ。わざわざ買い物のために乗合馬車を使うこともないだろうし、何より病院までが近いのがいい」


 国家魔法士試験に合格し、帝立央魔院に就職が決まった際のイヴァンの意見に、ロアは二つ返事で同意と了承を示した。夭折した父ファラドに代わり、女手一つで二人の兄弟を育てた母、マルシャ・セルエイク。魔法に関しての知識はほぼなかったが、人当たりの良さと父の職種の影響もあってか人脈が広かった。ディアゲラにロアへ魔法を教えるよう頼んだのもマルシャだ。兄弟が幼いころは農業や手作りの日用品を売って家族の生計を立てていたが無理がたたり、心臓を患ってしまった。今は細々と日用品を売るなどして、週に一度サンティレアの病院に通っている。イヴァンが国家魔法士になって仕送りが増えたこともあり、生活には事欠くようなことはないが、病院の治療費も安くはなく贅沢ができるような余裕はない。だが今後は部長にまで上り詰めたイヴァンほどではないが、魔法軍に入ったロアの給与もかなりのものとなる。二人して働けばサンティレアに移住するだけの余裕ができる───。それを受け、いっそ引っ越すことを決意したのだ。


 「後5分ぐらいか?」


 とてつもないスピードで空中を移動するロア。乗り合い魔法馬車は魔法を使えない者や適正の低い者の移動手段として多くの人間に利用されているが、魔法を使えるものは自らの力で移動魔法を使い、目的地に向かうものがほとんどだ。その際の魔法は追風タービルが主流となっているが、今ロアが使っているのはそれの二段階上、飛音遷ファドミアーノという魔法で、運送業者でも使える者の少ない上位魔法である。足元前方に小さく馬車が見えたかと思うと、砂浜に描いた文字が波にさらわれるかの如くすぐさま後ろに消えていく。風圧にはためくマフラーを左手で押さえつつ、右手の魔法陣を光らせて空中を踏み渡る。このあらゆる魔法を使いこなす技術、ずば抜けた魔法適性の高さがロアが軍の特待生たる所以だ。魔法高等学校、通称"魔高"にも特待生制度があれば絶対にロアなら入れたのに───。何度も叶わない文句を垂れていたのはリカだったか。魔法士への福利厚生はもちろん魔法を使えない者への生活保障も手厚くするため、ヘイグターレでは様々な税金の免除があるが、その分生活必需品以外などの税率が高めに設定され、国の重要な財源となっている。教育に関しても義務教育は無償なのだが、"魔法は家庭で受け継がれるもの"という慣習の影響もあってか、魔高は無償化するには至っておらず、特待生制度も設けられていない。金銭的にも余裕がなく、本人もさほどのりでは無かったのでロア個人としては通えなかったことに後悔の念など微塵もないし、むしろディアゲラに魔法を教えて貰えていなければ今の自分はないと感謝し痛感している。そんなこともあったな、と感傷に浸りつつ、ディアゲラのことを考えないようにしていたことを思い出し自分を諫いさめる。あっという間にキアブラーニに入る。サンティレアの計画的で整然としたレンガ造りの街並みとは異なり、ヘイグターレの大部分地域の家屋は木造で、ロアの家もその例に漏れず近隣の森から伐採された樫と檜の木材で建てられたものだ。自然の豊富なキアブラーニは、森林が天然の断熱材の役割を果たし、夏も冬も度を過ぎた気温になることがなく、気候面では恵まれている。強いて言うならその程度で、何もないことが特徴と言っても差し支えないほどに何もない静かな村だ。徐々に魔法の力を緩め減速していき、長年過ごした実家の前にすたっと着地する。二階建ての大きくも小さくもない木造家屋は、経年によって木材が僅かに変形し、少しだけ屋根が傾いている。その屋根も木の板をコの字型に切り出したものを組み合わせ、防水撥水加工の魔法を施したお手製の板葺きである。大きめの窓の外には少しばかり花が植えてあり、落ち着いた色合いの家に文字通り華を添えている。鍵を開けノブを握り、重い樫材のドアを開けると、そこには
椅子に座っているマルシャの姿があった。


 「ただいま母さん」


 マルシャはリビングで紅茶を飲みながら何かしら本を読んでいた。帰宅の合図の声に目線を移し息子の姿を認めると、読み止しの本に栞をかけて閉じ、椅子ごと体をこちらに向ける。


 「おかえりロア。もうお昼だけど、朝ごはんはどこかで食べてきたかい?食べてないなら作るけど」


 「いやまだだよ。ああ、大丈夫。昼の分も含めて自分で作るから」


 マルシャはロアが魔法の鍛錬のために早くから出かけることを知っているので、いちいち外出の理由を聞くようなことはしない。また心臓を患っているとはいえ日常生活に多大な影響があるわけではないようで、炊事や洗濯など一通りの家事は自分でやっている。もう自身の昼食は済ませたのだろう、皿が端に立て掛けてあった。ロアがキッチンに向かったのを見ると再び本を読み始めた。ロアは足元の引き出しからフライパンと小ぶりな鍋を見繕い、鍋には蛇口を捻って水を張る。慣れた手つきで冷蔵庫から野菜とウサギの肉、短めのパスタを取り出し、野菜と肉を一口大に切った後、肉には塩胡椒を強めに振る。フライパンと小ぶりな鍋をコンロの五徳の上に置き、魔法で火にかける。しばらくして鍋が沸騰したところで塩を加えると、ボコボコッという音と共に沸騰の泡が勢いを増す。そこにパスタを流し入れて火を弱めてしばし放置。その間、熱したフライパンに食用花の精油を引いて兎肉と野菜を炒め、火が通ったところで牛乳を加える。丁度パスタが茹で上がるので茹で汁をいくらかフライパンに移し、パスタを湯切りする。湯切ったパスタを加えてさっと混ぜ合わせ、塩で味を調えれば、ヘイグターレの定番家庭料理、兎のミルクパスタの完成だ。料理に対しては大して得意とはいえないロアだが、これに関しては母やリカに作れるようになるまでしつこく言われたので、すんなり作れるし味にも定評がある。ロアは朝食の分として、そこに薄切りのバゲットを数枚とざく切りのレタスを添えた。サンティレアのパン屋で買ってきたもので、硬めに焼かれている分、そのままではかなり食べづらいが日持ちはする。食べる分だけ切り分けてから薄切りにしたり、スープなどに浸して柔らかくして食べるのが一般的だ。レタスは畑を所有する隣人からお裾分けされたもので、鮮度もよく葉もしっかり厚い上物だ。


 「いただきます」


 静かに手の平を合わせ、少し頭を下げる。大陸に古来から伝わる食事の際の作法である。何でも、食材と料理を供した者に対して感謝の意を表すものらしい。作法を終えると先にパスタから手をつける。牛乳のまろやかな風味にしっかりと下味の付いた肉の旨みが広がる。野菜にもしっかり油と肉の旨味が染み込んでいる。が、自分のために作った飯というのは別段印象に残るわけでもない。淡々と食べ進め、時折バゲットを浸しながら半ば作業的に腹を満たす。食べ終わったところで、再び手を合わせる。


 「ごちそうさま」


 これも古来から伝わる完食の意を伝える仕草だ。皿を重ねてキッチンに持っていき、蛇口をひねって洗い始める。ロアが食事を準備し、食べ終わるまで静かに本を読んでいたマルシャだったがふと顔を上げ、本を閉じてロアを見やる。


 「そういえば軍の希望は上手く行きそう?」


 唐突で軽率な、それでいてロアにとっては壮大かつ重厚な質問にしばし沈黙せざるを得なかった。子の進路を気にかける母親の立場としては至極当然な質問だが、ディアゲラの一件を自分なりに心の隅に抑えていた、意図的に深く考えないようにしていたロアにとって、揺らぎを与えるにはあまりにも十分すぎる打撃だった。決して母が悪いわけではない。今心を落ち着けるにはその事を考えないことが容易く最善だと思っていただけの話だ。恐らく誰からも似たような質問をされたことだろう。それでも口内にまとわり残る牛乳や肉の匂い、バゲットの香ばしく焼けた残り香もたちまち消え失せるほどの焦燥、グアジェドが言い放った、2週間もしり得なかった事実が重々しく脳裏に居座っている。憤慨、寂莫、懐疑。浮沈する感情を取り巻くあらゆるものを振り切って深呼吸で抑え込み、努めて平静な声色を保つ。


 「多分」


 目線は上げられなかった。それが今のロアの精一杯だった。目元は洗い物に落としたまま、水も流し放したまま、唯一つ心を落ち着けることに神経を研ぎ澄ませたその逡巡は、幸か不幸かマルシャには勘づかれていないようだ。洗い物を全て終えたところで、どうにか平常心を取り戻したロアに一つ、別の疑問が浮かんだ。母が軍の内定について尋ねたと言うことは母もディアゲラの失踪を知らないということではないだろうか。グアジェドは確かに国の上層部でもごくごく一部の人間しか知らないと言った。しかし、マルシャからすればディアゲラは息子に魔法の鍛練を頼めるほどの、ディアゲラからすればそれを快諾できるほどの旧知の仲である。ロアが試験に断トツの首席で合格したとなればディアゲラからも連絡があってもおかしくはない。例え軍外部の人間だとしても、むしろ外部の人間だからこそディアゲラも何かしら身に危険が差し迫ったのであれば、失踪しなければならない理由があったならば連絡の一つぐらい寄越したはずではないか。なぜその母でさえも、失踪したことを知らないのか。つまりなぜディアゲラは"誰にも告げることなく"失踪してしまったのか。焦燥というより怒りに近い感情が湧いてきた刹那、通信魔法が入る。年増の雰囲気を漂わせる、酒焼けのようなしわがれた声だった。


 「あー、私は帝国魔法軍第二部隊所属、ガオニ・グンソロフ中尉だ。この通信を受信した全ての者に継ぐ。一四○○にウレバの森南部に集合せよ。帝国魔法軍の仮任務及び実習訓練を行う。その際、事前に送付した召集用紙を持参すること。繰り返す……」


 復唱の後、通信魔法はやや煩雑に切られた。遠く離れた魔法士間でも即座に連絡を取れるようになった、ここ10年ほどで開発された最新の魔法技術である。今までは"念導整合式"と言って、互いに同じ魔法陣を展開していなければ連絡はできなかったが、禁止魔法ネディブロフ・アシガンの一つを威力を制限しつつ応用させたこれは、他者の精神世界に魔法を一時的に侵入させることで、短時間に単方向であれば連絡が可能になった。発達途上の分野のため安全性や難易度など問題は山積しているが、ヘイグターレとしては魔法において他国に遅れを取るわけにはいかない、ということで軍や央魔院では導入が進んでいる。


 「……軍の人から連絡が入った。ウレバの森で仮任務がある。行ってくるよ」


 気持ちのすれ違ってしまった苦しい空間からロアが離れるには十分な理由だった。表情にも出さないよう努めて平然を装う。通信魔法は受信者の精神に直接呼びかけるため、他の者には聞こえない。なので当然マルシャには聞こえていない。


 「あら、そんなすぐに出なきゃいけないのね。気をつけていってらっしゃい」


 「ありがとう」


 形だけながら感謝を述べ支度を済ませると、ロアは足早に家を後にし、キアブラーニ、サンティレアの更に東にあるウレバの森へと飛び立った。


 「……二週間も連絡しないなんてね。ロアも考えないようにすることがやっとじゃない。……まさかあれを繰り返してないとは思うけど」

 ■■■


 自分一人が抱え込んでしまった重々しい空気に耐えられず、逃げるように家を出たロアは、文字通り飛びながらサンティレア方面へと向かう。母の言葉は無垢だからこそ深く胸に刺さり、ささくれのように消そうにも消せない痛みを訴える。何度か大きく首を横に振り、気を取り直す。師匠の身に万が一……というのは絶対に考えないようにしている。


 「飛音遷ファドミアーノなら30分もあれば着くかな……いや豪風踏ゼル・アヴェルの方にするか」

 魔法に集中すれば雑念は忘れられるだろうと、いつもより丁寧に意識を寄せて魔方陣を作り出して移動する。
 仮任務の実習地となったウレバの森はサンティレアの東を流れるラムラ川流域にまたがっている。ロアは何度か訪れたことがあるが群生するブナが天然の迷路となり、高低差のある地形と相俟ってかなり視界と足場が悪い。しかしこれがあらゆる場面においても万全に魔法を使えるようになる基礎となるのだ、と昔グアジェドが言っていたのをふと思い出す。それと同時に風属性の移動魔法の最上位、豪風踏ゼル・アヴェルに切り替える。速すぎて危険、かつ使えるものがいないとの理由で郵便配達員ですら使用を躊躇ためらう魔法だ。実際個人差はあれど、音速を超えるものもいる。
 ───そうロアのような。
 ひとまず衝突を防ぐため、他に飛ぶ人はおろか、鳥すらもいないような高さまで浮上する。空気も薄ければ気温も低い。肩に巻き付けていたマフラーを首元に巻き直し、豪風踏ゼル・アヴェルの出力を上げていく。風景どころか色すらも認識できるか危ういほどの速さでヘイグターレの遥か上空を駆ける。それでもやはりサンティレアの外壁は見えるもので、自身の予想すら上回る15分でサンティレアを通過したことを視認し、徐々に魔法を緩める。降下していくとやや遠くに、森にしては不自然な人工物が見えてきた。更に近くに飛んでいくと、それは仮試験の会場だった。既に設営が済んでいるようで、───と言ってもテントが3つ建てられ、中に長机と椅子、籠が2つずつ置かれ、看板が一定間隔でサンティレア方面から並んでいるだけだが───今回ロアと同じ試験を受けたであろう同年代の若者が受付処理を済ませて近くの木陰でたむろして休んでいる。ロアとしては赤の他人と駄弁だべる趣味も心の余裕もないので、すっと降り立ちまっすぐ受付に向かう。


 「本人確認のため、お名前と年齢、召集用紙の提出をお願いします」


 受付に座る女性士官が感情の読めない口調で述べる。とにかく細身で、とにかく小さい顔に度のきつい眼鏡をかけており、リカと似た深緑色の髪を軍帽に収まるよう後ろで団子にまとめている。端正に着こなされたヘイグターレの魔法軍服の階級章から、少尉であることがわかった。ロアは名前と年齢を述べ、折り畳まれていない青紙を渡す。それを見て、他の受験者の書類仕事をテキパキと進めていた女性士官の手が止まる。


 「そう……あなたがあの───ちょっと待ってて」


 先程の無機質な口調から一転、僅かに好奇心を滲ませたかのような声になり、やにわに席を立つと、テントの横にある烟管で紫煙をくゆらせていた上官らしき男に向かっていき、何やら話している。上官はどことなく偉そうな態度で腕組みしながら話を聞いていたが、途中で慌てて紫煙の火を消し、勇み足ともとれる早足でロアに向かってきた。


 「待たせたな。噂には聞いているぞ、キドロア・セルエイク。かのディアゲラ軍将の息のかかった一番弟子だとな。学科は満点、実技はディアゲラ軍将、ウォルザ軍将、ギュロン軍将以来8年振りの測定不能だったとか。その実力期待しているぞ。───おっとすまない、自己紹介が遅れたな。わしは今回の仮任務実習の監督官を任されたガオニ・グンソロフ中尉だ。ここに来たということは聞こえたと思うが、参加者全員に通信魔法を送ったのもわしだ。こっちは部下のヴェジル・ファルファティーナ少尉」


 無造作に掻き上げられた赤茶色の髪とヴェジルとは対照的に着崩した軍服、肉も脂も乗っているであろう、恰幅の良い躯体。いかにも叩き上げの軍人、酒豪といった風貌だ。紹介されたヴェジルが以後お見知り置きを、と今度は会釈で応じる。ただでさえ細めの瞳が、眼鏡で更に小さく見える。たかが一人の新入りにご丁寧な挨拶とはどういう風の吹き回しなのかロアには理解できなかったが、ヴェジルが一つ軽い咳払いをし、話を引き継いだ。


 「では気を取り直して、仮任務実習の説明に入らせていただきます。今回の実習地は通達通りウレバの森全域が対象となります。まず、こちらの管理でくじ引きをして、3人1チームに分かれてもらいます。森には無作為に20個の球体が設置されています。見つけたら、各チーム1個だけこちらまで持ち帰ってください。制限時間は四時間、なお入手方法は問いません。なにかご質問があればどうぞ」


 ヴェジルの話をまとめるとこうなる。①3人1チーム②チーム分けはくじ引き③球体が森の中にランダムに20個設置④1チーム1個だけ持ち帰る⑤制限時間は4時間⑥入手方法は問わない
ロアはすこし考えて、質問をぶつけた。


 「名簿には75人いるので、5チーム、つまり15人が持ち帰れないことになりますがその人たちはどうなるのでしょうか」

 ロアにはヴェジルが僅かに目を見開いた、ような気がした。彼女の説明を片手間に聴きながら名簿の人数を見て取り、運悪く持ち帰れない人間が出てしまうことの疑問をぶつけたのだ。


 「持ち帰れなかったチームの者については、帝国魔法軍の職務に対しての適正が低いと見なされ、同程度の成績の受験者に比べ、希望職種の最終選考の際に若干の不利がつきます。尚、チームメイトを置き去りにして一人又は二人で球体を持ち帰ってきた場合も同様です」


 「なるほど、以上です」


 「では、くじによるチーム分けが掲示されるまでお待ちください」


 表情こそ変化した気がするが、口調に関しては一切変化しなかった。ヴェジルの部下らしき魔法士に案内され、受付の横にある待機所に移る。待機所と言っても、広いスペースが確保されてあるだけだが。昼過ぎの炎天下。誰しもが木陰に避難しているが、それでも照り返しと熱気が押し寄せてくる。皆思い思いに水魔法や風魔法を出しあって、涼みを取っている。ロアも誰もいない端の方の木の根元に腰を下ろす。これだけ暑いというのに肩に巻き付けていたマフラーを手放さないロアに、周囲は訝しみの視線を投げ掛けている。ヒソヒソと何やら噂をしているのも聞こえてくるが、ロアは気にも留めない。ロアにとってはもはや体の一部とも言えるマフラーを手放すという概念自体がないようで、全くもって慣れているし、第一今のロアに他人を気にする余裕はない。

 
 「あー、待たせたな。それでは只今より、実習のチーム分けを発表する」

 15分ほど経っただろうか。突如、ガオニのしゃがれた声が響き渡る。ロアもおもむろに立ち上がり、土草を手で払う。いつの間にか設置されていた巨大な木の掲示板に向かい、ヴェジルが手を翳すと魔方陣が浮かび上がり、あっという間に文字が彫り込まれていく。周りがざわつき始め、すぐにお互いに番号を呼び合う声で埋め尽くされる。ややあって、ロアの名前が出てくる。17番。尚且つチームメイトとなる者の名前も見て取れた。


 「ミリーナ・ゲルトレッドとサルカーノ・ウォルテインか……」


 ミリーナという名前は一般的には女性の名前である。男女間の体力の差による、魔法を使い続けられる時間は男性の方が長い場合が多いが、適正に関しては性別によって優劣はほとんどなく、女性の幹部クラスの者も少なくない。


 「い、今私の名前を呼びませんでしたか……?もしかして同じチームですかね?あっ、違ったらすいません!」


 ロアより30cmほどは背の低い女性がロアを見上げる位置で立っていた。根元まで深紅の髪は襟元の長さに切り揃えられ、視線が合う度に薄茶色の瞳を逸らしている。だいぶ怯えた仕草でロアを見上げていて、たどたどしい口調も相まって不安にかられる。むしろロアの方が困惑してしまうほどだ。


 「……よろしく。キドロア・セルエイクだ」


  ロアが自己紹介をすると、僅かに顔を上げたミリーナの目が開かれたような気がするが、またすぐに目線を逸らす。ミリーナはよほど恥ずかしがりやなのだろう。ロアの中でとりあえずそう結論づけて片付けることにした。


 「それで?もう一人はどこなんだろうな」


 確かサルカーノ・ウォルテインと言ったか。こちらはヘイグターレの一般的な傾向からして男性の名前である。他のチームは相変わらずガヤガヤしながらも、大半がチームメイトを見つけ終わり、三人一組があちこちで出来上がっている。ロアとミリーナが周囲を見回していると、おーい17ばーん、という声が聞こえた。ロアとミリーナが振り返ると、後ろで派手に誰かが転ぶ音がした。



 「いててて…あ、すみません!二人とも17番のチームの人ですかね?お待たせしました、僕がサルカーノ・ウォルテインです!よろしくお願いします!」


 茶色のちぢれた髪とミリーナより僅かに高い程度の、男性としては低い部類に入る背丈。使い古された靴と肩掛け鞄は物持ちの良さそうな上質な革の色があちこちくすんでいる。サルカーノはいかにも田舎から出てきた青年という雰囲気を醸し出していて、


 「はぁはぁ……。遅れてきたんですけど……はぁ……ちょっと、休んでいいですか?」


 どこで急いで着たのか、額や首に汗を滲ませ、大きく肩で息をしていた。


 ■■■■■


 ───遡ること三時間前


 「招集用紙は持ってる、腕時計もしてる、筆記用具もある、お金もいくらか持ってる、時間にも余裕はある、よし!」


 4回目の荷物の確認を終え、玄関先に屈んで扉に背を向け靴紐を結び始める一人の青年。ヘイグターレ帝国のほぼ中心を流れる、国内最長にして最大の流域面積を誇るラムラ川の東部、サンティレアの約100㎞東にある山村、ナザーム。四方を山に囲まれた盆地の中にひらかれた小さな農村にも一棟だけ、集会所の役割も果たすだだっ広い家がウォルテイン家である。特に牧畜が盛んで、人間よりも圧倒的に牛や豚の方が数が多い。唯一の集落に全村民が暮らしていて、その他の平地及び緩やかな斜面は存分に牧草地として使われ、生え放題の芝生に覆われた丘陵に膨大な数の家畜達が悠々と放牧されている。また、地形の特徴として湿度が低く熱がこもりやすいため、至るところに風車が建てられている。


 「……ついに今日だな、兄貴」


 「そうだよ、レゲル。今日からお前が兄弟で一番年上になるんだ。分かってると思うけど……下の子達と、母さんを頼んだよ」


 家の中から一人、次男のレゲルが見送りに来て兄の言葉に肩をすくめて応える。サルカーノと同じ茶色の髪だが、母に似て髪質は真っ直ぐで、金属で出来たピンで前髪を止めている。ルカを越える背丈と引き締まった筋肉は大量の牧草を運んだり、家畜を引いたりする普段の仕事の賜物だ。サルカーノの二つ下の15歳。牧畜で家計を支えつつ、家事もこなす孝行者で、サルカーノはもはや同い年のような感覚になることもある。兄の人一倍優しく、人一倍心配性で、人一倍物忘れの多い性分を真横で見て育ったからこそ、レゲルはほぼその真逆の性格になった。サルカーノが家計の手助けと自身の挑戦を兼ねて国家魔法士の試験を受けると言ったときも、合格が決まったときもレゲルは何も言わない代わりに家の仕事を引き受け背中を押してくれた。靴紐を結び終えると、長子二人が玄関にいることに気づいたのか、残りの7人の弟妹がリビングからゾロゾロと出てきた。髪の色も瞳の色も違う、個性豊かな弟妹達だ。


 「たまには帰ってきてね、ルカ兄」


 「サンティレアに行くんでしょ?いつか連れてってよ、買い物したい!」


 「俺もルカ兄ぐらい大きくなったら魔法士になりたい!」


 「なんかかってきて!おかしとかおもちゃとか!」

 
 「ライナ、うん、帰ってくるよ。それまでお家とお母さんを頼んだよ。エシェイラ、その時は好きなもの買おうね。ピリック、期待してるぞ!セビアンテ、兄ちゃんは遊びにいくんじゃないんだからな。しっかり言うこと聞いてたら考えてやる」


 一人一人に応じてから、みんなありがとう、頑張ってくるよ、と言おうとしてふと目頭が熱くなりサルカーノはごまかすふりをして上を向いた。楽しいことばかりでは無かったが、一家11人の暮らしは彼にとってかけがえのない時間であった。ナザームでもここ数年魔物の目撃報告が相次ぎ、何人かの尊い命が奪われている。大人が襲われるケースも少なくないようで、今までに数人の孤児が発生してしまった。その彼ら全員を引き取って養うと父のブローゲンは決めた。その結果、5人だった兄妹にエシェイラ、セビアンテ、双子のスドゥロとアジェンが加わった。一家の中でも髪や瞳の色が違うものがいるのはそのせいである。現在父は増えた子供計9人を食わせていくために、ウォルテイン家代々の生業であった畜産を子供達に任せ、過酷だが実入りの良いサンティレアの建築現場で出稼ぎをしている。月に一回ほどサンティレアで父の買った物や仕送りと共に手紙が届き、下の子供たちの楽しみとなっている。今になって様々な思い出が瞼の裏を駆け巡っている。これからはサンティレア内にある魔法士用に貸与された簡易住宅に引っ越すことになっている。実質一人暮らしだ。
 農牧中心のナザームには、現在国家魔法士は存在しない。以前はいたらしいのだが、サルカーノ同様、仕事を求めサンティレアに移住したまま何年も帰ってきていないらしい。魔法に才のあるものは職や同類、夢を求めいずれ都市部に流れてしまう。比較的国民の生活水準が高く、貧困層の極端に少ないと言われるヘイグターレでもその摂理は覆せないようで、現にサンティレアとその他の地域では魔法士の人口、魔法士の教育環境、給与水準などで大きな隔たりが改善されていない状況にある。サルカーノも低い魔法適正を補うため、時間とお金を捻出して魔法の教本を買い、鍛練と勉強を積み重ねた結果───ほぼ筆記試験の成績頼りではあるが───今年度の国家魔法士試験の合格を掴み取った。実家の農業はもちろん、隣町などでも仕事を掛け持ちして睡眠時間をギリギリまで削った生活を続けた。体重は12キロ落ちた。合格通知が届いたときには家族全員が歓喜に湧く中、本人だけが安堵や疲労や達成感といった様々な感情が昂ってからかその場にへたりこみ涙が止まらず、弟妹達に慰められたのも今となっては良い思い出だ。見回すと6番目、三女のリュマがいないことに気がついた。


 「あれ?リュマは?」


 ぞろぞろと出てきたので勝手に総出かと思っていたが、リュマだけいない。すると他の弟妹たちが何やらニヤニヤと廊下の先、廊下とリビングとを仕切る扉の方を見ている。ルカが同じ方向を見やると確かに磨りガラスの向こうにリュマらしき少女の影が見える。7番目の四男、セビアンテとつい最近12歳になった4番目の次女、エシェイラが冷やかし混じりに言った。


 「リュマねーちゃんはルカにいのことだいすきだもんねー」
 

 「寂しくてお見送りすると泣き出しちゃうからじゃない?」


 「……泣いてないもん」


 既に泣いているのだろう、枯れ気味のやや鼻にかかったようなリュマの声が廊下の先から聞こえてくる。


 「何言ってんの、ルカ兄が出発するの今日だよーって言ったらさっきまでイヤイヤ言いながら大泣きしてたじゃない」


 「泣いてないもん!!」

 
 エシェイラが今度は薄く笑いながら言うとリュマは怒鳴ってまた泣き出してしまった。

 
 「あーあー。シェラねえがリュマねえなかせたー」

 
 セビアンテが今度は冷やかしの対象をエシェイラに変える。エシェイラは涼しい顔をしてセビアンテを一瞥し、話を続ける。


 「ほんとのこと言っただけじゃない。それにさびしいさびしいって夜中にベソかいてレゲル兄に泣きついてたのはセビーも同じでしょ?」


 エシェイラの意趣返しにセビアンテはうぐっ、と言葉を詰まらせ黙りこんだ。事実、セビアンテも今こそケロッと元気にしているが、夜に関しては疲れて寝ているレゲルの腕を掴んで、号泣とはいかないまでもしくしくと悲しみにふけって泣いていた。三人の一連のやりとりにレゲルが呆れたように語気を強める。


 「おいお前ら、ルカ兄の門出だぞ。くだらないことで喧嘩してる場合じゃねえだろ」


 レゲルは早くも一番年上として、家を守る自覚が芽生えているようだ。ここ最近仕事と魔法の勉強に専念し、家事を任せていたサルカーノと違い、ほとんど家で働いていたレゲルは叱る場面も多く、下の弟妹からは怖がられている。次男の叱責に周囲がシュン、と静まり返ったところでレゲルは申し訳なさそうにルカに向き直る。


 「すまねえ兄貴、せっかくの門出だってのに声荒げちまって」


 「いやいや、大丈夫だよレゲル。責任感が強いのは良いことだし。これなら気兼ねなく家のことを任せられそうだ。それにみんな元気そうで何よりじゃないか。───みんな!レゲル兄ちゃんとライナ姉ちゃんの言うことしっかり聞くんだよ!仲良くしてね!」


 「「「はーい!!!」」」


 直前の空気とはうって変わり、返事だけは元気に飛んできた。その活発な声に触発されたのか、リビングの奥、寝室の方から物音がしたかと思うと、壁づたいによたよたと歩いてくる母のクレナ。かつては美しかった山吹色の髪は薬の影響で傷み、病床に伏し落ちた体力のせいで真っ直ぐ歩くこともままならない。吐息混じりの今にも消え入りそうな声で話し始める。


 「そういえば今日だったねぇ。ごめんね、母さんがこんなんになってしまったばっかりに───」


 咳き込んで体がぐらついたところを慌ててレゲルとライナが支えに入る。ルカも慌てて無意識に手を伸ばす仕草をしていた。
 

 「母さん!見送らなくて大丈夫って言ったじゃないか!頼むから無理しないでよ」


 「……何言ってんの。子供の成長を見守って門出を見送るのは母の勤めよ」


 両肩を抱えられたままの弱々しい言葉では説得力は感じられない。ルカも嘆息するしかなかった。


 「そんなボロボロの状態で言われても説得力ないよ。まずは病気を治すことに専念して。大丈夫、俺と父さんで今まで以上に稼ぐし、レゲルもライナもいる。エシェイラも来年には中等学校卒業するし」
 

 「ぼくもいるよー!」


 「そうそう、セビアンテだって頑張ってお手伝いしてる。ピリックも今年で11歳だし、スドゥロとアジェンも一人でお皿の片付けもトイレも出来るようになったじゃないか」


 ルカは母を心配させまいと真剣な眼差しで訴える。下の子らの成長は見守っていたつもりだが、実際は勉強と仕事の連続で家に帰らないか、帰っても疲れ果てて寝るだけで起きたらもう仕事に行く時間になっているかの二つだった。その分の家事はレゲルとライナが受け持っていた。それもこれもルカの努力の姿勢を、家族では一番高い魔法適正を持っていることを、兄妹で読み書きが一番出来ることを皆が知っているからであった。いつであったか、何度か教本の魔法が上手く使えずに落ち込んでいたとき、ライナに"夢を諦めないで、私たちに、お母さんにも希望を見せて"と言われたときは長兄のくせにしがみついて泣いてしまったような覚えもある。紆余うよ曲折を経てルカは今日旅立つ。クレナもサルカーノの表情に多少安堵したのか、薄い笑みを浮かべる。母を見つめる強い眼差しのままに感慨に耽っていたところをはっと我に返り時計を見る。12時42分。ナザームからサンティレアまではルカの魔法では2時間はかかる。単純にやばい。間に合わない。脳内で焦燥が焦燥を呼び、連呼され、駆け巡る。


 「やばいやばい遅れる遅れるいってきまああああす!!!」

 
 水中に放たれた魚のようにけたたましい勢いでルカは家を飛び出した。最後まで何とも締まらないのがいかにもルカ兄らしいね、とレゲルとライナは笑い合っていた。


 ■■■


 未だに慣れない追風タービルで飛び続けることおよそ一時間。何がどう上手くいったのかルカ自身には分からないが、サンティレアのエクスリア外壁付近の上空まで辿り着いた。目的地であるウレバの森まで、この調子を維持できたなら30分もあれば着くだろう───ふと希望的な観測をしたが、慣れない魔法を長時間使い続けたこと、世間一般的な魔法士と比べても高くはない魔法適正が祟ったか、ルカの疲労は限界に達していた。幸いにも公園を見つけたルカは残った魔力を振り絞り、着地とほぼ同時にベンチにへたり込んだ。


 「はぁはぁ…。教本には簡単ですって書いてたけど、移動魔法でもこんなにキツいもんなんだな……ちょっと休憩しよう」


 魔法適正が高い、とは魔法の完成度はもちろんであるが、魔法の継続使用時間、言わば魔法を使っても疲れない時間が長いことでもある。適正が低いものはその魔法を使うために必要な魔力の抽出に余計な時間と体力を必要とする。ルカにとっては追風タービルすらも疲労のたまる魔法なのであった。
 少し息を整え、休憩がてら初めて一人で訪れたサンティレアを見て回ることにした。公園の看板には"エクスリア第十八森林公園"と書かれている。見回してみて気づいたが、座っていたベンチのある広場にはいくつか遊具があり、セビアンテと同じぐらいの歳の子が無邪気に遊び回っている。反対側に目を向けると、整備された植樹林と綺麗に清掃された遊歩道があり、森林浴をする者、ランニングを嗜む者がまばらにいた。遊歩道は白と黒を基調として規則的に敷き詰められたタイルが均一に磨かれており、広場側まで埋め尽くしている。そんな管理の行き届いた公園よりもルかが気になったのがすぐ横に建つ、巨大な横長の施設だ。ルカの家は2階建てだが、この建造物は窓の数を数える限り、9階建てだ。強化魔法を施された証である黒いレンガと、明るい橙色のレンガのコントラストが特徴的なそれは、横が優に50mはあって、びっしりと窓が並んでいる。柱は白い円柱が等間隔に立ち、柱と柱の間の一階部分に玄関と思しき両開きの扉がある。不思議そうに眺めていると通りかかった老人がルカが旅人だと気づいたのか、話しかけて教えてくれた。彼が言うには、"コンドミニアム"という集合住宅なのだとか。とかく人口の多いサンティレアではこのような集合住宅が各地にあって、職業、年齢、家庭環境に関わらず様々な人間が住んでいて、大きな窓一つ一つで各住居に分けられているらしい。いわば部屋全体が家なのだ。しげしげと見入るサルカーノを老人は笑うと一言、達者でな、と残し去っていった。


 「へえ……やっぱりサンティレアは僕の知らないものだらけだなぁ」


 魔法以外に、物作りの水準でも差があるのだな、としみじみルカは思う。他にも見て回りたい気持ちもあるが、今は仮実習の方が重要だ。気持ちを切り替え飛び立とうとしたところ、突如少年の声に呼び止められた。

 
 「おーい!そこの君!ちょっと待って~!」


 ルカが振り返ると、少し遠くにルカと同じほどの背丈だろうか、銀髪の少年がいた。───かと思うと一瞬でこちらに文字通り"飛んで"きた。これがほんとの魔法なのか。思わず目を丸くするルカを少年は気にも留めず左右違う色の瞳を向け、口を開く。


 「ごめんね、急いでただろうところを。一つだけ質問したらすぐ終わるからさ!」


 そういってオッドアイの少年はルカに断る暇すら与えずに質問をぶつける。


 「君は、キドロア・セルエイクという青年を知らないかい?」

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