マフラーの軍狼

ソラボ

第一章 恩師

 昇った太陽と連動するかのように、サンティレアの各商業地帯も更なる賑わいを見せてきた───そんなことを思いながら、ロアはその光景の上を追風タービルで飛んでいく。人口約1400万人、ヘイグターレの全人口の2割以上を占める人間が住むだけあり、ヘイグターレ内でも最大規模の巨大な都市。たとえ魔法で移動するにしても結構な時間を要する。エクスード城壁からぺタヴィに関しては、城壁を一つ内側に飛んで行くだけでも20分はかかる。その間にある城壁と同じ名前で区画整理された巨大な商業地帯、住居地帯があるからだ。城壁の形に従ってほぼ正円状に整備された区画は、役所が上空から把握しやすいよう屋根の色が揃えられた住居や店舗がひしめき合っている。高さも形状も違う建物が連綿する様は珊瑚礁を彷彿とさせる。今ロアはある理由で北側へと少し遠回りで進んでいる。


 どの区画に住む住民に対しても基本的な生活には事欠かないよう、飲食店や病院、理髪店などは点在しており市民の生活水準に著しい差はないが、物流のしやすさから市場や雑貨店は外側の区画、比較的安全ということもあり、金融業や装飾店、魔法書などの骨董品を始めとする商品単価が高いものを取り扱う店に関しては内側の区画に多く軒を構えている傾向にある。


 今ロアが向かっているのはそれらのさらに奥、メイガーの内側、王宮シュトラメルグ城や帝立央魔院を始めとする国立の魔法部署が立ち並ぶ”サンティレア中央特区”。ほとんどの中枢機関が集まるため、ヘイグターレの心臓とも言える地域だ。その中でも今回用事のある帝立央魔院の一号館はシュトラメルグ城の北側に位置する。───そう、兄であるイヴァン・セルエイクの勤める場所だ。そこに向かうためにはメイガー城壁の北側の壁門から入るのが一番早いため、今いる地点から最も近い西門ではなく北門を目指しているのだ。


 魔法そのものに関しては基本家庭で教わるものという文化があるヘイグターレ。とはいえリカの通っていた高等魔法学校など様々なところでも学べる。ヘイグターレにおける”国家魔法士”として就職する際の試験や手続きは帝立央魔院の人事部が執り行っており、イヴァンの勤める総務部と同じ一号館にある。商業地帯や区画ごとの地域のみで働く”地域魔法士”もおり、それは各区画に人事部の支部がある。しかしいずれにせよそれらの施設で手続きをし、試験を受け、認可を受けなければ国内において魔法を使うことは禁じられている。


 小一時間かけてメイガー城壁の手前までたどり着いたロアは壁門の前で着地する。王家一族以外の人間がメイガーの内側に入る場合には必ず通行許可証を発行してもらわなければならない。国家魔法部署で働く者は身分証明書が許可証の代わりになるが、それ以外の人間及び身分証が発行されていない新人魔法士は立ち入る度にこの作業を強いられる。また、中央特区内においては屋内および教育機関の敷地内以外において、移動魔法以外全ての魔法の使用が禁止されている。国の最重要地において戦闘魔法を使う───すなわちそれは有事であること、命の保障が為されない状態を指すことがヘイグターレでは暗黙の了解となっている。


 「先日、国家魔法士の試験を受けたものですが」


 ロアはポケットから青紙を取り出し、壁門に立っている門兵に広げて見せながらそう告げる。魔法耐性のある鎧を着た、すこぶる体格の良い男。上背のあるロアすらも見下ろす背丈の持ち主だ。紙を一瞥すると門兵はすぐそばにある石板を何やら操作し、間もなく門がゆっくりと開いた。鍛え上げられた体躯だが、門扉の開閉には何の影響もないらしく、ロアはわずかばかり肩透かしを食らった気分になった。扉の操作を終えた門兵は元の立ち位置に戻り、口を真一文字に結んで敬礼をして微動だにしない。ロアにとっては彼の仕草が自分の仕事以外には興味ない、といったような態度に思えた。実際、何百何千という人間が通るのだから、一人一人がどんな人間かなぞ気にかけるのも無駄だろう。


 「どうもです」


 心にもない軽い労いの言葉をかけ中に入ると、すぐに壁門は閉ざされた。金属がぶつかる重低音を背に目の前の建造物群を一瞥する。ここから先がサンティレア中央特区だ。メイガー城壁は東西南北と南東、計5か所の壁門があり、ロアは一号館にもっとも近い北側の門から入った。魔法で強化された黒いレンガ造りの建物が建ち並んでいて、お店と呼べるような建物は数えるほどしかなく、建物の数自体も少ない。しかし一つ一つが中枢機関や王族の住居であったり、有名な商社の本社であるなどどれもが巨大で、実際歩いて回るにはかなり広い。


 目的の一号館までは移動魔法も使いつつ5分ほどで着いた。出入り口のある尖塔部に各部署のある官舎が南側に4つ放射線状に伸びており、真上から見ると熊の足跡の様な構造をしている一号館は、シュトラメルグ城、エクスード城壁に次いでヘイグターレで3番目に高い建造物で、ロビーである尖塔部が最も高く、展望台まで登れば高さは123m、海抜の関係もあるがテラミア商業地帯まで見渡せるほどの高さがある。


 一つ呼吸を整え、魔法強化された金属製の扉を押し開け中に入る。鈍色の本体に緻密な青の魔紋章とヘイグターレの国印が刻まれた扉自体は大きく重厚で荘厳な作りだが、魔法加工のおかげか驚くほど軽い。徐に、それでいて滑らかに扉が開かれると、人々の話し声が外に流れ込んでくる。ロビーとなっている尖塔部は数階分の高さまで吹き抜けになっており、いくつもの照明が吊るされていて、その中心に魔法で浮かんでいる巨大な三段のシャンデリアがある。入口の周囲にはヘイグターレ産の色とりどりの花が活けられてあり、絢爛で煌びやかな建物に更なる華やかさを醸し出している。円筒状の塔部分とちょうど直方体の官舎らを繋ぐ位置に受付窓口があり、一号館の市民に対するあらゆる業務、庶務はここで行われている。


 受付にもロビーにも、わりかし早い時間だというのに多くの人がいる。ロビーのソファで静かに受付の順番を待つ者、談笑する者、慌ただしく走り回る内部関係者と思しき者。眠らぬ街の中心部は他にもまして騒がしく忙しないのだろう。一瞥にも満たない視閲を片付け、入口の案内板を見つけたロアは”国家魔法士就職窓口”を探す。受付の一番左端に国家魔法士窓口があり、「職種希望、変更届受付」とある。なるほどな、とロアが歩き出したその時、不意に肩を誰かに掴まれた。かなりがっしりとした手の感触だったため少し警戒して振り返ると、そこにはロアより頭3つ分ほど上背の大男が立っていた。


 「あ、グアジェド叔父……いえ、バーリュクス軍事総官、ご無沙汰しております。お目にかかり光栄です」


 グアジェド・バーリュクス。整然とセットされた紺色の髪と筋骨隆々で2mを超す体躯がトレードマークの、ヘイグターレでは知らない人はいないほどの著名人で魔法の実力者。ヘイグターレ帝国の魔法軍最高責任者で、庶民からは階級からとって軍事総官と呼ばれている。ロアの師であるディアゲラの直属の上司でもあり、ディアゲラの才能をいち早く見抜き魔法を教え、異例のスピード出世を後押しした人物でもある。ディアゲラからのつながりで個人的にもロアとは交流があり、プライベートの場ではグアジェド叔父さんと呼んだりもする。ロアが慌てて丁寧に挨拶をし直すと、バーリュクスは鼻で笑いながらロアの両肩をがしっと掴みなおした。一女性の腰ほどはあろうかというほど太い、歴戦の奮闘ぶりがうかがえるたくましい腕に、ロアはほんの少しよろめいた。



 「個人的な用事で通りかかったら見覚えのあるマフラー男がいたもんでつい、な。グアジェド叔父さんで構わねえよ。それにもしこういう市民の前で会うときは軍事総官よりもバーリュクス卿と呼んだ方が良い」


 「分かりました、以後気を付けます」


 「おいおい堅苦しいな……まあ構わねえけどよ。それで?お前は職種申し込みか?」


 「はい、勿論帝国魔法軍です。ちゃんと青紙の特待生ですよ」


 おお、それは嬉しい限りだ、とバーリュクスは笑顔で応じた。お前の実力ならなんの心配もしてねえけどよ、とは言っていたものの、ロアが試験を受ける直前にも個人的に言葉をかけてくれたので、本当は気にかけていたのだろう。おかげさまで、と世辞を混ぜつつ尚もロアが続ける。


 「すぐにでも師匠と同じ境遇で仕事がしたいなと思っていたので。それが師匠への恩返しでもありますし、グアジェド叔父さんへの恩返しにもなりますから」


 満足げに語るロアとは裏腹に、途端にバーリュクスの表情が固まった。心なしか曇り気でなにか言いたげな顔をしていたので、どうしたのですか、とロアが尋ねるとグアジェドはあたりを見回した。


 「……ここでは民間人が多すぎる。場所を移そう」


 バーリュクスは大足でロアを連れて一号館の外へ出た後、ロアが通ってきた大通りを一本、路地裏に入った。手ごろなベンチを見つけると座ってロアに手招きをする。ロアも続けて座った。 


 「あのなロア。お前だから話しておくが、今からいうことは絶対に他言してはいけない。それっぽいことを話すのも、寝言でうっかり言うのもだめだ」


 突然の変わり様に戸惑いながらも、グアジェドの真剣な眼差しを前にロアはおもむろに頷く。グアジェドはなおも辺りを見回しながら一つ肩で息をして話し始めた。


「驚くなと言う方が無理だろうがどうか反応せずに聞いてくれ。お前の師匠、ヘイグターレ帝国魔法軍第一部隊長、ディアゲラ・フィスドナークは……2週間前から行方が分かっていない」


 ロアの顔からも表情が消えた。一瞬何を言っているのかわからなかった。


 「師匠が……行方不明……?」


 無理矢理絞り出されたような吐息混じりの言葉。自分で無意識に上げた声が自分のものではないような違和感を覚える。驚愕とも喪失感とも現実への拒絶ともとれる名状できない不快感が波打ち、うねりながらロアの全身を駆け巡る。突如自棄やけになり暴れることも、茫然や竦然から気を失うこともなかったが焦燥感と不安で満たされた自身を落ち着けるのに数十秒を要した。その間、グアジェドは一時もロアから目を離すことなく見守り続けた。


 ロアは呼吸が少し落ち着いたところで、思い出したようにグアジェドに手紙のことを告げた。ロアは試験に合格したその日、日頃の出来事に加え合格を伝える旨の手紙を出したのである。普段であれば長期遠征でもなければ3日もすれば返答の手紙が届くし、その長期遠征の際は前もって連絡してくれていた。それなのに連絡も返事がなかったのはそのせいか、とロアは納得した。本来総官であるグアジェドはもちろん、部隊長となったディアゲラはとても多忙で、いくらロアが知人といえそう簡単に会えるわけではない。それどころか最近は長年対立関係にあるグラモニッド共和国の動きが不穏さを増しているようで、当然軍としての仕事も増えている。それは新聞の報道や生活の中での風の噂などで少なからず感じ取っていた。そのせいで手紙も返せないほど忙しいのだろう、自分の中でそう片付けていた。しかし真相が分かった今ではなにもかもが違う。ロア自身の心の持ちようだけではない。このディアゲラの失踪がヘイグターレに何らかの恨みを持つ者の犯行なのか、それともディアゲラ自身の意志によるものなのかによって、軍としても対応は大きく違うだろう。いずれにせよ、歴代最強の部隊長と謳われる人物の失踪は間違いなく軍にとって大打撃だ。ロアを見守った長き沈黙の後、グアジェドが静かに続ける。


 「我が国の友好国であるメトラーナ国の東端、リトマンティル王国との国境にあるウィップオーツ山脈でメトラーナ軍の兵士が失踪する事件が相次いでいてな。幹部クラスの魔法士も何人か含まれていて、戦力低下が著しくなったためどうにもメトラーナ単体では解決できそうにない深刻な問題らしい。平たく言えばそこで我が軍に援助を求めたというわけだ。だとしても、本来であれば他国との協力は専門とする第三部隊が行うところだが、パシカーラ共和国との合同軍事演習に行っていたのと、我が国に於て発生した際の対処措置の考案、徹底的な原因究明の観点から仕方なくディアゲラ本人に率いらせて第一部隊に行かせたんだ……ちくしょう、俺が代わりに行っていれば」


 メトラーナはヘイグターレの東にある国で、ヘイグターレと変わらぬほどの古い歴史を持つ国である。ヘイグターレの3分の1程の面積に、約350万人が暮らしている。度重なるグラモニッドの侵攻にも耐えうる国力を維持しているが、侵攻の度に多大な犠牲を伴っており、ヘイグターレからの援軍は不可欠とも言える。リトマンティルは更にその東、パシカーラは逆にヘイグターレの西に隣接する国である。パシカーラはメトラーナと同程度の面積の小さめな内陸国。リトマンティルはヘイグターレよりはやや小さめの面積で、南北に長い国土を持つ。グラモニッドはヘイグターレの南東に位置するアプロニア大陸第二の大国で、面積もヘイグターレとほぼ同程度を誇る。グラモニッド以外とは比較的友好な関係を築くヘイグターレだが、とりわけメトラーナとは数百年前から良好な関係が続いている。軍事演習をしているパシカーラとはここ数十年で新たに友好関係を深めつつある。そんな中、ディアゲラの失踪は軍事総官という立場からしても、直属の上司としてもバーリュクスのやりきれなさは強く握られた拳に表れており、言葉にせずともロアには十分に伝わった。ロアは二人の間に流れる微妙な空気をなんとかしようとして立ち上がった。そして気づいた時には感情を口走っていた。


 「師匠は絶対生きてます!!俺たち軍の人間が信じなくて誰が信じるんですか。師匠だって逆の立場な必ずそう言うはずです」


 ロアのそれはもはや自分に対して言い聞かせたものだった。最悪の事態はあって欲しくないし、考えたくもない。無事でいて欲しい。嘆きをこらえ、願いと祈りに変え言霊を振り絞った。その様にバーリュクスは僅かに呆気にとられていたが、ふと我に返り、柔らかい笑みを浮かべたかと思うと、すぐにいつもの勇ましい顔に戻った。


 「───そうだな、お前の言う通りだ」


 バーリュクスも立ち上がり服装を整えるとロアに向き直り、笑いながらやや低い声で凄んだ。


 「ただ、厳密にいうとお前はまだ軍の人間ではないけどな」


 「なんでそんな揚げ足取るようなこと言うんですか」


 「分かってるって。冗談でも言わなきゃやってらんないってことだよ。───重ねて言うが、このことはくれぐれも他言無用な。あいつの人気や信頼は全国民級と言っても過言ではない。この情報が一般市民に漏れたら間違いなく国全体が混乱するだろう。あいつ自身がいなくなったことによる戦力低下だけでなく、大陸最強と謳われるヘイグターレ魔法軍の信用にもかかわるからな。ましてやこれがグラモニッドに知られたらこの上ない侵攻のネタだ。帝国そのものの存亡にかかわる事態になりかねん。この事実は軍の部隊長と、国王陛下しか知らない超が5つつくような国家機密だ。お前とは特別親しかったから伝えておくが、仮に軍に入ったとしても喋るな。約束できるな?」


 「……ええ、もちろん約束します。この命を懸けてでも」


 ロアの揺れ一つ無い眼差しに、うむ、と頷くとバーリュクスは自分の用事は究魔院にあるんだ、と言い残すと路地裏から大通りに戻り、一号館を後にした。帝国立研究魔法特化院、通称"究魔院"とは日夜魔法の研究が行われるヘイグターレの脳と言って差し支えない施設だ。軍の人間が何故、と思いつつロアはグアジェドの背中をしばらく眺めていたが、自分がここへ来た理由を思い出し、一号館の受付へと再び歩き出した。


 再度一号館の中に入り、今度はまっすぐ受付へと向かう。そこには若い女性が三人座っていた。二十代前半といったところだろうか。三人とも髪を後ろで一つに束ね、姿勢よく座っている様子はからくり仕掛けの人形のおもちゃを彷彿とさせる。


 「すいません、職業希望の申し込みで来たんですけど。……これです」


 ロアが例の青紙を渡すと、受付の女性は人間味溢れた表情筋の動きと共に目を丸くする。振り返り奥で何かの作業をしていた上司らしい中年の男性を呼ぶと、二人してなにやらひそひそ話し始めた。


 「お名前はキドロア・セルエイクさんでよろしいですか?」


 「え?あ、はい」


 「申し訳ございません、少々おかけになってお待ちくださいませ」


 少々呆気にとられていたロアにそう告げると受け付けの女性はロアから受け取った青紙を持って慌ただしく奥の方に消えてしまった。なんのことかわからずキョトンとしながらもロアは言われた通りロビーのソファに腰を下ろす。なにやら女性が消えていった方が騒がしくなっているのを横目に改めてゆっくりと一号館を見回し、ヘイグターレの魔法技術に恥じぬ立派な建物だな、と思わされる。父もかつて帝立央魔院に勤めていたと聞いたが、イヴァンとは違い物心ついたころには父は亡くなっていたロアとしては、父の顔も思い出せない。ここに頻繁に来ていたんだよ、と母や兄に言われてもその記憶もない。様々な金属で縁取られた大きな窓と、銘木と強力な強化魔法を施された建材で組まれた丈夫な柱が威厳を放ち、きらびやかな装飾の凝らされた豪華なロビー。それでいて作業を邪魔しないようシンプルに設計された業務スペース。建築技術とセンスの高さだけでなく効率を妨げない、働く者への配慮のがうかがえる。そんなことを考えながら一号館の内部を眺めていると、先ほどの女性が戻ってきており、ロアの名前を呼んでいた。そちらに向かうと女性は椅子に座り直している。受付の上の方には磨りガラスがあり、人影がぼんやり見えるだけで奥の様子はよく見えない。


 「先ほどの特待生仮希望調査免除通知書、正式に受理致しました。後日、特待生以外の希望者人数調整の抽選が行われます。そのあと仮任務の開催地が決まりますのでそれまでお待ちください」


 女性が言い終わるが早いか、いつの間にか女性の横にいた男が磨りガラスから屈むように顔を下ろし、先程横に立っていた若い男が笑みを浮かべながらロアに話しかける。ロアと同じく黒髪黒瞳をしている。


 「待ちくたびれたぜ、弟よ。昔から軍に入ると言い続けていたから意志を曲げることはないだろうと思っていたが、ほんとに合格、その上特待生までとってしまうとはな。自分のことのように嬉しいよ」


 「イ、イヴァン副部長!!」


 「お仕事中邪魔をして申し訳ありません。ええ、お察しの通り、こいつは私の実の弟、キドロア・セルエイクです。───そして僕は今、もう部長ですよ」


 イヴァンから紹介されロアが頭を下げると女性はと、とんだご無礼を!と腰から体を折り曲げ最敬礼をする。


 「いやいや、そこまでしなくていいですってサレナさん。ただ、ちょっとこいつと話がしたいんでお借りしてもよろしいですか?……ええ、本人が必要な作業は最終確認ぐらいですよ。なので特待生手続きも慌ててやる必要はないです。15分ぐらいは潰して戻ってきますから。積もる話もあるもんで」


 「は、はい」 


 イヴァンの穏やかな口調でやや調子を取り戻したサレナという女性は速やかに仕事に戻った。


 「ここじゃ邪魔になるな。んー、俺がロビーまで出よう───いや、外の方が良いかもな。一番近くのゼトーリオ橋で待っててくれ」


 それだけ言い残すと、イヴァンは先ほどサレナが話していたの中年男性と短い会話を交わし、再び奥へと消えていった。ゼトーリオ橋とはサンティレアを南北に縦断するように流れるルド運河にかかる橋の一つである。一号館に一番近く、一号館自体かなり目立つ建物なので中心部で待ち合わせをするときなどによく使われている橋であると噂で聞いたことがある。


 受付を離れ再び外に出るロア。今日は何やら出会いが多いなと感じつつ、彼らの仕事場に来たのだから当然と言えば当然だな、と割り切る。昇り切った太陽の照り返しの眩しさに目を細めながら一号館を出る。門からすぐ右に曲がるとゼトーリオ橋はある。ヘイグターレにおいて最大、最古の運河にかかる橋で、山を削りだしたような巨大な岩で組まれた石橋である。ゴツゴツとした表面のため若干隙間はあるものの、強度も防水面も問題ないほど丈夫だ。ロアは橋の横にある刈り込まれた芝生の河川敷に座る。ほどなくイヴァンがやってきた。手にはロアが持ってきたであろう青紙を持っているが、なぜか付けたはずの折り目がついていない。


 「まずはなにより、ロア。合格おめでとう。天国で親父もさぞかし喜んでるだろうさ」


 「ああ、ありがとう。そうだといいな。……ん?それ俺のだよな?ポケットに入れてたから折り目が───」


 イヴァンは不敵な笑みを浮かべる。


 「去戻修バギオード、って言ったら分かるか?」


 「そ、それって禁止魔法ネディブロフ・アシガン……!」


 「───権利者以外な。帝立央魔院院長と各部署の部長のみこれが認められているんだ。他の人が使えば程度、使用目的に関わらず即、魔法刑務所ストバルダ・アシガン行きだし、認められた人でも自分の勤務する部署以外で使えば捕まる」


 魔法、と一口にいっても何千何万もの魔法がこの世界には存在する。子供でも扱える簡単な魔法、実生活に役立つ魔法から、軍事、殺傷目的に開発された魔法もある。そしてそれらには火、水、風、地、聖、闇、と6つの属性があるが、その中でも「世間一般的に、国家魔法士の人間が単独で使用した場合に使用者の精神肉体または社会及び社会通念に著しい影響を及ぼす」と見なされた魔法は「禁止魔法」としてアプロニア大陸全土で統一して定められている。


 現在禁止魔法は6属性全てで20種類あり、その内2つは誰一人として使うことを許されない「恒久禁止魔法ランレーテ・ネディブロフ・アシガン」に格上げされて厳重に禁止されている。今イヴァンが使ったのはそれら2つを除く18個の内の一つ、「去戻修バギオード」。無生物に限るが、対象物の時間軸を自在に操る魔法だ。金属であれば時間軸を猛烈に進めて酸化させるようなこともできるし、紙類であれば時間軸を戻して文字通り白紙に戻すことだって可能だ。どんな物質に対しても修正が効く、という使いようによれば便利な魔法だが、これが世間一般に広く使われたら書類の偽造はし放題、自在な修理により製造業の衰退の蓋然性、ものを腐敗させたりなかったことにするなどのイタズラや犯罪が後を絶たないことなどが見込まれるため、やむなく禁止魔法に制定された。


 「上層部には認められてるんだな・・・知らなかった。というか兄貴。いつの間に部長に?副部長からさらに昇進したのか?」


 ロアが知っているのはイヴァンが2年前、総務部の部長兼一号館館長、メレイトン・ウェルデミフ氏直々の推薦により、過去最速レベルの速さで副部長に昇進したところまでだ。手紙は1月に1度のペースでやり取りをしていたがそんな知らせはなかった。ロアの質問に、イヴァンは少し嬉しそうに、それでいて悲しそうに語った。


 「よくぞ聞いてくれた。実は部長階級と言っても8人いてな。まず帝立央魔院の最高責任者、”央魔院院長”。いまはメレイトン・ウェルデミフ前院長の従兄弟であるタバロ・ウェルデミフって人が院長だ。で、魔法の研究を主とする究魔院というところがあって、そこの”究魔院院長”。他国との外交や条約を受け持つ”外務部長”。国内の政治面を受け持つ”内政部長”。国家予算を管理する”財務部長”。犯罪人を取り締まる”刑務部長”。国家魔法士の採用に関する”人事部長”。都市の整備や新区画の開発を行う”開発部長”。その他、市民の生活に関わる業務をする”総務部長”。この8人が俗に”部長階級”と呼ばれる人だ。俺はその中で、市民に対するあらゆる業務を取り扱ういわば雑用係の総務部長だ」


 「なんとなく分かった・・・ような」


 実の兄の実に長いなんとも言えない説明にロアは大出世だな、と返すのが精いっぱいだった。イヴァンは少し笑いながら続ける。


 「別に全部覚えなくたって良いし、自分自身のことだから総務部長だけ悪く言ってるが誤解しないでほしい。俺自身今かなり忙しいし、他の部署への挨拶もまだ全部済んだわけじゃない。ほかの部長さんも忙しくしてるだろうし第一、他部署の詳細な業務はたとえ部長クラスであろうとほとんど知らされないんだ。それに俺が言うのも変な話だが、帝立央魔院も実力社会だから、能力さえあれば若いやつでも割とすぐ出世できる。勿論性別だって関係ない。だから決して俺に能力がなかったとは言わないが、4年目なのにも関わらず部長に選ばれたもんだから、知らないことだらけさ。それでも選ばれたのはやむにやまれぬ特殊な事情があってだな」


 そこでイヴァンは一度言葉を切った。


 「俺が師と仰いでいたメレイトン前部長だが先週、ご病気のために帰らぬ人となってな。本人の意向で葬儀は一旦家族だけで執り行われた。後日、国全体に告知し、一般市民も参加できる告別式をする予定らしい。自分で言うのもあれだが、随分よくしてもらっていた。お前の師匠がディアゲラさんのように、俺もメレイトンさんに様々な魔法や仕事を教わったもんだ。まあ思い出話はいったん置いといて、当然ながら後継者は誰になるかって話が持ち上がる。誰もが師匠と盟友だったゼレネル実務管理長補佐と考えていたが、高齢を理由にお断りなさった。師匠も86だったし、ゼレネルさんも78だ。もちろん長生きしてほしいが、失礼な話、数年後に前部長と同じことになるリスクが低いとは言い切れない。それはまだ分かるんだが、あろうことか後日見つかった師匠の手記には”イヴァン・セルエイクを次期総務部長に指名する予定”と書いてあってな。みんな舌を巻いたさ。経験だって浅いし、俺より優秀な人な人はいくらでもいるし、勤務歴的に一段階の昇進だったとしても異例なことだ。正直いまだに信じられないさ」


 最後の言葉は半笑いだった。詳しい事情はイヴァンでさえ分かりかねるが、師と仰ぐ人の急死を悼む暇もなく、他の優秀な人材を意思に関わらず退ける形でその人と同じ地位に就く。戸惑いもプレッシャーも計り知れないものだとロアは感じ取っていた。


 「色んな人から支えられてなんとか仕事はできちゃいるが、正直てんてこ舞いだ。普通だったら新人から初めての昇進を考えるような時期にいきなり一部署のトップだからな」


 おもむろにイヴァンは立ち上がり、体を左右にひねりながらため息混じりに呟いた。


 「でもまあ、できることからでも頑張らねえと。天国の師匠に顔向けできねえしな」


 「師匠か……」


 川面を見つめ、眩しそうに目を細めるイヴァンの横でロアはディアゲラのことを考えていた。どこにいるのか。なぜ消えたのか。今何をしているのか。なぜ誰にも告げることなく姿を消したのか。そしてそもそも無事なのか。ロアの見つめる先、水流が突き出た岩にぶつかって渦を巻きながら泡沫を明滅させている。


 「───おっと。身の上話をしていたらこんな時間か。早く戻らねえとゼレネルさんに怒られちまう。部長が仕事サボってるなんて知れ渡ったら示しがつかないしな。じゃあなロア!俺より魔法のセンスあるだろうから、俺より早く出世するかもな!!」


イヴァンはすぐに走り出し、一号館の方へと戻っていった。高い建物が入り組んでいる中心部ではむやみに移動補助系の魔法を使うと衝突事故が起こりかねない為、最下級の微風ブリジア以外の魔法は使わないのが暗黙のルールとなっている。ロアはイヴァンが走り出したとほぼ同時に立ち上がり、その後姿をしばし眺めていた。


 「……俺も頑張らねえとな」


 五月は朝と昼の寒暖差が大きい。肌寒かった朝の空気は、雲一つない青空を作り上げ、駆け上る太陽のおかげですっかり暑くなり、遠くに陽炎を作り出していた。ジリジリと照り付ける日差しの中、川からやんわりと吹き上げる涼しい風が心地よかった。


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