悪いこと

増田朋美

悪いこと

特に悪いことをしたわけでも無い。ただ、私と友人は、ある場所で会うことを決めたのだ。其れだけのことをしていただけである。
私は、ちょうどある書籍を欲しいと思っていて、東京のある本屋さんへ買いに行こうと決めていたのだった。それは、もう新品の本としては入手するのは絶望的であったから、古本屋で入手するしかできない本であった。だから東京にある古本屋町として有名なところに行って買ってこようと思っていた。
その気になれば、いつでも東京にはいくことができたのだが、私は数年前から仲良くしている人物が一人いた。当初私は、いわゆる恋人というか、彼の事をそこまで思っていたという気持ちはまだなかった。でも、彼のほうは、私の事を何かと気にかけているようで、私がSNSなどに何か書き込みをすると、どうしたの?とか、なにか悩んでいることがあれば、また相談に乗るよとか、そういう話をしてくるのだった。あまりメールで話すという事は好きではない人物で、彼の話はいつも電話をかけてくることによって、悩みを解決している習慣があった。その人物が、私が東京へ行く度びに、声をかけてきて、都合が合えば食事したり、お茶を飲んだりすることがあった。
彼にしてみれば、その時は楽しいのだろうが、私は、そういう事はあまり好きではなかった。と、言うのも、私は、あまり人付き合いというものが得意ではなかった。私は感情表現があまり得意ではなくて、悩んでいることや、困っていることをストレートに表現することができず、SNSなどで、適切に表現することができなかったのだ。そのせいで私の投稿には、結構なきついセリフが返信されることが多く、私は次第に怖くなり、悩みを相談するとかそういう行為が怖くてできなかったのだ。私は、何よりも、悩んでいることについて、お前はだめだとか、お前は甘えているとかそういう事をいわれると、もう返答のしようがなく、そのセリフが出てくるのではないかと、いつも怖くて、どうしても自分の心の内を投稿することができなかったのだ。
そういう私に対しても、彼は相談してくれと言ったが、私は、そういう胸の内を、相談することはどうしてもできなかった。私は、どうしても甘えているとか、劣っているとか言われてしまうのではないかと、其れが怖くて、出来ないのだ。
ある日の事である。私は、どうしても古本屋に行きたくて、一人で東京に行ってみることにした。それはSNSにも書かず、秘密にしておいた。そんなことを書いたって、どうせ一緒に行こうなんていう人は誰もいない。私は、若いころから友達という者は居なかった。もともと自己主張もあまりしないでこうして小説ばかり打っていたような生活だったから。私はもともと、今の世の中が嫌いで、自分の世界に閉じこもり、その中に安らぎを求めるような人生を生きてきたからだ。私の家は非常にケチな家というか、こういうパソコンとかスマートフォンといったものがことごとく嫌いな家庭であり、其れを使いこなせるものがいなかった。なので、私がそういう物を欲しいと言っても、家族は使いこなせないから、そんなものはいらないと嫌味をいってばかり。でもみんな持っている、持っていなければ友達ができないなどと、文句をいう事は家では許されていなかったのだ。だから、私は小説に逃げていた。こうして、私がわずかばかりの小遣いで得た古くさいパソコンで、キーを触って、パソコンなどが必要ない世界を描き出すこと。これによって、私は安らぎを得ていた。学校に通っていた時もそうだったし、今もそうなのだが、私は、ダメな人間だと言われることが恐ろしくて、自分の事は一切しゃべってこなかったし、服装も地味であったし、もう、ほかの人とは全然違う世界を生きていたいと思っていた。だから、普通の人が近づいてこないのも、もう仕方ないことだと思っていた。それはそうだろう。学校で流行っていたものを欲しいと言っても、うちの家族は何もそれについて聞いてくれようとはしなかったから。
理由が長くなったが、とにかく私は、友達というものがなかった。家族がどうして友達が出来ないか、不思議がるほどに友達がなかった。支援所に通ったりもしたが、やはり私は友達はできなかった。でも、寂しいという感情は持っていた。だから、時折SNSなどにありのままの自分の姿を書いたりしていたのだ。それに興味を持って、私に、お茶をしないかと言ってきた人物もいたことにはいたのだが、大体の者は、約束の日の直前になって、ごめん、やっぱり家に用事がと言って、ことごとく予定を中止し、それ以降は交流が途絶えてしまう人がほとんどであった。もうあまりにもそういう事ばかりなので、そういう事は企画しないほうがいいとあきらめて、どこかへ出かけるときはいつも一人で行っていた。もう、誰かと一緒にどこかへなんて、期待しないほうがいい。それは、しても無駄だ。どうせ、計画しても直前になってまた用ができたとか言ってくるんだろうから、誰かにお茶を飲みに行こうとか誘われても、本気になったことはなかった。
そんな中であった。彼が、もし何かあれば一緒に出掛けたいというようになってきたのは。初めのころは、私も疑っていた。どうせこの人も、私が誘えば、なにか用があると言ってくるんだろう。私はそうおもっていた。
彼が、何回ももしどこかへ行きたいとなれば、一緒に行かせてくれというので、私は古本屋へ行って買い物をしたいといった。その時に直接感じたのかはわからないが、きっと私は、またどうせと思っていたのに違いない。いつ行くのかと聞かれて、六月の上旬から中旬とあいまいな返答をしてしまったのである。
そうこうしているうちに、私はどうしてもその書籍を必要に迫られて買いに行かなければならなくなった。それでは、と彼に6月8日か、15日にいきたいのだがと申し出た。ずっと後になって返答が来たが、その日は先約があり、22か29日にしてもらえないかと返事が来た。
ああ、やっぱりな。私は、彼にとってもそういう存在だったのか。やっぱり、私は、それくらいしか価値がないのか。自分はそれだけしかないんだという事に、私は少し絶望した。これまでの経験で、慣れてしまっていたと思ったが、やっぱり私も人間で、一緒に行かないかと誘ってくれる彼に、なにか信頼できる感情という物を持ってしまったのかもしれない。
でも、私は、どうしても古本屋に行く必要があったから、やっぱり気持ちをごまかして一人で行くしかないかと思ったが、知らない間に私の指は次のようにキーを動かした。
「あなたにとって、私はそれだけの人間だったんですか。やっぱり、私を、信頼してくれるという事はなかったんですね。」
こんな気持ちを表現したことはなかなかない。そういう事を表現する前に、今までの私であればやっぱり駄目か、としてあきらめてしまう事がほとんどであった。私は、彼に対して、そういう表現をしてしまうほど彼に対して普通の人とは違う感情を持っていたのだろうかは不詳だが、そういうメールを送ってしまったのである。
少し間が開いて、彼のほうから返事が来た。
「ごめんなさい。勘違いしてしまっていました。それでは、15日にしましょう、その日の12時に来てください。」
こういう返事をもらえたのは、本当に初めてで、私は、非常に驚いたというか、喜んだというか、そして不安にもなった。
でも、初めて、こういう返事をもらった。
それは確かだ。
だから、この返事をくれた人に、かけてみてもいいだろう。
これが実現するかどうかは、わからないけど、一度彼の話に従ってみてもいいだろう。それでは、彼の、話を聞いてみてもいいだろう。それではやってみようか。
私は、その勘違いをありがたく思って、彼への変身を打ち込んで、送信ボタンを押した。
もしかしてこれが、とくべつな感情というべきものだろうか。


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