クーデレ系乙女ゲームの悪役令嬢になってしまった。
47 とってもお似合いね
差し出された手に、反射的にのせてしまいそうになる。いけないと思い、すぐにその手を引っ込める。
「1曲、ですか?」
戸惑いながら問いかけると、「ええ」と彼はいつもの悩殺スマイルを浮かべる。
「僕達には互いに謝罪は必要ありません。ですがそれではお互いすっきりしないでしょう。ならば和睦の印に1曲踊りませんか?」
「……ふふ、和睦だなんて、なんだか大袈裟ね」
確かに、ここで不毛な水掛け論をするくらいならその方が合理的なのかもしれない。だけど、問題が1つだけある。
「わたくしにはパートナーが……」
他に黄泉というパートナーがいるということだ。たくさん練習に付き合って貰ったのに、その彼を差し置いて他の方と踊るのはさすがに気が引ける。
やっぱりお断りしようと口を開こうとしたが、彼の言葉がそれを阻む。
「実は先程、黄泉から直々に許可は頂いているんです」
「え! どういうことですか?」
「君に謝りたいから少しだけ君を貸して欲しいと頼んだら、なんならそのままダンスの相手をしてもいいと言われました」
青葉曰くあんなに黄泉がベストカップルにこだわっていた理由は、青葉との喧嘩にあったらしい。
何でも私にひどいことを言った青葉を見返すために黄泉はベストカップルを狙っていたらしく、彼が謝罪したいと言った時点でその目的を失ったらしい。
仲直りするのなら自分の代わりにダンスでもすればいいんじゃないかと、こうなることを見越してか、それともただの彼の気まぐれか、青葉に提案したようだ。
「その時は君に許して貰えるかもわからなかったので曖昧に返事をしましたが、きっと黄泉はこうなることを予期していたのでしょう」
……黄泉はそこまで考えていない気がする。と私は思ったが、「彼は周りをよく見ている人だから」という青葉の発言に少しだけ否めないと思ってしまった。
確かに、私が傷ついていたことにもいち早く気づいてくれるし、黄泉は一見周りを見ていないようで広い視野を持ち合わせている気がする。
「でも、一条くんにもいらっしゃるんじゃないんですか? その、パートナーが……」
「それなら大丈夫ですよ。僕は代わりですから」
「代わり?」
「ええ、他に誘いたい人がいたようですが、どうやら誘えなかったようで。僕はその代わりなんです」
え!? 青葉が代わり? 本命ではなくて?
……青葉を代わりにするなんて。一体どれほど素敵な令嬢なのだろうか。思い浮かべて見ようとするが、全然その令嬢のイメージがわかない。
「……それは、なんというか……」
開いた口がふさがらず、その先の言葉が見つからない。そんな私には気づいていないのか、さして気にした様子もなく、青葉は述べる。
「ですから、僕が誰と踊っていようと彼女は気にしませんよ」
これで、何の問題もありませんね、と言われたようで、なんだか少しだけ癪だった。
せっかく練習したのだから披露したい気持ちと、踊らなくて済むのならこのまま戻って壁の花になればいいやという気持ちがせめぎ合う。
「それに、ダンスパーティー直前にパートナーを連れずに歩くあなたに、言いよってくる者だっているはずです。あの『立花家』の一人娘だという理由だけで、君と踊りたがる男は少なくないでしょう。そんな男と踊るより、僕と踊る方が魅力的だとは思いませんか?」
自信ありげに微笑んでから、再び私に右手を差し出す。私の中で、答えはもう決まっていた。
「……一条くんはきっと仕事が出来る人になるわね」
「え?」
「それだけ魅力的なプレゼンだったってことですよ。いいわ、踊りましょうか」
今回は躊躇わなかった。彼の右手に私は左手を重ね、完璧なエスコートを受ける。
スマートなエスコートに、既視感を覚える。ああ、そうだ。お兄様だ。お兄様にエスコートされている時に似ているんだわ。
お兄様にエスコートされると、気分はまるでお姫様になったみたいになる。だけど金髪碧眼王子様フェイスの青葉とは違い、黒髪黒眼の日本人形な私はただの張りぼて。お姫様なんておこがましい。おこがましすぎるよ。
「初めに言っておきますが、……わたくし、ダンスはそんなに上手くありませんよ?」
「構いません。ダンスはリードが上手ければそれなりに見えます。幸いにも、僕はダンスが苦手ではありません。あなたはただ僕に身をゆだねていればいいんです」
「言いましたね? ではあなたにお任せします。しっかりリードしてくださいね?」
念を押す私に嫌な顔なんてせず、くすくす笑いながら「任せてください」と言った青葉が頼もしくて、少しだけかっこよくみえた。
***
そろそろダンスパーティーの時間だというのに、あの方が見当たらない。
青葉のパートナーである令嬢、伊集院薫子は自分のパートナーを探していた。
もしかしたら、まだ彼女と一緒にバルコニーにいるのでは? と、そんなことを不安に思うが、ざわめきとともに現れたカップルを見て、すぐに答えを導き出す。
「……まあ、素敵! お似合いのカップルね」
「あれって、一条家の青葉様!? お相手の方は……あの立花雅様!?」
「……でも確か青葉様のお相手は、薫子様のはずでは?」
本人達はひそひそとした声のつもりだろうが、内容は薫子の耳にしっかりと聞こえていた。
そんなの、自分にだってわからない。彼のパートナーは自分のはずだ。自分が彼にパートナーを申し込んで、彼はそれを受け入れた。それなのに。
どうして、今、彼は自分の隣りにいないんだろうか。
わかっていることは、完璧なエスコートをする青葉様と、そのエスコートを受ける立花雅さんが、とても、とても──。
***
音楽に合わせてステップを踏む。ダンスパーティーに向けて体育の授業で軽く練習した程度だけど、梓が上手くリードしてくれるおかげで踊りやすい。
梓にこんなふうにリードされるのはいつ以来だろう。
上手な人と踊ると、本当に楽しい。しかも、相手は私の大好きな人だ。
「……どうして、私のこと……誘ってくれたの?」
期待するような弾む声。声だけでなく、口元も緩んでいるのが、自分でもわかり、慌てて口元を引き締める。
私の問いかけに梓は「ああ」と何でもないように答える。
「立花が、クラスの手本となる委員長が、ダンスパーティーで1曲も踊らないのはどうなのかって、言ってきたからな。お前もまだ踊ってなさそうだったし、ちょうどいいと思ってな」
ふわふわと浮き上がった気分は、すぐ急転直下で落ち込んだ。ただ事実だけを述べる淡々とした語り口。一切の感情の交じらない声。さあ、と青ざめる私にも、梓は全く気にした様子もない。
期待に浮かれていた熱が、さざ波のように引いていくのがわかる。
梓にダンスに誘われて、嬉しくないと言えば嘘だった。
ああ、こんなこと、聞かなきゃ良かった。そしたら、こんな惨めな思いはせずに済んだ。
「……雅の言うことは、聞くんだ」
気づけばそんな言葉をぶつけていた。ただの八つ当たりだ。
「ん? 別に言いなりになったわけじゃなく、彼女の意見が正しいと思ったからだ」
以前から、梓は雅に対して一目置いているところがあった。じゃあ、雅じゃない他の人が、もし私がそう言ったら、あなたは今と同じようにした? それは、雅に言われたからじゃないの? 大事な親友に対して、嫉妬に駆られた。
「困らせたなら悪かったな。お前には決まった相手がいるのにな」
踊りながら呟いた梓の独り言は、私の耳には届かなかった。
***
踊る前も、こうして踊っている時も。周りの視線は私達に集中している。チクチクと刺さる視線はおそらく嫉妬だろう。会話までは聞こえないけれど、なんで私が青葉と踊っているんだといったところだろう。容易に想像がつく。
元々、目立つことは苦手だ。目立てば好意と同時に悪意を向けられる。まさしく、今もそうだ。
「みんな僕達に興味津々ですね」
「……一条くんが素敵だから目立っているんですよ」
私の言葉を聞くと、彼はぱちぱちと数回瞬く。それから不意に彼が柔らかく微笑んだ。愛おしそうに。
「そういうのは、僕のセリフでは? 君はやっぱり全然『立花雅』とは違うんだね」
それから、たわいない話をしながら、私達は曲が終わるまで踊り続けた。宣言通り1曲だけ。
踊り終わってから、こんなに楽しく笑顔で踊れたのは初めてだと気づく。
いつだって苦手意識が先行して、俯いたり難しい顔をして踊っていたのに。今日は違った。心からダンスが楽しかった。
もちろん、あれだけ練習したからこそ青葉のステップについていくことが出来たんだろうけど。
注目されるのは、やっぱり苦手だ。でも、一生に一度くらいなら、こういうことがあってもいいかもしれない。毎日は絶対無理だけどね。
同級生達に囲まれ、青葉との関係を聞かれながら、私はそんなことを思っていた。
***
この焦る気持ちはなんだろう。
初めて彼を見た時、運命の人だと思った。きっとわたくし、この方と婚約する。彼もそれを望んでいるはずだと、そう思った。
それでもいつまで経っても彼は曖昧に微笑むだけ。決してイエスとは言ってくれない。別に構わなかった。誰よりもそばにいればいずれ彼も振り向いてくれるだろう。それに、わたくしは家柄も容姿も申し分ないはずだ。
ずっと一緒に居たら、もしかしたら、いつかは好きになってくれるかもしれない。そう思い、そう信じていた。
それなのに、その運命の人の隣りには、あの女が当然のような顔で立っている。
「……薫子様?」
「とってもお似合いね」
わたくしを心配して、友人が顔を覗き込みながらわたくしの名を呼ぶ。
「立花さんのあのドレス。きっとエスコート役の黄泉様に合わせて新調したのね」
「……あっ! イエローのドレス! 黄泉様の色ね!」
「お似合いの2人だわ」
「え、ええ! 立花さんには、黄泉様がいらっしゃるもの。親友のパートナーだから、青葉様もきっと気にかけていらっしゃるのね!」
さすが青葉様、お優しい。と、友人は勝手に自己完結させていた。
踊り終わってから、青葉様はわたくしを見つけてこちらに来てくださった。
「なんだ、君は真白兄さんと踊っているのかと思っていたよ」
「……真白様は、色々お忙しいようでしたので」
それは残念だったねと、彼はわたくしを気にかける。違う、そんなふうに気にかけて欲しいんじゃない。
「……もしかして、」
「ん?」
「青葉様から、誘われたのですか? 彼女を、ダンスに」
違うと言って欲しい。そんな気持ちを込めて尋ねたけれど、「……うん。僕が誘って、彼女がそれに応えてくれたんだ」と彼は目を細めてわらった。
「……そう、ですか」
私との会話が止むと、彼の瞳は彼女を映し出す。その瞳がなにかを求めるように、熱を帯びていることに、私は気づいてしまった。
お願いです。ほんの少しでいいんです。彼女ではなく、わたくしを見てください。
彼が絶対にこちらをみることはないとわかっていても、わたくしは少しだけ期待してしまう自分を消せない。
自分が運命を感じても、相手がそうじゃなかったら? その先は? どうすればいいの?
脇目も振らず、ずっとあなただけを見てた。だからあなたよりも先に、あなたの気持ちに気づいてしまった。
お似合いだなんて、わたくしは絶対に認めない。認めてなんかやらない。
お似合いなのは、黄泉様と立花雅さん。決して青葉様と彼女ではない。わたくしは必死に自分にそう言い聞かせた。
青葉様に意識して欲しい。その熱帯びた瞳を、わたくしに向けて欲しい。
ほかのどの令嬢よりも、特別になりたい。──もちろん、あの『立花雅』よりも。
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