クーデレ系乙女ゲームの悪役令嬢になってしまった。

瀬名ゆり

38 一条青葉



誰かといるのが苦手だった。
心を開くのも、自分のことを話すのも。

さらに致命的なのは、人の気持ちを上手く汲み取れないという欠点。

そのせいでこの前だって彼女──『立花雅』さんも、僕と同じように僕との出会いを喜んでくれていると勘違いしてしまったし。

……真白お兄様。……兄さんだって、とても優しかったけれど、別に僕を愛してくれているわけじゃなかったし。


心を開くことも、気持ちを伝えることも、相手の気持ちを汲み取ることもできない。


きっと僕は人間として何か大切なものが欠落しているんだと気づいたのは、黄泉と出会った頃だった。


昔から黄泉は、僕が不安になると「青葉なら大丈夫だよっ!」と励ましてくれた。

何を根拠に、と僕が尋ねると、質問の意図が伝わっているのかいないのか、「だって青葉だもんっ」と返された。……恐らく伝わっていない。


だけど、僕はその根拠のない黄泉から言われる大丈夫が、嫌いじゃなかった。


他の人に言われてもこんな気持ちにはならないだろう。それはきっと、黄泉だから。

黄泉は僕の初めての友人で、初めての理解者だった。



***



黄泉から会いたいと言われたのは3年生になってから少し経った頃。少しの時間でいいから放課後会いたいと。

いつもなら、どうせ会うのなら長く一緒にいたいと必ず休日に予定を合わせるから、こんなこと初めてだ。

それだけ何か急ぎの用事でもあるのだろうか。それなら電話か、それこそメールでもしてくれれば良かったのに。黄泉がどうしても直接会って確認したいことがあると引かなかったのだ。


待ち合わせは麗氷3校共通で使えるカフェテラス。学生証さえ確認できれば誰でも自由に利用出来る。

他にも専属のコンシェルジュがいるサロンもあるらしいけど、あそこは兄さんがよく利用していると聞いたから僕は1度も利用したことはない。それに、人が大勢いる環境はあまり好みではないしね。このテラスだって数回しか利用したことがない。

学生証を提示してパナマ産のアイスコーヒーを1つ注文する。放課後ということもあり、利用者はほとんどいない。当然だ。彼らだって暇じゃない。きっと多忙なはずだ、僕みたいにね。

清潔感のある白くて丸いテーブルに、同じく真っ白い背もたれのある椅子が数個。このセットがいくつか並ぶテラス。けれども黄泉の姿は見当たらない。


……おかしいな、麗氷でテラスと言ったらここしかないはずだけど。


少し離れた所に誰かがいるのがわかった。

……こんな所にいたの? 探したよ。

いかにも女性受けしそうな甘い雰囲気を漂わせながら佇む美少年は、僕が探している彼だった。


「黄泉」
「青葉っ!」


声をかけると、パッと顔を上げた黄泉は明るい表情になる。その表情に、僕はどこか安心した気持ちになった。

昔と変わらないこの無邪気な笑顔。

黄泉は昔から気分屋で、行動的で、自分の思いつくまま。良くいえば純粋で無邪気、悪くいえば子どものまま。

黄泉といい瑠璃といい、僕の周りには好意をわかりやすく示してくれる人が多い気がする。それはきっと僕自身がそういう人といるのが楽だからだ。

梓はそういった部類の人間ではないけれど、好き嫌いがはっきりしているから、そういった意味では僕との相性は良かった。

瑠璃と梓、2人を信頼していない訳じゃないし、数少ない心を許せる人間だ。

だけどやっぱり、僕にとって黄泉は特別だった。

黄泉は僕に救われたと思っているようだけど、救われたのはむしろ僕の方だ。


「ここだけ少し離れた所にあるんだね」
「そ、ステキでしょ? 時々昼休みに瑠璃とここで過ごすよ」
「……それは意外だな。もしかして、2人っきりで?」
「なわけないでしょ~! 4人でだよ! 青葉も知ってるでしょ、麗氷男子に通う有栖川家の赤也くんとか」
「ああ、彼か」


学校では話したことはないけれど、父に付き添ったパーティーでは何度か見かけた記憶がある。年は僕達の1つ下で、瑠璃の友人。そして、確か彼女の──


「あと『立花雅』さんもね」
「…………へぇ」


彼女、『立花雅』さんの幼なじみ。瑠璃曰く本当の姉弟のように親しいらしい。

そうか、このテラスでいつも4人で過ごしているのか。……彼女も一緒に、か。

彼女と出会ったあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。完全な見込み違いだった。

あの愛想のない彼女が、誰かと親しげに話しているところなんて想像出来ないけれど、黄泉の表情からしてきっと親しくしているのだろう。

待たせたことを謝罪すると、急に呼び出したのはこっちだと謝罪し返される。


「この後習い事があるから長居は出来ないけどね」
「そんなに時間は取らせないよ。……この前、連絡くれたでしょ」
「やっぱり、そのことか」


何となくそんな気はしていた。黄泉が僕に急に会いたいと言い出したのは、彼女と会ったことを連絡したすぐ後だったから。


「うん、そう。この前彼女に会ったよ。僕から会いに行った」
「……何で、急に」
「全然急じゃない。……急じゃなかったよ、少なくとも僕の中では」


昔瑠璃から聞かされた『立花雅彼女』の話ばかりする僕に、黄泉は不機嫌を隠そうともせずムッとしながらその話は聞き飽きたと言っていたっけ。

同じ話題ばかりで不快な想いをさせてしまったと反省していたら、梓が「青葉にしては珍しいな」って言ったんだっけ。

その時はそんなことないって、梓の言葉をすぐに否定したけれど。今ならわかる。


「梓の言った通りだった」
「……梓の?」
「そう、確かに僕は彼女のことを気にかけていた。……写真でしか見たことがなかったのにね。今思うと馬鹿みたいだよね」


自嘲気味に、吐き出される言葉。彼女に愚かだと伝えたけれど、そんな彼女に期待していた僕はもっと愚かだ。馬鹿みたいで、何もおかしくないのに失笑してしまう。


「本当に何もなかったんだ。少し話して、アイスコーヒーを飲んで、……ただ、それだけ」


嘘は言っていない。けれど、全てでもない。

この前図書館で調べたんだ。嫌な記憶ほど定着しやすいって。それは何度も何度も想起するから。

忘れるための近道はどうやら思い出さないようにすることみたいだ。と言っても、僕は異常に記憶力がいいからもう十分定着しているだろうけど。

でも、『忘れる』ためにもやれるだけの努力はしてみようと思う。

黄泉には悪いけど、彼女のことは『忘れる』つもりだ。もう思い出したくもないし、もちろん話すつもりはない。


「……青葉、ホントのこと話して。昔から青葉は、オレにだけ秘密の話をしてくれたよね。オレはそれが特別みたいで嬉しかったんだぁ」
「……今だって特別だよ。君は僕の初めての友人で、1番の理解者だ」
「……うん、オレにとっても青葉は特別だよ。それは今も昔も変わってない。だから青葉が何を思って彼女に会いに行ったのか気になるし、……出来ることなら青葉の口から聞かせて欲しい」
「……黄泉」
「それとも、やっぱり青葉は変わっちゃった?」


君は何も変わってないね、あの頃からずっと。本当に素直な男の子だよね。でも、変わってないのは僕も一緒か。昔からストレートな君の言葉に弱い。


「……彼女は甘い物が好きらしい」
「……ん? そうだね。まあ、瑠璃とアフタヌーンを予約するくらいには好きなんじゃないかな~?」
「ただ好きなんじゃない、それもかなり。2人分用意されていたスコーンやミニケーキをペロリと平らげるくらい」


唐突に繰り広げられる彼女の好物の話に黄泉は怪訝そうな顔をした。


「……僕には無理だ。だって、……僕は甘い物なんて、全然好きじゃない。むしろ苦手だ。だからあの日もアイスコーヒーをひたすら味わっていた、もちろんノンシュガーで」
「オレは、青葉の好みも雅の好みも、ある程度把握しているよ。……つまり、青葉は何が言いたいの? オレには全然わからないよ」


痺れを切らした黄泉は直接意図を聞いてくる。まわりくどいのは許して欲しい。

僕が自分のことを話すの苦手なの知ってるだろ?


「……つまり、僕達は圧倒的に味の好みが合わないんだ。さらに言うと、結婚に対する考え方も合わない。……彼女に言わせると、僕らは根本的に価値観が異なるらしい」


彼女の言葉を借りるのは癪だが、それが1番伝わる気がした。


「……彼女の考え方はともかく、その1点においては、僕も彼女に同意だ」



***



「……へぇ~、雅らしい考え方だね。韓国ドラマ、だったかな? なんか海外のドラマが好きらしいよ」


ざっとあの日のことを話した。2人でアフタヌーンをしたこと。両家のためにも婚約しないか提案したこと。そして彼女はそれを断って先に帰ったこと。


「そもそも恋愛結婚だなんて、非現実的だし、無謀だと思わないか? 彼女と彼女が『立花雅』だと知らずに出会うだなんて……ドラマの見すぎなんじゃないかな」
「そこが雅の魅力なんじゃない~? オレは嫌いじゃないけどね、その考え方~」


ケラケラと黄泉は笑う。……他人事だと思って。

彼女はもう少し自分が有名だと自覚した方がいい。僕のクラスメイトだって全員彼女の存在を認知しているんだ。麗氷ではその夢の実現はほぼ不可能だろうね。

……そもそも送迎は専属ドライバー付き自家用車の箱入りお嬢様が多い麗氷生が、学園以外で出会うなんて難しいだろうに。

パーティーなんて特に両親のそばにいるから嫌でも立花家の一人娘だとわかるはずだ。

……彼女のそういう思慮の浅いところが僕は不愉快なんだよ。黄泉みたいに笑って流せない。


「……でも、それだけ? にしては、彼女の元気がないように見えたけど。それに、青葉にがっかりされたとかなんとか」


黄泉の言葉が僕をギクリとさせたが、彼はそんな僕に気づいたような様子はない。


「……ま、雅の勘違いだったのかなぁ? 優しい青葉が婚約を断られたくらいでそんなこと言うはずないもんね~」
「──……言ったよ」
「え、」
「だから言ったよ。彼女にがっかりしたって」
「……青葉が?」
「そう、僕が」


黄泉の瞳が、大きく見開かれた。


「……ごめん。何で、そんなこと、言ったのか、聞いても……いい?」


未だに僕の言葉が理解出来ないとでも言いたげに、黄泉の言葉は片言。黄泉には悪いけれど、僕は確かに彼女に告げた。


『がっかりした』と。


昔から王子様みたいだと人から言われた。主に令嬢に。

おそらくこの生まれ持った金髪と青い瞳のせいだろう。何もしなくても勝手にそういうイメージを持たれる。

それでもって、そんな彼女たちの中では僕は理想の王子様らしい。それこそ絵本の中に出てくる白馬に乗ったね。生憎僕の乗る馬は栗毛色だし、白馬には乗ったこともない。

そうして理想を押し付け、本来の僕なんて見もしない。時には思ったのと違った、なんて。がっかりした顔をするんだ。

仕方のないことだと理解してはいるけれど、勝手に押し付けられる理想を重く感じる時もある。


「彼女なら誰も見てはくれない僕自身を見てくれると思っていたのに。……やっぱり、彼女も同じだった」


そんな彼女にがっかりしたんだと伝えると、黄泉は眉間にしわを深く深く刻む。


「えぇっとぉ~……オレには難しくてよくわからないんだけどさ~。……でもそれってすごい自分勝手なこと言ってる気がする」
「…………僕が?」
「そう、青葉が。他の令嬢は無理でも、雅ならきっとって勝手に期待して、勝手に幻滅した青葉は、青葉自身を見てくれなかった人達と何が違うの?」
「……それは」
「青葉はそういう人達のこと、がっかりしたって言うけどさ、青葉その人達と同じことしてる……よね?」


そんなこと、考えもしなかった。いいや、考えようとしなかったし、考えたくもなかったんだ。

思い通りにならない歯がゆさに、やっちゃならないことをした。僕は、彼女を酷く傷つけた。

どうしてこんな当然のこと気づかなかったんだろう。今ならわかる。

あの時彼女に拒絶されて、僕だけが傷ついたと思っていたけれど。彼女だって同様に瑠璃から聞いていた『立花雅』としてしか見ない僕に傷ついていたんだ。


「自分は雅のことを決めつけて見るけど、雅には本当の自分を見て欲しかったってさ、……さすがに都合よすぎなんじゃないかな?」
「……っ!」


黄泉の言葉に僕は何も言えない。自分はある程度賢い部類の人間だと自負していたけれど、違った。今、初めて自分が本当は馬鹿な人間だったんだと気づいた。


「オレは青葉が好きだからどんな時でも味方でいたいとは思ってるけど、さすがに今回は味方出来ないよ」


立ち去る黄泉を呼び止めることはできなかった。


ああ、消えて……しまいたい。


先ほどの黄泉の言葉と、令嬢たちに言われた『王子様みたい』というフレーズがぐるぐると頭を巡る。


平気なわけないじゃないか。
むしろどうして平気だと、彼女は傷ついてなんかいないと思ったんだ。


だけど、あの時は理性より先に感情が頭の中を支配して、自分ではどうすることも出来なかったんだ。

少しの本音と勝手な落胆だけで構成された言葉。そんなものぶつけられて、平気な人間がいるわけがない。

黄泉に言われて、ようやく正気に返った。


「……そもそも『僕はいつでも君と婚約しても構いませんよ?』って、何様だよ僕は……。だいたいどんな婚約を望もうが彼女の自由じゃないかっ……」


それなのに、彼女の意見を真っ向から否定して婚約結婚を提案したりして……。なんて一方的で、浅ましく、身勝手で、愚かな提案だったんだろう。彼女はそんなこと、望んでなかったのに。

自分、自分で、自分のことばかり。

そうやって、彼女の気持ちを蔑ろにした。


「……それなのに、残念だとか、がっかりしたとか……被害者は、彼女だ。僕じゃない」


自分の身勝手さに吐き気がした。


今気がついたって遅いのに、こんな簡単なことも、わからなかったんだ。

彼女が好きだと。初めは、ただそれだけだったのに。どうしてあんなこと言ってしまったんだろう……。


そうしてひどい自己嫌悪のみが僕の頭を支配した。

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