ヴェルシュタイン公爵の再誕~オジサマとか聞いてない。~【Web版】
68
しっかし、どうしよう、これからどうしたらいいんだろう。
絶対今のでオーギュストさんのただでさえ低い評判が更に悪くなったよ。
弁償しろ!とか言われるのかな、お金あんまり使いたくないんだけどな。
いや、でもさっきのは正当防衛になるよね、え、なるよね?、ならない筈がないよね?
だって向こうから先に手を出して来たんだもん、きっとそうだよ。
大丈夫だ、多分大丈夫!
皆頭が悪いから訳の分からない変化を起こして請求書とか来たらどうしよう、って思ったけど、むしろそれより反乱軍とか作られたらどうしよう。
いくら私が圧政とかする気ないって言っても信じないよね、なんかそのぐらいには信頼されてない気が物凄くする。
オーギュストさんが賢人になった事、まだこの街まで噂が来てないのかな?
いや、来てたとしても今までが今までだったから仕方ないのかもしれないけど、これから私がそれを何もかも全て何とかしなきゃならないって考えるとめちゃくちゃに面倒臭い。
うわあああやだよおおお面倒臭いよおお誰かに丸投げしたいよおおおお!
ただでさえ統治なんて何したら良いのか分からないのに、街の人達の信頼なんてどうやって取り戻したら良いの。
実際領地に来たら何とかなるんじゃないかとか考えてた自分の浅はかさ半端なさ過ぎでしょ。
いや、でもホントに来るまではそう思ってたんだよ、マジで。
現状を目の当たりにしたら自信無くなったよ!仕方ないね!
あー、帰りたい。王都の邸宅に帰りたい。
来たばっかりだけどもう帰りたい。
帰ってフテ寝したい。
いや、絶対そんなんしないけどね。
ただの願望です、はい。
「旦那様、そろそろ到着致しますので、ご準備を」
「そうか、分かった」
執事さんの呼び掛けで意識が現実に帰ってきたので、そっと手を止めてペンをペン立てに突っ込んだ。
どうやら、今回の目的地であるオーギュストさんの実家に辿り着いたらしい。
この街に着いたのがお昼過ぎで、現在はそれから30分から40分という所だろうか。
オーギュストさんの記憶では、高台に建てられていた砦を改築して造られた実家は、お屋敷なんて通り越してお城に近かった。
現在住んでいるのは、領主代行に任命していた使用人一家と家人の世話の為に居る使用人達、そして、引退して余生を過ごしているヴェルシュタイン家先代当主夫人、ヴァネイラ・ヴェルシュタイン夫人。
つまり、オーギュストさんのお母さんである。
ちなみにお父さんの方は、オーギュストさんが当主になる数日前に、ジュリアさんを奪った枯れ木病とは違う病気で亡くなっている。
オーギュストさんがまだ学生だった頃で、本当に突然だったらしい。
余りの突然さに、病死じゃなくて何者かによる毒殺を疑われた程には、元気だった。
王国騎士団の団長で、物凄く厳しくて、厳格で、冷たい人だった記憶がある。
現在のオーギュストさんと同じ位の年齢で他界してしまった父親の跡を継いで、オーギュストさんは若くして当主にならざるを得なかった。
考えてみると、物凄く波乱万丈である。
大変だったねオーギュストさん。
王様にも薦められた騎士団に入らなかったのは、余裕が無かったからっていうのと、ジュリアさんの傍に居たかったからだろう。
親に決められた婚約者だったけど、本当に愛し合ってたから。
学園を卒業してすぐに家督を継いだオーギュストさんは、この地でジュリアさんが亡くなるまでを過ごしている。
その思い出が辛すぎて、12年もの間、実家に帰って来る事は無かった。
ついでにその12年間ずっと、領主代行にこの領地を任せっきりにしていた。
一年に一回どころか、2、3年に1回街に来るだけ。
来ても特に何もせず、領主代行に会う事すらせず、書面だけで丸投げして帰って行くという怠慢さ。
なんて言うかもう、申し訳無い限りである。
めちゃくちゃ自分勝手だけど、全部今更だ。
誰も止められなかったんだから仕方ないのかもしれないけど、実のお母さんは一体どんな気持ちだったんだろう。
本当なら自分が領地を運営しなきゃとは思ったのかもしれない。
でも、いくら貴族だったからってそこまでの教養は無かった筈だ。
当時、貴族女性は男性の仕事に口出ししない事が常識だったから。
12年前のあの戦争が始まるまで、という前提が付くけど。
「...旦那様、到着致しました」
「分かった」
考えながら書類を纏めている所へ掛かった執事さんの言葉に、オーギュストさんらしく、堂々たる態度で返しながら席から立ち上がる。
これから会う事になるオーギュストさんのお母さんには、オーギュストさんにとって12年振りの再会となる。
オーギュストさんが変わってしまったあの悲しい日から、オーギュストさんのお母さんが今まで一度も自分からオーギュストさんと会わなかったのはきっと、変わり果ててしまった息子の姿を見るのが怖かったからだろう。
そんな事は簡単に想像が付く。
記憶では、オーギュストさんのお母さんは、とても繊細な人だったから。
そして、オーギュストさんが実の母親な筈のお母さんに会わなかったのは、芋づる式にジュリアさんの事を思い出してしまうからだろう。
...しかし、今から会うと思うとちょっと緊張して来た。
さすがにバレちゃわないかな、中身が別人だって。
母親の勘って時に物凄い力を発揮するから、本人じゃないって分かってしまうんじゃないだろうか。
だんだん不安になって来たどうしよう、今更会わないとか無理だよね、無理だね、はい、諦めます。
恭しく扉を開けてくれる執事さんの姿に、私は全てを諦めた。
重く感じてしまう足を、無理矢理に自分の気持ちを奮い立たせる事でカバーして、冷静に見えるように堂々たる態度を心掛けながら動かした。
馬車から出た先に広がるのは、見た事も無いけど、記憶の中にはあった、とてつもなく豪華な景色。
外国のお金持ちの家でよくある、立派な玄関の前で使用人達が一斉に頭を下げてお出迎えしている、という光景だった。
さすがは国で王様の次に偉い家の使用人、唐突に私が帰って来た筈なのにも関わらず、なんの反応も見せず、頭を下げたまま微動だにしていない。
その時、スッと音もなく年老いた執事が現れた。
「おかえりなさいませ、旦那様、大奥様が書斎にてお待ちしております」
「そうか、では行くとしよう」
オーギュストさんの記憶では、この人はずっと昔からオーギュストさんの両親を支えて来た執事で、確か名前はゲラルディーニ・シュトローム、つまり、うちのめちゃくちゃ有能なあの執事さんの、お父さん。
昔から居るって事でオーギュストさんも、執事さんも、誰一人として頭が上がらない、貴重な人物である。
記憶の中の彼よりも、随分と歳を重ね、白髪混じりだった髪も丁寧に整えられた口髭も、過ぎた12年の年月により真っ白になってしまっていたが、変わらない柔和な微笑はオーギュストさんの記憶のままのようだ。
彼とも、12年振りの再会となる。
会わなかった理由はやっぱり、ジュリアさんを思い出してしまうから。
本当にオーギュストさんは駄目な奴である。
そんな事を考えながらも、老執事さんの後ろを、執事さんと共にゆったりとした足取りで追う。
「しかし、どういった風の吹き回しですかな?」
ふとした老執事さんの問い掛けは、どこか楽しそうであり、それでいて懐疑的だった。
「...報告はあったはずだが?」
「はい、それは勿論。
ですが、本人の口から聞きたいと思っても仕方が無いのではないですかな?」
なんていうか、ですよねー、としか思えなくて、なんと答えたもんかと必死になって頭を働かせた結果、口から出たのは皮肉に近い何かだった。
「ふむ、随分と偉くなったものだな」
「いえいえ、そんな滅相も無い。
私は今も昔も、ヴェルシュタイン家に仕える執事ですよ、オーギュスト坊ちゃん」
はっはっは、と朗らかに笑う老執事さんに、なんかちょっと居心地が悪いような感覚に陥った。
「...坊ちゃんは止めろ、もうそんな年齢ではない」
「私にとってはいつまでも坊ちゃんは坊ちゃんですよ」
「...爺には敵わんな」
記憶と同じ呼び方をすれば、老執事さんは懐かしそうに目を細め、笑った。
...まあ、中身は別人な上に女の子なんですけどね、っていう言葉は、発する事無く飲み込んだ。
未だに裸になるのが苦痛です、お風呂好きだけど嫌い。
そこで、ふと老執事さんの足が止まった事で、どうやら、オーギュストさんのお母さんが待っているという書斎に辿り着いたらしいと気付く。
オーギュストさんの記憶そのままの、豪奢だけど落ち着いた雰囲気に見える両開きの扉が、老執事さんの手によって恭しく開かれた。
扉の向こう、書斎の真ん中に彼女は居た。
記憶よりも歳を重ねたからか、白髪と皺が目立つようになってしまったけど、それでもオーギュストさんの記憶のままの、可愛らしい笑顔を浮かべている。
薄桃色で、フリルがたっぷりのファンシーなドレスを着たその人は、私を見た途端に、とても嬉しそうな声で私に語り掛けた。
「クリフォード!ようやくワタクシの元に帰って来たのね!
もう、一体いつまで待たせるの?、これは何かお詫びが無いと許されないわよ!本当に仕方の無い人なんだから!」
屈託なく、まるで少女のように笑いながら、息子の筈のオーギュストさんを別の名前で呼ぶオーギュストさんのお母さんの様子に、とても、嫌な予感がした。
「...大奥様、この方は大旦那様ではなく、ご子息のオーギュスト様でございますよ」
「何を言っているのゲラルディーニ、オーギュストはまだ学生よ?、あぁ、そういえばオーギュストったら、全然手紙を寄越さないのよ、そんな所までクリフォードに似なくて良いと思わない?、ねぇ、クリフォード、貴方もそう思うでしょ?」
嬉しそうに、そして愛おしそうに、ふわふわとした夢のような、まるでお人形のように可愛らしく微笑むその老貴婦人は、オーギュストさんの事をクリフォードと呼びながら、にこにこと笑う。
「......あぁ、そうだな」
私は、もうそれだけしか言う事が出来なかった。
...神様、ちょっと本気で殴らせて。
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