マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-158【魔王が見せたヒトの夢-壱】

 それは、夢にしては生々しく、現実にしては立ち入りがたい、遥か彼方に沈む記憶の淵。

 そこはまるで聖堂のような、冒しがたい荘厳な空気が漂っていた。幾重にも連なる重厚な柱の森を抜けると、素朴で無機質な大広間が見える。低く鈍い慟哭が木霊する、奇怪なる音のでどころは床一面を占める鉄の機構。その精緻なる仕掛けに裏打ちされた、規則的な切れ間から零れる空色の光芒こうぼうが、怪しくも神秘的に輝いていた。

 隣に並び立つのは、幼き頃よりなじみ深い、精悍せいかんな顔をした青年。そして、大柄な体躯をした知性を滲ませる皺顔の翁。ふと振り返ると、緋袴ひばかま白衣はくえの装束を纏う、年若い女。その表情は暗く、うつむいていた。

 大広間の最奥を見遣る。玉座のように据えられた無骨な腰掛けには、人形の素体を彷彿ほうふつとさせる奇妙な偶像が鎮座していた。足を組み、肘掛けに肘をついて、頬杖をつくその姿は、余りにもヒトらしい体裁ていさいを湛えている。

 翁がのたまう、「あれこそは創造主の端末、影のようなものである」と。つまり、あの偶像を破壊したとて、人類が破壊と創造の輪廻りんねから脱却だっきゃくできるわけではない、ということ。しかし、それでも僕は剣を執る。たとえそれが悪手だったとしても、静穏を願う人々の想いが僕達の双肩にかかっているから。

 その後、苛烈な戦いが続いた。大いなる怪物との死闘を幾度もくぐり抜けてきた僕達でも、背丈格好に大差のない偶像との戦いは至難を極めた。なぜなら奴は、僕達や怪物が当然として持ち得る魔力を用いた術を一切持たず、代わりにどこからそんな大質量の物体が現れたのかと思うほど、鉄でできたあらゆる武器を用いて迫り来るからだ。

 無数の剣を執り、無尽の槍を振るい、無量の矢を放ち、無辺の砲を撃ちて、飽和の限りを尽くして僕達を討ち滅ぼしにかかる。命を刈り取る刃の雨霰あめあられ、凌ぐことは可能だ、しかしそれは時間の問題に過ぎず。偶像が所有する物資は恐らく、事実上の無尽蔵。枯渇を狙った籠城では勝ち目など期待できない。ならば、攻め手に回るほかなく、僕は自ら先陣を切った。

 僕をヒトたらしめる肉体、そのことごとくが削ぎ落とされていく。剥がれ落ちていく表皮、千切れ落ちていく四肢、反比例して激増していく痛覚。失われていくそばから復元され、再び削ぎ落とされ、また復元を繰り返す。装束の女がもたらす秘技だ、それがあれば何度だって喪失と復元を繰り返すことができる。

 ――追いついた、偶像の暴威に。荒れ狂う殺戮の波濤はとうを踏破し、その喉元へと辿り着く。剣を引き抜く、その切っ先を偶像の胸部に向けて、猪突の如く突き立てた。鈍い……いや硬い。まるで岩か鉄でも穿ったかのような感触が、彫像のように均整の取れた谷間へと突き立てた剣を通して伝わってくる。だがそれでも僕は間違いなく、奴を突き動かす歯車の狭間にくさびを打ち込んだ。

 しかし、偶像が動きを止めることはなかった。やはり翁の言葉通り、奴は影でしかなく、実体は他にあるということ。影である偶像を消し去ったところで、実体である創造主には何ら影響はない――だが、この接触にこそ意味がある。僕は闇に精通する者、闇とは存在を侵食する属性、ならば影を通して実体を掴めばいい。

 僕は偶像を冒涜ぼうとくする、影よりもくらい闇におとしいれる。漆黒へと染まっていく偶像から、創造主と繋がる情報通路に接続する。そこから雪崩れ込んでくるのは――ヒトへの憧憬しょうけい羨望せんぼう、渇望、博愛……そう、僕達が神と崇め奉る創造主は同時に、僕達人類に恋い焦がれ、慈しんでいたのだ。とても合理的で無機質な感情だが、それは紛れもなく愛だった。神が幾度となく人類を滅ぼし、そして再興させてきた理由は、ひとえに愛ゆえの選別だったのだ。

 ならば、人類を代表する僕達こそが、この場でその愛に報いるしかない。僕は漆黒に染まる偶像を床に叩き付け、そして叫んだ――我が友アレキサンダーの名を。

 友は涙を流していた。それでも彼は、大義のために剣を執った。星鍵と呼ばれる神器から放たれる極光が、僕と偶像を眩く包み込む。己が意識も肉体も、瞬く間に滅びてゆく感覚が全身を貫く。眼前に仰臥ぎょうがする偶像もまたほころびゆく様を垣間見る。

 だがその時、予期せぬことが巻き起こった。偶像がどれほど飽和攻撃を繰り返しても傷一つつかなかった、頑丈に頑強を誇っていたはずの床一面に敷かれた鉄の機構が、まるで窯の封を切ったかのように大口を開けた。燃え盛る赤熱、ほとばしる輻射熱ふくしゃねつ、目も眩む閃光、この世のありとあらゆる熱量が溢れ出す――だが同時に、その大穴からこちらを覗く炉心は、ありとあらゆるものを飲み込もうとするのだ。人間如きには決して抗えぬほどの引力が、あたかも現世から冥府へと引き込むかのように掴み掛かってくる。もはや自我の拠り所である肉体が朽ちかけた僕には何ら抗う術もなく、ただ果てしない光の深淵へと落ち込んでゆくのみ――そんな諦念ていねんを抱く僕の命を、今生に繋ぎ止める強大な力があった。

 嗚呼、アレキサンダー、我が友よ……君が星鍵を用いて、僕を掬い上げてくれたのか。すでに命の限りを目前とするだけのこんな身を。君はどこまでも――勇者だった。

 僕と入れ替わる形で、君は偶像を道連れに、光り輝く冥府へと落ちていく。まるで届く余地もない手を伸ばす、しかしそれはただ、僕の視界から我が友を僅かに覆い隠すだけ。さっきまで涙を流していた君は、今や僕に向かって、朗らかに微笑んでみせる。その笑顔は……いつだっただろうか、君を友と認めた日に見た表情にそっくりだった。

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