マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-155【海の只中に至るまで-伍】

 どのくらい眠りについていたのだろうか。御者の男から起こされた時には、車窓から日の光が差し込んでいた。眩しさにエレインが目を細めながら外を眺めると、そこには漁師の活気に満ち溢れた冠雪の港町が広がっていた。

 町の入口からほど近くのうまやへと入り、一行は港町を箱馬車へと乗り移る。

 魚市場では色とりどりの鮮魚が店頭に長蛇をなして陳列され、毛皮で厚く膨らむ外套がいとうを羽織った町民や行商人が買い付けに来ていた。都市部で大きな戦いが起ころうと、所詮は陸の話、海の仕事は自分達に任せろと言わんばかりの覇気を漂わせる。それこそが湾港都市ソルトンというセプテム唯一の不凍港を担う町の矜持きょうじだった。

「何だか、別世界みたい……」

 現在、セプテムは国家全体を挙げて人魔大戦に集中している。湾港都市ソルトンは水産物の要衝であり、野戦食レーションの主体である缶詰の生産に繋がるため、生産品の多くを城郭都市に供給していた。つまり、下手な田舎町や郊外よりも、大戦に大きく関与している町だということ。にも関わらず、戦時に見られるような恐慌が人々を蝕んでいる様子はない。

 城郭都市の市民にも活気はあったが、それは飽くまで焦燥しょうそう戦慄せんりつによって駆り立てられた衝動に近い。本来なら混迷に陥ってもおかしくないはずの民情だが、それをシステマチックな都市構造によってエネルギーの流動を事実上制御し、秩序ある混沌を実現していた。

「セプテムの印象、ちょっと変わったかも」

 しかし、湾港都市ソルトンにおける町民の様子は、城郭都市とは根本的に異なる。彼らの活気は決して受動的なものではなく、自発的なもの。そもそもここは内向的な国民性を有するセプテムの中でも、比較的陽気で勝ち気な気質を持った人間が多い。海と共に生きる者がそうなるのか定かではないが、とにかくセプテムという国の中でも異質なのだ。

「――あ、海だ……!」

 活気ある市場町の様相から景色は一転、巨大な湾に沿って石造りの防波堤が築かれた漁港が現れた。黒煙を吹き上げる黒鉄の漁猟船や交易船が一団を作って並んだ見事な壮観、それはまさに海上の楼閣ろうかく群と呼ぶべきか。

「凄い……一港にこれだけの蒸気船が並んでる光景なんて、見たことない……」

 一行の乗った馬車は数ある蒸気船の中でも、比較的に小さな交易船の前まで向かった。その船の乗員は一行が訪れることを事前に知っていたのか、すでに発船の準備を終えていたようだ。剛毛な髭を蓄えた恰幅かっぷくの良い船長が船から降りて出迎えてくれた。

「オメェ達が例の連中か、こっちはもう準備万端だ! 負傷者が二人いるんだったか? まあ、時間もたらふくあるわけじゃねぇ。さっさと出港するぞ、彼の国にな!」

 闊達かったつで気前の良い態度で応じる船長。乗員に指示を出して馬車からアクセルとウルリカを担架で運び出し、客員用デッキのベッドに寝かせる。エレインはここまで送り届けてくれた御者にお礼を伝えて別れる。そそくさと船に乗ると、彼女は胸がおどる思いで甲板に出た。

 けたたましい汽笛の音が鳴り響く、同時に蒸気機関が鈍い動力音を立て始める。すると、エレインの望む大海原の景色が徐々に動き出した。海や船は公務の一環で度々目にしたことはあったが、航海は初めてだった。それはまるで、紺碧こんぺきの草原を巨大な鉄車で突き進むようで。水面を裂く音、海鳥の鳴き声、潮風の鼻を突く臭い。それを全身で受け止める感覚は決して陸では味わえない、何とも不思議な感覚だった。

 懐に仕舞った世界地図を取り出した。セプテム国土の最東端にある湾港都市ソルトン、そこから東南東に向かうと目的の国である楼摩ろうまが存在した。公には渡航を禁止された鎖国国家。その実、勇者と最も深い因縁を持つ国だ。その大役を任されるがゆえの不干渉条約。

楼摩ろうま……その女王様が、勇者の秘密を握っている……」

 あらゆる因果は、そこに帰結するとメルランは説いた。楼摩ろうまの女王が導く神の叛逆者との対面。そして、この旅路の最後に待ち受ける、神との決着。その全てが未知数であるものの、勇者の目的は決まっている。それは――魔王を殺めること。それこそが、神との決着をつける引き金のとなるのだとか。そう、「勇者の物語の終演」という事実こそが、神を滅ぼすというのだ。

「だから、ウルリカは……アクセル君を――」

 ――自らの手で殺めなければならない。ウルリカが勇者として在り続ける限り、それは決して逃れようのない結末。無論、彼女はそれを承知で勇者の任に就いたのだ。残酷ではあるものの、その現実を哀れむような行為は、彼女の覚悟を侮辱するのと同じことだ。

「……僕は、彼らに何ができるんだろう……」

「――あんたは、見届け人……それ以上に、重要な役割なんて、ないわ……」

 それはウルリカの声。エレインが踵を返すと、客員用デッキに続く扉にもたれ掛かる彼女の姿があった。傷だらけの身体はまだまだ全快にはほど遠い、雁字搦がんじがらめの包帯は未だ取れない。それでも彼女は、エレインと交わすべき言葉があったようだ。

「……世話になったわね、エレイン」

「ううん、僕は何もしていないよ。レギナさんや医療班のみんなが頑張ってくれたんだ」

 雪は降っていないが、外は極寒だ。いくら外套がいとうを着込んでいるとはいえ傷に障る。エレインはウルリカに肩を貸して、客員用デッキに備え付けられたベッドまで誘導する。

「……ルイーサは……」

 ずっと気がかりだったのだろう、ウルリカが最初に問うたのは、身を挺して彼女を庇った付き人ルイーサのことだった。エレインは言葉で伝えるのを憚り、首を小さく横に振った。囁くような声で「そう……」と返事が戻ってきた。

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