マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-150【船上の小休止】

「――あ、起きた起きた! おーい、アクセルくーん!」

 穏やかな潮風の吹く甲板、そこは大海の只中だった。空を見上げるとそこに帆はなく、代わりに黒煙を吹く蒸気船の上。垣立かきたつにもたれ掛かり座っていたエレインが立ち上り、満面の笑みでアクセルを迎える。

「ここ、は……船の上?」

 乗船を認識すると、アクセルは突如として悪心を催す。人とは不思議なもので、意識の外にあるうちは何ら気にならないのに、意識した途端に神経が起動するものなのだ。

「……そっか、アンタ乗り物酔いするんだった」

 口を隻腕で覆うアクセルに呆れつつも、背中をさするウルリカ。

「忘れてた! そうだよね、アクセル君酔っちゃうんだった――はいこれ、飲んで」

 エレインが懐から丸薬を取り出す。それを目にした途端、アクセルの貌が歪む。

「げっ、楼方薬……!」

「アンタ、いい加減慣れなさいよ。セプテム遠征の時はちゃんと飲んでたんでしょ?」

「ああ、いや……ははは。あの時はレーションと一緒に流し込んでたから……」

 アクセルは苦笑いを浮かべながら周囲を見渡して、なにか一緒に食べるものがないかを必死に探していた。無論、船上にそのような都合のよいものなどなく、迷っているのも束の間、ウルリカに襟首を掴まれ、エレインがあんぐりと開いた彼の口を狙い定めると、

「はい、いくよー」

 丸薬を放り投げた、アクセルの口腔に見事命中する。彼は即座に膝を屈して、口内に広がるこの世のものとは思えない苦みと異臭に身悶えしながら、必死に耐え続ける。ウルリカは首を横に振って呆れ、エレインは腹を抱えて笑い転げた。

「ハッ……ハッ……申し訳、ありません。僕を案じて、頂いたのに……こんな失態を……」

「いやー、僕はまるっきり忘れちゃってたけどねー。たださ、あの大戦が始まる前にさ、託されてたんだよね――ルイーサからさ」

 エレインのその言葉が、アクセルを苛む楼方薬の口当たりの悪さを吹き飛ばした。嗚呼、これはあの人が気を回してくれたのか。どおりで用意が良いわけだ……。

「そうでしたか……本当に、ルイーサ様には面倒をかけますね」

「……家族みんながそうよ。ルイーサは本当に気の利くハウスキーパーだったわ。要領よく、そつがなく、機転の利く女だった」

「そうだね。僕はよく忘れ物してたから、在学中は何度も助けてもらったっけなぁ」

「――でもね、あの人は自分の行いに対して誰かが後悔することなんて、決して望まない性分だわ。なんなら、自分を踏み台にしてでも目的を果たしてもらうことを良しとする人間よ。だからあたし達は、ただ前を向かなきゃいけないの。ルイーサに報いるにはね」

 ウルリカの言葉は、自身に向けた戒めの言葉でもある。これまでの道のりを後悔せず、これまでの犠牲を乗り越えて、勇者の意味を全うするために。それが自分のできる唯一の償いであると信じて。

「そうだね、ウルリカ。僕達は前を向かなければいけない。みんなが作ってくれたこの道を、ただ突き進まなければいけない」

 それは捨て身の行為ではなく、命を賭す行為。死に向かうための旅路ではなく、生を全うするための旅路。だから彼らは、前を向けるのだ。

「さて、とー……みんな覚悟十分なところで、これまでのことと、これからのこと、全部確認しておかなくちゃだね」

「ええ、僕は随分と眠っていたようですから。恐れ入りますが、事の顛末てんまつを共有させてください――みんなが、どうなったのかを」

「ふふっ! アクセル君、そんなに身構えなくたっていいんだよ。だって、君が僕達を助けてくれたんだから。君がいなきゃ、みんなあの神様に踏み潰されてたんだから」

「ああ……やっぱりアレは、夢じゃなかったんだ。まるで現実味がなかったけど……本当に、良かった……」

「当たり前でしょ? じゃあなんで、あたしもアンタもここいられるのって話じゃない」

「そ、それはそうだけど……」

「いいこと? アンタはすでに、くさびの魔王と繋がってるの。それだけじゃない、おそらく巨神との戦いで、アンタは完全に魔王を顕現させたわ、一時的にね。それに、薄々気付いてただろうけど、アンタを抑えつけるために嵌めさせた指輪、アレも砕け散ったわ。分かる? アンタはもう予断ならない状況下にあるってことなの。今後は慎重に、真剣に、真摯に動きなさい」

「わ、分かったよ、ウルリカ。さ、さあ、エレイン様、続きをお願いします」

「……本当に分かってんのかしら」

「ははは……とりあえず話が進まないから、そこは置いとこっか」

 痴話喧嘩なら後でやって欲しい、とは口が裂けても言えないエレインだった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品