マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-147【神に仇なす魔王-参】

「クッ!? 巨神が、動き出した……ッ!」

 とめどない光輝の氾濫はんらん、地上に閃く恒星――その手前で揺らめく小さな闇色の陽炎かげろう。巨神の動地なる異変にも反応することなく、魔王はただそこにたたずんでいた。世界を包み込む極光にも飲まれることなく、空間の歪みによって開かれた漆黒の風穴のように、久遠くおんの闇は依然としてそこに揺らめいていた。

 両者の引き起こす事象はもはや人智を超え、異様と呼ぶ他ない光景が――一変、大地から溢れ出す巨神の威光を、瞬時に伸展した闇のとばりが覆い隠す。それは、突如として暗幕が下りたかのような、あらゆる光明を遮断する暗黒。彼方に見えていたはずの広大な雪原、その平地を分断していたはずの銀嶺ぎんれい、その峻険しゅんけんな山脈へと沈みつつあったはずの落陽、その全てが黒く塗り潰されていた。まるで、世界が分断されたかのように。

「あれ……は……!?」

 唖然とするイングリッドは、その規格外の規模に驚きはせよ、不思議と恐怖を感じてはいなかった。暗がりを恐れるのは、昼行性の生物としては自然な反応だろう。だが、視界一面に広がる闇のとばりにはそれがない。むしろ庇護ひごを受けているかのような安堵あんどを感じる。

「あの者を信じよ。儂から言えることは、それだけじゃ」

 その言葉を最後に、メルランからの精神感応テレパシーは切断された。するとイングリッドは即座に走り出し、連盟部隊と合流する。同じく唖然として彼方を望む彼らの表情は、やはり恐怖におののく者のそれではなかった。

「……お姉ちゃん。やっぱりあれは、アクセル君が……?」

 エレインがイングリッドの下に駆け寄ってくる。困惑した表情を湛える彼女、その根底にある感情は、アクセルに対する憂慮ゆうりょだ。義手の装着施術の際に彼が暴走したという話は聞いていた。規模は桁違いだが、現状の彼は当時の状態と同じだった。

「エレイン。現在の状況はすでに、私達の想像の範疇を大きく超えているわ。臆測で希望をかたるにははばかられるほどに。だけど、彼を信じることはできる……魔術の大老はそう言っていた。確かに、その通りね。だから、私達は相も変わらず、できることをするだけよ」

 そもそも自分達の力だけでは、神には決して敵わない、それは重々承知している。都合の良い話だということも分かっている。だからせめて、己の命と運命は、彼と共に在ろう。

「……じゃあ僕達は変わらず、砦を築き続けるってことだね? うん、やろう。神様を打ち倒すことは出来なくても、人々を守る石垣は積み上げられるもんね」

 首肯するエレインはきびすを返し、部隊に指示を出す。散開しつつあった戦士達が今一度集結し、イングリッドを中心に陣が形成されていく。弱々しくたたずむ人間大ほどの氷壁を前に膝を折り、再び彼らは魔術を紡ぎ出す。

「――ウルリカは、元気にしていましたか?」

 イングリッドの傍らには、先ほどと同じくヴィルマーがついた。ウルリカの身を真剣に案じているのだろう、その表情は強張こわばっていた。しかし、彼はそれを表に出さぬよう、おどけてみせる。同じ状況下に置かれた彼女なら飛ばすだろう冗句じょうくをなぞらえるように。

「フッ……神様如きでは、頑固なあの娘を屈服させられるはずもありませんわ。それは貴方も、よーくご存じでしょう? ……少なくとも、アクセルが傍らにある限りはね」

 イングリッドの言葉に、ヴィルマーは表情を崩す。ホッとしたような、呆れたような。

「なるほど、以前よりも随分と丸くなったようですね。頑なさは相変わらずですが、その器には余裕ができたようだ。他者の愛を許容する程度の余裕が」

 ヴィルマーを一瞥する。一瞬、言葉の端に哀愁あいしゅうを見る。だが、イングリッドの視界に入った彼はすでに、いつも通りの掴みどころない男へと戻っていた。

「…………」

 探りを入れる必要もない。人として経るべき道を経ただけ。だから、何も言うまい。

「……では、よろしく頼みますわ。私は……あの者を信じます。貴方がウルリカを信じていると言うのなら、あの娘が信じる男のことも信じてあげてくださいませ」

「言わずもがな。私はそもそもが自分本位な人間でしてね、こんな楽しい世界をむざむざ壊させるつもりはありませんから」

「……大変、心強いことですわ」

 イングリッドはそう言って、魔術の行使に専念する――しかし、なぜか魔力が収束しない。周囲を一瞥する、背後を振り返る、みな一所懸命に内なる魔力を魔術へと注ごうと集中するも……駄目だ、力が拡散する。単に身が入らないのではない、集中力が切れるわけでもない、魔力が欠乏しているわけでさえない。力を込める矢先から、失われていくのだ。

「な、に……これは……」

「お姉ちゃん……これ、似てる……あの時と同じだ」

 嗚呼、なるほど――アクセルか。奴が人々から魔力を吸い上げているのか。世界を覆い尽くすほどのとばりを下ろすために。神の矛先が人々へと向かないために。

「全く……こちらが奮起した途端に掠め取っていく。まるでウルリカと一緒だわ、伊達にあの娘の傍に仕えていたわけじゃないってことね――あの娘の傍にいた人間はみな、似かよってくるってわけね……」

「……ルイーサ……」

 イングリッドの言葉は、エレインの脳裏に一人の犠牲者の記憶をよぎらせた。責任感の強い完璧主義者ではあったが、内に秘めたるものは豊かな情緒と慈愛。そして、周囲の了解も取らぬ、身勝手な自己犠牲。それはみな、ウルリカとそれを取り囲む者の共通点だ。

「……いいでしょうアクセル。癪だけど、全て持って行きなさい。私達の魔力も、怒りも、悲しみも、祈りも。代わりに、神の目論見のことごとくを塗り潰して差し上げなさい。貴方はそのために、魔王へとかえったのでしょう?」

 イングリッドが手を差し伸べる、その先にあるのは、この世に蔓延る全ての悪を象徴する者――そして、人の望みに最も近き者だ。

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