マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-131【IMITATION THE HUMAN RACE-参】

「『略式、召壁エアウォール!』」

 背後から迫る凶刃、それを魔術の障壁で防ぐ。だが余りの衝撃に耐えきれず、壁は無残にも砕け散った。しかし、ウルリカにはそれで十分、刹那せつなさえ稼げれば避けきれる。地を蹴り、勢いよく体を投げ出して、雪積もる地面に伏せる、触れれば瞬時に四肢が吹き飛ぶ鉤爪が、紙一重で空を切った。直後に発生した衝撃波で吹き飛ばされるも、彼女は宙空で姿勢を整え、破狼ハロウと対峙する形で着地する。

「呆れた。並の生物なら思考は疎か意識さえ保てないでしょうに。それは本能? 意地? それとも矜持きょうじ《きょうじ》? 何にせよ馬鹿げた生命力だわ、射程圏内を脱するまで気が抜けない程にはね」

 ウルリカは抜け目なく、初めから破狼ハロウが襲ってくる前提で背中を向けた。それもそのはず、大狼と真っ向から対峙した時から、獣の眼がこちらの隙を伺っていたのだ。結果として彼女の術中に嵌まったわけだが、そのタイミングは正道だった。爪を振るった反動で伏臥ふくがし、今や立ち上がることさえままならぬほど思考回路を蝕まれているにも関わらず、大狼は正確に彼女の喉元へと迫った。それはもはや計り知れぬ、途方もない獣性。

「ウルリカァッ!! 早くッ!!」

 思索に耽るウルリカに、西門前で今にも飛び出してきそうな体勢のアクセルが声を張り上げる。これ以上前線に留まっているのは危険、そう直感させるほどまでに魔砲の放つ魔力は膨れ上がっていた。砲弾の発射準備は、すでに完了しているのだ。

 ウルリカはすぐさま踵を返し、儀仗剣に飛び乗って、鞘尻から再度噴流を放出する。雪煙を巻き上げながら、連盟部隊が待機する西門前へと一直線に後退していく。破狼ハロウを横目で一瞥する、地に伏すばかりで立ち上がることはない。メルランが自信満々にとどめを買って出たのだ、彼が禁忌に手を染めてまで作り上げた魔砲の一撃で、この一戦はきっと終わる。いや、そうでなければならない。戦士達の疲弊は、もう限界だから。

 ――地を鳴らす、砲声。砲口から大気を揺さぶる衝撃波とともに、夥しい数の呪文と紋様で象られた円状の魔法陣が幾重にも展開され、その中心を貫く閃光が撃ち放たれた。その閃光は密雲が遮る天空へと紛れて姿をくらます――直後、破狼ハロウの直上を覆う厚い雲が大口を開けた、黄金色に染まる冬空から、月白を湛えた閃光が大地を穿つ星屑の如く飛来する。着弾点は寸分違わず、大狼を目掛けて降り注ぐ。己に迫り来る存在に気付いたか、地に伏したまま首を持ち上げた。だが、その四肢が動くことは最期までなかった。まるで己が死期を悟ったかのように、まるで最後まで絶対強者としての矜持きょうじを誇るように、高らかな号哭を響かせ続けた。

「勝手して悪かったわね! さあ、ここが踏ん張りどころよ! 出し惜しみせず魔力を回して頂戴!」

 魔砲の着弾直前、すんでの所でウルリカは西門前に整然と並ぶ連盟部隊と合流する。搭乗する儀仗剣から飛び降りると、一同の盾として先頭に立った。

「ウルリカ。私達の魔力を利用するのは良いとして、どうするつもりかしら?」

「防ぐは爆風。防塁を築く時間はない。なら風の障壁を築くまでよ」

 イングリッドの問いに、ウルリカは端的に返しつつ、儀仗剣を地面に勢いよく突き立てる。そして間髪を入れず、呪文を詠唱する。

「『春を詠む、港の岸に、風荒ぶ。我が問いを、疾風に乗せて、彼方へと。潮風よ、我が慕情とともに、どこへゆく。音に聞け、吟風フラクサスエアリス』」

 詠唱の履行、魔術の執行。それは、周囲を包み込む風の流れを変えた。ウルリカの背後に立つ連盟部隊の者達が感じたものは、無風。まるで向かいの雪原から吹き付ける寒風が、彼らを避けて通るかのようだ。

 ウルリカが風の障壁を築いた、その直後――天より降り注ぐ閃光が、地に落ちた。天地鳴動の轟音とともに、乱れ狂う大気が波濤はとうとなって、連盟部隊を飲み込んでいく。

「……魔力をッ、回しなさいッ!」

 ウルリカの厳命に従って、戦士達が背中越しに手をかざす。みるみるうちに魔力が彼女を介して魔術へと注がれていく。彼らの周囲を取り巻く大気が荒れ狂う様は、あたかも台風の目の中に陣取ったようだ。

「こ、怖えな……! んなもん直に受けてたらひとたまりもなかったぜ……!」

 地表を抉るほどの爆風、輻射熱、爆轟波。その渦中にあって、彼らは凌いでみせた。都市を囲んだ鉄の城壁をも抉る衝撃波を受けてなお、彼らは傷一つなかった。彼らを包み込んだドーム状の風の障壁が、迫り来る波濤はとうの全てを受け流したのだ。

「……ウルリカ、あれは何だ? 何が起きているんだ……?」

 アクセルがそう問うのは、雪煙が視界を遮る中、微かに見える爆心地の異様な光景。火花を散らし、ときの声の如く重い音を轟かせる、巨大な紺碧のプラズマ球体。それはまるで、飲み込まれるような深い深い青を湛えた、闇の中で光り輝くブルーサファイアのよう。

「……あたしが知るわけないでしょ。あのクソジジイ、何も答えちゃくれないんだから」

 とは言うものの、目の前の事象を推し量ることはできる。あの紺碧のプラズマ球体が咒術によって生じた賜物だというのなら、その球体の只中では虚数の力が渦巻いているということ。因果は反転し、概念は物質化するのが虚数の力。願うがままに叶える力。

「……ただ一つだけ言えるのは、あれは人の思いを形にする力よ。やろうと思えば、あの破狼ハロウをこの世から消し飛ばすくらい訳ない代物だわ」

 雪原に佇む碧い太陽を見つめながら、そう語った――途端、脳裏を揺さぶる無数の思念が走馬灯となって駆け巡る。そうか、あれは先代の勇者達の魔力だ。サルバトーレから渡された勇者の魔力が溶け込んだ霊薬は、あの魔砲の副産物だったのか。

「クッ……! 何度経験してもこの頭痛は慣れないわね……でも、あたしの推理は大方当たってたじゃない、教授……」

 ウルリカの腰に吊した鍵が淡い光を放ちながら、これまで以上に力強く震えていた。その様はまるで、今にも飛び立たんとしている雛鳥のよう。そう、その鍵は彼女の推察通り、勇者の存在に反応を示していた。勇者の魔力によって生じた咒術であれば、人の形を取らずとも、眼前のプラズマ球体こそが先代の勇者達を代わりとなっている。霊薬によって取り込んだ勇者達の思念が脳裏で疼く、それが何よりの証左。

 ――しかし、また一つ不可解な出来事が起きた。それは、ウルリカに対してではなく、

「ウッ……! グッ……! ガァッ……!」

 突如、アクセルが頭を抱えて苦悶したのだ。頭蓋が割れるほどの頭痛――だがそれ以上に、ナニかが自我を侵食していく。迫り来る悪寒と不快感、伴う恐怖。漆黒の手に嵌まる指輪が、悲鳴を思わせる鈍い光を放つ。

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