マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-121【決死敢死の直滑降】
「チッ、俺としたことが、奴を仕留め損なった。面目ねえ、結局お前に頼っちまって」
精神感応を通じて、ウルリカが意識を失っていた間に起きた破狼との戦闘、その一部始終をアレクシアから確認できた。段取りそのものは殆ど滞りなく進んだと言って良いだろう。想定通りの結果とはいかなかった、という一点を除けば。
「それは違うわアレクシア。貴女は現戦力の全てを出し切ってくれた。不足してたのはあたしの想定よ。それに今回の作戦だってアクセルに全幅の信頼を置いたものだもの。皆に頼りっきりなのはあたしの方だわ」
連盟部隊が持ち得る全力を出し切ってくれたアレクシアを労いつつ、彼女の壮絶な報告を踏まえて、ウルリカは次の一手を提案した。それは、アクセルの異能を主軸とした戦術だという。
「悪いな。そう言ってくれると、心が軽い」
未だ、アレクシアの息は荒い。身を以て受けた極低温の結界魔術が尾を引いていた。とはいえ並の者ならば、たとえ生き長らえることができたとしても、その四肢が熱を帯びることは二度とないだろう。まさに、遙か尋常ならざる体力の持ち主ゆえの、捨て身の一手だった。
「……で、そっちはどう? 段取り通りいける?」
ウルリカは敢えてアレクシアの体調には触れない。心配してもしょうがない、という意味合いもあったが、何よりも彼女にとっては、心配されることほど苦しいものはなかった。労いは嬉しい、慰めは救われる、信頼は誇り高い。しかし心配は、自分に情けなさを感じてしまうのだ。
「ああ、問題ねえ。イングリッド率いる魔術師達が踏ん張ってくれている。お前の言う例の作戦、確かに任されたぜ。可能な限り奴を足止めしておく、いつでも指示してくれ!」
命を削る戦いは、まだ終わっていない。ウルリカにも、己にも、発破を掛ける。
「ありがとう。じゃあ、頼むわよ」
そう言って、アレクシアとの精神感応を切った。こめかみに当てていた手で、肩に掛かった二つ結いの髪を流れるようにかき上げる。
「……アクセル、行ける?」
側防塔の屋上、ウルリカは大地を見下ろしたまま、背中越しに問い掛ける言葉。もう一方の手は、アクセルの手が握られていた。
「う、うん。運転は任せるよ」
そう恐る恐る返答するアクセルの足下には、射出機のシャトルに番えたウルリカの儀仗剣。その刃の広さは、細剣とは言えないまでも、大の大人では足がはみ出してしまうほどの幅しかない。そんな小さな剣に乗じて、二人は空を翔けようとしているようだ。
「三……二……一……パーシーッ!」
「無茶だと思うんだけどなぁ……」
ウルリカの喊声に、半信半疑に呟くパーシーが射出機の引き金を引く。即座に火薬が炸裂し、儀仗剣を番えたシャトルが急発進、二人を空高く撃ち放った。
「『初めに火が在った。人は其の手を取った。文明と云う叡智を拾った。全てはそこから始まった。人の世の暁を灯せ、発火!』」
飛び立つと同時に、呪文を詠唱する。鞘尻に接がれた魔石から噴流を放ち、爆轟波を伴って飛翔する。先の経験でウルリカは慣れた剣捌きだが、その背後で彼女の手を取るアクセルの表情は終始強張っていた。
「う、ウルリカ……こ、怖くないのか? 僕は、一度でも鳥になりたいと思った過去を、今後悔しているよ……」
何とか平衡は保っているものの、その手は、その足腰は震えていた。
「あらそう? 肌が凍てつくほどの寒風さえなければ快適じゃない。何が不満よ」
「だって……こんな細身の剣に足を乗せて、大空を飛び回ったんだろう?」
「所詮は慣れよこんなものは、アンタも落っこちる恐怖ばかりに気を取られないの。どうせ人間なんて、やろうと思えば何とかなる生き物なんだから」
そう厳しく諭しつつも、アクセルを握る手には一層の力が込められた。そこにウルリカなりの優しさが伝わってくる。
「そうは言うけどさ……。でもウルリカは、いざという時に、あらゆる方策を捻り出してくるよね。本当に、頭が上がらないよ」
アクセルの素直な賞賛に、鼻であしらうウルリカ。それもそのはず、彼女自身は常に土壇場で急場凌ぎの策を講じているに過ぎないと自認していた。次善の策と言えば聞こえは良いが、これから実行に移そうとしている作戦も、明確な根拠があっての手段ではない。
「でも、僕も覚悟は出来ている。いつでも――投下してくれ」
だから、ウルリカこそ皆に感謝の念を抱いていた。理路整然とした筋道を説いたわけでもないのに、己が理想とする定石を見事に具現化してくれるのだから。
「『蜘蛛這い糸縫う糸疣の連理、粘糸鉄線』」
ウルリカの手から伸びた蜘蛛の糸が、瞬く間にアクセルの体に纏わり付いていく。だがそれは、肉体の自由を奪うものではない。
「今アンタの体に巻いた糸は命綱。何かあれば即、引き上げるから。そのつもりで」
万が一、アクセルが再び我を失うようなことがあれば、どんな結末が待っているかなど想像もできない。そもそも、甚大な魔力を擁した破狼に対し、アクセルに発現した闇の力がどれだけ通用するかさえ分からない。それほどまでに、未知数の戦術。
「ああ、了解した――頼む!」
その声に応じて、機首を下げる、眼下に望むは破狼。天地を貫く極光の獄が、未だ白銀の大狼を尚白く凍てつかせる、その間隙に。空を翔ける儀仗剣は二人を乗せて、大狼に向かって急降下する。
「気をつけるも何もないけど……ちゃんと生きて帰って来なさいよ」
アクセルに聞こえたか、聞こえなかったか、呟くような声で送辞を贈る――突如、儀仗剣が独楽のように回旋を始めた。彼の手を引いて振り回し、遠心力を加速度的に上げていく。加速が頂点に達したその時、ウルリカは全身全霊を以て、アクセルを破狼に向かって投げ放った。
風を切り裂き、波濤を纏って、宙を舞う。体勢を整え、未だ微動だにしない大狼を正面に迎える。腰に帯びた剣を握り、慣れぬ義手から零れ落ちぬよう、ゆっくりと引き抜いた。
「うおおおぉぉぉぉ……ぉぉぉぉ……ぉぉぉ……ッ!」
向かいから吹きつける暴風を迎え撃つアクセルの咆哮。接触距離は最早、目と鼻の先。手に握る剣を振りかぶり、肉体を巡る魔力を加速させていく。手袋で覆い隠された機械仕掛けの義手から、金属の軋む音が鳴る。繊細で希少な代物なのだろうが、気を配っている余裕などない。大破覚悟で振るわせてもらう。
アクセルの行方を目で追いながら機会を伺い、死線の限界まで粘り、そして、
「アレクシアッ!」
「凍結解除ォ!!!」
ウルリカの叫声が轟く、間髪を入れず、アレクシアの号令が掛かる。応じて、イングリッド率いる魔術師達が行使する、大地に渦巻く魔力の流動が静まっていく。比例して、破狼を包み込む極低温の極光が霧消していく。氷獄から解き放たれ、濛々と立ち込める湯気を纏った大狼は、骨の髄まで凍結していたはずにも関わらず、即座に息を吹き返した。まるで産まれたての子鹿のような動作だが、しかし確実に、その強靭な四肢を動かし始めていた。
「ちょっと理解に苦しむ体力ね。いくら馬鹿げた魔力を持ってるからって普通氷漬けにされて生きてられるのは微生物みたいな単純生物だけよ。魔物とはいえ犬コロが踏み込んでいい領域じゃないわ」
それは、ふとウルリカの脳裏に過ぎる、一抹の疑問。如何に強靭な魔物と言えど、ただの動物に絶対零度にほど近い極限環境を難なく踏破できるものか、と。クマムシのような緩歩動物に見られる、代謝を止める乾眠に移行したわけでもない。アレクシアのように僅か数秒間だけ魔力を全開にして、肉体への冷気の浸透を防いだわけでもない。眼下で息を吹き返した破狼は確かに、あるがままで耐え切ったのだ。
「目測で、あと五秒……ッ!」
アクセルが呟く、その語気に混じっていたのは、戦慄と焦燥。目前に迫った破狼の肉体表面から見られる脈動が、見る見るうちに活発化していくからだ。時間にして僅かな間隙――しかし、氷獄から解き放たれた大狼が目を覚ますには、十分だったようだ。
精神感応を通じて、ウルリカが意識を失っていた間に起きた破狼との戦闘、その一部始終をアレクシアから確認できた。段取りそのものは殆ど滞りなく進んだと言って良いだろう。想定通りの結果とはいかなかった、という一点を除けば。
「それは違うわアレクシア。貴女は現戦力の全てを出し切ってくれた。不足してたのはあたしの想定よ。それに今回の作戦だってアクセルに全幅の信頼を置いたものだもの。皆に頼りっきりなのはあたしの方だわ」
連盟部隊が持ち得る全力を出し切ってくれたアレクシアを労いつつ、彼女の壮絶な報告を踏まえて、ウルリカは次の一手を提案した。それは、アクセルの異能を主軸とした戦術だという。
「悪いな。そう言ってくれると、心が軽い」
未だ、アレクシアの息は荒い。身を以て受けた極低温の結界魔術が尾を引いていた。とはいえ並の者ならば、たとえ生き長らえることができたとしても、その四肢が熱を帯びることは二度とないだろう。まさに、遙か尋常ならざる体力の持ち主ゆえの、捨て身の一手だった。
「……で、そっちはどう? 段取り通りいける?」
ウルリカは敢えてアレクシアの体調には触れない。心配してもしょうがない、という意味合いもあったが、何よりも彼女にとっては、心配されることほど苦しいものはなかった。労いは嬉しい、慰めは救われる、信頼は誇り高い。しかし心配は、自分に情けなさを感じてしまうのだ。
「ああ、問題ねえ。イングリッド率いる魔術師達が踏ん張ってくれている。お前の言う例の作戦、確かに任されたぜ。可能な限り奴を足止めしておく、いつでも指示してくれ!」
命を削る戦いは、まだ終わっていない。ウルリカにも、己にも、発破を掛ける。
「ありがとう。じゃあ、頼むわよ」
そう言って、アレクシアとの精神感応を切った。こめかみに当てていた手で、肩に掛かった二つ結いの髪を流れるようにかき上げる。
「……アクセル、行ける?」
側防塔の屋上、ウルリカは大地を見下ろしたまま、背中越しに問い掛ける言葉。もう一方の手は、アクセルの手が握られていた。
「う、うん。運転は任せるよ」
そう恐る恐る返答するアクセルの足下には、射出機のシャトルに番えたウルリカの儀仗剣。その刃の広さは、細剣とは言えないまでも、大の大人では足がはみ出してしまうほどの幅しかない。そんな小さな剣に乗じて、二人は空を翔けようとしているようだ。
「三……二……一……パーシーッ!」
「無茶だと思うんだけどなぁ……」
ウルリカの喊声に、半信半疑に呟くパーシーが射出機の引き金を引く。即座に火薬が炸裂し、儀仗剣を番えたシャトルが急発進、二人を空高く撃ち放った。
「『初めに火が在った。人は其の手を取った。文明と云う叡智を拾った。全てはそこから始まった。人の世の暁を灯せ、発火!』」
飛び立つと同時に、呪文を詠唱する。鞘尻に接がれた魔石から噴流を放ち、爆轟波を伴って飛翔する。先の経験でウルリカは慣れた剣捌きだが、その背後で彼女の手を取るアクセルの表情は終始強張っていた。
「う、ウルリカ……こ、怖くないのか? 僕は、一度でも鳥になりたいと思った過去を、今後悔しているよ……」
何とか平衡は保っているものの、その手は、その足腰は震えていた。
「あらそう? 肌が凍てつくほどの寒風さえなければ快適じゃない。何が不満よ」
「だって……こんな細身の剣に足を乗せて、大空を飛び回ったんだろう?」
「所詮は慣れよこんなものは、アンタも落っこちる恐怖ばかりに気を取られないの。どうせ人間なんて、やろうと思えば何とかなる生き物なんだから」
そう厳しく諭しつつも、アクセルを握る手には一層の力が込められた。そこにウルリカなりの優しさが伝わってくる。
「そうは言うけどさ……。でもウルリカは、いざという時に、あらゆる方策を捻り出してくるよね。本当に、頭が上がらないよ」
アクセルの素直な賞賛に、鼻であしらうウルリカ。それもそのはず、彼女自身は常に土壇場で急場凌ぎの策を講じているに過ぎないと自認していた。次善の策と言えば聞こえは良いが、これから実行に移そうとしている作戦も、明確な根拠があっての手段ではない。
「でも、僕も覚悟は出来ている。いつでも――投下してくれ」
だから、ウルリカこそ皆に感謝の念を抱いていた。理路整然とした筋道を説いたわけでもないのに、己が理想とする定石を見事に具現化してくれるのだから。
「『蜘蛛這い糸縫う糸疣の連理、粘糸鉄線』」
ウルリカの手から伸びた蜘蛛の糸が、瞬く間にアクセルの体に纏わり付いていく。だがそれは、肉体の自由を奪うものではない。
「今アンタの体に巻いた糸は命綱。何かあれば即、引き上げるから。そのつもりで」
万が一、アクセルが再び我を失うようなことがあれば、どんな結末が待っているかなど想像もできない。そもそも、甚大な魔力を擁した破狼に対し、アクセルに発現した闇の力がどれだけ通用するかさえ分からない。それほどまでに、未知数の戦術。
「ああ、了解した――頼む!」
その声に応じて、機首を下げる、眼下に望むは破狼。天地を貫く極光の獄が、未だ白銀の大狼を尚白く凍てつかせる、その間隙に。空を翔ける儀仗剣は二人を乗せて、大狼に向かって急降下する。
「気をつけるも何もないけど……ちゃんと生きて帰って来なさいよ」
アクセルに聞こえたか、聞こえなかったか、呟くような声で送辞を贈る――突如、儀仗剣が独楽のように回旋を始めた。彼の手を引いて振り回し、遠心力を加速度的に上げていく。加速が頂点に達したその時、ウルリカは全身全霊を以て、アクセルを破狼に向かって投げ放った。
風を切り裂き、波濤を纏って、宙を舞う。体勢を整え、未だ微動だにしない大狼を正面に迎える。腰に帯びた剣を握り、慣れぬ義手から零れ落ちぬよう、ゆっくりと引き抜いた。
「うおおおぉぉぉぉ……ぉぉぉぉ……ぉぉぉ……ッ!」
向かいから吹きつける暴風を迎え撃つアクセルの咆哮。接触距離は最早、目と鼻の先。手に握る剣を振りかぶり、肉体を巡る魔力を加速させていく。手袋で覆い隠された機械仕掛けの義手から、金属の軋む音が鳴る。繊細で希少な代物なのだろうが、気を配っている余裕などない。大破覚悟で振るわせてもらう。
アクセルの行方を目で追いながら機会を伺い、死線の限界まで粘り、そして、
「アレクシアッ!」
「凍結解除ォ!!!」
ウルリカの叫声が轟く、間髪を入れず、アレクシアの号令が掛かる。応じて、イングリッド率いる魔術師達が行使する、大地に渦巻く魔力の流動が静まっていく。比例して、破狼を包み込む極低温の極光が霧消していく。氷獄から解き放たれ、濛々と立ち込める湯気を纏った大狼は、骨の髄まで凍結していたはずにも関わらず、即座に息を吹き返した。まるで産まれたての子鹿のような動作だが、しかし確実に、その強靭な四肢を動かし始めていた。
「ちょっと理解に苦しむ体力ね。いくら馬鹿げた魔力を持ってるからって普通氷漬けにされて生きてられるのは微生物みたいな単純生物だけよ。魔物とはいえ犬コロが踏み込んでいい領域じゃないわ」
それは、ふとウルリカの脳裏に過ぎる、一抹の疑問。如何に強靭な魔物と言えど、ただの動物に絶対零度にほど近い極限環境を難なく踏破できるものか、と。クマムシのような緩歩動物に見られる、代謝を止める乾眠に移行したわけでもない。アレクシアのように僅か数秒間だけ魔力を全開にして、肉体への冷気の浸透を防いだわけでもない。眼下で息を吹き返した破狼は確かに、あるがままで耐え切ったのだ。
「目測で、あと五秒……ッ!」
アクセルが呟く、その語気に混じっていたのは、戦慄と焦燥。目前に迫った破狼の肉体表面から見られる脈動が、見る見るうちに活発化していくからだ。時間にして僅かな間隙――しかし、氷獄から解き放たれた大狼が目を覚ますには、十分だったようだ。
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