マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-112【魔術師の方策】

「ウルリカ、お前という奴は……よく、帰ってきたと言うべきか……壮絶だったな」

 レンブラントが親心に我が子をおもんぱかる。だが、思い出に浸っている時間はない。

「……まあ、あたしの事は一旦置いといて頂戴。それよりも問題なのは、走魔性の方よ。教授から貰った鍵の事も気になるけど、制御出来ないんじゃ仕方ないわ」

「君の話を聞く限りでは、その“巨大な鍵”なる物体が引き起こした事象は、あたかも空間魔術のようだ。個人的には滅茶苦茶気になるけどな」

 ヴィルマーが興味を示す。だが、今ここで結論が出ない以上、議論は無駄として、ウルリカは聞き流した。

「取り敢えず、その走魔性が今回の戦いの鍵となるわ。今まで矢鱈目鱈に迎え撃ってきたわけだけど、連中の目標を逸らす手立てがあるんだって言うなら、作戦らしい作戦が立てられるわ」

「うーん、確かに。今まで確認されてない事象だけど……でなければウルリカは助かってないはずだもんねー。飽和魔石の発見から魔物の生態がどう変化したかって辺りは、まだまだ研究段階だし。だからその走魔性を利用した作戦に、君と魔術師達が活躍するってわけだねー?」

「ええ、そういうこと。観測は一度だけ、しかも仮説が正しかったとして、ハッキリと走魔性が働いたのは縮退魔境エルゴプリズムほどの膨大な魔力を帯びた物体だったわけで。どれほどの規模の魔術であれば故意に操れるかは不明瞭。だけど、希望があるならすがらない手はないわ」

「うむ、ここはお前の洞察に頼るしかあるまい。とはいえ、現在の長距離圏では難しかろう」

「そうね、結局魔物の接近は許してしまう。だから連中が中距離圏に進入次第、この仮説立証に入るわ。それまでは極力時間を稼いで頂戴。結界魔術であれ典礼魔術であれ、大規模な魔術執行には時間も掛かるしね」

「相分かった。私達は変わらず、全力を出そう」

「ウルリカたっての頼みとあれば、一肌脱がなければ罰が当たるな。任せてくれ」

 その会話を締めとして、二人との接続を切断する。ウルリカはアクセルに支えられながら、眼下に魔物の群勢を臨む胸壁の前へと移動した。

「アクセル。足下の雪、払って頂戴」

「え? うん、分かった」

 彼女に言われるまま、アクセルは足下に積もった雪を払う。するとウルリカは彼の支える腕に体重を掛けてきた。そこに座りたいようだ。

「ここでいいのか? 椅子、持ってこようか?」

「いいわ、ここで。アンタも座ってなさい。いつでもあたしの指示に応えられるようにね」

 アクセルは膝を折り、ゆっくりとウルリカを地に着ける。寒風が肌を刺す高台にあって、身体を冷やしてしまったか、彼女は僅かに震えていた。羽織った外套を脱いで渡そうとするアクセル、すると彼女はそれを制止した。

「……あんたも冷えるわよ、やめときなさい」

「でも……」

 頑ななウルリカの事だ、意地でも受け取らないつもりだろう。なら、と言ってアクセルは代わりに、外套の半分を彼女に掛け、その肩を抱き寄せた。

「これなら、僕も寒くない」

「……ふん」

 アクセルの吐息さえ聞こえる距離、目線を逸らすウルリカ。恥じらいこそあるものの、その人肌の温もりは、冷え切った彼女の身体を温めていく。「……まあ……ありがと……」囁くような声でお礼を述べる。その言葉にアクセルは、何も言わず、ただ微笑みで返した。

 後ろでは、ニヤニヤと口角を上げながら二人を見守る観測者。「こんな状況下、こんな時だからこそ、いいのかもね~」二人に聞こえない声で呟くパーシーだった。


―――


「なるほどな。走魔性か……お前の身を助けた、その性質を利用するってわけだな」

「そうなるわね。元来の生態か、魔石の影響かは定かじゃない。ただ、これまで観測されてこなかったってことは、後者の可能性が高い。まあ、どちらにせよ、この作戦に賭けてみる価値はあるわ」

「了解! お前の作戦に乗っかるぜ、ちっと危険な賭けだがな。その後、接近戦の段階に入ったら、さっき言った通りに俺達は進める。その段取りで問題ないな?」

「ええ、異論無いわ。恙無つつがなく、頼んだわよ」

 そう言って、アレクシアとの精神感応テレパシーを切断した。彼女は彼女なりの作戦とその戦術を思案し、ウルリカの作戦に沿う形で実行するようだ。

 彼女はこめかみに手を当て、続けて魔術師達に精神感応テレパシーを接続する。

「みんな、聞こえる? これから例の典礼魔術の行使を進めていくわ。分担するのは魔力の確保と、相転移に於ける閾値の制御、及び執行の制御よ、指示通り進めて頂戴。骨子となる術式はあたしが用意するわ。いいわね?」

 彼女の脳裏に承諾の旨が次々と木霊こだましていく。その反応を以って、魔術行使の準備に取り掛かろうとした、その時、

「うおおおぉぉぉ……! 我が眼に眩しき聖女よぉ、我が心さえも焦がす灼天よぉ……! なぜ、ナゼ、何故、私めに命じて下さらぬかァッ! 昨日きそに続き今日までッ! あああぁぁぁ……! 何故だ我が聖女よぉぉぉ……! 私の胸は張り裂けそうだぁぁぁ……」

 突如ウルリカの精神感応テレパシーに割り込んできた、磁力の魔術師ティホン。その協調性の無さだからに決まってんでしょ、そうズバリ宣告したい欲求に駆られる胸中を、彼女はグッと抑え込む。

「適材適所よ、ティホン。あんたをその他大勢に埋もれさせてしまうのは勿体無いって話」

 一言一句を選別し、子を諭す親のように、丁寧な物腰で語り掛ける。すると、ウルリカの脳裏に、滂沱ぼうだむせびが木霊こだました。まるで頭を掴んで揺さ振られるような、乗り物に酔ったような、平衡感覚を損なう気分の悪さが押し寄せる。

「な、泣かないでよ。分かった、分かったから。取り敢えず今から指示するから、その通りに動いて頂戴。いい?」

「グズッ……はひ、我が聖女よ……」

「全く……で、あんたにやってもらいたいことってのは――」


―――


 最初の観測から比べ、目に見えて輪郭が浮き彫りとなった敵影。獰猛を絵に描いたかのような強靭なる四肢に凶相を湛え、無尽蔵の人海戦術により捕食されるだけの弱者を嬲らんと息巻く。

 幾重もの砲弾が、大矢が、雷槍が、頂点捕食者たる魔物を屠ってきた。夥しい血と、肉と、命を大地に沈めてきた。人の生み出した兵器という文明は、確かに彼らを葬るには、事足りた。だが、足りない。まだ、足りない。地上を埋め尽くす程の勢力を前には、焼け石に水。

 次第に、兵站でさえも底が見えてきた。人手はある、士気もまだある、だが資源には限界があった。肌身で感じる、忍び寄る不穏な空気が、少しずつ兵士達の間に蔓延まんえんしていく。

「ウルリカー、もうすぐ中距離圏内に進入するよー」

 そんな不穏に横やりを入れる、パーシーの気の抜けた声。床に座しながら目を瞑り、地面に突き立てた儀仗剣に額を付けて、魔術の術式の構築に専念するウルリカの、鼓膜を揺さぶる。

「……あんた、相変わらずね。今際の際までそんな調子でいるつもり?」

「そんなー、これでも十二分真剣なんだけどなぁ」

「存じてますよ、パーシー様。貴方はいつでも真剣だ」

「おー! 分かってるねーアクセル君は。そうだよ、僕が不真面目なのは研究の時だけさ。一人黙々と楽しめる環境じゃ、結果にこだわらず、過程を楽しんじゃうからねぇ」

「うーん、何か価値観が狂ってしまうような発言だ……」

「真面目に取り合うんじゃないわよ。あいつは端っから常人じゃないって分かってるでしょ。世の中の常識を押しつけがましい偏見だって言い切るような輩なの」

 それはまるで、何でもない日常風景として描かれるような、世間話に花を咲かせる様相。端から見れば、危機意識が無いように思わせる三人の会話、と思うだろうが、

「で? あと何秒後に到達するって?」

「三〇秒くらいだねぇ。もう目と鼻の先だよ」

 ウルリカはその戯れに付き合いながらも、要となる精細な神経はしっかりと魔術の行使に注がれていた。同時に、魔術師達との連携にも意識を十全に割いている。ここまで緻密な並列思考を素の頭脳だけで成し遂げてしまえるのは、彼女の専売特許と言えよう。

「魔力量および術式構築に問題なし。位相は既に相転移を始めてる。執行方法は伝達済み。あとは標的さえ確保すれば完成。さあ、いつでも来なさい魔物ども。モルモットにしてやるわよ」

 彼女は更に意識を研ぎ澄ませる、その唇が滑らかに呪文を綴り始めた。

「世を縁取るは、ヒトの解釈。言葉は思想に、形は影に。称呼、命数、等価、天領、因果、清濁、命脈、帰結。認識は本質にあらず、心の所在が世の寄る辺。偶像図解アブストラクト・ボーダー

 彼女の目に映るは、線描の世界。眼下の大地は格子状に等間隔な距離を刻み、敵影との正確な位置関係を測る。本命の魔術の布石とする為に。

「……十、九、八、七……」

 時を数える。目標地点に歩を進める魔物の群勢を、確実に、効率的に、仕留めるため。

「……四、三、二……」

 肩に羽織った外套が翻る、ウルリカの周囲に波濤が生まれる。肩を抱くアクセルは動じず、彼女と共に眼下を臨む。それが、せめてもの助力なのだと疑わず。

「……一……」

 最後の数字を呟く。同時に、ウルリカの表情が真に迫る。即座に、呪文を詠い始めた。

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