マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~
Log-095【迅雷錯綜、鉄火鉄血、人魔大戦-弐】
地下から這い出て、再びの寒空を仰ぐ、雲の切れ間から日差しが覗いていた。それは眩しくも、生きた心地を巡らせる。今は、肺が濁り凍てつくセプテムの空気さえ、清浄に感じられた。
国民の疎開を終え、寂寞とした雰囲気が更に静まり返った集合住宅街に視線を戻す。すると、遠くから一人の見知った男が手を振って走ってくるのを認めた。
「ウルリカ! 会えた!」
「アクセル! アンタ何でこんなとこに……防衛戦線はどうしたの?」
「迎撃態勢は完了しているよ。僕はウルリカの迎えを任されたんだ……そのお二方は?」
アクセル言う、迎えを任された、という言葉に含みを感じて疑問を持ちつつも、どうせ子供の使いって辺りが妥当な意味合いだろうと見抜いて腹を立てるウルリカ。
「はぁ……ええ、あたしの脱獄を手伝ってくれた特鋭隊のエフ。もう一人は、あー……まあ、旧知の腐れ縁ってとこね」
「僕はアクセルと申します。ウルリカの使用人としてここにいます。ん……? 失礼ですがそちらの方、お身体が優れないようですが……」
「ああ、こいつなら大丈夫よ。いつもこの血色だから。人相は最悪だけど……まあ、実力は確かよ。しっかり躾といて頂戴ね、エフ」
そう言い放って、悪戯な微笑みをエフに投げかける。彼に目があったなら、真ん丸に見開いていただろう表情を湛えていた。
「嘘だろ? おい、嘘だろ?」
「おお……殺生ですぞ我が聖女よ。斯様な聖賢さなき男について行くなどと……」
今にも膝が崩れ落ちそうな、涙を眼に浮かべた表情で嘆願するティホン。
「悪かったな、根っから俗人で」
エフは呆れの溜息を漏らし、首を横に振りながら言い放つ。
「あたしから直々に命じます。エフについて行き部隊の一人として人類を護りなさい。それだけがアンタの出来るあたしの為の行いよ。分かったわね?」
その言葉にティホンは再び滂沱の涙を流す。彼女との別れと彼女からの期待を同時に受け止め、哀歓の入り交じった表情だ。その様子にエフは呆れを通り越して諦観するばかり。
「ウルリカがお世話になりました。心より感謝いたします」
何が何やら分からぬままだが、一先ずアクセルは深々と頭を下げ感謝の意を述べた。
「やめてよ、まるで子供扱いじゃない」
迷惑を掛けた子供の代わりに謝罪する保護者のようなアクセル。ウルリカは気恥ずかしさから、その背中を快音が鳴り響くほどの勢いでぶっ叩いた。
「うっ! ちょっとウルリカ、強いよ……」
夫婦漫才のような微笑ましい光景。普段通りの彼らではあったが、エフにはそれは不思議な様相だった。気を張った先程までとは打って変わった、打ち解けた一挙手一投足を見せるウルリカ。その所作を見るに、それが彼女の素の姿なのだろうと窺えた。
「…………」
感情が僅かにざわつく。グラティアで意識を回復してからというもの、エフにとっての感情とは、多少の上下はあっても根本は安定したもの。感情のざわつき、それは彼にとって初めての感覚だった。だが忌避する程の変化でもなかったようだ。
唖然として黙りこけるエフの顔を、覗き込むように伺うウルリカ。彼はハッとして我に返る。
「――あ、いや、構わない……それより、早く行け。俺達もアンタも見つかれば逆戻りだぞ」
「そうね。でもホント世話になったわ。ありがとう」
ウルリカは髪を掻き上げて礼を言う。左手を差し伸べ、軽く指を弾く。握手の合図のようだ。
「礼には、及ばないよ」
エフはそう言って彼女の手を取り、ぎこちない仕草ではにかんだ。その手はか細く、そしてとても小さかった。
握手を終えると、「また、戦場で」と物騒な別れ文句を残し、踵を返してアクセルと共に立ち去っていった。二人を見送ると、エフとティホンもその場を後にした。
だが、ウルリカは西門へは向かわず、あらぬ方向へと足を運んでいた。アクセルは不思議に思い、彼女に行き先を問うと、
「寄り道よ。ちょっと探し物があってね」
何やら企む表情を湛えるウルリカ。
「え? だけどもう魔物はすぐそこまで――」
「――あたしはね、信じることにしたのよ、アイツらを。だからあたしは精々、自分の出来る最大の効率で最高の仕事をするまでよ」
アクセルの言葉を遮って語ったその言葉には、一つの決意が現れていた。絶対の自信を抱く自分に対してではなく、自分の手から離れた不安定な他者を信頼するという、統べる者の決意。
「……分かった」
アクセルは使用人として、主人の選択を尊重することを選んだ。本来ならば諫言もやむなき状況下ではあったが、独尊するウルリカが仲間を信頼するならば、彼に二の句は必要ない。
「あと、これ」
そう言ってアクセルは懐から銀無垢の懐中時計を取り出す。
「あれ? あたしの時計……どうしてあんたが?」
「イングリッド様から託されたんだ。ウルリカが来たら、返すように、ね」
フン、と鼻であしらい、彼の手から時計をぶっきらぼうにひったくる。
「あ、そ。とりあえず返してもらっとくわ」
歩を休めぬまま時計を懐に仕舞う。頭をガシガシと掻いて、複雑な感情を表情で湛える。そんな様子の彼女の隣で、アクセルは悟られない程度に微笑んでいた。
一方の二人は西門へと急ぐ。先行するエフを、ブツブツと文句を垂らすティホンが追う。だが、長い間牢屋の中で捕らえられていた所為か、ティホンはすぐさま息を切らし始める。
「……行くぞ、ティホンとやら」
胸を押さえて壁に寄りかかってしまうティホン。エフは呆れつつも、立ち止まって振り返り、歩を促した。すると、寄りかかった壁を握りこぶしで打ち付け始め、憎まれ口を叩く。
「クッ、なぜ我が聖女以外の者に付き従わねばならんのだ……!」
ティホンは歯を食い縛り、真剣に悔しさを滲ませる。エフは溜息を漏らしながら、
「五月蠅いな、アイツの為になるんだろ? ウルリカのさ」
そう言うと、ティホンは観念したように眉を顰めつつ目を瞑る。息を整えると、再び歩を進め始めた。エフもまた、首を横に振りながら、彼の前に立って先行する。
ティホンの歩幅に合わせて進むエフ。寂寞とした街道を歩きながら、普段なら不要な思索に耽っていた。ウルリカは連盟部隊の総統、彼女の命令には嫌でも従わなければならない――本当にそれだけの理由か?――エフの波打つ感情が、そう囁く。きっと、それだけではない。だが、その本懐を紐解くのは、後でいい。今はこの厄介者を、彼女の言う通りに誘導しなければ。
無意味な思考は、必要な注意までも散漫させる。彼は雑念を振り払い、今目の前に響き渡る、音に集中した。
国民の疎開を終え、寂寞とした雰囲気が更に静まり返った集合住宅街に視線を戻す。すると、遠くから一人の見知った男が手を振って走ってくるのを認めた。
「ウルリカ! 会えた!」
「アクセル! アンタ何でこんなとこに……防衛戦線はどうしたの?」
「迎撃態勢は完了しているよ。僕はウルリカの迎えを任されたんだ……そのお二方は?」
アクセル言う、迎えを任された、という言葉に含みを感じて疑問を持ちつつも、どうせ子供の使いって辺りが妥当な意味合いだろうと見抜いて腹を立てるウルリカ。
「はぁ……ええ、あたしの脱獄を手伝ってくれた特鋭隊のエフ。もう一人は、あー……まあ、旧知の腐れ縁ってとこね」
「僕はアクセルと申します。ウルリカの使用人としてここにいます。ん……? 失礼ですがそちらの方、お身体が優れないようですが……」
「ああ、こいつなら大丈夫よ。いつもこの血色だから。人相は最悪だけど……まあ、実力は確かよ。しっかり躾といて頂戴ね、エフ」
そう言い放って、悪戯な微笑みをエフに投げかける。彼に目があったなら、真ん丸に見開いていただろう表情を湛えていた。
「嘘だろ? おい、嘘だろ?」
「おお……殺生ですぞ我が聖女よ。斯様な聖賢さなき男について行くなどと……」
今にも膝が崩れ落ちそうな、涙を眼に浮かべた表情で嘆願するティホン。
「悪かったな、根っから俗人で」
エフは呆れの溜息を漏らし、首を横に振りながら言い放つ。
「あたしから直々に命じます。エフについて行き部隊の一人として人類を護りなさい。それだけがアンタの出来るあたしの為の行いよ。分かったわね?」
その言葉にティホンは再び滂沱の涙を流す。彼女との別れと彼女からの期待を同時に受け止め、哀歓の入り交じった表情だ。その様子にエフは呆れを通り越して諦観するばかり。
「ウルリカがお世話になりました。心より感謝いたします」
何が何やら分からぬままだが、一先ずアクセルは深々と頭を下げ感謝の意を述べた。
「やめてよ、まるで子供扱いじゃない」
迷惑を掛けた子供の代わりに謝罪する保護者のようなアクセル。ウルリカは気恥ずかしさから、その背中を快音が鳴り響くほどの勢いでぶっ叩いた。
「うっ! ちょっとウルリカ、強いよ……」
夫婦漫才のような微笑ましい光景。普段通りの彼らではあったが、エフにはそれは不思議な様相だった。気を張った先程までとは打って変わった、打ち解けた一挙手一投足を見せるウルリカ。その所作を見るに、それが彼女の素の姿なのだろうと窺えた。
「…………」
感情が僅かにざわつく。グラティアで意識を回復してからというもの、エフにとっての感情とは、多少の上下はあっても根本は安定したもの。感情のざわつき、それは彼にとって初めての感覚だった。だが忌避する程の変化でもなかったようだ。
唖然として黙りこけるエフの顔を、覗き込むように伺うウルリカ。彼はハッとして我に返る。
「――あ、いや、構わない……それより、早く行け。俺達もアンタも見つかれば逆戻りだぞ」
「そうね。でもホント世話になったわ。ありがとう」
ウルリカは髪を掻き上げて礼を言う。左手を差し伸べ、軽く指を弾く。握手の合図のようだ。
「礼には、及ばないよ」
エフはそう言って彼女の手を取り、ぎこちない仕草ではにかんだ。その手はか細く、そしてとても小さかった。
握手を終えると、「また、戦場で」と物騒な別れ文句を残し、踵を返してアクセルと共に立ち去っていった。二人を見送ると、エフとティホンもその場を後にした。
だが、ウルリカは西門へは向かわず、あらぬ方向へと足を運んでいた。アクセルは不思議に思い、彼女に行き先を問うと、
「寄り道よ。ちょっと探し物があってね」
何やら企む表情を湛えるウルリカ。
「え? だけどもう魔物はすぐそこまで――」
「――あたしはね、信じることにしたのよ、アイツらを。だからあたしは精々、自分の出来る最大の効率で最高の仕事をするまでよ」
アクセルの言葉を遮って語ったその言葉には、一つの決意が現れていた。絶対の自信を抱く自分に対してではなく、自分の手から離れた不安定な他者を信頼するという、統べる者の決意。
「……分かった」
アクセルは使用人として、主人の選択を尊重することを選んだ。本来ならば諫言もやむなき状況下ではあったが、独尊するウルリカが仲間を信頼するならば、彼に二の句は必要ない。
「あと、これ」
そう言ってアクセルは懐から銀無垢の懐中時計を取り出す。
「あれ? あたしの時計……どうしてあんたが?」
「イングリッド様から託されたんだ。ウルリカが来たら、返すように、ね」
フン、と鼻であしらい、彼の手から時計をぶっきらぼうにひったくる。
「あ、そ。とりあえず返してもらっとくわ」
歩を休めぬまま時計を懐に仕舞う。頭をガシガシと掻いて、複雑な感情を表情で湛える。そんな様子の彼女の隣で、アクセルは悟られない程度に微笑んでいた。
一方の二人は西門へと急ぐ。先行するエフを、ブツブツと文句を垂らすティホンが追う。だが、長い間牢屋の中で捕らえられていた所為か、ティホンはすぐさま息を切らし始める。
「……行くぞ、ティホンとやら」
胸を押さえて壁に寄りかかってしまうティホン。エフは呆れつつも、立ち止まって振り返り、歩を促した。すると、寄りかかった壁を握りこぶしで打ち付け始め、憎まれ口を叩く。
「クッ、なぜ我が聖女以外の者に付き従わねばならんのだ……!」
ティホンは歯を食い縛り、真剣に悔しさを滲ませる。エフは溜息を漏らしながら、
「五月蠅いな、アイツの為になるんだろ? ウルリカのさ」
そう言うと、ティホンは観念したように眉を顰めつつ目を瞑る。息を整えると、再び歩を進め始めた。エフもまた、首を横に振りながら、彼の前に立って先行する。
ティホンの歩幅に合わせて進むエフ。寂寞とした街道を歩きながら、普段なら不要な思索に耽っていた。ウルリカは連盟部隊の総統、彼女の命令には嫌でも従わなければならない――本当にそれだけの理由か?――エフの波打つ感情が、そう囁く。きっと、それだけではない。だが、その本懐を紐解くのは、後でいい。今はこの厄介者を、彼女の言う通りに誘導しなければ。
無意味な思考は、必要な注意までも散漫させる。彼は雑念を振り払い、今目の前に響き渡る、音に集中した。
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