マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-094【迅雷錯綜、鉄火鉄血、人魔大戦-壱】

 魔物は災厄。

 そんな事を、誰が言ったのだろう。言い得て妙とはこのことか。

 倒せぬものではない、だが決して潰えぬものだ。

 如何に堤を築こうとも、万魔の波濤は止められぬ。

 ならば人は、滅びる定めなのか?

 人は、抗う術を持てぬのか?

 否、答えはまだ出てはいない。

 ゆえに、ここで問おう。人が人として、この世に生まれた、その意義を。

 間もなく、滅びの試練が始まる。

 未来がふるいに掛けられる。

 天と地と人を掛けた戦いが、幕を開ける。


―――


 大地が鳴動する、まるで地震かの如く小刻みに。人々は知っていた、大地を踏み鳴らす者の正体を。それが人類に仇なす者だということを。

「満を辞してのご登場か。ちと待ち草臥くたびれたぜ」

 目を瞑り、白い息をゆっくりと吐いて、精神を落ち着かせた。雪積もる地面に突き立てた等身大ほどの大剣、その柄を力強く握り締める。

 城郭都市の西門、その外には各国の精鋭と、セプテム軍および魔術師達を配した連盟部隊が陣形を組み、遠望に見える魔物の群勢を待ち構えていた。皆一様に分厚い外套を纏い、準備運動で身体を暖める。部隊の最前には総司令官アレクシアが直々に立っていた。その隣に駐屯兵団長ジェラルドが並ぶ。

「……あれ、全部魔物か……ハ、ハハ……」

 思わず空笑いを漏らすジェラルドの目には、想像を絶する光景が広がっていた。それはあたかも、陽炎のように揺らめく地平線が迫り来るかのよう。遠景に点在するおびただしい数の斑点、その一つ一つが魔物だった。

 雪煙を上げ怒涛どとうとなって押し寄せる魔物。その大群を、アウラ・グラティア連合軍の到着まで押し留め続けること。それが、連盟部隊に課せられた任務。

「怖気づくのも無理ねえさ。今や歴史として語られるだけの戦いが、目前にあんだからよ」

 そんな共感を示しつつも、アレクシアは不思議とほくそ笑んでいた。

「だがよ、何だか燃えてこねえか? この状況にさ」

「なっ……も、燃える?」

 ジェラルドは自分が抱く感覚とは一線を画す、彼女の前のめりな言葉に驚愕する。此の期に及んで、なお闘志が奮い立つというのか。

「考えてもみろよ。今や俺たちの肩にゃ、全人類が乗っかってんだぜ? これってもう英雄だろ俺達。手前の命に代えたって負けるわけにゃいかねえ戦いなんて、そうあるもんじゃねえ。まあ、人それぞれだろうがよ……俺はこの戦いに、命の名誉を掛けられるって思うんだ」

 拳で掌を叩いて打ち鳴らす。だが彼女の表情は柔らかく、内に秘めた情熱の炎は静かに滾っていた。膨れ上がる英雄願望が勇み足とならぬよう、心を慣らし、手綱を締めるように。

「格好いいな、その生き様……」

「へっ、洒落臭えこと言ったな。でもこれは、俺の飾りっ気ねえ本懐だ。ここで己の全てを賭けなきゃ、どこで賭けるんだって話だろ」

 アレクシアは照れくさそうに満面の笑みではにかむ。するとジェラルドは、考え事をするような仕草で顎に手を置いた。

「……俺も、賭けていいか?」

 ジェラルドは真剣な表情を湛え、アレクシアの方を向く。その瞳には覚悟を孕んでいた。

「おっ、何だぁジェラルド。お前も小洒落た言葉、吐きたくなったか?」

 彼の気丈な物腰に一つの決意を見た彼女は、興味津々にその胸の内を問う。

「この戦い、生き残ったらさ……俺と……デートしてくれ」

「は……はぁ!? 何ふざけたこと――」

「――本気だ、これが俺の本懐だよ。俺はまだ死ねないな、アレクシア。貴女とデートするまではさ」

 彼女の言葉に被せて語る、嘘偽りのない、真っ白な告白を。

「へ、へへ……アンタの方がどうかしてるぜ。んな死線を前にして口説いてくるなんざよ」

 そっぽを向いて鼻を搔く。高い鼻が霜焼けで紅潮していた。

「チッ……俺まで死ねなくなっちまったじゃねえか……」

「それって……」

 目を見開き、アレクシアを見遣る。そっぽを向いていた彼女は、更に顔が隠れるほど背ける。

「お、俺がくたばってなかったらの話だ! ったく、魔物よりタチ悪いぜ」

 深く吐いた溜息は、頬染める朱とは対照的なほど白かった。


―――


「不肖ティホン、我が聖女の頼みとあらば、たとえ海でさえ裂いてみせましょうぞ!」

「その聖女ってのやめてよ。あたしそんなタチじゃないし」

「人は決して、羨望せんぼうする己で在ることなど叶わん。ゆえに貴女が望まずとも、私にとっての聖女という事実は変わらんのだ!」

「はぁ……もういいわ。好きに呼んで頂戴」

「……アンタたち、暢気のんきだな」

 長く続いた地下道の突き当たり。レンガ造りの側壁とは異なり、のっぺりとした鉄壁が塞いであった。だがそこに取っ手のようなものはない。一見、完全な行き止まりだ。

「ふーん、仕掛け扉ね。来た道から見て五番街の方角、ならこの先は地下室……革命軍の根城ってとこかしら」

「その通り。俺も驚いたが、この地下道は東西南北の各拠点に繋がっているそうだ」

 ボブロフが王に即位してから、王族のための避難経路であるこの地下道は無用と判断された。命欲しさの手段が存在することを嫌ったからだ。それを内部から知り得たサルバトーレはゴドフリーら革命軍と共に長い歳月を掛けて掘り進めたそうだ。もしも無血革命を果たせず武力行使が避けられなくなった場合、城塞を内側から攻め込み短期決戦に持ち込む為に。

「……ったく、あたしにも内緒にしてたわねアイツら。まあ、ちゃんと次善の策を長期に及んで用意する仕事ぶりには脱帽するし、そのお陰で難なく助かったんだけども」

 苛立ちと感心が同居した複雑な表情を湛えながら、そう呟くウルリカ。

 エフが手袋を嵌めた手を差し伸べ、氷のように冷たい鉄壁に触れる。するとその壁が、フッ、と仄かな光を帯びた。歯車が回り鎖を引く金属音が地下道に響き渡る。足下に風が吹き抜けた。鉄壁の下から光が漏れてくる。カビ臭かった地下道に薪を焚いたすすの臭いが漂う。

「次第に開く。まあ、少し待っててくれ」

 ふと、ウルリカが気づく。彼の右手だ。

「貴方、右手……」

 彼の右手にあった五本の指はあの時、失われたはずだった。

「アンタ、本当に何でも見抜くんだな。そう、これは義指だ」

「それ、どこで?」

「匿名希望の寄贈、なんだとさ。グラティアで装着施術の担当医に言われたよ。世の中、奇特な人間もいるもんだな」

 ――そんなの、この世に一人だけに決まってんじゃない。この鈍感。

「ふーん、へぇ……そうね、変な人もいるもんね」

「貴様……どこかで見たことがあるような気がしていたが……まさかルカニ――」

「略式、能鷹爪隠キャットハイドクロウ

 ウルリカが即座に唱えた魔術、『能鷹爪隠キャットハイドクロウ』は、被術者から発せられる音の一切をかき消す魔術。ポカンと口を開いたティホンは、口に手を当てたり、喉をさすったりして当惑していた。

「え?」

「何でもないわ。さあ、気を引き締めていくわよアンタたち」

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