マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-090【新王の檄】

「すまないね、ウルリカ。アタシにもっと力があれば良かったんだが……」

「勘違いしないで、女王レギナ。あたしはあたしの為に動いてるに過ぎないの。これもあたしのしたいことをする為。だから貴女が気にすることはないわ」

「……分かった、助かるよウルリカ。アタシも必ず、アタシのしたいことの為に、民草の意志を動かしてみせるさね」

「ええ、健闘を祈ってるわ――」

 ――「とは言ったものの……」などと呟きつつ、身体を小刻みに震わせ、豪快にくしゃみをするウルリカ。

 そこは“煙霞の鉄城”の裏手に聳える見張り塔の地下監獄。暖炉はおろか、寒さを凌ぐ布切れ一つない、鉄格子の中だった。格子越しから差す、浅葱色の淡く冷たい水銀燈を頼りに、辺りを見渡す。周囲を冷え冷えとした鉄板で囲んだ牢、辛うじて小汚い便器だけは設けられていた。

 背後で縛られた両手と、自由の利かない両足を認める。そこには、極めて高い魔力抗体を持つ、老樹メトシェラ製の枷が嵌められていた。罪を犯した魔術師に対する拘束方法だった。

 吐いた溜息が視界を遮るほど白く濁っている。幸い、防寒着や外套はそのままだったが、所持品は全て没収されてしまっていた。老樹の枷もあって、魔術の類は無力化されてしまう。小さな火種すら起こせない有様だ。

(……取り敢えず、傷だけでも直さないと)

 痣だらけの顔に魔力を集中させる。すると、身体の自然治癒力が大幅に底上げされ、頬や瞼の腫れは見る見るうちに引いていく。元来、潜在する魔力も、顕在化できる魔力も高いウルリカゆえに、このような芸当も可能だった。

(さて……どうやって抜け出そうかしら……)

 されど、脱獄は不可能に近い。手足は縛られ、所持品も没収され、頼みの綱である魔術が使えず、牢の外には看守が見張っている。その上、

(チッ……マズイわね……目が回ってきた……っ)

 ウルリカの体力は、疾うに限界を超えていたのだ。僅かな休憩と睡眠、僅かな合間で口にする少量の食事、それに反比例する多忙さ。常人ならば、いつ卒倒してもおかしくない重労働を続けてきた。止まれば死んでしまう青魚のように、一度腰を折ってしまえば、その反動は暴威となって押し寄せてくる。

(クッ……せめて、体温だけでも……)

 失いかける微かな意識を頼りに、魔力を身体中に巡らせる。何の備えもなく、ただそのまま睡魔に委ねて目を瞑ってしまえば、ふと気付いた時には凍死している危険すらあった。

「……目が覚めても……生きてますように……」

 幼い頃に口にした、お願い事をする時の台詞のような。そんな気休めにもならない言葉を呟きながら、混濁とした微睡まどろみの奥深くへと落ちていった。


―――


「セプテム国民に告ぐ」

 その日の夕刻。新王レギナによる戴冠放送が都市全土を駆け巡った。

「革命軍筆頭にして、セプテム王に即位したレギナ・ドラガノフだ」

 魔物の襲来を告げるサイレンにより、混乱が喧騒を呼ぶ、緊張が危機感を煽る、民衆が長蛇の列を成す大通り。しかし、街に轟くその声に、誰もが足を止めた。

「暴君ボブロフは倒れた。そして、侵入を許してしまった勇者も捕らえた」

 都市の至る所に設けられた拡声器から、彼女の声が轟き渡る。その方に、人々は顔を向ける。呆然として手を組む者、瞳に涙を浮かべる者、猛りを上げる者。中には革命軍とその協力者達もおり、勇者ウルリカの献身と犠牲を知る者も少なくない。その心境は、素直に綻べない複雑な表情が物語っていたが、しかし、その誰もが新王に希望を見出していた。

「そして、新たな脅威が迫りつつある。パスクより大挙する魔物の大群、現在確認されているだけでも、我らがセプテム軍の数倍。その背後は、最早数え上げるだけ無意味だ。まさに、未曾有の危機。恐らく……人類史上最大と言っても過言ではないかもしれない」

 民衆の歓声が一斉に止む。人類史上、そう言い放った玉音は、鬼気迫っていた。穿って見れば、それは震えだったのかもしれない。続く王の言葉に耳を峙てる民衆の眼は、見開かれていた。

「――だが」

 だが、見開いた老若男女の瞳は、待ち望んでいた。迫り来る脅威の、その先を照らす言葉を。

「苦悶の過去の、そのことごとくを耐え抜き! 流星の如き、儚くも鮮やかな光明を追い求め! 今! 遂にはこの時を勝ち取った我らが! 人類未踏の脅威なぞに屈する道理がどこにあるかッ!!」

 その僭主たる覇に当てられ、民衆は肌が粟立っていくのを感じていた。それは、レギナという人間を知らぬ存ぜぬ者にすら、自然と頭を垂れさせた。

「我らが敵は最早! 暴君に非ず! 猛将に非ず! ましてや魔物に非ず! 己の内に隠れ潜み、己が心を喰らわんと付け狙う、無念屈服という名の悪鬼羅刹に他ならない!」

 彼女の言葉は、更に熱を帯びていく。人々を引き付け、牽引する、王者の言葉となって。

「ならば我らは臆さず屈さず! 春の訪れを妨げんとするを、ただ! 全身全霊を以って薙ぎ払うに過ぎず!」

 嗚呼、そうか。革命軍は確かに、彼女の手腕によって率いられていたのだ。その鮮烈な輝きこそが、光照らす道標となっていたのだ。

「そうだ! 我が民草よ! 我らは幾度、そんな苦難を乗り越えてきた!? 力を貸してくれ! 我が民草よ! 我らが既に越えてきた苦難の高々一つ、目前に迫った春日はるひは、その先にあるんだッ!」

 それは詭弁だろう、言わずとも、誰もが分かっていた。そしてそれは、今耳を傾ける誰にとっても、最も必要なものだった。決して止まることのない、心奮わせる灼熱の希望、それこそが。

「……アタシはまだ、滅びるつもりなんてないよ。滅ぼさせやしない。抗ってやるんだ、アタシ達の力で。神様が寄越した試練だ、乗り越えられる者にしか与えられないんだよ。アタシ自身、レギナ・ドラガノフとしても……応援を、頼む」

 新王の戴冠放送、その最後は、彼女自身の言葉で締め括られた。

 拡声器がブツッと音を立てて切れる。その直後、街の至る所から、沸き立つ歓声と共に、新王に対して助力申し立ての依願が殺到した。

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