マギアルサーガ~うたかたの世に幕を引け~

松之丞

Log-088【襲来する災厄】

 イングリッド達は城の入口まで来ていた。骨の髄まで凍える冷気が門戸から侵入してくる。彼女は目を細めると、懐からセプテム都市地図を取り出しつつ、懐中時計を片手に見る。時刻は十二時を回っていた。

「イングリッドの姉御! あんたがアナンデール卿の根城に向かうんだろ? 俺たちゃどこに向かえやいいんだ」

 サムがイングリッドの隣につき、地図を覗き込む。彼が指を差し出すと、彼女は鬱陶しそうに溜息を吐く。

「……貴方がたには西の七番街に向かって頂きます。そこに本作戦の遊撃部隊である、ジェラルド率いる駐屯兵団が待機しておりますわ。彼らを率い、西門へと行軍下さいませ。現在、王城包囲網を敷く状況下にて、全軍武装は完了しておりますゆえ、作戦移行は滞りなく済みます」

 イングリッドが地図を指でなぞりながら説明した。現在地の王城を都市の中心部として、彼女は南の五番街に、サムは西の七番街に向かう。

「承知した、して城門前で待機すればいいんだな。とはいえ、人目はどうするんだ? 武装集団がゾロゾロと街中を闊歩するには、民衆の警戒心が――」

 その時、けたたましい音が都市全土で鳴り響く。サイレン、それは魔物の襲来を告げる音。

「――っおい、こりゃあ……!?」

 驚愕するサムを尻目に、片手に持った懐中時計をパタンッと閉じて懐に入れるイングリッド。次第にその顔には――表情に現れるわけでもなく――怜悧冷徹な熱情を帯びていく。

「エレイン、貴女の行き先は分かってるわよね?」

「うん、東の三番街、グラティア特鋭隊を率いて合流拠点に向かえばいいんだよね?」

「その通りよ、貴女は特鋭隊隊長として動く。北の一番街はアレクシア姉様が担当する。これで、対魔物戦の主戦力は結集するわね」

 当惑したサムを一瞥すると、イングリッドは諭すように、落ち着いた声色で言った。

「サムさん、貴方方は道中で民衆の疎開を誘導しつつ、西門へと向かって下さいませ」

「あ、ああ……分かった」

 妙に落ち着きを払った彼女の物腰に、毒気を抜かれるサム。

「魔物の軍勢がこの都市部まで到達するには、まだ時間があります。およそ一日……それが私達の刻限」


―――


 玉座の間、一騒動を終えた一行の耳にも、サイレンは当然届いていた。ふと、壁に掲げられた、広間を薄暗く照らす水銀灯の一つを見る。それは、浅葱色から朱色、朱色から浅葱色と、繰り返し色を変えていた。

「八十八番塔の警告灯……チッ、いよいよお出ましか」

「八十八番塔ってのは、城郭周囲の見張り塔に振られた番号ね。真北を基準に時計回りなら、西の方角……要するにパスクの方角になるわね」

 セプテム城郭都市を囲う幕壁には、時計回りに百二十基もの側防塔が設けられていた。そして四方には城門が備わっている。ネストルが呟いた八十八番塔とは即ち、西門付近にある塔。

 魔物の群勢はパスクを北上し、隣国のセプテムを目指す。それはもはや、目前。

「ところでネストルさん、その下手な芝居はそろそろお止めになっては如何かしら?」

「あぁ? うるせぇよ、そもそもこっちが本業だ。テメェにとやかく言われる筋合いはねぇ」

「あらそう? まさかアウラ出身のあんたがセプテム政府の諜報部隊にいたなんてね。ゴドフリーの差し金とは言え、ちょっと見直したわ」

 ネストル――もといサルバトーレは、ウルリカの入れた茶々をぶっきらぼうにあしらう。だがウルリカの評価は、洒落や皮肉を交えたわけでもなく、率直なもののようだ。

 セプテムでは基本、異邦人の国政干渉は許されず、ゴドフリーのような例外を除けば、裏社会の人間もまた排斥される。更に、前提として高官資格試験を通過できるだけの頭脳も必要だった。その合格率は、僅か一パーセント。更には、諜報部隊という政府からの機密任務を秘密裏にこなすだけのしなやかさも必要だった。アナンデール家の後ろ盾があるとは言え、通常の筋道よりも余程狭き門を潜ってきた彼の実力は、本物と言って良い。

「……で? あんたらの茶番に付き合ってる間に、絶賛お盛ん連中のご到着ってわけだ。もう悠長にしている時間はねえんだろ? さっさとこの鉄の監獄から出してもらいたいもんだぜ」

 アレクシアはうんざりした表情で呟きながら、額に浮かべた玉の汗を緋色のマントで拭った。いくら百戦錬磨の彼女と言えど、その疲労は深いようだ。

「無論、悠長には出来ぬが、襲来にはまだ僅かな猶予がある。その間に、勇者という口実を用い、急ごしらえだが求心力を付けさせる、新たなる王レギナにな。なれば、相当数の武装は確保できるはずだ」

 ゴドフリーの口ぶりから、西門から魔物の群勢を直接視認したというより、郊外に設けられた各防衛拠点からの警告を受け取ったのだろう。迎撃の準備に幾らかの猶予はあるようだ。だが、その備えが順調にいくかどうかは、レギナの双肩に掛かっている。この状況下、如何に民衆と役人とを説得し纏め上げられるかが、命運を握っていると言っても過言ではない。

「全く……まるで見計らったようなタイミングよね。あたし達を謀った分はしっかり働いてもらうわよ、あんた達」

「もちろんじゃ。この日の為に計画してきた、全てを費やそうぞ。何分、ここを切り抜かにゃ、儂らに未来はないからのう」

「なーに開き直ってんのよ、この狂魔術師マッドマジシャン

 ――まるで過去に何度か人類を救ってきたかのような口ぶりじゃない――そんな言葉を喉元で抑えるウルリカ。いや、きっとそうなのだろう。しかし、ここで論を急く必要もない。どの道はぐらかされるだけだと、彼女は知っている。

「……まあいいわ。ゴドフリー、また都合よく勇者を利用するんでしょ? なら、さっさとあたしを引っ捕らえなさいな」

「なっ……! おい、何言ってんだウルリカ! 引っ捕らえるってお前……」

「少佐、ここは飲み込んでくれ。革命軍の連中はまだ理解がある、マフィアの連中も俺がタクトを振れば一先ず動く。だが、勇者に反感を持つ民衆、そして政府高官の支持を得るには、独裁者打倒ではまだ足りない。勇者打倒を経てこそ、この国は独立独歩の為に団結できるのだ」

「だってよ、そうは言ってもよ……」

「いいのよアレクシア。現状、恥や外聞なんかにこだわってらんないのよ」

「そういうんじゃねえよ。お前は戦力の要だし、謂わば部隊の総統だ。お前が抜けられちゃ困るんだよ、みんな」

「大丈夫、きっと間に合わせるわ。それに、最悪あたしがいなくたって、あんたたちがいるでしょ? だから大丈夫よ」

「当たり前だ、お前が居なくたって街には指一本触れさせはしねえよ……ただ、さっさと帰ってこい。お前は、お前が思う以上に、部隊の柱になってんだ。何より……アクセルがまた泣き出しちまうぞ」

 アレクシアがニヤリと笑う。ウルリカはしかめ面を露わにしながら、舌打ちで返した。

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